『プリンセスッ!』
『あなた様だけでもお逃げください!』
『ここは私たちに任せて、どうか早くっ!』
『──ファイター、ヒーラー、メイカー……どうか無事で。必ず……必ず、また会いましょう』
*
「……──っ!」
ビクリと身体を震わせ、大気が眠りから覚めた。全身が汗でぐっしょりと濡れている。
(……まただ)
もう何度見た夢だろう。
夢といっても、希望に満ちた明るいものなどではない。暗い悪夢の日々を思い出させる、呪いのようなものだ。
大気は仰向けになったまま腕で顔を覆うと、深く息をついた。
(いつになったら、この悪夢は終わってくれるのでしょうか)
そして考える。──昨日の彼女の夢は、希望に満ちていた。まぶしいほどに明るくて、思わず目が細まった。
〈私、大気くんとお芝居がしたい!〉
そんなまやかしのような夢、自分には縁遠いもののはずなのに。
一瞬でも彼女の夢に心惹かれたことに驚いた。自分にもまだ夢に憧れを抱く無垢な心があったのだろうか、と。
「……いけませんね、現実を見ないと」
自嘲気味に言うと、大気はベッドを抜け出した。
* * *
駅のホームの片隅で、あやめは口元に手をあて、かかってきた電話に出ていた。
「はい、はい……そうですか。わかりました……またよろしくお願いします」
相手が切るのを待って電話を切ると、大きく肩を落とす。
(……まただ)
電話の内容は、映画のオーディションの落選通知だった。
これで何度目かわからない。ただ数えなくともわかるのは、これまですべて落ち続けているということだ。
「こんだけ百発百中で落ちるなんて、逆になにか持ってるんじゃないの、私?」
冗談混じりにつぶやいたが、とても笑えなかった。大学卒業までは挑戦するつもりでいたが、こう落選続きでは卒業後に路頭に迷うことになりかねない。
「……いまのうちに、もっと現実的な進路に変えといたほうがいいのかな……」
つい口から弱音がこぼれてしまってから、ハッとして慌てて首を振る。
「まだまだっ。きっと大器晩成型なのよ、私は。もう、あきらめたらそこで試合終了じゃないのっ」
自分をいましめるようにコツンと頭を拳でこづいてから、ふと、昨日の大気の言葉を思い出した。
〈こういった夢のある話は、私には少し……まぶしすぎるので〉
大気はときおり辛そうに眉を寄せ、どこか遠いところを見る目をすることがある。そんな時は決まって、これ以上あやめに踏み込ませまいという厚い壁を感じる。
(気になるけど……触れられたくないことなんだよね、きっと)
つい知りたくなってしまうが、それは大気の望むところではないのかもしれない。
あやめは気分を変えるように「よし」と気合を入れると、駅の改札を出た。
駅から歩き撮影スタジオのそばまで来たあやめは、ビルの裏の喫煙所に複数の人影がいるのを見つけた。その中の一人があやめのよく知るディレクターとわかり、声をかけようと足を踏み出す。
その時、
「あやめちゃんねー、どうしようか」
不意に彼の口から自分の名前が出てきて、思わずビルの陰に身をひそめた。
もう一人の人物がタバコをふかしながらうなる。
「仕事はまじめだし、いい子なんだけどな。どうにも垢抜けないんだよな」
「そうなんですよねー。ウチの雑誌のターゲット層的にも、もうちょっとセレブ感がほしいんですよね」
頭の芯が急速に冷えていくのを感じた。心臓が嫌な音を立てはじめ、足に根が生えたようにその場から動けなくなる。
「いまの契約期間が終わったら、次はないかな」
死刑宣告のような言葉が聞こえてきた。
(まただ……ここでも、私は……)
やがて喫煙所にたむろしていたディレクターたちは、裏口からビル内に戻り、その場にはあやめだけが残った。
騒ぐ心臓をようやく落ち着けスタジオにやってきた頃には、予定時刻のまぎわになっていた。あやめがスタジオに入ると、ディレクターが「待ってました」と言わんばかりの顔でやってくる。
「来た来た。いつも時間前行動のあやめちゃんが、今日はギリギリなんて珍しいね」
「……すみません」
「いいよいいよ。それよりさ、きみのお兄さん、今日は一緒じゃないの?」
「──え?」
訊き返したあやめに、ディレクターは手もみしながら愛想笑いを浮かべた。
「いやね、こないだの写真をプロデューサーがいたく気に入ってね。一度会えないかって言ってるんだ」
ディレクターがあやめの向こうに目配せをしながら言った。振り向くと、先ほど裏の喫煙所でディレクターと一緒にいた男性がこちらへ向かって軽く手を挙げている。
(そんなこと、私は一度も言われたことないのに)
あやめはにこやかな表情を貼りつけてプロデューサーへ会釈すると、ディレクターへ向き直った。
「すみません、兄は普段は撮影が終わる頃に来るので。お話は伝えておきます」
「ぜひ頼むよ。お兄さんさえ興味があれば、事務所を紹介することだってできるし」
──事務所の紹介までしていることも初耳だった。
口元をわずかにムッとさせたあやめのことなど意に介さない様子で、ディレクターは「じゃ、よろしく」と肩を叩くと行ってしまった。
オーディションに落ち、いまの仕事でも評価されない中、あとから来た大気はたった一度でプロデューサーの心をつかんでしまった。
あやめの胸のうちに小さなきしみが生まれ、静かに波紋を広げていった。