03 彼女の夢



 よく晴れた秋空の下、大気は雑居ビルの並ぶ路地を歩いていた。右手には走り書きがされた手帳、左手には地図を持っている。

「1丁目……2丁目……3丁目、AZスタジオ──ここですね」

 電信柱の標識を確認して立ち止まり、目の前の古びたビルを見上げた。

 あやめと初めて会った数日後、彼女から「明日15時頃にスタジオに来てほしい」と電話がきた。どうやら雑誌の撮影があるらしい。終了時刻に合わせ大気と待ち合わせをして、先日の金髪男を回避したいようだ。

 ビルの中に入った大気は、ロビーに見覚えのある人物を見つけた。──例の金髪の男だ。
 男は大気に気づくと一瞬、苦虫を噛み潰したような表情になったが、すぐに取りつくろうように笑顔を浮かべこちらへやってきた。

「あら、こんにちは。あなたはたしか……」
あやめさ──、あやめの兄です」

「ああ、そうでしたね」とわざとらしく言った男は、内ポケットから名刺を一枚取り出すと大気へ差し出してきた。

「改めまして、わたくし虎島といいます。先日はお見苦しいところをお見せして、失礼しました」
「……『デッドムーン・プロダクション』?」

 金髪の男──虎島から名刺を受け取った大気は、そこに書かれている会社名を読み上げた。
 虎島はうさんくさそうな笑みを貼りつけて答える。

「ええ、いわゆる芸能事務所です。あやめさんに是非にと思いまして」
「彼女は、あなたからご覧になって見込みがあると?」
「それはもう! ブレイク間違いなしですよ!」

 突然、虎島が身振りを加え大げさに語りはじめた。

「ボクはひと目見てわかりました! あんな逸材なかなかいませんよ! あやめさんは女優になるために生まれてきたようなかたです! それにボクのプロダクションは業界と太いコネがありましてね。すぐにオファーが殺到しますよ!」
「たとえばどんな?」

 大気は静かな目で問いかけた。それまで朗々と話していた虎島は一転して言葉に詰まったが、すぐに咳払いをすると気を取り直して続ける。

「たとえばー……ドラマ? そうっ、ドラマ! 月9は確実よ! そこで顔が売れれば映画の仕事も来て、ハリウッドだって夢じゃないかもしれないわよぉ!」
「…………」

 ──嘘くさい。というか明らかに嘘だろう。間違いなく裏がありそうだ。彼女が必死に逃げ回っている理由が理解できた。
 大気は呆れた顔で溜息をつくと口を開いた。

「申し訳ありませんが、彼女は──」
「兄さんっ!」

 その時、ロビーに声が響いた。大気と虎島の二人が顔を向けると、エレベーターから降りたあやめがこちらに駆けてくるところだった。
 大気の隣まで来たあやめは虎島へ顔を向けると、キッと目を吊り上げる。

「虎島さん! もう来ないでって言ったでしょう!」
「ボクがこれだけラブコールを送ってるんだから、ちょっとは考えてくれてもいいじゃないの」
「何度言われても、御社はお断りですっ! 私はコネとかじゃなくて、ちゃんとお芝居を評価してくれるところに行きたいの!」
「そんなこと言って、あなた一度もお芝居の仕事もらったことないじゃないの」
「……っ!」

 虎島に痛いところでも突かれたのだろう。あやめは悔しそうに唇を噛みしめた。

あやめちゃん。そんなんじゃ、いつまでたっても女優なんて夢のまた夢よ」

 追い討ちをかけるように虎島が畳み掛けてくる。彼を睨みつけるあやめの目に、ジワジワと涙が溜まりはじめた。
 それを見た大気はあやめの手を取ると、足早にビルの出口を目指した。

「行きましょう、あやめさん」
「!? 大気く……兄さんっ?」

 背後で「悪いこと言わないから、ボクのとこに来なさい!」と虎島の叫ぶ声が響く。大気はそれを無視すると、あやめの手を引いたままさらに足を早めビルの外へ出た。


 * * *


「──はっ、ちょ、大気くん、待ってってばっ!」
「!」

 スタジオビルを出てからずっと無言で歩き続けていた大気は、息を切らせたあやめの声にハッとして立ち止まった。

「……すみません」
「もうっ、大気くんリーチ長いんだから。そんなに早歩きしたら、私追いつけないって」
「すみません、つい……」

 反省してうなだれる大気の腕がポンと叩かれた。見ると、あやめはどこかスッキリした表情で笑っている。

「今日、待ち合わせしてくれてありがとう。それに、虎島から引き離してくれたのも……嬉しかった」
「それは別に……」

 礼を言われるようなことではない。ただなんとなく、大気があの男を気に食わなかっただけだ。
 まじめに夢を追いかけるあやめの気持ちを愚弄するような口ぶりに、これ以上あの場にいたくなかっただけだ。

 ──夢なんて、信じてなどいないというのに。

「……あやめさん、女優になりたいというのは──」
「その前にさ、」

 あやめの腹の音がぐうぅ〜と鳴り、大気の質問をさえぎった。
 ポカンとする大気の前で、あやめは恥ずかしそうに両手で胃のあたりを押さえると、

「続きはファミレス行ってからでもいい? 私、今日ほとんど食べてなくて」


 * * *


 二人前はゆうに超えるだろう量の食事を前に、あやめは目を輝かせた。「いただきますっ」と両手を合わせた直後、次々と彼女の胃袋に消えていく。
 大気はその様子を呆気にとられた顔で眺めながら、おそるおそる口を開いた。

「……なにも食べていなかったのですか、今日?」
「ん? 少しは食べたよ、ゼリーとか」

 あっという間に一皿を平らげたあやめは、コップの水を飲み干すとそこでようやく人心地ついたように息を吐いた。

「でもあんまり撮影前に食べるとお腹出ちゃうから。特に今日はぴったりした衣装だったし」
「いろいろあるんですね……」

 大変だとは思うが、彼女がそれを自主的にやっているならば、それは立派なプロ意識だ。大気はそれ以上の感想は言わずに本題へ移ることにした。

「いつもああして待ち構えているのですか、虎島は?」
「んー、最初はもう少し分別のある人だと思ってたんだけど……。最近押しが強くなってきて、出待ちされるようになって」
「これ、彼から渡されました」

 大気が虎島から受け取った名刺をテーブルの上に置くと、あやめが「うえ」と嫌そうに顔をしかめた。

「あいつ、私が女優志望だって知ってからは月9だハリウッドだって調子のいいこと言いだして」

 まさに同じことを大気も聞かされた。どうせ口から出まかせだとは思うが。
 あやめが続ける。

「プロダクションに入っただけでそんな調子よく進むわけないじゃない、ね? 私にそんなスター性があったら、いまごろとっくに大女優になってるわよ」

 少しは虎島の誘いに心揺らぐものがあるのかと思ったが、思いのほかあやめは冷静だった。大気は意外そうな顔をしてあやめを見る。

「ずいぶんと状況を客観的に見ているんですね」
「そりゃそうよ。こんな食うか食われるかの業界、自分をしっかり持ってなきゃすぐに食いものにされちゃうんだから」
「──業界とは?」
「芸能界」

 大気は口の中で「芸能界」とくり返した。話の流れからするに、芸に秀でた者がそれで商売をする世界のことだろう。故郷のキンモク星にも似たような職業はあった。

「私ね、お芝居がしたいんだ」

 あやめが言った。

「そのために大学でも演劇を専攻してて、講義の合間にオーディション受けてるの。……でもどれも落ちてばかりで、たまにもらえる仕事は写真のモデルばかり」

 あやめは手持ち無沙汰にナプキンでコップについた水滴を拭き取りながら、ポツリポツリと続ける。

「モデルだって嫌じゃないの。やらせてもらえるだけありがたいし。──でも、やっぱり私はお芝居がしたい」
あやめさんは芝居が好きなんですか?」
「好きっていうか……」

 あやめは頬の内側を舌先で押ししばらく考えるような表情をすると、目を伏せ恥ずかしそうに笑った。

「小さい頃からの夢なの。昔はもっと口ベタで気持ちをうまく言葉にできなかったんだけど、お芝居の中では思いきり表現できたの。──そしたらね、それを見てくれた人が感動して泣いてくれて」

 恥ずかしそうに伏せていたあやめの瞳がキラキラと輝きだし、大気を見た。

「すっごく嬉しくて、それを見て私まで泣いちゃって。もっとお芝居をしたい、もっと感動させたいって思ったの。──そんな小さな子どもの頃の夢を、いまも追いかけてるんだ、私」

 ふたたび恥ずかしそうにはにかみながら話し終えると、あやめは大気を見つめた。
 その瞳を見つめ返しながら、

(……くだらない……)

 大気は心の中で冷たく笑った。
 ──しょせん夢なんて、力の前ではなんの役にも立たない。それは大気自身が痛いほど知っている。
 それだというのに、

(……綺麗、ですね)

 夢を語るあやめの瞳はどこまでも透きとおって、まるで今日の秋晴れの空のように澄んで見えた。
 その瞳に吸い込まれそうになる気持ちと、現実の厳しさに熱が遠のいていく気持ちが、大気の胸をかき乱すように交互に押し寄せてくる。


 ──なぜ、どうして、夢を信じられるのだろう。夢などいつか壊れると、なぜ思わないのだろう。なぜ彼女は、夢を追い続けられるのだろう。
 ああ、私にもそんな頃があっただろうか。純粋に夢を追っていた頃が。
 最後に夢を語り合ったのは、いつだったか……──




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