大気が約束の時間に撮影スタジオのビル前へやってくると、そこにはすでに虎島がいた。虎島は大気に気づくと、いつものようにわざとらしい笑みを浮かべてくる。
「おや、こんにちは『お兄さん』」
「……どうも」
不自然に「お兄さん」を強調した虎島に、大気は警戒しながら返した。迎えが来たのだから今日はあきらめて帰ればいいものの、虎島は平然とそこに居座っている。
「……まだいるのですか?」
ビルの出入り口へ目を向けながら、大気が隣に立つ虎島へ訊いた。
虎島は口元に笑みを浮かべると、大気のほうを見ずに答える。
「ええ。どうしてもあきらめきれなくてね、あやめさんのことが」
「彼女のどこがそんなにいいのですか? 私が言うのもなんですが、彼女はお世辞にもスカウトの対象になるとは思えないのですが」
「ふん、わかってないのね。──きみ、本当はあの子のお兄さんじゃないでしょう?」
「…………」
バレていたのか。舌打ちしたいのをなんとかこらえ、大気は無反応を決め込んだ。
「──ゆめゆめ疑うことなかれ」
「……?」
おもむろに虎島が歌うように口ずさみはじめ、大気は眉をひそめ隣を見た。
「夢みる子どもの夢の夢」
「……なんです、それは?」
「弊社の社歌のようなものです」
なにを考えているのかわからない笑顔で虎島が続ける。
「彼女の夢、美しいと思わない? 女優なんて叶う可能性の低い夢を、あんなに必死になって追いかけちゃって。──愚かで、ぶざまで……実に美しいわ」
「…………」
「美しすぎて、夢の中にペガサスなんて棲んでたりするかもしれないわね」
──どこかで聞いた話だ。
大気の脳裏に嫌な予感がよぎる。
彼からあやめを引き離さなくては。そう直感が叫んでいた。
「……虎島さん、デッドムーンサーカスというのは──」
「大気くんっ!」
大気の言いかけた言葉は、やって来たあやめによってさえぎられた。虎島に気づいたあやめは、二人の間に割って入るように立つと苛立たしげにまくし立てる。
「虎島さんっ! また来たんですか!?」
「あら、ボクはせっかくスカウトに来てるってのに、その態度は冷たいんじゃないの?」
「だからお断りですって言ってるでしょう! しつこいですよ!」
「いいの? ボクの誘いを断ったら、きみ、二度と女優の夢は叶えられないわよ?」
「そんなこと……っ」
「ないっていうの? いくらやっても鳴かず飛ばずのあなたが、見栄なんて張ってる余裕ないんじゃないの?」
「そっ……それでも、お断りです……いいから帰っ──帰れっ!!」
「おっと」
あやめが両腕で突き放し、虎島が半歩下がった。
いつになく荒々しく息巻くあやめに大気が目を丸くしていると、虎島は口端をニヤリと歪めいやらしく笑った。
「どうしたの、あやめちゃん? そんな泣きそうな顔して。またオーディションにでも落ちたの? それとも、──もっと嫌なことでもあったかしら?」
──泣きそう?
大気は驚いてあやめを見たが、こちらに背を向け虎島と向き合っているあやめの表情はうかがい知ることができない。
虎島は不敵な笑みを浮かべながら、あやめを見下ろして続けた。
「いつまでも無駄なあがきしてないで、ボクのところに来なさい。ボクならきみにそんな思いをさせずに、すぐに楽にしてあげられるわよ」
「……楽に……?」
あやめは虎島と向き合ったまま動こうとしない。大気の中に嫌な予感が湧いてくる。虎島に警戒を払いながらあやめのそばへ近づくと、耳元で小さく声をかけた。
「しっかりしてください、あやめさん。行きますよ」
「……う、ん」
声に詰まりながら答えたあやめを横目で盗み見た。──虎島を睨むあやめの目は、どこか迷うように揺れていた。
凍りついたようにその場から動かないあやめの手を取り、強引に虎島から引き離す。まだうしろ髪を引かれている様子のあやめの手を強く引きながら、大気は虎島から逃げるようにその場をあとにした。
* * *
大気に手を引かれ歩いている最中も、あやめはずっと無言だった。しかしファミレスに入り食事が運ばれてくる頃になると、いつもどおりの元気を取り戻していた。
「いやごめんね大気くん!! 今日も迎えにきてくれてありがとう!! いただきまっす!!」
「…………」
いつもどおりではなかった。異様に元気なあやめに、大気は心配した目を向ける。
「あの……大丈夫ですか、あやめさん?」
「えっ、なにがっ!?」
声がでかい。大気は隣のテーブルに小さく会釈すると、あやめに向き直った。
「いつものあやめさんらしくないですよ。なにかあったんですか?」
「え!? いつもどおりだよ!?」
だめだこれは。あきらめた大気は、いったん口を閉ざすとコーヒーに口をつけた。
あやめは次々と料理を平らげながら、テンション高めに指折り話しはじめる。
「いつもどおり起きてえー、いつもどおり顔洗ってえー、いつもどおり撮影してえー、いつもどおりオーディションに落ちた」
「落ちた?」
「うん。まーたダメでした!」
「まいったわこりゃ」とあやめは自分のおでこをペシッと叩いた。
──妙なテンションの高さは空元気か。まさか虎島の指摘が図星だったとは。でも、それにしても様子がおかしくないか。
大気は眉をひそめて向かいに座るあやめを見つめた。
「本当にそれだけですか?」
「……それだけだよおー?」
「あやめさん、嘘ですね?」
「…………」
斜め上を見上げて目を泳がせたあやめは、ややあってから観念したように溜息をついた。
「……雑誌のプロデューサーがね、大気くんのこと気に入ったんだって。大気くんさえよければ、事務所紹介するって」
「私に?」
「そ」
そっけなく答えたあやめは、おもしろくなさそうな顔で黙々とフォークを口に運びはじめた。その様子を眺めながら、大気が戸惑いがちに口を開く。
「……私は、そういったことは……」
「だよね、そう言うと思った」
おもしろくなさそうな顔のまま、あやめが言った。視線を皿に落とし、大気を見ようともしない。
「いいよね、私なんてどれだけ仕事ほしいって言っても、そんなこと一度も提案されたことなかったのに。大気くんはたった一回、しかも自分から申し出たわけでもないのにチャンスが舞い込んでくるなんて」
「…………」
「才能がある人がうらやましいな。しょせん凡人はどれだけ努力したって、恵まれた人には勝てないもん」
「あやめさん、そういう言いかたはちょっと……」
大気のまとう空気がわずかにヒリついた。
あやめは自分の抱える憤懣に気を取られているのか、大気の様子に気づいたふうもなく続ける。
「もったいないよ、大気くん。せっかく才能あるんだから。もっといろいろやってみようよ」
「ですから、そういうことは……」
「大気くんは絶対に夢を叶えられる人だって。だからもっと『あれやりたい』とか『これやりたい』とか、夢を語っていけばいいのに」
「夢なんて、そんなもの……」
「それに、夢があると楽しいじゃない? 明日はどんな一日になるだろうとか、来年はなにしてるだろうとか、考えるとワクワクしない?」
「──そんなもの、ただの気休めじゃないですかっ」
語調を強めて大気が言い放った。あやめが目を丸くし、二人の間にシンとした空気が漂う。
大気は手元のコーヒーカップを睨みつけながら、声を震わせて言った。
「ワクワクですって? やめてくださいっ……夢だの希望だの未来だの、なんであなたはそんなくだらないものに一生懸命になれるんですか」
「た、大気くん……?」
「夢なんて、楽しいのは思い描いているいっときだけで、現実の大いなる力の前ではなすすべもなく散っていくものじゃないですかっ」
「そっ、そんなことないわよ! 夢があるから、明日も頑張ろうって希望が持てるんじゃないのっ」
「じゃああなたが追いかけているその夢は、あなたの未来を明るくしてくれているのですかっ? 夢が遠のくたびに、あなたは苦しんでいるじゃないですかっ!」
「それはっ……」
「ばかばかしいっ……。あなたももっと現実を見たらどうなんですか。いつまでも叶いもしない夢を追いかけるのなんて、いい加減やめたらどうなんですかっ!?」
バン、とテーブルが音をたて、皿に載ったフォークがカチャンと鳴った。
ハッとした大気が手元のコーヒーカップから視線を上げると、あやめが両の拳をテーブルにつき、唇をわななかせていた。
「……悪かったわね、いつまでもくだらない夢ばかり追いかけてて……。大気くん、最初からそんなふうに思ってたの?」
「…………」
「それはさぞかし滑稽だったでしょうね。いい歳していまだに叶いもしない夢を必死に追いかけてる私の姿なんて」
「……すみません、言いすぎました」
「いいの。だって、本当にそう思ったんでしょう? ごめんね、いままで私のくだらない夢に付き合わせて。もう無理して迎えにきてくれなくていいから」
「! あやめさん、待っ──」
席を立ったあやめに、大気は思わず手を伸ばした。つかみかけた手がサッと振り払われると、目に涙を溜めたあやめが睨みつけてくる。
「私はっ……たとえ叶わないとわかってても、夢を追いかけ続けたいのっ! ──大気くんみたいに、現実に縛られた寂しい生き方はしたくないっ」
「……!」
大気の表情が凍りついた。すぐにそれに気づいたあやめが「あ」と小さく声を漏らす。しかし振り上げた拳を下ろすことができず、あやめはそのまま背を向けると、支払いを済ませ店を出ていってしまった。
カランカランと店のドアが閉まる鐘の音を聞きながら、大気は手元のコーヒーカップをぼんやりと見つめた。カップの中で揺れる真っ黒の波に、自分の心まで沈んでいくように思えた。