大気は昔からなにかと世話を焼くタイプだ。
知識欲が高く、気になったものは自分で調べ、試し、納得がいくまでやらないと気が済まない。星野や夜天がおざなりに事を済ませたとしても、つい気になり、あとから手を出してしまうところがある。
いつの間にか、彼らの身の回りのことはおのずと大気の仕事になっていた。
「あーあ、ここまでなんの手がかりもなしかよ」
朝食を終えた星野が、ソファに深く腰かけ溜息をついた。星野は持ち前の行動力で、地球にやってきてからというもの精力的に火球王妃の捜索をしていた。いつもであればそれで状況が開けるのだが、今回ばかりはそううまくいかないようだ。
「本当に、あのお方はどこにいるのでしょうか」
ローテーブルにお茶を並べながら、大気も一緒になって溜息をついた。
シーリングファンを見上げた星野が遠くへ思いを馳せるようにつぶやく。
「……あのお方が星を発った時──」
そばでヒュッと息を呑む音が聞こえた。大気がそっと目だけを向けると、反対のソファに座る夜天が青ざめた顔でうつむいていた。
夜天は三人の中でも特に火球王妃を慕っていた。王妃を守りきれず、たった一人で星を脱出させるしかできなかったことを誰よりも悔やんでいるのは彼だろう。いまもあの時の痛みが生々しく記憶に残っているのか、夜天は地球に来てからもたびたび思いつめた表情をしていた。
「だいぶ力を使い果たしていたからな……ここへたどり着くのもやっとだったのかもしれないな」
続けて言った星野の声には、悔しさとやるせなさがにじんでいた。
「どこかで傷を癒されていると?」
大気が訊く。
「その可能性はあるだろうな。あとは、敵の動きを警戒してどこかに身をひそめてるってことも」
「ありえますね」
言った大気に星野もうなずき返すと、気分を変えるように大きく伸びをした。首をコキコキと鳴らしてから、一息ついてローテーブルのお茶を手に取る。
「大気、おまえ今日はなんか予定あるのか?」
「ええ、今日は本屋に行ってきます」
「本屋?」
本屋になんの用だと星野が訊くより早く、
「どうせあの女に会いにいくんでしょ」
夜天のトゲのある声が割り込んできた。先日あやめと鉢合わせて以降、ずっとこの調子だ。
「大気は僕たちのことも、あのお方のことも、どうだっていいんだよね。地球で楽しく暮らして、地球の女と遊んでいたいんでしょ」
「そんなはずはないでしょう。夜天、私がいつそんなことを言いましたか?」
大気が穏やかな口調で言うと、夜天はむくれた表情で黙り込んでしまった。
──あやめとの時間に胸躍る気持ちがまったくないと言えば嘘になるが、それでも自分たちの使命を忘れたことは一度たりともない。いつでも大気の心を占めるのは、火球王妃と仲間たちのことだ。
夜天とてそれは理解しているはずだが、故郷が襲撃されたあの時のショックが大きいせいか、ときおり情動が不安定になることがある。
困った、と大気が逡巡していると、代わりに星野がフォローを入れてくれた。
「まあ、大気だってただ遊んでるわけじゃないだろうしさ。もしかしたら、あやめが俺たちの力になってくれるかもしれないし、な?」
「あんな冴えない女が僕たちの力になれるとは思えないね」
夜天が頬を膨らませさらにむくれた。
大気がますます困った顔をしていると、星野が「いいから行ってこい」と小さく目配せをしてきた。約束の時間にはまだ早いが、ここにいても夜天の機嫌を損ねるだけだ。そう判断した大気は、ローテーブルにお茶を残したまま、すごすごと家を出た。
* * *
今日の撮影スタジオには、シャッターの切られる小気味よい音も、ピンと張りつめた心地よい緊張感もなかった。代わりに、ザワザワと落ち着きのない空気がスタジオを満たしている。
受話器を耳にあてた男性が、壁に向かっておじぎをしながら誰かと話していた。
「はい、そこをなんとか……え、無理? そうですよねぇ……」
男性は電話を切ると、すぐさま別の場所へかけ直す。周囲には同じようにして電話をする人があちこちに見えた。
先ほどから手持ち無沙汰のあやめは、慌てる現場スタッフたちを眺めると、聞こえぬように小さく溜息をついた。
(どうしよう、今日は長引くかな)
一緒に撮影をする予定だった男性モデルから欠席の連絡がきたのは、撮影開始5分前のことだった。
関係者も設備もすでに皆スタンバイしてしまっている。いまさらリスケなどできない。慌ててピンチヒッターを探しはじめたが、かれこれ30分は過ぎていた。
(大気くんに遅れるって連絡したほうがいいよね)
カバンからPHSを取り出したあやめは、そっとスタジオを抜け出した。
秋の深まりはじめた外の空気に小さく肩をすくめると、電話帳から大気の名前を探し出し、発信ボタンを押してから耳にあてる。
「こんにちは、あやめさん」
あてた耳とは反対の耳から大気の声が聞こえてきた。コール音を数えていたあやめは、驚いてパッと振り向く。
「え、大気くんっ? どうしたの、まだ待ち合わせには早いけど」
「ちょっと家にいづらくなりまして……」
指先で頬をかきながら答えた大気に、あやめは申し訳ない顔をした。
「ごめん、今日ちょっと長引きそうなの。待たせちゃうから、本屋はまた別の日にする?」
「……そうですか」
あやめが提案すると、大気は心なしか寂しげに眉尻を下げた。が、すぐに元の表情に戻ると微笑んで続ける。
「私は急ぎませんから、終わるまで待っていますよ」
「でも……」
「待たせてください」
結局大気に押し切られる形で、スタジオの中で待ってもらうことになった。
あやめは大気を連れてスタジオへ戻ると、進行表を睨みつける男性へまっすぐ向かう。
「ディレクター、すみません。終わるまで彼、ここにいてもいいですか?」
「ええっ、こんな時になに……ん?」
手に持ったペンをギリギリとかじりながら振り向いたディレクターの男性は、大気を見ると目を丸くした。噛んでいたペン先をぶしつけに大気のほうへ向けると、
「あやめちゃん……この人、誰?」
「ええと、私のあ、兄です!」
「お兄さん?」
大気へ視線を戻したディレクターは、そのまま頭からつま先まで舐め回すようにじっくりと眺めた。そして、
「……いい……いいよっ! ねえお兄さん、ちょっと撮影参加しない?」
「「え?」」
大気とあやめの二人は揃って口をポカンと開けた。しかしすぐにあやめの表情がパッと明るくなる。
「それいいかも! 大気くん、絶対に写真映えすると思ってたんだ。やってみようよ!」
「え、あの、私はそういうのは……」
「お願い! 私、大気くんと一緒に撮ってもらいたいなあ」
目を輝かせながら甘えるあやめに、大気は弱った顔をした。これはチャンスとばかりにディレクターがにっこりと笑う。
「ね、お兄さん。可愛い妹さんもこう言ってるわけだし」
「……はあ……」
大気はもう一度あやめの嬉しそうな表情を見ると、しかたがないと腹をくくった。
* * *
夕焼けに染まる街の中を、軽やかな足取りのあやめが進む。
「ああー、今日は楽しかった! ね、大気くんっ」
「──ええ」
両腕を伸ばして振り向いたあやめを、大気は目を細めて見つめた。
大気が急遽参加した撮影は、その後順調に進み、無事に遅れを取り戻した。
フラッシュがたかれる中、スタッフの注目を一身に浴びながらカメラのレンズを見据える。かつて故郷のキンモク星で丹桂王国が健在だった頃、祭事で舞を披露したあの緊張感を思い出すようだった。
撮影後は約束どおりあやめに本屋へ連れていってもらい、詩集コーナーでひたすらに詩を読み漁った。あやめはそんな大気を珍しいものでも見るような目で眺めていたが、しばらくするとそれも飽きたのか、適当に本を取ると店内のイスを陣取り読みはじめてしまった。
大気が人心地ついた頃あやめの元へ行くと、彼女は潤んだ赤い目をして「これ買うわ」とだけ言い、先ほどまで読みふけっていた本をレジへ持っていった。
──平和で、満たされた、楽しい時間だった。まだ故郷で夢やあこがれを抱いていた頃の自分に戻ったようで、大気はふ、と淡く笑った。
「そういえば、あやめさんはなんの本を買ったのですか?」
スキップでもしそうな背中へ問いかけると、あやめは恥ずかしそうにソロリと振り向いた。
「……大気くん、笑わない?」
「? なぜです?」
首をかしげる大気の前で、あやめが一冊の本をカバンから取り出す。青と緑の美しい色調で彩られた表紙の中央には、真っ白に輝くペガサスの絵が描かれていた。
「絵本ですか?」
「そう。美しい夢の中で生きるペガサスの話。悪い人たちから逃げてたペガサスが、女の子の夢の中にやってきて、その女の子と恋に落ちるの」
「はあ」
──ずいぶんとメルヘンなストーリーだ。
大気は差し出された本を手に取り、表紙をまじまじと眺めた。
(私も、昔はこういうものを読んでいましたね。……ずっとずっと昔のことですが)
「よかったら、大気くんも読んでみる? それ」
「……──いいえ」
静かに答えると、大気はあやめの手へそっと本を返す。
「こういった夢のある話は、私には少し……まぶしすぎるので」
「……そっか」
あやめは短く言うと、受け取った本をすぐにカバンにしまった。そして顔を伏せた大気を覗き込んでにっこり笑う。
「じゃあ、私が大気くんのぶんまで夢を追いかけちゃおうかな。今日ね、新しい夢ができたの」
「……なんですか?」
気乗りしない表情で大気が訊き返すと、あやめは笑みをさらに広げた。
「私、大気くんとお芝居がしたい! 一緒にドラマに出て、共演してみたい」
「……あやめさん、私は今日はピンチヒッターとしてやむなく承諾しただけで、そういった芸能活動は──」
「向いてると思うけどな、私は。カメラを見る大気くんの目、すっごく輝いてた! ドラマで動いてる大気くんも絶対に輝いてるって! 私、そんな大気くんと一緒にお芝居がしたい」
そこまで言うと、あやめは満面の笑みをわずかにしぼませ、
「……といっても、私、まだ小さな役すらもらえたことないんだけど」
ごまかすように苦笑して、シュンと視線を下げた。
気づくと大気はあやめへ手を伸ばし、うなだれた頭を撫でていた。
「……大気くん……?」
「叶うといいですね、その夢」
「……!」
見上げるあやめの瞳がまんまるに開かれ、キラキラと輝きだす。
ふと我に返った大気は、いつの間にか彼女の頭に置いていた手に気づき、自分の行動に内心で慌てる。なるべく自然に見えるように手をどけあやめから離れると、「ではまた」と軽く挨拶をして背を向けた。
「たっ、大気くんも頑張ってくれなきゃ、叶わないんだからね、この夢!」
歩きだした大気の背に、あやめの声が飛んでくる。
「ええ、考えておきますよ」
「かっ……本気で考えてよねっ! 一緒にドラマに出て、有名になって、日本中の──ううん、世界中の人に見てもらうんだからねっ!」
(──世界中の人に?)
あやめの言葉に、大気は歩きながらはたと考えた。
(そうか……私たちが有名になれば、メディアの力を使って遠くまで私たちの声を届けられる)
「ねえっ、大気くんってばっ!」
「わかっています、考えておきますよ」
遠くで張り上げられた声に、大気は機嫌よく口端を上げながら片手を上げた。