そんな彼はとある貴族の護衛になった。彼の家は呪術を扱う家ではあったが、上手くからくりを操ることのできる術師は少なく、居てもそこまで才能がある者が多いわけでもない。そんな他の家と比べあまり話題も上がらぬ一族だった。そのためか割と生活には困っていた。いくら呪霊たちが多い時代といえど、他に優秀な家がいくつもすぐそこにあって、彼らはいつだって肩身が狭かった。
ある日、そんな家を救ってくれたかの貴族に彼も彼の一族もそれはもう感謝した。本家の護衛の任と、とある理由で別邸で隠されて育てれた"特異"なお姫様の護衛の任を請け負う。その男は運がいいのか悪いのか、後者のお姫様の護衛をすることになった。
彼女は美しい人であった。
普通結婚もまだの貴族の女性が男と顔を合わせることなどほとんどないのだが、彼女の護衛をする以上特例として彼女の生活を彼はからくりを造りながら見守っていた。姫君と最低限のお世話係、護衛、彼女らを取り巻くからくり達。彼らの世界は狭かったが、呪霊の襲撃さえなければ慎ましく、穏やかに日々を送っていた。
どうやら姫君には呪霊は視えていないらしい。それなのにこんなに惹き付けるのはきっとその魂が素晴らしいのだろう。男はそう思うことにした。
「年々、呪いが増えておりますな」
「......」
彼女からは何も返ってこなかった。
最近更に呪霊の活動が活発になってきた。それと同時に結界を突き破ろうとする呪霊も増えてきている。それを感じ取りながら、男は屋敷に張った結界を見つめる。そして屋敷の至る所に配置してあるからくり達の様子を知覚した。
男の術式はからくりを操るだけの一族の中では特に不思議で、からくりを造ること、意のままに操ることだけでなく、からくりに呪霊を取り込ませそれを呪力に変換し、その呪力で己が呪力を使わなくとも動かし続けるというものがあった。
そんな珍しい能力を持ってはいるが、男が評価されないのは彼の一族全体が周りから「ただのお人形遊びをしている一族」という軽蔑や誤った認識が向けられるからだろう。そして何より彼の術式をよく知る者が周りにいなかったことも理由だろう。
「今日は子どもの声が聞こえませんね」
「....」
悲しそうに外を見遣る彼女が口を開く。
「虫の声も鳥のさえずりも今日は遠い......」
こんなに良き天気ならば、近くの屋敷に住む子どもの声がこの時間にはもうするというのに今日は聞こえてこない。いつもなら煩くなく虫の音も、すぐそこの爺さん家によく来る鳥たちの音も今日はない。
彼女は永遠と庭に咲く花を見つめ、ぼんやりと空を見つめるだけ。彼の造るからくりのようにただそこに有るだけ。
それが無性に悲しくなったが、男は声を出さずに彼女を見つめる。
彼女の世界はここだけだったから、きっと外への焦がれもあるのだろう。男はそれから数刻の間、黙ってその後ろ姿を見て、それからはっと思い出してとあるからくりを操り、彼女の後ろに控えさせた。
「姫様、これは先日完成した新しい傀儡にございます。私が造ったからくりの中でも最高の出来で.....」
「......
「はい、これは傀にしましょう」
もうこれをするのは何年目か。とある日から造ったからくりの一つ一つに姫君から『名前』を付けていただくようになった。
「かい」と付けられた人型のからくりは屋敷回りの警備に回すことにした。彼女の後ろから立ち上がらせ、1番襲撃の多い門の近くにそれを配置するよう動かす。ガタガタとからくり特有の音を鳴らしながら傀は部屋を後にした。
それから1年後。自体は急速に悪化した。
「姫様」
ついこの間まで元気だった彼女が急に倒れ、床に臥してしまったのだ。それと同時に更に更に強い呪霊が襲撃してくるようになった。
__一体何が起きているのだ。
いくら頑丈な結界といっても数が当たれば破けてしまう。とある日には、門に配置しておいたからくりの3分の1が全滅してしまった。度重なる襲撃にガタが来ているものも多く在る。男は唇を噛み、頭をめちゃくちゃに掻いて考えた。
結界へ注ぐ呪力を増やす。そして万が一の時のための余力以外で動かせるからくり達を総動員させ、屋敷を警備する。そんな状況に陥って数週間が経っていた。
その日は何だか酷く嫌な予感がした。
「傀?」
昨晩の襲撃は酷いようだったからと男は早めに起きて、一族へと連絡を送ると、夜番をしていたからくりと交代するために屋敷内を歩く。廊下を歩いている時、庭に外の警備をしていたはずのからくりが立っていることに気づいた。
__おかしい。
自分はそんな指示を出していないはずだ。ゆらりゆらり近づいてくるそのからくりは真っ直ぐ彼女の眠る部屋に向かって進んでいく。
_"傀、止まれ"。
いつものようにそう念じる。からくりは止まらない。
「__"傀、止まれ"!!......効かぬか」
操者の命令が聞こえていない。無言の命令にも声に出しての命令にも反応しないからくりに嫌な予感がした。彼は近くのからくりを一瞬でその場に引き寄せると傀を取り押さえるために飛びかからせた。
「...なっ」
しかし、それらはいとも簡単に崩れ落ちて、地面には無数の木の残骸が広がる。呪力の糸が切れてしまった。接続も絶たれた。彼は彼女の部屋にもう1つ結界を瞬時に張ると部屋に近づこうとのそりのそり歩く傀の前に立ち塞がる。
『...ああ、美味しそうだ。もう少し。美味しそうだ。全部喰らってしまいたい。美味しそうだ。その魂を...』
「....."止まれ"。.....っ」
からくりは不気味に言葉を紡ぐ。からくり特有のガタガタとした音の隙間に聞こえるその言葉に冷や汗が背を伝う。
もう一度命令を送る。"止まれ"と強く呪力を送るがやはり止まらない。譫言を言うように相変わらず言葉を紡ぎ、無表情のからくりはただ足を動かす。
__乗っ取られているのか?
昨日襲撃してきた呪霊はもしかしたらそういう系統の力を持つものだったのかもしれない。自分がからくり達を造るときに書き込んでいる"それ"を、傀が呪霊を取り込んだときに良いように書き換えられ自分からの命令を聞かぬようにしている可能性もある。
「....はあ、仕様がない。__崩すか」
まだ傀との接続は完全には切れていない。それを切られる前なら方法はある。なんていったって傀を造ったのは彼自身だ。何をしてくるか分からないから傀を見つめたまま、そのからくりに繋がっている糸に意識を向ける。
『
「"かい、止まれ"」
よくよく声を聴けば、まだどうにか門を守るという傀としての意識は残っているらしい。それを聞いてもう一度そう命令すればほんの少しだけからくりの動きが鈍くなる。
__崩すなら今だ。
「許してくれ。__"傀、□□□離ス、__崩"」
滅多に使わないその言葉を紡ぐ声が少し震えた。我が子のように大切に大切に造ったそれを壊すという行為は誰かを殺してしまうくらいに恐ろしく悲しいことだ。男はガラガラと音を立て倒れる傀を見つめる。
『...守らねば。悪しきものから。あの方を。門を守らねば』
「感謝する、傀。今は眠ってくれ」
傀はただその言葉を発した。先程の呪霊の意識は無くなったのだろうか。男は1歩傀に近づく。傀を乗っ取った呪霊も一緒に"崩れた"だろうか。崩れてなければしっかりと殺さねば、と念の為に気をゆるめることなく歩く。
傀を乗っ取った呪霊が壊したからくり達と傀。彼らを葬るために男は屋敷の中にいるからくりが持ってきた炎に呪力を込めてから、からくり達にそっと付ける。
呪力を込めたのは、ただの火では自分のからくりたちは燃えないし、彼らが今まで取り込んできた呪霊やそれからの呪力が完全に燃えきらないからだった。
もし傀に呪霊がついたままでもこれならきっと消えるだろう。
「.....」
轟轟と酷い音をたてて燃えていく大切な子たちを見つめる。姫君に頂いたそれらの名前を1つずつそっと呟いてから男は踵を返す。
彼らが燃え尽きれば火は勝手に消える。跡形もなく消えてしまうのを見ることほど悲しく辛いことはないからと男は足早にそこを離れた。
__早くあの方の所へ行かねば。
「___殿」
「どうかされたのか?さては姫君の容態に何か?」
「そ、その。.......とにかく来てくだされ!」
「?.....了解した」
黄昏時、数刻の間からくりと護衛を代わりガタの来ていたからくり達の応急処置をしていれば、姫君の世話係が部屋を訪ねてきた。
彼女と部屋を出て姫君の部屋へと向かう。斜め後ろを歩く世話係にした質問はほとんどはぐらかされた。一体今日は何が起こっているのだ?と疑問に思っていれば姫君の部屋へと辿り着く。
「姫様、入りますよ」
もう何日も応答すらできないくらいに衰弱しきった彼女からの返事はない。数秒してから部屋へと入る。彼女は相変わらず酷い顔色を浮かべて布団に眠っていた。汗が酷く、小さく呻く声もする。それに胸を痛めつつ、そういえば世話係はどういう要件だったのだろうと振り返る。彼女は何故か部屋の中に入ってこないで、そこからこちらを見ている。
この部屋に何重にも張った結界には"呪霊以外の者"は入れるはずなのに。
「入らないのですか?」
「.......」
「何かあるのですか?」
「.......」
彼女は無言で俯いたままだ。男の投げかけた言葉に反応しない。その様子に違和感を感じて更に声をかけようとした時だった。
「.....っ!!.....破られた、だと?」
それは突然起きた。屋敷全体に張っておいたはずの結界がなんの前触れもなく破壊されたのだ。黄昏時の今、特に都合が悪い。男は姫君の部屋の近くにからくり達を集めるよう動かし、それから結界をさらに何重も張った。
「貴女も早くこちらへ入れ!結界が破られた!直ぐに呪霊たちが押し寄せてくるぞ!」
危険を彼女に伝えるがやはり動かない。その様子に嫌な予感がした。彼女の名前を呼ぶ。しかし、彼女はやはり俯いていた。
「早く!」
そう言った時だった。世話係の身体が傾く。赤い血を吹き出しながら。思わず彼女の名前を呼び、そちらに慌てて近づく。あと少しのところで彼女の中から黒い影が出てきたのに気づく。男は直ぐに姫君の横に飛び退いた。部屋の前の廊下の床には大量の赤が流れ落ちている。
___ああ、もう彼女は助からないだろう。
男は下唇を噛む。
「ようやくあの面倒な檻が壊れた」
「.....お前は誰だ」
影が形を歪める。そして次の瞬間2は人の姿となった。これは厄介な呪霊が来たものだ。男はそれを睨み付ける。呪霊は余裕そうにそう言うと笑っていた。
庭や屋敷内が段々と騒々しくなる。からくりと押し寄せてきた呪霊が戦っているだ。
絶体絶命の状況に男は考える。着物から大量の呪符を取り出し、姫君の周りにばらまいた。基本的にからくりを操ることを主としているため、"この術"は得意ではないがそんなことを言ってる場合ではない。
「ちっ、厄介な」
男の行動を見て呪霊が近づこうとしてくるが、無駄に頑丈な結界が張れると周りからお墨付きの彼の結界にこちらには入って来れない。例え破られてもここにはそれはもう何年もかけて掛けてきた結界があるのだ。
「__"□□■□、変"」
そう彼が唱えれば、屋敷がまるで悲鳴をあげるかのように音を立てる。男は集中したいつもよりもはるかに鋭くそして強くその"命令"たちを並べていく。
屋敷の至る所に張った呪符と、張り巡らせた糸。そして込めた呪力。まさかこれを使う日が来るとは思わなかった。しかし、1人で逃げることの出来ない姫君、破られた結界、応戦中のからくり、目の前にいる強敵。
この状況で出し渋っていては守れるものも守れないと判断した上での行動だ。
屋敷が形を変える。ガタガタと積み重なったものを解き、そして再構築する。どうにか抜ける道を作って、それから姫君を逃がそう。朝に伝令を送ったから、そろそろ本家から誰か来るはず。今を持ち堪えれば。
そんな一心で男は更に術を使う。吹き出る汗も消耗していく体も今はどうだっていい。
__ただ、ただ。
「姫様、失礼致します」
彼女の身体を起こし羽織を着させてから抱き上げる。そして彼女にたくさんの呪符を凝縮させたそれをそっと持たせた。虚ろな意識でも何とか握ってくれたことに安堵して男は"通路"をめざした。
「何処へゆく?そちらに何かあるのか?」
「.....っ!!」
しばらく歩いていれば声がした。その言葉に男は振り返る。
__なぜ、なぜだ?
後ろには先程の呪霊がひとつのからくりの首を掴んだまま歩いてくる。
「.....傀!な、なぜ、燃やしたはず」
「.....」
朝、別れを告げたはずのからくりをなぜこの呪霊は持っているのだ?
呪霊は何も言わない。傀の身体に少しだけ焦げが見えるから確かに1度は燃えたはず。
さては傀を乗っ取っていたのはこの呪霊だったのだろうか。きっとまともに戦えば己では力及ばないくらいの呪霊だということはさっき姿を見た時に勘づいてはいた。それだけの手練だ。自分の中でもよく出来たからくりであった傀を乗っ取るのも、それから火の中から出るのも造作もないのかもしれない。
男は考えながら、姫君をそっと地面に横たえその身体の前に立った。
「なぜそこまでして守る?」
「それに理由がいるのか?」
__私はいつか外を少しでいい、見てみたいのです。
__そうなのですか。
__ええ。普通貴族の娘はそんなこと言わないかもしれません。でも、それでも外を見てみたいと思ってしまうのです。
__その時は、...外に出ることができたら必ず私がお守りします。
__ありがとう。.....そういえば、貴方はどうしてそこまでしてこの家を私を守ってくれるの?
__それは、.....貴女が私のからくりを見て始めて笑顔をくれた方だからです。
とある日のことが男の頭を過った。もうあの会話から何年経つだろう。まだまだ幼かった姫君はもう少しで大人になる。そしたらきっとこの呪霊を寄せつけ過ぎる奇特な体質も改善されると思っていたのに。
己の造るあまりにも人に似すぎた、からくり特有の音以外は本物の人と大差ないからくり達に、人も呪霊も酷く不気味だと言葉を浴びせてきた。式神とはまた違った力であるせいで良い思いをしてこなかった。しかし、彼女に会って、彼女の笑う顔を見て男は酷く救われた。
人に似すぎた姿にも、人のように言葉を発することにも彼女は驚かない。
特定の人間以外会うことは許されない彼女の世界は数人の世話係と護衛とそして己でできている。
両親は彼女を隠すだけ隠して会いにこない。外で彼女は知られていないから友人なんてものはできない。人付き合いなどまともに望めぬ狭い狭い世界で生きていた彼女は己が造るからくり達をそれはもう大事にしてくれた。笑顔をくれた。言葉に出さずともそれはよく伝わってきた。
たったそれだけと言われるかもしれない。しかし、己にとってそれが全てだったのだ。だから守らねばならない。
「人間はよく裏切る。醜い欲と汚い心。.....ああ、確かにその姫の魂はそんなものを感じられないくらいに美しく透き通っている。そして甘そうだ」
「.......」
「寄越せ」
「断る」
「ただ飼われるようにして生きるくらいなら、私に食べられた方がずっとマシだろう」
呪霊が1歩寄ってくる。男はそれでも引かずに呪霊を睨みつけた。
「今渡せばお前のことは助けてやるぞ、傀儡師」
「.....無理だ」
「渡す気はないと?」
「ああ」
「ふむ。それなら」
呪霊は何かを考えるような素振りをしてから、そして一気に距離を詰めてきた。男は太刀をからくりを造る時のように構築する。
「その速さで造れるとは素晴らしいものだな、傀儡師」
「.....」
呪霊の言葉に反応することなく男は集中した。短い時間で造ったも太刀もどきはお粗末なものだが、呪霊の1つ目の攻撃にはどうにか持ったようだ。
男はまた武器を造ると次は自分から攻撃を仕掛けようとした。
__そう。仕掛けようとしたのだ。
「.....身体がっ!」
「ようやく効いてきたか」
「貴様!」
「そのからくりとお前は強い糸で繋がっていた。それを辿るのに時間がかかってしまったが」
男は思い返す。今朝の傀。そして先程の可笑しな様子の世話係。
この呪霊は物や人に乗り移れることは解った。ただ自分はからくりを操るため、からくりが取り込む呪霊から干渉を受けにくい体質になっている。姫君も自分が色々な術を掛けて守っていたため手は出せないだろう。
「どうやって私に干渉したのだ!」
「簡単だ。このからくりからその糸を辿って干渉しただけだ。お前の術は知っている。わざとからくりに取り込まれ、こちらを支配しようとする力を押さえつけからくりの主導権を握ったのだ」
「.....」
「それは扱いづらかった。言うことは中々聞かないし燃やされるし散々だ。しかし、お主と繋がる糸は燃やされている時も辛うじて繋がっていたから、それを辿ってその面倒な体質を打ち破らせてもらった」
「打ち破った、だと」
そんなことできるわけ、いや、これほど強力な相手なら時間を掛ければできるかもしれない。
動かせない体に、沈み始めた意識に舌打ちする。まずい、私がここで倒れてしまっては。
「もうお喋りはこのくらいでいいか。その魂を前にしていては流石に我慢できなくなった」
「.....そうだな、話は終わりだ」
「どうした?まだ策があるのか?」
「.........」
「反応がないな。やっと落ちたのか?」
___ああ、眠ってしまいたい。
酷い眠気に身を委ねてしまえば、.....否、ここでそれに飲み込まれればもう帰ってはこれまい。そうすれば彼女はどうなる?守ると誓ったあの日の約束は、どうなってしまうというのだ。
男はふっと息を吐いた。そして空気を飲み込むと口を動かし、そして静かに呟いた。
「___"領域展開、□□■傀儡"」
「姫様」
「か、い」
"傀"はそっと彼女の横に膝をついた。彼女はその声に反応して薄く目を開ける。相変わらず酷い顔色で息も荒かったが彼女はどうにか意識を保っているらしかった。
傀の近くには無惨な男の死体がある。着物の至る所に傷があって血も出ていたが、動けない彼女の視界にそれは映ることはなかった。
「傀が、どうして...ここ、に?___あの人は?」
意識がはっきりしていなかったせいで何も知らない姫君はそう言葉を掛ける。意識は朧気で呪霊が見えていない姫君には特に状況が伝わらない。
傀はガタガタといつもより歪な音を鳴らして、姫君の頬に手を当てた。
『守らないと、やっと喰えるぞ、離れなければ』
「傀?」
『__様、傀は主人を殺し、そして意識を食ろうて、しまいました。傀は化け物です。傀の中に...は取り入ろうとした呪霊と主人の意識があっ.....て.....、ああ、美味しそう』
どうにかどうにか言葉を紡ごうとするのに傀の中の呪霊が邪魔をする。しかし、それに反発するように主人の意識もごちゃごちゃに混ざってくる。
主なき今、他の傀儡はただの木屑と化した。しかし、傀がこうして動いているのは呪霊のせいなのか、主の意識せいなのかそれは定かではない。
姫君は瞬きをして、それからゆっくり目を閉じた。
「あの人は死んでしまったのですね。.....私のせい、で。こんな魂などどうして、そんなに欲し、いのでしょう」
『.......』
彼女はずっと幼い頃から思ってきたそれをぽつり呟く。物心ついた時にはこの屋敷にいた。人との交流はできない。目に見えない呪いに脅えて暮らさなければならない。そして何よりこの魂を抱えて生きなければならない。
それが苦痛で疲れ果てていた時に出会った男。彼は彼女の世界を豊かにしてくれた。彼の造るからくりは人と大差ない見た目だったし、会話ができた。そして強かった。彼の張る結界も強固らしく呪いに怯える必要がなくなった。そして何より「一緒に生きていきましょう」という彼の言葉に救われたのだ。
それなのに、それなのに彼は死んでしまったのか。私なんかのために命を張って?
「ねえ、傀。お願いがあるの」
『は、...い』
「私の魂を食べて」
彼女は目を開けるとそう言った。眼前に広がる朝焼けを見ながらそう言って、そして涙を零す。からくりでも呪霊でもない中途半端な傀にそう言葉をかける。傀は酷く狼狽えた。
主なき今、動けているということは彼はこれからもこの世界を歩けるということ。
「私の魂を食べて、それから歩いて欲しいの」
『歩く?』
「私の代わりに外を沢山見てきて欲しいわ。約束してよ。沢山外を見てから、動かなくなって」
主を殺して意識を食べたことで、彼女の言っている意味を理解できるようになった傀は彼女の頬から手を離す。
__そんなことできるわけない。
しかし、それとは反対に歓喜する意識もあるわけで。
「私もそろそろ動けなくなるの、彼のように。きっとその時、さらに一層呪いを集めてしまう。そのことだけは何となく分かる」
「.....」
「寄って集って喰らわれるくらいなら、ずっと私を守ってくれた貴方に食べられたい」
『.....』
「ねえ、お願い」
___承知しました。
「ああ、それと。もう1つだけ約束して」
彼女はもう1つ言葉は紡ぐ。傀は思わず目を見開いた。
__どうかお願いね、傀。
『ダメだ、まだダメだ』
『ああ、ごめんね』
堪らなく悲しい。"あの方"の辿るはずだった輪廻を辿っていく。"あの方"が次に生まれるはずだった"あの子たち"になると、いつもいつも必ずと言っていいほど悲惨な最後を迎える。
__
__
『...はあ、今回も駄目みたいだ』
何回も繰り返すうちに段々と悲しみはなくなっていくが、ぽっかりと空いた何かがずっと影のように付き纏ってくる。
死にかけの身体に魂が入ってももう遅い。よく分からない力のせいで"あの子"が弱っていく。"奴ら"に捕まりかけてこの時間を諦める。吸い込んでしまった"力"が上手く放出できず狂い死ぬ。
繰り返せば繰り返すほど守るべき"
...なのに、なのに魂はそれはもうとても美しくそして絶品に育ってしまっていた。
__可哀想だ。もういっそ
__いや、ダメだ。あの方を守らなければ。
呪霊の意識と主人であった術師の思いのせいで、反対の感情に押しつぶされながらも傀はまた繰り返す。少しずつ魂は更に更に美味しそうに変化していく。
あの時、最後まで食べ切れなかった、食べることの出来なかった半分の魂は、それでもその質量だけは相変わらずなのに、ぼやぼやと頼りなく美しく静かに呪霊を魅了していく。
もう絶たなければいけない輪廻なのに"主"の命令に元からくりは忠実に厳格に縛られ、"呪霊"の本能にグラグラと揺さぶられ、そして"あの子たち"に怯えられる。
『ねえ、
今までの誰よりも"あの方"に近いあの子。
珍しく呪霊が視える。呪いに触れればそれを吸収し、そして祓う力に変換して放出できる。あの方を守っていたとある一族の中でも強固な結界を作ることに長けた男の力が"致命的なバグ"を起こしたせいで、一定距離にいる弱い呪霊を消してしまう。何よりその魂を持っていながら何事もなく健康に生きている。
__きっと終わらせるなら今だろう。
『僕も一緒に"
__赦してください。
(
(
◇◆◇◆◇◆
*烏有(うゆう):全くないこと。何も存在しないこと。