私に彼氏ができた。生まれて初めて彼氏ができてしまった。………らしい。


らしい、というのは、あれは夢だったのではないか?という言葉が昨日から私の中をぐるぐる回っているせいだ。

だってだってだってまさか告白されるなんて!とか言いたいが、生憎そんなことをこんな所で言う訳にもいかずただ足を動かす。よく眠れなかった割に頭は妙に冴えていた。いつもよりも早い時間に家を出て通学路を歩いて学校に着く。学校ってこんなに近かったっけ?そんなことをぼんやり考えながら歩いていれば下駄箱まであと数メートル、そこで私の身体は止まった。


あ、佐久早くん。


目の前に長身の男が立っている。そのくせっ毛だとか、年中付けてるマスクだとか、整った横顔だとかそんなものが目に入って私はどうすることもできずにその場から動けない。声は出なかったが、口だけは彼の名前を言うように動いていた。


「…おはよう」
「え、あ、…おはよう」

パチリ、急に目が合った。よく私に気がついたね、と思いながら小さく会釈する。パチパチと不思議そうに瞬きした佐久早くんは、私を見るなりそう声を掛けてきた。それに私も返す。こちらを見つめるその顔は、この前クラスメイトが言っていたようにちょっと寝不足なように見えるが、彼はこれがデフォルトらしい。つまり寝不足ではないらしいのだ。

ここにずっと立ち止まっていてはおかしいかと、生徒用の玄関を通り抜けてローファーから上履きへと履き替える。そんな私を彼はずっと見つめているらしかった。視線が背中に刺さりまくっていて、痛くないのに痛い。

「名前」
「ひゃ、ひゃい!?」

ゆっくり振り返ればやはり佐久早くんが私を見ている。じっと見つめてくる。そういえば古森くんは今日は一緒じゃないの?とか、バレー部朝練だったのかな?とか現実逃避をしながら無言で彼を見つめる。すると急に下の名前を呼ばれた。それに思わず変な声が出た。登校ラッシュの時間はまだ先だから人は少ないが、誰かに聞かれてたら恥ずかしい。それくらいには大きな声が出たと思う。

「今度からそう呼ぶ」
「え、えっ!?」
「ダメなの?」
「いいよ!全然呼んでください」

やはり私と佐久早くんは付き合ってる、よね?え、これも夢?と彼に見えないように後ろでこそっと自分の手をつねる。あ、痛いな。夢じゃないな。なんて。


「あ、あの」
「なに?」
「私と佐久早くんって、……つ、付き合ってるんだよね?」
「……」
「……」

でもやっぱり現実ぽくなくて思わずそんなことを聞いてしまった。え?なんで、なんで無言なの?と彼を見上げる。めっちゃ真顔だった。佐久早くん、不機嫌なときも怖いけど、真顔もちょっと怖い。どうしよう、と固まっていれば佐久早くんの顔が少しだけ私に近づいた。随分あった身長差が少しだけ近くなった。声もさっきより近いがする。

「また言った方がいい?昨日の」
「昨日の……」

昨日、昨日とは昨日の放課後のあれ?あの告白のこと?それしか昨日佐久早くんと関わった出来事はないわけで。


『ね、……好き』
『え?』
『付き合って』


何気ない日常に起こったちょっとした、でも私にとっては大きな非日常。私の片想いの終了となった昨日のことが頭を過る。

私が密かに片想いしてたことに気づいていたの?とか、あの佐久早くんが私に告白!?だとか色々な衝撃が走って、誰もいない教室で数分お互いに見つめ合ってしまっていた昨日のほんのちょっとの時間。もちろんちゃんと返事は返した。「わ、私も好きです。……お願いします」だなんて蚊の鳴くような声で。佐久早くんはそれを聞いて満足そうに頷いて去っていってしまった。

そんな私の人生のうちの、昨日の24時間のうちのたった数分の時間。それを思い出した途端に顔に熱が集まる感覚がした。そんな反応を見せたせいか、ふっと笑う声が聞こえた。思わず佐久早くんを見上げる。マスクで表情は分かりにくいが、その目が今まで見たことが無いものだったせいで私の心臓はうるさい。うるさすぎてどうにかなりそうだ。


「だ、大丈夫。ちゃんと覚えてるよ、昨日のこと」
「うん」
「ちょっと頭の中ぐらぐらしてるし、ふわふわしてるし、なんか落ち着かなくって」
「なにそれ」

また小さく笑う声が聞こえた。えっ!?佐久早くんってこんな風に笑うの!?めっちゃ失礼だけどそんなことを考えた。だってそんなこと考えてないと、私の心のなかは大荒れなのだ。私、これから佐久早くんと居て、心臓持つかな。人間の心臓の拍動する数決まってるとか言ってなかったっけ?あれ、哺乳類の話だっけ?あれ、でも人間も哺乳類?……と、とりあえず佐久早くんといたら私の心臓は早打ちし過ぎて止まりそう。

そんなことを考えていれば、ちょっと時間が経ったせいで登校する生徒の数が増えてくる。行こう、なんて声を掛けられ、それに頷いた。廊下を2人並んで歩き出した。

「……」
「……」

他愛ない話だとかそういったのって何話すんだっけ?というか佐久早くんっておしゃべり好きかな?そんなことをひっそり考えながら階段を昇る。

私を、私たちを追い越していく他の生徒の背中を見てぼんやり思う。ゆっくりなペースで歩く私に佐久早くんは合わせて歩いてくれてる、なんて思う。それが堪らなく嬉しくって思わず佐久早くんを見上げた。すぐ目が合った。


「なに?」
「……ううん、なんか、なんかね。すっごい好きだなあって」
「__……っ」

思ったことが口をついて出る。後から思えば声に出すには凄く恥ずかしい言葉だった。でも、その時ばかりは耳を真っ赤に染めて狼狽える佐久早くんが珍しくて、そして何だか幸せで私はただただ微笑んだ。

「ふふっ」
「……」

沢山おしゃべりしなくたって、弾むような会話がなくったって、静かにゆっくり歩くだけでも充分に幸せだ。お互いに話したいことは、これからゆっくり語り合っていければそれでいいや、なんて。


(俺も好き)
(き、急にずるい!)
(……お互い様)
2021/02/15
君となら歩いていけるから
ALICE+