◇12

通称「詐欺師の塒(ねぐら)」と呼ばれるヌメーレ湿原。
ここには我々人間を捕食せんと、奇々怪々な生物が深い霧に紛れ、目を光らせている。

「騙されると死にますよ」

出発前に聞いたサトツさんの忠告を受けて細心の注意を払っていたつもりなのに、開始早々前を走る受験者の、いや、受験者だと思っていた影の頭部が霧の中で突然転げ落ち、私は情けない叫び声を上げてしまった。
「なっ……何の頭ぁ〜?!」
「頭じゃない!避けろなまえ!!」
クラピカの鋭い声に助けられ間一髪、身をひるがえした横を何かが掠める。
鈍い風切り音が耳を突き抜け、顔を上げると、目の前に現れたのは亀に似たシルエットの生き物だった。似ているとはいえ大きさは二階建ての家ほどもある。私が頭だと思ったのは背中にいくつも生やしたイチゴのようなもので、遠目には人型に見えるその作りは人間を誘う罠なのだろう。
コイツ、私を食べようとしたんだ!
緊張が解けたと同時に、デカくてヘンな生き物に対してじわじわ怒りが湧いてきた。
「無事かいなまえちゃん」
「あ、うん大丈夫!」
レオリオに声をかけられハッと我に返る。
頭を冷やして、冷静に考え動かないと本当に死んでしまう。顔見知りの二人と協力できるように、クラピカとレオリオとは一定の距離を保ちながら状況把握のため辺りを見渡した。
霧で視界はぼやけているが、どこもかしこもパニック状態なのはあちこちで聞こえる悲鳴から大体想像がつく。
私達、後方を走っていた集団はサトツさんとはぐれてしまったのだ。
早く本隊を見つけなければ、時間が経つほど合流が難しくなる。おともに上から探してもらうため近くに呼び戻そうとした時。視線で全身を貫かれたような衝撃が襲った。
反射的に腰に下げたポシェットから得物の警棒を抜き、殺気の源を叩き落とす。
クラピカも素早く対応していたが、レオリオの左腕からは一筋の血がしたたり落ちた。
「てめェ!! 何をしやがる!!」
レオリオが叫んだ先に姿を現したのは、両手でトランプを弄ぶピエロのような奇抜な格好の男。受験番号44、ヒソカ。彼は怪しい笑みを浮かべ、今の状況にまるで似合わない楽しげな声で呟いた。
「試験官ごっこ♥」
さっき弾いたトランプの残骸が、私の足元にひらひらと舞い落ちた。

頭に血の上った他の受験者達は、これをヒソカの挑発と受け取り彼を取り囲んだが、それに加わる度胸など私には無かった。
1次試験開始前に他の受験者の両腕を切り落としたのも彼。人面猿の真偽を確かめるためとはいえ、地下トンネルを出た後、試験官であるサトツさんに攻撃を仕掛けたのも、彼。
この人はヤバい。
それもキルアやゴンに抱いた感触とは違う、ネジが一本抜けたような禍々しい異質さの「普通じゃない人」だ。
"関わるな"と、心臓が早鐘を打ち、自身に告げる。
そしてその予感を裏付けるかのように、トランプ一枚で十分だと豪語したヒソカは、一斉に襲い掛かる受験者を常人離れした動きで次々と屠っていく。狂った笑い声が霧に響き、首を掻き切られた受験者が倒れるたび、彼の顔は愉悦に歪んだ。

「君ら全員不合格だね♦」
自ら築いた死体の山にヒソカが言い放つ。
あっという間に私達3人と、76番のプレートを付けたもう一人の受験者を残して、この場にいた受験者は全員『不合格』となった。

『オレが合図したらバラバラに逃げるんだ』
76番の男が低い声で囁いた。ヒソカは強い。4人がかりでも勝ち目はない、と彼は続けた。
反論の余地はない。ゆっくりこちらへと近付くヒソカに対し、彼の合図とともに私達は四手に分かれ、全力で逃げ出した。
ヒソカに背を向け、姿の見えない状態は心臓が喉から飛び出しそうだった。今にも背後から襲われそうな恐怖心を押し込め、ぬかるみに足を取られながらそれでも地面を蹴り、白い闇の中を走る。
そんな中、霧の向こうで咆哮がこだました。
おそらく私以外の2人にも聞こえたはずだ――レオリオの声が。

どうする?どうすればいい?立ち止まった私はネックレスを握り、深呼吸をして思考を巡らせる。
このまま逃げるか、レオリオを助けるか。
心の中で二択が迫ってくる。

どう考えてもヒソカは戦って勝てる相手じゃない。キルアと違ってレオリオは手を差し伸べるべき小さな子供でもない。さっき出会ったばかりの人をリスクを犯してまで助ける理由があるのか。冷静に考えれば逃げるのが得策。
なんだろうけど。
結局全部、後付けの言い訳にすぎない。
「なあにやってんのよあの人は!」
正解のない二択に直面した人達を、私はたくさん、何度も何度もばーちゃんの後ろで見てきた。その上で思う。どちらかを選択するなら心に従うべきだ。後悔のない方。この後ごはんがおいしく食べられる方。今夜ぐっすり眠れる方。
足を止めた時点でそれがどちらかは言うまでもない。



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