05 気晴らしの方法



 その日、あやめが大学で講義を受けていると、ポケットに入れていたPHSが震えた。モニターを見ると、知らない番号が表示されている。

(……もしかして)

 チラリと周囲を確認すると、他の学生たちはコソコソとおしゃべりをしたり、内職をしたりと、あまり講義に集中していないようだった。長机に伏せて堂々と昼寝をしている学生までいる。教壇に立つ教授ももはやあきらめているのか、そういった生徒が見えていないかのように淡々と話し続けていた。
 あやめは軽く身をかがめると、なるべく教授と目があわないようにしながらPHSを手に教室を出た。

「はい、お待たせし──はいっ、そうです!」

 はやる気持ちを抑えながら電話に出ると、相手はあやめの予想したとおり、先日のオーディションの主催者だった。

「はい! はい! ……はい……はい、そうですか」

 元気よく返事をしていた声から、徐々に覇気が失われていく。
 電話口から軽い調子の声が響いた。

『いやぁ〜きみも悪くなかったんだけどねぇ、なんというかさ、華がないんだよねぇ〜』
「……華、ですか」
『ちょっとヤボったいっていうかさぁ。もっとね、演技だけじゃなくてさ、オーラも磨かないとさぁ〜』
「……はい」

 この主催団体のウリは俳優の育成で、オーディションの受験者にもフィードバックを惜しまないらしい。というのは、同じ学部の人が言っていたことだ。これをフィードバックと呼ぶかはあやしいところだが、噂どおりだ。
 ……そして、最後に必ず自社のスクールを勧めてくる、とも。

『持って生まれた才がない凡人はさぁ、夢だけ追いかけててもスターにはなれないよぉ〜? よければうちで指導するから、うちのスクールで頑張ってみない?』

 これまた噂どおりだ。才能を見込んでのことなのか、それとも商売のカモと見込んでのことなのか。──おそらく後者だろう。
 あやめは丁重に感謝だけを伝えると、電話を切った。

(なによ、結局宣伝が目的じゃない)

 教室に戻ってからも、耳の中では先ほどの電話の声がリフレインしていた。
 ──華がない……ヤボったい……凡人……スターにはなれない……
 時間がたてばたつほどムシャクシャしてくる。教授の講義は右から左へと耳を通り抜けていた。

(……あーっ、ダメだっ!)

 我慢の限界を迎えたあやめは、ノートをカバンにしまうと講義を途中で抜け出した。



「ったく、フィードバックっていうよりただのダメ出しじゃないの。ムカムカする……」

 正門へ歩きながら、あやめは口の中でブツクサと独りごちた。

「ようは才能がないってことでしょ? そんなの百も承知だってのっ!」

 叫びながら、空に向かって右ストレートをくり出した。
 フン、と鼻から荒い息を吐いた時、どこからかクスクスと笑い声が聞こえてきた。驚いてあたりをキョロキョロと見回すと、正門の陰に人影が見える。

「ふふ……なにを一人でやっているのですか?」
「えっ、た、大気くんっ!?」

 陰から出てきた大気に、あやめが目を丸くして固まった。次の瞬間、羞恥で顔を真っ赤にする。

「やだっ、見てたのっ!? なんでこんなとこいるの!」
「学校がどんなところか見てみたかったので、どうせならあなたが通っているところにと思ったのですが……おもしろいものを見られました」
「お願い、忘れてっ! 大人にはいろいろとあるの! ……てか、ここ大学だから、大気くんの通う高校とはちょっと違うよ」
「……そうなのですか?」

 今度は大気が目を丸くして固まった。まるでただあやめに会いに来ただけのようになってしまい、大気の首筋がジワリと赤くなる。
 その様子にあやめがおかしそうに笑った。

「大気くんでもこんなウッカリするんだね。そんなに私に会いたかったの?」
「……からかわないでください」
「冗談だよ。──そうだ、このあと暇? ちょっと付き合ってほしいんだけど」
「?」

 首をかしげる大気に、あやめはにっこり笑ってみせた。


 * * *


『ぬわぁにがスターになれないよ≠セ、ぶわぁかぁぁ──っ!』

 狭い密閉空間にあやめの絶叫がこだまする。天井に備えつけたスピーカーがキーンと甲高い音を放ち、大気は思わず両耳をふさいだ。
 大気を連れてあやめがやってきたのは、カラオケ店だった。あやめは部屋に入るなりドリンクを注文すると、曲も入れずにマイクを手に取り溜まった鬱憤うっぷんをぶつけた。

『ヤボったい? 華がない? あたしがブサイクって言いたいのかぁ──!』
「私はあやめさんは不細工とは」
『黙っててっ!!』
「あ、はい」

 大気の厚意はすげなく切り捨てられた。
 ひとしきりマイクに向かって叫び続けたあやめは、ドリンクが来ると勢いよくジョッキをあおった。大気は自分が受け取ったドリンクとは明らかに見た目の違うそれを不思議そうに眺める。

「なんですか、それは?」
「ビール」
「ビール……お酒ですか!? たしか未成年は──」
「おあいにくさま、こないだハタチになりましたっ」

 あっという間にジョッキを空にしたあやめが、すぐに二杯目を注文する。慌てた大気がつまみを追加し、あやめの前に黙って置いた。

「……大気くん、気がきく……ありがとぉ」

 二杯目を半分ほどまで空けたあやめが、若干鼻声になりながら間延びした声を出した。大気はさりげなくあやめの手からビールジョッキを取り上げると、テーブルに戻しながら話しかける。

「事情はよくわかりませんが、あやめさんは頑張っていると思いますよ」
「頑張るだけじゃダメなのよ、この世界は」
「……芸能界のことですか?」
「そう。ああーっ、私も才能に恵まれたかったなぁ」
「…………」

 聞いていた大気が、なんとはなしに目を逸らした。その様子をじっと見ていたあやめは、テーブルに頬杖をつくと大気の顔を下からまじまじと覗き込む。

「大気くんて、才能に恵まれてそう……かっこいいし、背もスラッと高くてモデルみたいだし、声もよく通るし……なんかオーラ出てる感じするもん」
「……そんなことは……」
「ううん、そんなことある。頭の回転も速いし、なんでもできちゃいそう。スターになる人って、きっと大気くんみたいな人なんだろうね」
「スターだなんて、そんなもの……」
「いいなあ、うらやましい。私も大気くんみたいなスター性がほしかったなぁ」
「…………」
「……どれだけ夢があったって……輝きを持たない人には、夢なんて叶えられないんだわ、きっと」
「──そうですね」

 突然氷のように冷たい声で言い放たれ、あやめは酔いから醒めたように目をしばたたかせた。
 驚いた顔で大気を見ると、彼はどこか遠くを見るような目でなにもない空間を睨みつけていた。

「夢なんて、しょせん力の前ではあっけなく散ってしまうものです。夢は力には勝てません……踏みにじられて無惨に壊されるのが落ちです」
「……大気くん……?」

 大気はなにかを考え込むようにうつむくと、そのまま黙り込んでしまった。
 あやめはソロリと近づくと、大気の目の前におそるおそる手を差し出して振ってみる。

「お……おーい」
「! ……ああ、すみません」
「大丈夫? 具合でも悪い?」

 心ここに在らずな様子の大気に、あやめが眉尻を下げ心配した目をする。大気はバツが悪そうにあやめから顔を背けると、どこか苦しそうな表情をして眉を寄せた。

「いえ……少し、昔のことを思い出しただけです」
「昔のこと……?」

 部屋が静かになり、どことなく微妙な空気が漂う。
 大気は大きく息を吸うと、あやめへ向き直り明るい声で問いかけてきた。

「そういえば、ここは本来なにをする場所なんですか? マイクがあるということは、歌でも歌うんじゃありませんか?」
「え……あっ、そうそう、歌っ! 歌を歌いたかったの、私!」

 大気の「これ以上は踏み込むな」という無言のメッセージを感じ取ったあやめは、つとめて明るく返した。曲目の書かれた目次本を開くと「どれにしようかなー」とわざと声に出しながらページをめくる。

「あ、これ。私好きなやつだ」
「ほう」

 リモコンで番号を打ち込みはじめたあやめを、大気が興味深そうに見つめる。そのまま音楽が流れはじめ、あやめが歌い終えるまで、大気は歌詞の流れる画面をじっと見ていた。
 一曲歌い終わり部屋がふたたび静寂に包まれても、大気は生真面目な顔をしたままなんの反応も示さない。気まずくなったあやめがマイクを置くと、ゴォン……、とテーブルに当たる音がスピーカーから虚しく響いた。

「ご、ごめんね、あんまりうまくなくて……つまんなかったよね」

 静まり返った状況にいたたまれなくなったあやめがへらっと笑う。すると、

「……あやめさん、」
「は、はいっ」

 突然大気から改まって呼ばれ、背筋をピンと伸ばした。




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