人の形をしたメランコリー

__名前はまたあの"うつろ"を見ていたらしい。


暗闇にどっぷりと浸かり、よく知った彼と会話をする。"あの力"をを使うと、"そこ"にたまに引っ張られることがあるのだ。ただ彼が世間話をしたくて呼んでいるだけなのかもしれないが。

けれどあの空間にいると、次に目が覚めた時、というか意識が戻った時に時間がだいぶ経っていたり、思わぬ所にいたりするので面倒だ。きっと彼が私の体で勝手に行動しているのだろう。10回に1回くらい自室のベッドに寝てることがあるので、今回もそれだと良いな、と思いながら目を開けた。先程から何かの"音"が名前の鼓膜を揺らしている。それが何かも確かめよう、そう考えていればぼやけていた視界が急に鮮明になった。


「___っ!」
「……」

ガクガクと肩を揺らされている。待って、兄さん。今の体調でそれされるとやばいよ、と言いたいが、声がちゃんと出なかった。


……って、えっ、兄さん!?


そこでようやく意識がしっかりした。何故か目の前に兄がいるのだ。そしてどうしてかその後ろにこの前会った確か五条さん?とか言ってたあのサングラスのスーパーイケメンがいて、苦笑しながら兄に「揺すりすぎ」とか言って宥めているのだ。いつも冷静沈着そうな兄がこんなに感情を顕にして焦っている。何だか珍しいものを見た気がして、つい口元を緩めてしまった。

「何笑って…、というかこんな所で何して」
「こんな所…?」

兄に言われてはじめて周りの状況を確認した。ポツリと繰り返した言葉は随分と掠れていた。
左右には高いビル、自分が座っているのは少し古びたベンチ、こじんまりとした空き地、___いや恐ろしいPTAなど大人の声によりブランコなどが撤去された公園か。ぽつぽつ残るタイヤの遊具のようなものや砂場を視界に入れて考える。

本当だ。なんでこんな所に。せめて帰り道にある方の公園なら分かるが、この公園には見覚えがない。



「……」
「……」

物珍しげに辺りを見回している様子の名前を見て、五条と七海は顔を見合せた。2人の手によって粗方の呪霊は祓ったが、また彼女に寄り付き始めている。彼女は、彼女の目の前をふよふよと飛ぶ呪霊たちを全く気にしていないことから、彼女はこれらの呪霊が見えていないのだろう。


「……仕事は?」
「仕事は…、体調悪くて早退し…ました」

体調悪くて……まで言ったところ、兄の顔が険しくなったので思わず敬語になってしまった。はあ、というため息が上から降ってくる。「どうしてタクシー拾わなかった」という彼に、「あはは……」と苦笑を返すことしかできなかった。

それどころじゃなかった、なんて兄に言えるわけがない。この状況を説明するには、あの奇妙な奴らの話や、名前の体質についてなど非現実的な話まで語らなくてはならない。いくら家族といえども頭可笑しい判定を喰らいそうだ。いや確実に喰らう。それはいやだ。昔だったら兄とはお互い無関心とまではいかないが、そこまで仲良くなかったから良い。しかし今は何だかんだ一緒に出掛けるし、遠出をすればお互いにお土産を渡し合う。そんな良好な兄妹関係を崩したくはなかった。


それに"あれ"を使うと名前の意識は飛んでしまうのだ。もし使った後にもギリギリ意識が保たれさえすればタクシーを使ってちゃんと帰っていたかもしれない。しかし、それはもしもの話であり、現実で"あれ"を使った後に意識を保てた試しはない。そんなことを彼、いや彼らに言い出せる訳もなくただただお説教を食らう。


「……」

社会人になったというのに公園で兄に説教され、それを兄の仕事の先輩の人に見られているこの状況……、と心の中で落胆しながら素直にそのお説教を聞く。視界の至る所で"ほぼ透明に近いモヤのような何か"が動いている。が、"あれ"を使うといつもこんな感じなので気にすることはない。それに興味もない。大方あの奇妙な姿をした奴らが群がっているのだろう。"あれ"を使った後は、いつも勝手に発動しているらしい"奇妙な奴ら"を近づけない名前の体質的なものが消えてしまうのだ。くぐつが昔そう言っていたし、きっとそうだ。生憎一時的に"ほぼ"見えなくなってしまうので奴らの姿ははっきりと見えないが。

そんなことを考えながら、兄の話を聞いていたのだが、体調は悪いままだったことを思い出した。いくら眠っていたからといって回復はしてくれない。さっきまでは起きた瞬間、兄が目の前にいたことへの混乱や驚き過ぎたお陰で、自分の体調不良について忘れかけていた。しかし、時間が経つとまたあの気怠さや、気持ち悪さを思い出してきた。段々意識がぼんやりしてきた。あ、何か思ったよりヤバいかも。多分今日1日はずっとこの調子である。



そんな名前の調子にいち早く気づいたらしい五条が「まあまあその辺にしときな」と七海の肩に手を置き説教を止める。さっきまでは割と大丈夫そうではあったが、顔色が悪くなっている。体調不良に加え、彼女の周りを漂うそれらに完全にあてられているようだ。

どうして彼女の周りにこんなに呪霊が集まっているのかを確認しようと眺めていた五条だが、さすがに配慮が足りなかったか。結界なり何なり張ってあげないと、いくら大したことのない低級だとはいえ今の彼女の身体には辛いだろう、と考える。どうする?と、五条と七海がアイコンタクトを取っているうちには、限界に達したらしい名前は意識を失ってしまった。前に倒れていく彼女の身体を七海がすかさず支えた。


「……妹にこんなに呪霊が群がっているのは始めて見ました」
「そうなの?」

名前は気を失ってしまったし、ここはこの時間はあまり人が寄り付かない公園であるので呪霊を祓う動きをしても目立たない。先程と同じように帳をおろさず、五条が一瞬で祓ってしまう。そして直ぐに結界を張った。結界を張るなり、七海はそうぽつりと呟いた。それを聞き逃さなかった五条は、サングラスを弄りながら七海を見た。そういえば、この前会った時も呪霊が彼女にくっついていたり、近寄って集っていたりするような様子はなかったなあ、なんて五条は心の中で考える。

「……」

七海は、五条に何も応えず昔のことを考える。高専に入るよりもずっと昔のこと。


昔は、自分たちは世間一般で云う、"仲のいい兄妹"ではなかった。一緒に暮らしていたし、普通に会話もする。家族ではあったし、兄妹でもあった。しかし、それでも「仲が良いか?」そう聞かれればきっと首を傾げてしまう、そんな何とも云えない仲だった。そう云えば、ちょっとしたことで喧嘩したことすらなかったのでは?なんて今では喧嘩とまではいかなくたって軽口を叩いて、お互いに少しイラッとすることはある間柄であることを比較しながら考える。

まあ、特に妹はすぐ近くに住んでいた彼女と同い年の幼なじみと一緒に公園や彼女の家で遊んで回ることが常だったこともあり、一緒に過ごす時間はそれ以外の自分が学校に行っていなかったり、部屋にこもっていない時間くらいだ。関わりも関心もお互いに薄かったのだ。高専に入るまでずっとそんな感じだった。

だが、そんな時間の中でも知っていることはある。
"自分に視えるそれ"を名前が気にしていないことだ。彼女の様子は自分や五条など以外の他の多数と同じだった。つまり、視えていないだろう。そう勝手に結論付けた。だって呪霊が見えていたら、さすがに戸惑いとか恐怖とかどんなに隠していても分かるだろうから、と。

そんなこんなでお互いに"このこと"について話したことはなかった。両親には高専に進学するにあたりそれとなく言いはしたが、別に妹にまで言う必要は無いかと何も言っていない。名前に学校の名前だけ教えれば、「しゅーきょー?」と首を傾げるだけだった。


「で、名前ちゃんどうすんのー?このまま結界張って公園にいる訳にはいかないよ」
「……」

五条の問いに昔に飛んでいた意識が戻ってくる。確かにいつまでもここにいる訳にはいかない。さて、どうしようか。一瞬だけ考える。どうせ自分も非番になったことだし、自分の家に連れて帰って看病するのが良いだろう。そんな結論は簡単に零れ落ちてきた。このまま彼女の家に連れて行って、1人寝かせておく訳にはいかないだろうし。


「…私の家に連れて帰ります」
「いや、高専に連れていこう」
「は?いや、妹は一般人ですよ?」

七海が口を開いてそう言えば、直ぐに五条がそう言った。この人は何言っているんだ、と七海は五条を見やる。弄っていたサングラスを掛け直した五条はニヤリと笑った。それに何となく嫌な予感がした。


「高専なら結界の心配はないし、具合は硝子に見て貰えるし、それに七海さ、今日の夜から出張じゃん」
「……」

こういう時に限って何故自分のスケジュールを知っているのだろう、色々出かかった感情がぼやっと歪んで呆れに変わる。これは何を言っても無駄な時の状況だ。今までの経験からそのことは簡単に分かった。

しかし、だからといって高専の卒業生でも術師でもなく、呪霊のこともよく知らない一般人の名前を高専に連れていきたいとは思わなかった。あまり、というか絶対に関わらせたくはない。妹にはただ普通に生きて行って欲しい。血腥ちなまぐさいものなんて知らなくたってこの世の中を生きる方法は幾らだってあるのだから。できるだけ"こちら"と関わらないように、それを考えながら自分はいつも彼女と接していたのに。

「七海さ、分かるだろ?この状況は"普通"じゃない。明らかな異常だろ」
「…そうですね」

結界の外には何処から湧いたのか先程よりも多い呪霊が群がっている。こんな光景がこんな場所で起こるだなんて"有り得ない"。普通にいつも自分が妹と会う時にこんな事態が起きたことはない。"何かが起きている"。"異常"である。そういう確信はちゃんと七海の中にもあった。渋る理由は沢山あるが、五条の言いたいことに勝てるようなものはない気がする。


「前と今、明らかに違う。男なら僕が色々と確認するんだけどねえ。女の子はちょっと。だから具合見てもらうついでに硝子にも協力して貰おう」
「はい」

何もなければそれでいい。一過性で偶然名前に"これ"が起こっただけであるのなら、それが確認できるのなら確かに良いかもしれない。そう考えて七海は、眠る妹の旋毛をぼんやりと見下ろした。ぼやぼやと曖昧でそして重く引きずるような違和感は相変わらず胸中にふんぞり返っていた。

彼女の横に置かれているバッグを五条が手に取り、七海は名前を抱きかかえる。するとちょうどいいタイミングで伊地知が公園内に入ってきた。が、入るなりあまりの呪霊の多さが目に入ったらしい。顔を青くして一瞬固まっていた。

伊地知はきっと五条が呼んだのだろう。「ナイスタイミング」と言った五条の声を聞きながら、七海は視線を斜め上に向け、狭い空を見上げる。結界が解け、空が綺麗な青を取り戻した。群がっていた呪霊は五条の手によって簡単に塵になり散っていった。その塵の中を歩いていく。

何だかいつもとは違う知らない世界を歩いている、そんな気持ち悪い感覚がスッと身体を突き抜けていった。



___『……あはは、何だか面白くなってきた』


そう言って"虚ろ"の中で"彼"は人知れずニヤリと笑う。彼女の魂を喰らうまでの時間はまだまだある。しかし、"邪魔者"の足音は段々と近くなってきている。ことを急いて肝心な時に足踏みばかりで、踵をすり減らすだけにならないよう注意しなければならない。"とき"は近いし、遠い。下手すれば明日簡単に転ばされてしまうかもしれない。

しかし、焦りよりも楽しさの方が大きい。その感情に特に理由はないが。

"人"から奪った感情なんて結局はただの付け焼き刃。偽物でも本物でもないそれで感じるものなど何もないのだ。結局はただの"がらんどう"。"がらんどう"に何を詰め込んだって結局は全て零れてしまう。つかれるものあやつるものも空っぽであるのだから、深く考えなくても現実は勝手にやってくる。それが好転であれ、悪化であれ、現状維持であれどうだっていい。
だって"傀儡かいらい"がやることはひとつだ。ひとつだけだ。

ただ繰り返す、それだけだ。


(半分しかない魂を揺すったって)
(うつろから出るものなんて何もないのにね?)

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