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微笑みのたびに花が咲く


※if、ナマエが救済した話。

その男は、北の果ての小さな村の外れ、陽の光が柔らかく降り注ぐ庭にいた。
かつてハイランドを恐怖で支配し、戦場を血で染め上げた「狂皇子」ルカ・ブライトの面影は、今やその深い傷跡の中に微かに残るだけだ。
​「……また、そんなところで突っ立っているのか」
​低く、地を這うような声。けれどそこには、かつての刺すような殺気はない。
ルカは不器用な手つきで、庭に咲き乱れる小さな白い花――かつて彼が踏みにじったかもしれない、名もなき野花を眺めていた。
​「ルカさん、顔色が良くなりましたね。今日は風が気持ちいいですよ」
​私が隣に座ると、ルカは鼻で笑った。死の淵から救い出し、世間から隠すようにしてここで暮らすようになってから、随分と時が流れた。
​「貴様は正気か。俺のような男を、こんな平穏の中に閉じ込めて何が楽しい」
「楽しいですよ。……だって、今のルカさんは誰も殺さないし、こうして私と一緒にいてくれる」
​私の言葉に、ルカは忌々しげに目を細めた。だが、その瞳に宿るのは拒絶ではない。
​「……花など、一度踏めば終わる。命も、国も、すべては脆いものだ」
「ええ。でも、また咲くんです。何度踏まれても、春が来ればこうして」
​私が一輪の花を指先でなぞると、ルカの大きな手が、重なるようにして私の指に触れた。
剣を握るためにあったその掌は、驚くほど厚く、そして今は穏やかな体温を宿している。
​「……貴様がそうやって笑うたびに、この庭がうるさくなる」
「え?」
「……花だ。貴様が笑うたびに、この場所が色付いていくようで……反吐が出るほど、眩しいと言っている」
​毒づきながらも、ルカは視線を逸らさなかった。
ふと、彼の唇がわずかに、本当にわずかに、柔らかい曲線を描いた。
それは嘲笑でも狂気でもない。生まれて初めて知った「安らぎ」に戸惑うような、あまりにも不器用な微笑みだった。
​その瞬間、風が吹き抜け、庭中の花々がさざめくように揺れた。
地獄から戻ってきた男の、氷のような心が溶け出した証。
​「……ルカさん、今、笑いましたね」
「黙れ。殺すぞ」
​物騒な言葉とは裏腹に、彼は私の手を握り直し、引き寄せるようにして自分の膝の上に頭を預けさせた。
かつての狂皇子はもういない。
微笑みのたびに、彼の心の中に新しい花が咲き、暗い過去を塗り替えていく。
そんな静かな奇跡を、私はこの庭で、ずっと守り続けていくのだ。

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