◇44
背もたれに放り投げられたシャツを回収したレオリオがソファーに座るよう私を促した。言われた通りに大人しく座って膝の上で手を組み部屋を見回していると、ジャケットを脱ぎ、キッチンで何かごそごそしていたレオリオは冷蔵庫の開閉音が聞こえたあと、のそっとソファーまで戻ってきた。
「ん」
私に向かって右手を差し出すレオリオ。その手には手のひらサイズの黒い缶が握られていた。
「え!コーヒーあるってまさか缶コーヒー?!」
「ホットでいいならインスタントもあるが」
「インスタント」
コーヒーだけど、確かにコーヒーだけど!
あんな言い方するからご自慢のコーヒーメーカーとか、こだわりの豆とかあるのかと思ったのに!
「なぁんだ〜」
「文句言うな。おっと」
たいして抗議を挟む隙も与えられずに突然ふらついたレオリオを急いで立って支え、座らせる。
「もうこれでいいよ。酔っぱらいさん」
「ビール1杯ごときで酔うわけねえだろ」
「ウソ。お酒くさいもん」
缶コーヒーを受け取ってレオリオの隣へ私も腰を下ろす。拳1個分空けた距離はすぐにクッションが沈んで消えてしまった。
静かになった部屋にエアコンの低い音だけが響いていて、その音にどくどくと鳴り始めた心臓の音が重なる。気もそぞろにコーヒーを飲んでいたら、またソファーのスプリングが音を立て、体がレオリオの方へ流された。肩に回された手に抗う気はひとつもない。私も思い切って頭を預けてみた。
「かわいい」
「おべんちゃらはいいから」
「本気で言ってんだよ」
呼吸の仕方も忘れそうな甘い痺れが体を駆け巡って、私から思考力をこれでもかと奪ってゆく。そして空いた隙間に容赦なく詰め込まれるのは未体験の幸福感。際限なく押し込まれる膨大な感情に体が今にも爆発しそうだった。
「今日泊まってけば?」
「やだ」
「つまらねえビジホなんかよりずっといいだろ」
「つまんなくないよ。ライセンスでいい部屋取りました〜」
体は既にぴったり密着していて、話してるうちにだんだん近付くレオリオの顔も気付けばすぐ目の前、というか至近距離にあって。
「帰るなよ。なまえ」
喋ってる拍子にツンと鼻が当たってくすぐったかったから
「レオリオてさー」
「ん?」
「鼻高いね。いいな」
って笑ったら、レオリオはまた「かわいい」って私の首筋へ顔を深く埋めた。
「やっぱ、なんもしないのオレムリかも」
「バカ言わないで」
「チューしていい?」
「……いいわけないでしょ」
私の声は震えていて、もはや形ばかりの抵抗だった。
「したい」
取り上げられた缶がコツンとテーブルに置かれる音が耳にこびりつく。
なにが変わった訳じゃない。なのによく見るとヘーゼルがかったレオリオの瞳と視線が合わさった瞬間、確実に私とレオリオを取り巻く空気が変わったのは明らかだった。
「したい」
答えない、答えられない私に吐息が迫る。
目を閉じて受け入れたレオリオの唇は思ったよりもずっとずっと柔らかくて。
全部。もう私の中の何もかもが全部、溶けてしまった気がした。
「好きだ」
言うの遅いよ。
「私も。大好き」
首にしがみついて、唇を、舌を夢中で重ねた。どのくらい経ったか分からないけど唇がジンと痒くなってきた頃、不意に体が宙に浮いて、ソファーから移動させられた私の体はベッドに横たえられる。
覆いかぶさったレオリオともう一度キスをして、レオリオはネクタイを緩めて、シャツを脱いだ。焦げそうなほど熱っぽい視線で私を見つめたままベルトを外す仕草を、変に冷静な気分でああ、私今からレオリオとセックスするんだ。なんて考えながら私はひとつまみの不安とともにそれを見上げていた。
もうどうなってもいいや。
ううん、ちょっと違う。
レオリオならどんなことをされても、この先どんなことあっても後悔はしない。そんな気持ち。
再び体重をかけたレオリオのしっとりとした体にぎゅっとしがみつく。耳元で囁かれた意味を成さない最後の確認に頷いて。私は全てをこの人に明け渡した。
それは生まれてから今日までの人生でいちばん温かく、幸せな夜だった。