汝は真の人なりや?

「...なに、兄さん」
「.....いや」
「?」

__妹が苦手だった。

いや、違う。自分は妹がとても怖かった。ずっと怖かったのだ。


覚えている。ずっとあの日のことを覚えている。

どんなに時が経っても幼いあの日の記憶は薄れることなく鮮明に時々頭を過ぎる。結局あれが何だったのか未だに解決していない。

でも、あれはとても、とてつもなく"恐ろしい美しい"ものだった、ということは分かる。


「.....?」

とある夜。まだ幼かった自分は両親と同じ部屋で寝起きをしていた。その日、ふと何かを感じてぼんやりと目を覚ます。何故か部屋全体がぼんやりと明るい。部屋の照明は消えているし、カーテンのおかげか月の光は感じられない。もちろんすぐそこの道を通る車のヘッドライトがこんなにも長く同じ光量でこの部屋を照らすことなどないわけで。

「...え?」

思わず声を出した。部屋全体を照らしていた光が一気に収束して小さな光の球になった。球といってもどこか不完全で、形を保てずフラフラしている。

当時既に"視えていた"からきっと"あれ呪霊"が光の球になって部屋をさ迷っているのだと思った。

"あれ"は視線を合わせてしまうと目が合ったことに気付いて寄ってくることがあるのだ。多分それが家まで付いてきてしまったのだ。そう思えば酷く恐ろしかった。その時の自分はまだ何にも知らない無力な人間であったから。

光の球が浮遊する。そして、それはすぐそこで眠る母に吸い込まれるように入り込んで行った。幼いながらにその光景に驚いて慌てて母を起こす。この家で自分にしか見えない奴らがきっと悪さをしたのだと。母がきっと取り憑かれてしまったのだと。自分の声に慌てて起きた父と母は、話を聞いてきょとんとしたあとくすくす笑っている。

__きっと寝惚けていたんだ、と。


それから数週間、"1つのこと"を除いて確かに何もなかった。その"1つのこと"というのは自分に弟か妹ができたことだった。母は言う。「あなたはお兄ちゃんになるのよ」と。そして、「あの夜に見た光は、きっと妹か弟がお空から落っこちてきて、この家の子になりに来たからなのよ」と。

小さい子には不思議なことがよくある、母が言葉を続ける。母のお腹の中のことを覚えている。空からあそこの家の子になるのだと誰かに喋っていた。何もないところを見つめたり、何かと喋ったりしていることがある。まだ妊娠すら分かっていない時に「兄(姉)になりたくない」と駄々を捏ねて幼児退行する子がいる。

そんな自分に言い聞かせられたその言葉は妙に耳に残っていた。

でも"あの光"は本当にそうだったのだろうか。

ずっと大人になった今でもその事を考えてしまう。確かにタイミング的には名前が母の言う「空から落ちてこの家の子になりに来た」とか、世でいう「輪廻転生」とかいうやつの一部分を見たとか、ただ寝ぼけていただけとか、そんなことが当てはまるかもしれない。だが、それだけではない。

___あの光はとても神秘的で美しくあったが、とても"恐ろしかった"のだ。


◇◆◇


「兄さん」
「何だ」
「シークワーサージュース2つあるんだけど1ついる?」
「.......」
「....兄さん?」

友人から送られてきたシークワーサージュースを兄に見せる。しかし、聞こえていないのかこちらを向かない。彼の視線はあの変な置物が入っているダンボールに釘付けだ。

「兄さん」
「.....名前、あれは何だ?」

もう一度呼ぶ。ようやくこちらを向いた兄はあのダンボールを指さしてそう聞いてきた。

「ダンボールだけど」
「中身は?」
「えっとね、置物なんだけど...、曰く付きだと思うんだよね」
「曰く付き?」

"曰く付き"と言おうか迷ったが素直にそう言うと兄がすぐに反応する。その表情はいつになく険しい。こんな顔殆ど見た事ない。

「それ友だちが送ってくれてた荷物に紛れてたの。友だちいわく荷物は食べ物だけしか送ってないから、そんな置物知らないってさ」
「.....そうなのか」
「あと表情が変わった」
「表情?」

今の兄さん、ちょっと怖いなと思いながら先程の話をする。その間彼はずっとダンボールを見つめている。

ガタガタ

またダンボールが動いた。2人で顔を見合わせる。まあ一番の曰く付きだと思われる理由は確実にコレだよね。私自身こういうのには驚かないけど、兄さんも驚かないんだなあ、と名前は考える。まあ兄がこういうので変な声して取り乱したらそれはそれで怖いか。

「それは預かる」
「え?やめた方がいいと思うよ。多分それ、めっちゃヤバい」
「そうだな」
「そうだよ」

いや、分かってるんかい。分かってるんなら、尚更預からないほうが良い。普通の人である兄よりも、"異常な"私が持っていた方が良い。最悪この変な力やくぐつがどうにかするだろうしな。

「いや、預かる。私が.......__いや、知り合いにこういうのが専門の人がいる」
「せ、専門?」

偏見かもしれないがさすが名前からして宗教系の学校に通ってた兄だ。そういう友人の1人や2人いるかも?

まさかその兄自身が"専門"だたなんて思いもしない名前は素直にそう思った。

あれ?いや、でも同級生の人って.....。

「.....」
「.....」

いや、でも"これ"はさすがに危険すぎない?

兄の知り合いがどれくらい"これ"について解るのかは知らないが、生半可な力では抑えられないくらいのものではあると思う。名前に"故意"に寄ってきて消滅しないのだから絶対にそうだ。

今のところその置物が襲って来ないのは傀いわく、「名前に近づきすぎて動きづらくなったから」らしいし。そういえば、その"いくらヤバいやつでも耐えられない"くらいに名前の"力"とかいうやつはいつの間に"強くなった"のだろうか。前はもう少し.....。


__それが強くなれば、強くなるほど きみは.....。


ふと傀が昔言っていたあの言葉を思い出した。ああ、なるほど。もしかしたら私に"時間はない"かもしれないなあ。


「名前」
「ん?」

いけない。余計なことを考えていた。慌てて兄の方を見る。

「人に取りに来てもらうよう連絡したからすぐ来る」
「え?すぐ?ここに?」
「ああ」

すまない。住所勝手に教えた。とスマホを操作しながら兄が言う。まあ人付き合いに関して、兄はわりと慎重な方であるから悪い人ではないと思うし、これを引き取ってくれるのなら正直助かるといえば助かるけど。

ピンポーン

「え?」
「来ましたね」
「え?はやっ」

急に家族以外にする敬語になった兄が玄関へと歩いていく。あれ?たった今連絡した風だったのに。さすがに早すぎて驚きながら兄に続く。兄が玄関を開けた。

「やっほ、名前ちゃん。元気?」
「ご、五条さん...?」

え?なんでこの人が?

「あれか.....、ふうん。なるほどねー」
「そうです」

お邪魔しまーす、と部屋に上がった五条とその後ろに続く兄。2人はぽかんと棒立ちになっている名前の横を素通りするとそのままダンボールに近づいていく。

__兄さん、専門の人呼ぶって言ってたよね?あれ?五条さんって教師って言ってなかったか?

「うわあ、やばいね〜」

やばい、と言いながらニヤニヤ笑っている彼。本当にやばいと思っているのか声音からはよく分からない。五条と兄がギリギリ名前に聞こえない声量で何かを話しているのを見つめる。

あまりそのダンボールに近づかない方が良い、といった方が良いかもしれない。そう思って1歩踏み出した時だった。

「ね、名前ちゃん」
「は、はい!」

急に五条が振り向くものだから無駄に元気に返事をしてしまった。

「最近何か他に変わったことは?何か視えるとか、変なことが続くとか...」
「んー?特には.....」

視える?変なこと?特にないと思う。"いつもと変わらない"世界が相変わらず続いているし。.....あ、でもちょっと"力"使うことが増えたかな。いや、でもこんなことを言ったら変人扱いされちゃうな。

「そっかー。ま、これは預かっておくよ。じゃーねー」
「え、は、はい。.....あ、待ってください」


ダンボールを抱えると五条は玄関に向かって歩いていく。本当に"それ"持っていくのだろうか?確実にヤバいのにこの人大丈夫なのだろうか?と思いながら彼を視線で追いかける。そこでハッとして、思わず声をかけた。五条が振り向く。

いつも掛けているサングラスがない五条の素顔は相当な美形でびっくりする。

「なになに?」
「ケーキ要りませんか?」
「え、いるいる!」
「.....はあ。先程から思っていましたがよくこんな状況で」
「名前ちゃんってちょっと"色んな意味で変"だね。.....全然怯えてないし、あとは........。どちらかというとこういうのに寧ろ慣れてるようにさえ思える。...本当に"こっち"について何も知らないの?」
「.......」


冷蔵庫からプチフールを取り出す。箱はお菓子を友人にあげる時に使うものがあるのでそれに入れた。サイズ的にもピッタリだ。それに保冷剤をつけてからすぐそこでまた何やら話している2人の所に戻る。

「はい...って持てますか?」
「これくらい楽勝。ありがと」
「いえ」

片手にダンボール(中身は危険物)と片手にケーキの箱。いる!と乗り気だったから渡したけど、"もし"何かあった時邪魔になるんじゃ、と今更思う。しかし五条はただ綺麗な笑顔を浮かべるだけだ。表情も態度も余裕そう。何となく傀に似た笑い方。ぼんやりとそう思ってしまえば、何だか頼もしく思えてきた。

「今度何かお礼しますね」
「お、いいね!」
「名前、この人はやめておいた方が」
「七海ぃ〜?」

さすがにこんなものを受け取らせてしまったのだ。ケーキ以外にもお礼をしないと気が済まない。そう思って声をかけると兄が表情を歪ませる。それに五条が絡んでいる。兄の性格からしてこういう人を振り回しそうな人は得意ではなさそうなのに、意外と先輩後輩としての相性良いのだろうか。状況も状況なのにほのぼのとしているから何だか笑えてきた。

「ふふ、仲良しなんですね」
「そうそう」
「いえ、決して仲良しでは」

真顔で否定する兄と五条を見比べる。五条の綺麗な瞳と目が合った時、ざわっと身体の中で何かが動いた気がした。五条がすっと目を細める。

___あ、やばい。

何故か分からないが、何かがそう言っている。今まで上手に隠していたそれが暴かれたような焦燥が一瞬だけ身体を駆け巡る。

「五条さん、そろそろ」
「...そうだねー。七海悪いけどこれからちょっと話が」
「.....時間外、...いえ、そうは言ってられないか。分かりました。名前、また後日来る」
「え、うん。...あ、忘れ物はない?」
「大丈夫だ。戸締りはしっかり。鍵を開ける前に誰が来たのかの確認もして。後は火の扱いと...」
「わ、分かってるって」

七海、母親かよ、と言っている五条の声を聞きながら、名前はうんうんと頷く。一通り言ってようやく口を閉じた兄は靴を履く。そしてもう一度戸締りのことを言う。

「気をつけるんだぞ」
「うん、ありがとう、兄さん。あと、五条さんもわざわざありがとうございます」
「全然。じゃ、またね」
「はい」

ぺこりと頭を下げる。手を振る五条と片手を上げる兄はゆっくりと扉を閉める。それから数秒して鍵を掛けた。


◇◆◇



「...ねえ、傀。本当にあれ渡して大丈夫だったのかな」
『大丈夫だよ。寧ろ貰ってくれて幸運だ。ちょっと厄介だったし』
「そう」
『でも、渡したら渡したで厄介なことになったねぇ』

いつもは話しかけないのに思わず傀に話しかけてしまった。珍しいことだからか少しだけ喜びを滲ませながら傀が応えてくれる。

「厄介?」
『.....六眼ねぇ。.....ちっ、上手く隠せていたのに今回はタイミングが悪かったか。バレたかな?.....訝しむだけにしてくれた打つ手はあるけど』
「傀、何の話?」

1人でまた喋り始めた傀。よく分からないことで名前を置いてけぼりにすることはよくある事なのだが、何だか今回に関しては少しだけ気になる。

『いや、気にしなくていいよ。.....それよりも僕が小さい頃から言い聞かせてたせいで今になってボロが出たかも』
「何が?」
『うーん。人が怖がるものを怖がらなかったり、この状況での色々な言動とかそういうのがちょっと普通じゃなかったり?』

傀の考える"普通"がどんなものか分からないが、この様子からしてなんかしたのかな?私。友人や兄や両親に物凄い目で見られることはしばしばあったから、今回も無意識に何かしでかしたかも。

「.....もしかして、私なんか変なことした?」
『.....うーん、いつもの建人はそんなもんってなるかもだけど、今回はちょっとね。まずかったかも...』
「.....」
『まあいいさ。六眼相手には遅かれ早かれ、だしね。最近うろちょろしてたし』
「??」

また勝手に話を進めていく。いつになく長い傀との会話は何だか新鮮だ。色々難しいことを喋り始めた彼の言葉を聴きながらぼんやりと考える。


__どうせ私は傀儡くぐつなのだ。だから、だから.....。


『名前、ちょっと代わってくんない?やることができた』
「明日仕事.....」
『知ってる。今日中には終わるさ』
「.....見知らぬ公園で寝ないでね」
『__あれは体力がなくてどうしようなかっただけさ。今回は大丈夫」
「そう」
『じゃ、代わってね。__□、□■儡、□□ス。』

彼の声が頭にすっと響いて、そして世界が暗転した。

『......』
「おやすみ。可愛そうな___様」


◇◆◇



__ああ、なんて可哀想なのだろう。


もう輪廻を巡ることの出来ないかの魂。

誰よりも美しくそして美味しそうなその魂。


己が触れてもきっと彼女の魂の形を弄ぶことなどできやしない。彼女には厄介な魔物理から外れた者が住んでいる。古いふるふるい世界から彼女に住んでいるその呪いは確かに彼女を蝕んでいるというのに、哀しいことに守ってすらいる。

矛盾した思いを抱えたそれは彼女を食ろうているくせに、残りをずっとお預けにして未だにとあるまぼろしを見続けているらしい。


どこを切り取ってもむごたらしいこの世界で何度も巡っているうちに、皮肉にもその魂はその呪いを約束で魔物を縛り付けそして躊躇させる。

呪って愛しているからこそ、だからこそ____。


__ああ、本当になんて面白いことだろう。


"真の人".....__、"ただの呪霊"は「面白いものを見れた」と満足気に笑う。

他のニンゲンと同じように足並みを揃えて不揃いに歩いているくせに、彼女は異質でそしてそれなりに平凡だ。


可哀想で美しく哀れでおぞましい彼女。

永遠に救いなどなく、繰り返す度にその巡りによって拘束され、取り残されて、人から道外れ、人でも呪霊でもない中途半端な欠陥品でくに作り替えられ、そして人形がらんどうになっていく彼女。

わだちを辿るように歩いていくニンゲンたちとは幾分か違う彼女は一体どこに辿り着くというのだろうね。

「真人、行くよ」
「......うん」

この世界の おかしな仕組当たり前みから外れたあの子あやつるものとゆっくりすれ違う。

「.....___」

彼女はすれ違う時、"そう"呟いた。真人は思わず口角を上げる。彼女も恐ろしいくらい綺麗に笑っているように見えた。

____なるほど。この世界おもちゃ箱はつまらないくらいに面白いもの歪なもので溢れているみたいだね。

(は真の人なりや?)
(彼女その魂は真に呪ひならむや?)

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