◇32
ヨーグルトに丸いパンが3つ。朝のお祈りのお稽古。現存する世界の歴史的建造物とそれにまつわる文化について。キルアとゴンのあっち向いてホイ対決の審判。白身魚のムニエル。世界各国の少数民族について。頭を冷やすためのシャワー。星空と引かれたカーテン。クラピカ先生推薦の漬物石みたいな分厚い参考書。マーボーナスとアンニンドーフ。食後のコーヒー。バルサ諸島の地質変動について。隣の大きなあくび。廊下に響く革靴とサンダルの足音。暗い部屋。遠ざかる革靴。夜のお祈りのお稽古。おともの寝息。波打つシーツ。
飛行船での時間は瞬く間に流れ、ついに最終試験は明日へと迫った。
やれることはやった、と思う。あとは本番で全力を出し切るだけ。
体をベッドに滑り込ませ目を閉じる。乗員が少なくなった飛行船の中はとても静かで眠気はすぐにやってきたが、誰かが廊下を歩く音が聞こえて私は閉じた目をもう一度開いた。
今しがた別れたはずの、ややすり足で歩幅が大きな革靴の足音。それはだんだん近づいて私の部屋の前で止まった。
「何か用?レオリオ」
ドアにそっと近づいて、ノック1回でドアノブへ手をかけると面食らった様子のレオリオはちょっといいか、と私を部屋の外に誘った。
「寝不足でテスト受けるの、よくないよ。絶対いつもやらないミスしたりするしさ〜」
「わーってるよ。さっと目を通すだけだって」
わざわざ部屋まで訪ねてきたレオリオが何を言い出すかと思えば、私が図書室を出る前に読んでいた本の題名を教えてほしい、だそうで。
そんなの覚えてるわけがなく、予習に使っていたバルサ諸島の地質変動について書かれた本を探しにまた図書室へ戻ることになってしまった。レオリオはベッドに入っても落ち着かないから、もう少し勉強するんだそうだ。
ハンゾーもポックルも部屋に戻ったらしく中は真っ暗。照明スイッチを付け直し、記憶を頼りに本を戻したあたりの棚を見て回った。
「レオリオあったよ!はいこれ。『はじめての地理・地質学』」
「サンキュー」
「ほどほどにしときなよ。じゃ、おやすみ」
「なあ、なまえ」
本を渡して部屋へ戻ろうとするとレオリオに呼び止められた。ここ数日間の指定席だった長テーブルの椅子へ腰掛けたレオリオは、飛行船に乗ってすぐの時みたいに隣の席を指さす。勉強までは付き合わないよ。眠いんだから。と念押ししてから座るとレオリオは手のひらを上に向けて大きな両手をずいとこちらに差し出してきた。
「寝る前にアレ、もう一回やってくれよ」
「アレ?とは」
見当がつかず首を傾げた私に、耳を疑うような言葉が飛びこんできた。
「オメーがお得意の『お祈り』だよ」
「えぇ〜っ?!」
まさかレオリオの口からそんな言葉を聞くなんて。
「呆れた!人のことスピリチュアルだなんだって散々バカにしたの、誰だっけ?!」
「うるせー!ライセンスを手に入れるためなら何にでもすがってやらぁ!」
と大声で言い返すレオリオにもさすがに思い当たる節があるらしく、後ろめたそうに顎を引いて、レモンを絞った牛乳みたいな声でボソボソと付け加えた。
「……ま、なまえのオカルトなら多少はあやかってもいいかとオレも考えを改めた。思い返してみればお前の『お祈り』を受けた後はヤバいところを運良く救われた場面が多かった気がする。と、思わなくも、ないしな」
随分回りくどい言い方をするもんだと内心呆れながらも正直嬉しい。だってずーっと否定していた主張をひっくり返すくらい、私のことを認めてくれたってことでしょ?
「三次試験。軍艦島。四次試験――これだけ助けられちゃ、あんときのお祈りの分は残高使い切っちまった気がするからよ。オレがちゃーんと合格できるように、もう一回やってくれ。な?」
「残高って、テレホンカードじゃないんだから……でもいーよ。レオリオが必要なら何回でもやってあげる」
外したネックレスと共に手を重ねると、伝わる体温がいやにむずがゆい。二次試験の後手当てのお礼にした時とは様子が違う、うるさい心臓の音から逃げるように私は強く目をつむった。
今は相容れないことも、こんなふうにちょっとずつ理解し合えればいいな、と思う。レオリオには私のことをもっと知ってほしいし、私だってレオリオのことをもっともっと知りたい。きっと少しずつ時間を重ねていけばそうなれると思うけど……一緒に過ごしたり話したり、そんな時間は試験が終わった後どのくらいあるのかな?
レオリオはしばらく受験勉強で大変だろう。私もドーレに戻ればいろいろ忙しくなる。近くに住んでいれば気軽に会いに行けるけれど――。
「どうした?なまえ」
「……別に。難しいお願いだとお祈りするのも大変なの!」
「口の減らねえヤツ」
「カワイイ声がいっぱい聞けていいでしょ。はいおしまい」
世界地図の点と点がフラッシュバックして、吹っ切るように握った手を大きく振り解いた。
するとはらりと一枚。細長い紙がレオリオのシャツの袖口から零れ、床に落ちた。
「なにこれ……あ!」