◇25
連番の鍵を渡されたレオリオとドアの前で別れ、宛がわれた一人部屋に足を踏み入れる。ホテル、と言っても実態は座礁した古い船。客室はお世辞にも高級感があるとは言えないが、雑魚寝続きの体にはまともなベッドがあるだけで天にも昇る気持ちだった。
私の肩から一直線にベッドへ飛び立つおとも。後を追いたいのをぐっとこらえて、まずは海水で濡れた服やサンダル、3次試験で使い倒したストールなどを一切合切洗濯する。そのあとゆっくりお風呂に浸かり、さっぱりしたところで満を持して……ベッドにダイブ!
ああ、我が世の春が来たー!
背中に当たるマットと体を包む毛布の柔らかな質感。外からは心地よい鳥の声と波音。一人と一匹だけのプライベートな空間。枕を抱き締めると、意識は瞬く間にとろけていった。
「ぅあちぃ〜〜!!」
しばらくして、甘い暗闇から私を引き戻したのは壁越しに聞こえた叫び声だった。
なんなの。うるさいなぁ。一度は毛布に体を潜り込ませてみたものの、さっきの声の理由がだんだん気になって、すっかり乾いた服へ私は袖を通した。
「レオリオどーしたのー?」
外はすっかり夕焼け空。隣の部屋のドアを叩くと、西日で水色のシャツを茹でたカニのように赤く染めたレオリオが出て……くるはずだったのに。
「げーっ!なんであんたがいるわけ?!」
なぜか中から姿を見せたのはカニではなく――タコ。つるっぱげの茹でタコ、もとい体を真っ赤にしてのぼせ上ったハンゾーが部屋から廊下へ這い出てきた。
「よおなまえか。交換したんだよ。レオリオと。日当たりの良い一人部屋だと通されたら、日当たりが良すぎて蒸されてしょうがねえ……あー床がつべてぇ〜」
弱弱しく地べたに突っ伏したハンゾーの近くに寄ると、彼がいた部屋からは異様な熱気が漂ってくる。窓の位置かなんなのか、一部屋違うだけでこんなに室温に差が出るとは不思議なものだ。
「それはご愁傷様。私の部屋は全然快適だけどなぁ」
「うおー!部屋替わってくれなまえー!!」
「やだやだやだやだ絶対ヤ!ダ!」
足元にしがみついてくるハンゾーを引きはがそうにもなかなか手強い。まるで吸盤でも付いてるみたいだ。
「オレ達『呉越同舟』の仲だろ!」
「3次試験はとっくに終わりましたぁ〜!日当たりが良すぎるなら、日が落ちるまで外で待ってなさいよ!」
「む。たしカニ」
のそりとハンゾーが体を起こしたのを機に、掴まれていた足を引っこ抜いて距離を取る。ハンゾーは部屋の扉を閉めると、とぼとぼ廊下を歩きだした。
「仕方ねえ。夜になるまで海で食いものでも採ってくるか。お前も行くか?」
「行く行く!お腹空いた!ねえハンゾー、昼間スベスベでおまんじゅうみたいな……」
「なまえ」
背後から声をかけられ、はたと足が止まる。振り向いた先に立っていたのは、蒸し風呂部屋の元主だった。
「レオリオ!」
「なあ、ちょいと付き合わねえか?……用事があるなら、無理にとは言わねえけどよ」
ハンゾーの背中が消えた曲がり角とレオリオ。赤い廊下の端と端を私は交互に見比べた。
真っ赤な空。真っ赤な雲。真っ赤な海。そして、真っ赤な船。
レオリオに手を引かれて連れられた場所は、ホテルからほど近い、赤い塗装の難破船だった。
「お片付け、か」
2人で船の中を訪れると、レオリオは「先客」に声をかけた。
「ああ」
振り向かずに短い返事を寄越す「先客」の、黄金色の髪が小さく揺れる。その後ろ姿は想像よりも気丈な印象を受けた。
この船は彼――クラピカの同胞、クルタ族の船だ。
昼間の宝探しでクラピカが持ち寄った、火難除けの効力を持つというクルタ族のペンダント。それとこの船について支配人に尋ねているところに私達は居合わせていた。
船はいつからあったのか。残念ながら手がかりはなく、その後のクラピカはずっと思いつめた表情をしていたのが私もレオリオも気がかりだった。
でも、今のクラピカの様子を見る限り私達がでしゃばる必要はない。見上げたレオリオも同じ意見だと瞳が物語っていた。
「ルームメイトが心配で様子を見に来たが、いらぬお節介だったようだ。行こうぜなまえ」
「うん。じゃあねクラピカ」
「レオリオ。なまえ」
火を貸してくれないか。踵を返す私達を呼び止めたクラピカは言った。レオリオからマッチを受け取ったクラピカは、船に弔いの火をつけた。
クルタ族の「緋の目」のこと。
船から立ちのぼる煙を見つめながら、クラピカは私達に話してくれた。
クルタ族は感情が高ぶると瞳が緋色に変わり、その色は世界有数の美しさと謳われていること。瞳の色が変わったまま死ぬと緋色は褪せることなく瞳に刻まれ、それが幻影旅団に襲われた理由であること。不幸中の幸いは何者かに襲われた形跡がこの船に無かったこと。
やがて訪れた静寂の中、クラピカはあの火難除けのペンダントを海へと還した。
「幻影旅団は必ずこの手で捕らえてみせる。奪われた同胞の瞳も全て取り戻す……だから今は、安らかに眠ってくれ」
寄せては返すさざ波に攫われ、少しずつ形を失う同胞の船。クラピカの瞳にはどう映っているのだろうか。刻をこえて仲間の死を知る時は一体どんな気持ちになるのだろうか。
私にもいずれ知る日が来るのかもしれない。
「ねえクラピカ。私、お祈りしてもいい?」
私はネックレスを外しながら、海の果てを見つめるクラピカへ声をかけた。
「お祈り?」
「私を引き取ってくれたばーちゃんが祈祷師なの。それで色々教わってるんだ。私はその、まだ半人前なんだけど」
小さく頷いたクラピカが後ろに下がったので、入れ替わり前に出てネックレスを両手にかけ、目を閉じる。
「魂の往くべきところがもしもあるのなら、クラピカの仲間達が迷わずたどり着けるように。クラピカがいつ今日を思い出しても心が穏やかでいられるように。お祈り、します」
「……ありがとう」
波音に紛れ、微かに届いたクラピカの声が心なしか安らいだ気がして。私にとってそれが救いだった。
見上げた空には星が灯り始めていた。