初恋よ、迎えにこないで

「うわあ、つよっ!かっこいい!」
「流石だわ…。この間のルーキーランキングで、ナンバーワンのヒーロー…」

仕事のお昼休憩中、誰かがいつの間にか付けていたテレビに流れる映像に同僚と後輩の数人が反応した。次々と最近巷を騒がせていたヴィランを個性で派手に爆破していくその光景にみな釘付けである。
そこに映っている彼に名前は、一回視線をやったが、すぐに逸らしてお弁当を黙々と食べる。自家製の鶏そぼろの出来は中々だ。この前のは味が濃かったから、今回くらいの味付けが丁度いいなあ。咀嚼しながらそんなことを考えていると、その肩を誰かが叩いた。

「ほら、見て見て!名前ちゃん!」
「あの人、高校の同級生なんでしょ?」
「え?そうなの!?すごーい!」
「え、あー…うん」

「どうな人だった?」や「てことは名前さんも雄英?すごっ!」なんてそんな声が聞こえてくる。
名前がヒーロー科出身だったことは知っている後輩たちだが、まさかあの「雄英」だったということは知らなかったらしい。まあ、普通ヒーロー科出身ならヒーローや、そのサポーターをする職などヒーローに関わる仕事に就くのが一般の認識としては普通なのだ。

次々とこちらに浴びせられる質問に「あはは…」と笑いながら曖昧に返事を返して、そしてもう一度テレビを観た。彼は、爆豪勝己は、相変わらず目つきは悪いが、昔よりも大分丸くなり、寧ろ誰だよこいつ状態だ。とある日のテレビを観て、そう思うくらいには驚いた記憶がある。

ああ、でも彼は本当に凄く優しかった。

そんなことを、あのとびっきり優しい微笑みを、思い出してしまって胸の奥がぎゅうぎゅうと押し潰される感覚に陥ってしまうのだ。それと同時に酷い後悔とか罪悪感とかそういった感情に苛まれる。

「この人の高校の時の体育祭っていえばもう伝説だよね」
「本当にね!リアルタイムでは見れなかったけど、録画してた体育祭の映像ある意味衝撃だったもん。いいなあ、名前ちゃんはこの人を真近で見れたんだよね」
「え?……ああ、まあね」
「反応薄いなぁ。かっこよくない?凄く」

まだまだ中継が終わってない映像を指さすのでそちらを見遣る。
パチリ、と丁度彼がこちらを見たのでまるで目が合ったような錯覚に陥る自分が何だか恥ずかしくなった。


雄英と云えば誰もが知っている学校である。その中でもヒーロー科というのは飛び抜けて知名度があった。名前が所属していた年のヒーロー科、そのA組と云えば、今では物凄く有名な「伝説のA組」「奇跡のA組」と称される。最近では見知った同級生たちがテレビの向こうや、街中で華々しいデビューを遂げ、活躍している。
だからこそ名前が「雄英高校ヒーロー科A組だった」と聞けば、皆は何故こんなところにいるのかと首を傾げる。その時は「私にヒーローは向いていなかったのだ」ということしか言えなかった。


「雄英高校ってさ、どんなだったの?」
「どんな、かあ。……とても忙しなかったかなあ」
「なんだそれ、でもいいなあ」
「恋の話とかあったの?誰と誰が付き合ってるとか…」
「あったには、あった」
「まじ!?名前は?……こんな可愛いし、1人くらいは彼氏できたでしょ?」
「お世辞言わないの。それにそのことはひ、み、つ」
「ケチ…」

さすが女の子。恋愛事情はとても気になるらしい。呆れながらお弁当をつつく。休憩時間はあと15分で終わってしまうので、早く食べないと。

恋愛事情かあ。ぼんやりと頭の片隅でそのことを考える。この職場の人たちはもちろん知らないし、同じクラスの同級生たちだってほとんど知らないけれど、みんなが騒いでいる新人ナンバーワンヒーロー爆豪勝己という男は、自然消滅に近い形で終わったが、いわゆる元彼というやつである。そういえば、別れ話すらせずにどちらからも振ることもなく本当に自然に終わっていったなとふと考える。それは当然か。だってこちらから勝手に姿を晦ましたんだからね。罪悪感が更に胸の中を渦巻く。毎日一人で泣いて謝っていた頃を思い出した。

卒業式の次の日、髪を黒く染め、ボブに切った。実家を出て、一人暮らしを始めた。同級生も先生も親も入っていないまっさらなSNSアプリに電話帳。今まで使っていた携帯はタンスの奥に電源を切って入れたままだ。ふと、思い出してたまに開くと未だに色々な所から連絡が来る。通知の件数はこの数年で驚くような数になった。でも誰にも返す気にはならなかった。そのお陰か同級生も先生も高校卒業してから交流したことはない。たまに街中で見ることはあるが、見た目が全然違う名前に気づく人などいなかった。まあ気づいて欲しいなんて都合のいいことは思わない。寧ろたまたま居合わせると気づかれぬようそっとその場を離れるのが常であった。
視線をテレビに移す。いつの間にか中継はお昼のバラエティ番組に変わっていた。


昼食を終え、先程買ったペットボトルに入ったお茶を飲む。そしてそれをテーブルに置いたタイミングでトントン、と肩を叩かれた。

「はい?」

少しだけ驚いたため、肩がピクッとなってしまったことはどうか無視して頂きたいと思いながら、振り返ればとある男の人が立っていた。
彼は名前より2つ上の会社の先輩である。目が合うとニコリと微笑んで落ち着いたダークグリーンの紙袋を私に差し出しながら口を開いた。

「この本貸してくれてありがとう。凄く面白かったよ」
「いえいえ。どういたしまして」

そう言って彼から紙袋を受け取った。そこには彼に貸した本とお菓子の詰め合わせのようなものが入っていた。

「こんなにいいんですか??」
「いいよいいよ!代わりに続刊も貸して欲しいんだけど…」
「わかりました!明日持ってきますね!」
「うん、ありがとう。じゃまた後で」

手を降れば、彼は嬉しそうにはにかんで一足先に仕事場へと戻っていった。改めて紙袋に入っているお菓子の詰め合わせをみれば、名前の好きなケーキ屋さんで売られているものだった。これ、美味しんだよね。

「……あれは明らかに狙ってるね」
「狙ってる、狙ってる」
「好きですアピールがあからさま過ぎるね」
「なっ、え…?どういうこと?」

1人の同僚の言葉に頷いて勝手な推測を次々と上げていく彼女たち。何が狙ってるで何が好きですアピールだったのかを教えてほしい。

「え?気付いてないの?」
「…気付いてない?何が?」
「うわあ、鈍感?素で鈍感なの??」

いかにも引くわー、と言った感じで名前"見ている。言わんとしていることは分かるけれど決してそんなことはないだろう。そうだよ、あの先輩が自分の事好きとか絶対ないない、うんうん。と思いながら口を開いた。

「この作者さんが好きだって言ってたし、それだけだって、絶対」
「いや、絶対違うって!わざわざ名前ちゃんの好きなお菓子の詰め合わせまで買ってきてるのに」
「それな!それに名前ちゃんには特別優しいし!」
「あと、ずっと名前のこと見てるし!」
「…う、うん?」

彼女らの勢いが凄いのでそれに圧倒されながら、曖昧に頷く。恋やら好きやらというワードが出てくると女子って怖いわ、とは思ったが自分も女であるためなんだかなぁ。
気のせいだよきっと、と言えばまた不満そうな顔つきで色々と言われたが、もうすぐ休憩時間も終わりなので仕事に戻ることにした。


◇◆◇




「今日は…、何を作ろう」

夕飯の買い出しのためにスーパーに立ち寄ったのはいいが、何を作るかを決めていなかったため、先程から店内を行ったり来たりしている。
昨日はカレーだった。一昨日は魚の煮付け…、じゃあ今日はどうしようか。
野菜炒め、ロールキャベツ、春巻き、餃子、パスタ、…それとも天ぷらとか?などと色々な料理を頭に思い浮かべ、どうしたものかとため息をついた。
それから暫く考え、そういえばキャベツが沢山あったなあということを思い出し、晩ご飯はロールキャベツに決定。タイミングよく特売日らしいお肉を1パックカゴの中に入れた。

「あとは、明日のお弁当のおかずに、洗剤、シャンプー…」

と、冷蔵庫の中身や日用品の残りのことを考えながら、カゴに入れていく。
思ったよりも沢山買ってしまったが、家がそこまで遠いわけでもないためどうにかなるか、と思いながらレジ袋を両手に持ちスーパーを出た。

自分の住んでいるマンションまでの一本道をゆっくりと歩く。地味に坂道だからきついわ、と少し前までだったら余裕で歩いていた自分を思い出し苦笑する。ランニングとかはするけど、それでも昔よりも体力は確実に落ちただろう。自分が雄英だったなんて今思えば夢みたいな話だな。よく3年間もあそこに通ってたなとかなんとか。お昼の会話のおかげでつい高校時代のことを思い出してしまう。


「…何だろう」

それなりに人の通る大通りに出て歩いていた時だ。目の前の人たちが何かを避けるように歩道の1番端へと寄っていく。自分もそれにならい端へと寄って、人々の視線の先と同じところを捉えた。

「……勝己」

煩わしそうに歩くその姿に見覚えがある。昔だったら人に突っかかってた癖に。さすがにそんな姿はもう見れないみたいだ。
数年前より少しだけ大人になった姿だが、やはり彼だ。不意に出た小さな声は多分震えていた。しかしそれを人々の噂話が掻き消す。

「駅前の工事してるとこあっただろ?」
「あー、あったな。あそこが何?」
「そこにヒーロー事務所が移転してきたんだってさ」
「なるほどな。だから最近話題のヒーローがこんなとこ歩いてんだな」

すぐ横のお兄さん達の言葉に冷や汗が出る。
駅前って、あの駅前だよね。と自分の最寄りの駅を思い浮かべる。確かに目の前にあった何も無い空き地のところで最近工事があっていた。そのことに気づいて次に懸念することは、爆豪勝己に遭遇する可能性が高まることだ。ここでも彼や他の同級生たちが活動しているには、しているのだが、彼らのヒーロー事務所は隣町だったり県外だったりする。特にこの町は、小さな町で、かつ隣接する町や市は人気ヒーローたちのヒーロー事務所が割とあるため、あまりヒーロー事務所はないのだ。そのお陰かあまり顔馴染みのヒーローたちと接触することはなかった。

しかし、ヒーロー事務所があの駅前だとすれば、不意に接触する可能性があるかもしれない。今だってそうだ。背の高いお兄さん達の後ろにちゃっかり隠れている。しかも、寄りによって爆豪勝己だ。彼はいくら私が髪を染めてようが、髪型を変えてようが気付いてしまいそうだ。口には出さないが、そういう所の変化があっても目敏く気付くことを知っている。

人気ヒーローが歩いているということで、みんなの足は止まってしまっている。この中で1人歩き出すと目に付いてしまいそうだ。まあ、彼がそんな1人に気を取られることはないだろうが、念には念だ。

「……」

早く行ってくれ、と通り過ぎていく勝己に念じる。割と食材やら日用品を詰め込んでいるレジ袋は重いのだ。自分勝手ではあるがそんなことを考える。やっぱ、調子に乗って買いすぎたなあ。はあ、とため息をついた時、止まっていた人の足が動き出した。それに合わせて自分も足を動かす。数歩歩いた後、何となく後ろを振り返ってしまった。色々な心残りやら何やらが、自分勝手なあの日の自分がゆっくりと振り向かせてしまった。

パチリ

目が合った。

「……っ」

___何で、勝己も振り返ってるの?

落ち着け、平常心だ。冷静に何気ない振りをして前を向いて歩け、私の足。

___待って、何でこっちに来るの?

気付くわけない。髪色も髪型も違う。多少化粧をしているし、服だって昔よく着ていたような格好でもない。きっと気のせいだ。そう思って前を向いて歩き出す。ガサガサとレジ袋と中のものが擦れる音が耳に響いている。カツカツと音を鳴らして自分の家へと歩く。

気分はホラーゲームだ。後ろをもう一度振り返りたいが、何となく振り返ることを躊躇ってしまう。
大丈夫なはず。きっと勘違いだって、他人の空似だって勝手に思ってそのまま歩いてしまってるはずだ。心の中でそう言い聞かせながら歩いていれば、運悪く赤信号に引っかかった。歩みが止まる。

「ふう……」

小さく息を吸って吐いた。
信号が青に変わる。
ゆっくりと足を踏み出した。

__ガシッ

突然左肩を掴まれる。ビクリと肩が揺れる。

「おい」

その声を聞く前から心臓がバクバクとうるさい。
嫌な汗が頬やら背中やらを伝っていく。
肩を掴まれ、声を掛けられたからには振り返らないと、おかしいだろうか。

「おい」

ゆっくりと振り返る。

「……はい」

声が上手く出ない。その懐かしい目の色とパチリと目が合った。ぱちぱち、瞬きをしようにもできやしない。久しぶりにちゃんと捉えたその顔に、うっかり涙が出そうだ。こっちから姿くらましておいて、勝手に泣くのは流石に最低すぎるぞ、私。
どこか遠くへ飛ばしたい思考を、無理やり現実へと合わせる。

「名前」
「……」

一切の迷いもなくその名前を呼ばれる。曖昧に笑うしかできなかった。

___勝己ってそんな顔もできたんだね。

悲しそうに歪められていたその顔は、私のその言葉によって見慣れた表情に戻る。

「お、前は!!」
「……ごめんね」

あーあ、捕まっちゃったね。

(ずっと探していたあいつの空色の目が)
(いつになく悲しそうな光を持って俺を見ていた)


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