花と水に恵まれた碧い星、キンモク星。
地球からも太陽系からも遠く離れた場所に、この星はあった。
──キィン……キィン……
屋外の稽古場で剣のぶつかり合う音がしている。まるで歌を奏でるように高く響くこの音は、剣戟ではなく剣舞の音だろう。
開け放した窓から聞こえてくるその音色を聴きながら、メイカーは三脚に固定したキャンバスに向き合っていた。
この星には三人の守護戦士、スターライツがいる。
星の加護を受けた彼女たちは、戦いの場面においてだけでなく、あらゆる分野においてたぐいまれな才覚を発揮していた。星の民が彼女たちについて語る時、戦う姿を真っ先に思い浮かべる者はあまり多くない。民が思い浮かべるのは、蝶のように舞を踊る姿に、伸びやかな声、そして美しいたたずまい。
「キンモク星のスターライツ」といえば、武芸、才知、美貌のすべてを兼ね備えた、火球王妃と並ぶ象徴的存在であり、人々の憧れの的だった。
それほどに彼女たちは民に愛され、そして星は平和だった。
「──あら、もうこんな時間」
いつの間にか止んでいた剣の音に気づき、メイカーが顔を上げた。手に持っていた画材を置いて一歩下がると、キャンバスの全体を確認する。
その時、背後にある両開きの扉が開く重い音がし、誰かが部屋へ入ってきた。
「あー、いい汗かいた」
振り返らずともわかる仲間の声に、メイカーはキャンバスを見つめたまま声をかける。
「お疲れさま、ファイター。また舞が上達したんじゃないの?」
「見てたの、メイカー?」
「いいえ。でも音でわかるわ」
扉から足音が近づき隣までやってくると、ファイターがキャンバスを覗き込んできた。
「へえ、うまいわね」
「ありがとう。もう少しで完成かしら」
「それはいいけど……この臭い、なんとかならないの? なんでわざわざ談話室で油絵なんて描くのよ?」
鼻をつまむしぐさをしたファイターに、メイカーは困ったように苦笑した。
「しかたないのよ、モデルがあそこから動いてくれないから」
「……ああ、なるほど」
メイカーの視線をたどって大窓の外へ目をやったファイターは、納得したようにうなずいた。
そこには、こちらに背を向けバルコニーの手すりにもたれるヒーラーがいた。銀の髪が星明かりを受けて輝き、周囲におぼろげな光を放っている。その姿は、まるで天使が舞い降りたと錯覚しそうなほど幻想的だった。
「ヒーラー、そろそろ中に入ったら? もうすぐゆうげの時間よ」
バルコニーに出たファイターは、ヒーラーの隣まで来ると同じように手すりに肘をついて言った。
「んー……」
「また星を見てたの? あなたも物好きね、なにがそんなにおもしろいのよ?」
空を見上げたままぼんやり返したヒーラーに、ファイターがつまらなそうに肩をすくめる。ヒーラーは空を見上げたまま、わずかに口先をとがらせた。
「別に……おもしろさは求めてないもの」
「じゃあなにがいいの?」
「お子様のファイターにはわからないわよ」
ファイターが「なんですって」と言いかけたところで、メイカーがやってきて二人の背中から声をかける。
「ヒーラーは特別な感性を持っているものね。ファイターや私には感じ取れない星の輝きがわかるのかもしれないわね」
「……そんなものなの?」
よくわからないと首をかしげたファイターは、そこでメイカーが手に持っているものに気づいた。
「なに、その本?」
「これ? 詩集よ」
「詩集?」
それまで同じ姿勢で空を見上げ続けていたヒーラーも、二人の会話に興味を引かれてか、もたれていた上体を起こし振り向いた。メイカーの持つ詩集を見ると、物珍しそうな目をして言う。
「好きね、メイカーはそういうの」
「ええ。限られた文字の中にこそ、人の心が一番表れる気がするの」
「ふうん?」
今度はヒーラーまでもがファイターと同じようにつまらなそうに肩をすくめる。二人のそっくりな反応を見て、メイカーは苦笑した。
三人はそれぞれ天賦の才に恵まれているが、その領域や趣向はまるで違っている。その違いが不思議な調和を生み出し「三つの無敵の光」と言われるほどに互いを高め合っていることに、メイカーはときおり運命めいたものを感じていた。
──これからも三人で、愛する星と王妃を守り続ける。これ以上の幸せがほかにあるだろうか。
温かく穏やかな日々を、メイカーはなによりも愛していた。
その時、ファイターが「いいことを思いついた」と言うように両手をパンと打ちつけた。
「ねえ、メイカー。どうせなら音楽もやってみたら? 自分の書いた詩に曲をつけるの」
「詩に曲? 歌を作るということ?」
「そう! それでヒーラーがその歌を歌って、私が舞を踊るの。どう?」
「なんで私までやることになってるのよ」
ヒーラーが面倒くさそうな声を出したが、表情はファイターの突飛な案をおもしろがっているように見えた。
ファイターは目を輝かせながら続ける。
「三人でひとつのものを作るの。ねえ、ちょっとワクワクしない?」
「ワクワクって、子どもじゃあるまいし」
ヒーラーが呆れて言った。
最初は呆気にとられながら聞いていたメイカーだったが、三人で音楽を奏でる姿を想像してみると、心躍る自分に気づく。
メイカーは目を細めて微笑んだ。
「そうね……三人で力を合わせるのも、悪くないわね」
──あの頃は楽しかった。仲間と夢を語り合い、明日が来るのが待ち遠しかった。
あの温かく穏やかな日々が一瞬にして壊れるなど、誰が想像しただろうか。
『プリンセスッ、逃げてくださいっ!』
『ここは私たちが食い止めます!』
『あなた様だけでも、早く安全なところへ!』
──愛する星を、民を、見捨てることになろうとは。誰が想像しただろうか。
『ファイター、こらえてっ! あの化け物も、もとは街の人々だったのよ!』
『ほかに方法があるっていうの!? これしか……やるしかないじゃないの……っ!』
『──もう持ちこたえられない……私たちも、早くプリンセスのあとを』
──あの日、あの時、夢は壊れた。
夢ばかり見ていた己の愚かさを呪いながら、メイカーは星を飛び立った。
* * *
窓の外から鳥のさえずりが聞こえる。
大気は目を開けると、ベッドに横になっていた身体をゆっくり起こした。
(……嫌な夢を見ましたね)
重い溜息をついてベッドを抜け出した。いつもより緩慢な動作で着替えると、リビングへ続くドアをのっそり押し開ける。
そこにはすでに星野がいた。
「よお。珍しいな、大気が俺より遅いなんて」
「星野……おはようございます」
ソファで朝の情報番組を観ていたらしい星野は、リモコンを手にするとテレビを消して言った。
「やー、驚くほど平和だな、この星。動物園でパンダの赤ちゃんが生まれただの、女子高生がチカンを背負い投げで捕まえただの。大したニュースやってねえの」
「……本当に、平和ですね」
星野の感想にゆるく笑うと、大気は二人分のコーヒーを淹れにキッチンへ入った。どうせ夜天はもうしばらく起きてこないだろう。
トレイにカップを載せリビングへ戻ると、テーブルに置きっぱなしにしていた書類を星野が見ているところだった。
「大気、なんだよこれ? パンフレット?」
「高校の案内です。来年から私たちは高校生というものになるそうですよ」
「学校か。で、こっちはなんだ?」
「仕事の情報誌です」
昨日あやめに会った際に、頼んでおいた情報一式を持ってきてもらった。
この星で暮らすには、当面の資金が必要になる。路頭に迷ってしまっては、王妃を探すどころではない。
仕事を得るには身元も整えておいたほうが無難だ。ならば学校にでも籍を置いておくのが妥当だろう。
「はあー、なんかめんどくせえな」
「これもあのお方のためです。まずは私たちの生活の基盤を固めないと」
「まあな。基盤が固まったら、あとはあのお方を探すだけだな!」
「ええ。なにか手がかりはつかめましたか、星野?」
「……。大気はどうなんだ?」
「…………」
まだまだ、道のりは長そうだ。