遠く遠く澄み渡る空を見上げて名前ふと思った。こんな快晴の日に空を見上げれば、誰だって同じようにそう思うだろう。そして当たり前だときっと笑うのだろう。
グラッ
「.....うわ」
何もないところで躓きそうになって、思わずため息をつく。周りにいる人たちは別に気にしていないようなので、何事もなかったかのように名前はまた歩き始める。
最近こういうことが増えた。
「何だろ。最近頑張りすぎたかなあ」
新しいプロジェクトに関わり始めたから慣れなくて少し無理をしてしまったのかも。元から貧血気味ではあったからきっとそのせいだ。人は無理をすると簡単に崩れてしまうから。
「.....」
名前はまた空を見上げた。
__この世界の何か一つでもバランスが崩れると、空も色が変わるのだろうか。
例えば、そうヒトのように。
ヒトはバランスが崩れると簡単に壊れる。そして変わってしまう。
生きる環境が変われば、人間関係が悪化すれば、不摂生をし続ければ、魂を掻き乱せば、彼らは簡単にそして呆気なく壊れてしまうのだ。少し手を加えるだけで簡単にぽろっと崩れ落ちてしまうのだ。
もちろんヒトだけじゃない。とある動物が増えれば、それを捕食するもしくは捕食される側は数の均衡が崩れる。地球があと少し傾く角度を変えれば世界は大変なことになる。空気から少しの間でも酸素がなくなれば大混乱だ。
名前にはヒトには見えないものが見えて、聞こえて、触れて、そして寄せてしまって、消せてしまうことができる。
それを誰かに、何かに、知られてしまったらきっと色んなところがグラグラ揺れて崩れてしまうだろう。
「星でも落ちてきたりして...」
非現実的なことを呟きながらゆっくり歩いていく。
「名前さーん!」
休日は余り家から出たくない派だが、久しぶりに服やら靴やらを見たくて外出することにした。人の多い街をふらふらと歩きながら周りを見回す。
確かこの辺にいい感じのお店がオープンしたんだけどなあ。もう一つ向こうの通りだったかもしれない。スマホで店の場所を検索するために、歩道の端に寄った時だった。後ろから誰かの呼ぶ声がした。
「?.....あっ、虎杖くん。この前ぶりだね」
「どうも!」
彼は両手に袋を持っていたから、名前みたいに軽く手はあげなかったが、代わりに笑顔で応えてくれた。それにしても沢山荷物を持っている。
彼女と買い物に来ているのだろうか?虎杖の今の姿はどう見ても彼女に荷物を持たされれている、もしくは持ってあげている彼氏のそれだ。
「虎杖くん、デート中?」
「で、デート?」
「あ、その反応は違うのね」
ん?と首を傾げる虎杖くんを見て「なーんだ」と心のなかで呟く。彼の持っている紙袋やビニールの袋には女の子向けの店のプリントがされているから女の子と一生に来ているのは間違いないのに。
「おーい、荷物持ち!」
「なんだよ、その呼び方!」
「はい、これも持って」
「げっ、また買ったの?」
可愛らしい女の子が向こうから歩いてくる。彼女は虎杖に荷物を渡す。顔を顰めながらもしっかりと受け取った虎杖を見て名前は思わず笑ってしまった。
「虎杖くん、やっぱりデート中じゃん」
「だから違うんですって、そこにもう1人いるし」
「なになに、虎杖の知り合い?」
向こうの方を指さす虎杖を見てまた名前は笑う。彼の指す方を見たら虎杖と同じように荷物を持たされている男の子が仏頂面でこちらに歩いてくる。女子の買い物の長さに飽き飽きしている男の顔だ。彼は虎杖と女の子を見たあと、こちらに視線を寄越した。
「どうも七海名前です」
「この人、ナナミンの妹!」
「な、ナナミン?.....まあいいわ。私は釘崎野薔薇です」
「.....」
「君は?」
「伏黒恵」
高校生たちと話す機会なんてあまりないから少し変な気分だけどたまにはいいかと思いながら自己紹介をすると、彼らも名前を教えてくれる。
「ナナミンって、七海さんだよな」
「そう!何となく似てるだろ」
「なるほどねー、虎杖の好みドンピシャじゃん」
「ちょ、でかい声で言うなって!」
「え、そうなの?虎杖くん?」
釘崎が名前を見てそう言うと虎杖が慌て始めた。それを見て名前はくすくす笑う。
高校生か、若くていいなー。
まだ20代前半であるというのに、名前はそんなことを考えた。ニヤニヤしながら虎杖を揶揄う釘崎と慌てる虎杖、それを見て呆れる伏黒を見て良い友人関係だなとこっそり思った。
「あ、あの...!」
「ん?なになに、釘崎ちゃん?」
「の、野薔薇で良いです!そのこの店知りませんか?」
一通り虎杖をからかった釘崎は、改めて名前を見た。そして声を掛けるとスマホの画面を見せる。名前は見せられた画面に映る店名が馴染みのあるものだったから「知ってるよ」と答えた。
「本当ですか!」
「うん、ここ隠れ家みたいなカフェだから分かりにくいもんね」
「そうなんですよ!全然見つからなくて」
「釘崎は寄り道し過ぎなんだよ」
「なんか言ったか、伏黒!」
「.....」
どうやらこの3人はいい力関係みたいだ。微笑ましいと思いながら、名前はまた口を開いた。
「この店なら可愛い映える料理も、男の子が満足できるボリュームの料理もあるからいいかもね。.....よし、何かの縁だ。案内ついでに奢るよ」
「え、いいんですか?やったー!」
どうせまだお昼を食べていなかったし、と考えながらそう言えば虎杖と釘崎は大喜びだ。
「.....いや、悪いです」
「遠慮しないの。こういう時は大人の好意に甘えて沢山食べるべき」
微妙な顔をする伏黒に苦笑する。虎杖と釘崎が彼に何やら言えば、伏黒は渋々頷いた。
「よし、じゃあ行こうか」
「はい!七海さん!」
「...七海だと兄さんと被るから下の名前でいいよ」
虎杖の友達ということは多分彼と同じ学校の子だろう。何となく彼らは同じ空気を纏っているからきっとそう。何やら兄は現在の仕事で彼の母校の実習?か何かも手伝っているらしいから「七海呼び」だと混乱させそうだ。
「あの名前さん、○○ってお店知ってます?」
「あー、向こうの通りにあるよね」
案内を初めて数分。釘崎はそういった方面の話を男子2人とできずにムズムズしていたのか名前にそう切り出した。
「そうです!.....あそこの新作のリップが__」
「あの色可愛いよね」
名前自身、流行には疎くないため名前も釘崎もすぐに打ち解けた。取り残された男子2人は楽しそうに会話をする2人を見てから顔を見合わせる。
「釘崎楽しそうだな」
「だな」
同期は男子2人と女子1人だけだったから、真希以外にああやって話す機会が少ない釘崎はそれはもう生き生きしていた。女心とかそういうのはよく分からないが、楽しそうならいいか、と2人は結論づけて彼女たちの後ろを黙って続いた。
「...おっと」
「わ、大丈夫」
「虎杖、気をつけろよ」
「ごめんって釘崎」
人通りが少しだけ多くなってきたため、歩きづらくなり荷物を持ち直そうとした所、袋の1つを落としそうになった。それを虎杖の横にいた名前がキャッチする。先程まで名前は釘崎と歩いていたのだが、伏黒に絡みに行ったため自然と虎杖の隣を歩いていたのだ。
「はい、虎杖くん」
「あざす」
袋を虎杖に渡そうとした時だ。
ドクン
ふとあの感覚を思い出した。おぞましい恐怖の塊。あれが虎杖の中にあることを名前はなぜ忘れていたのだろう。
「名前さん?」
「あ、ごめんね。はい。.....っ」
「なんでもない」と首を振って名前は虎杖に袋を渡す。その時に一瞬だけ彼の手に触れた。
__何も起きない?
「どうしたんすか?」
「ううん。何でもないの」
名前はぼんやりと自分の指先を見てから、ゆっくり前を向く。
___『.....さすが気まぐれの呪いの王様』
ぽつり、傀が何かを呟いた気がした。
「悠仁!渡してた箱貸して」
「ほい。てか先生、それ何が入ってんの?」
夕方。高専に帰り、ぶらぶら歩いていると五条に会った。虎杖は「そういや今朝箱を渡されたな」と思い出しながらポケットに入れていたその箱を取り出す。そういえば、ポケットに入るくらい小さい箱の中身は何だったのか分からないままだった。
「んー、呪霊」
「えっ!?なんつーもん生徒に持たせてんだよ」
五条が触れると箱が急に大きくなる。それを開ければ更に箱があった。マトリョーシカみたいという感想を持ったが、その箱全体に御札が貼ってあるせいで微妙な気分だ。
「.....」
「....なにこれ、何も入ってない、からっぽじゃん」
五条は箱を暫し見つめてから、その札を剥がし蓋を開ける。呪霊が入っていると言う割に簡単に開けてしまったので、虎杖は驚いたがその中身が空っぽなのを見て思わず身を乗り出した。
「ねえ、悠仁。.....今日どこ行った?」
「どこって...、んー、釘崎の買い物に伏黒と付き合わされてただけだけど」
「詳しく」
「えっと、確か駅から....__.」
口元に手を置き、虎杖は今日会ったことを思い出しながら言葉にしていく。釘崎の言う目的の店に辿り着くまでに散々寄り道をして、沢山荷物を持たされた今日のことを振り返ってはっと顔を上げた。
「そういえば!」
「なになに?」
「今日、名前さんに会ったよ!やっぱナナミンに何となく似てたなー」
「.....名前ちゃんね。あー、なるほどねー」
それを聞いて五条はうんうんと相槌をうつ。それを見て虎杖は首を傾げた。
「何がなるほど?」
「.....」
「せんせー?」
「ね、悠仁。名前ちゃん悠仁達に会ったのいつ?」
「昼過ぎだよ」
「どれくらい一緒にいた?」
「一緒に飯食ったから、えっと.....1時間と少し?多分2時半くらいまでは一緒にいたけど」
何でそんなに聞かれるのかよく分かっていない虎杖は、五条の質問に頭の中で疑問符を浮かべながらも正直に答える。
「それで、そのあとどっか行くとか言ってなかった?」
「どっか?...あー、何か言ってたかも。えーっと、釘崎なら知ってると思う。店名まではさすがに.....」
「そっか、ありがとね」
五条は、その後すぐにすれ違った釘崎に名前について聞く。そして、彼女が今日行くと言っていたらしい店を教えて貰った。「え?もしかして名前さんに気があるの?」と引かれた目で見られてた気もしなくもないが、釘崎から教えて貰った店の名前と店舗から住所を特定する。
それから伊地知に連絡を取った。
「ね、"あの件"についてなんだけどさー。今日、一気に呪霊が消されたとこの住所って○○のすぐそこだよね」
「ええ、そうですね。すぐそこかと。何か進展が?」
「いや、まだ確定ではないけど。...まあ確かめる価値はあるか」
五条はそれから数分伊地知と話をしたあと、通話を切る。
「五条さん」
「お、七海。ちょうどいい所に」
「例のものを持ってきました」
「おー、悪いね」
椅子ではなく机の上に座る五条に七海は顔を顰めたが、すぐに真顔に戻るとその書類を五条に渡す。五条は受け取ると直ぐにその書類を見た。
「僕たちが"それ"を何となく認知したのは大体6月あたりから、丁度悠仁が宿儺の指を食べたくらいか。最初はそれに関係してるのかと思って保留にしていた」
「そしてしっかり認識したのが9月ですか」
「うん。宿儺とは関係ないとようやく分かったのが9月」
任務で祓うはずの呪霊が居なくなった地点を七海が地図に書いていく。日付と赤い丸。そして大体呪霊が消え去った範囲を分かるだけ囲う。それを七海が書き終えると、五条がその地図にさらに黒く太い線を付け足していく。
「ねー、七海。これ何か分かる?」
「.....」
ガリガリと口に入れていた飴を噛み砕きながら五条がとある地点から線を引いていく。それを見ながら、七海は小さく息を吐いた。
「ここはなんだと思う?」
「名前の職場ですね」
「じゃあここは?」
「名前の住んでいるマンション」
その線を引き終わってとあることが浮き彫りになる。時々逸脱はあるものの無関係であるとは考えにくい。
「この黒の線は名前ちゃんが通勤する時に1番通るところ。この近辺で毎回"あれ"は起きている。ここなんてあの子の職場の横だし、ここは前に僕たちがあの子を見つけた公園から近い」
「つまり、やはりこれら一連の不可解な出来事は名前の仕業ですか」
「まあ無関係じゃないだろうね。.....でも、僕の目には普通の子としか映らなかったのに...」
五条の六眼にすら捉えられない奇妙な何か。それが七海名前、もしくは彼女の周りにはあるらしい。五条は虎杖に持たせていた箱を開ける。2級呪霊を封印していたはずなのに中身はもぬけの殻だ。確かに虎杖に渡した時には中に入っていたのに。
「ようやく手がかりか。.....ねえ、七海。名前ちゃんについて何でもいい。分かること教えて欲しいな」
「.....分かりました」
「あ、そうだ。一つ質問」
「何ですか?」
「名前ちゃんの好きなタイプは?」
「殴りますよ?」
やっぱお前シスコンだろ、そう言いながらヘラヘラ笑う五条を見て七海は妹のことを考える。といっても自分が前職の会社に就職するまで関わりをあまり持ってこなかったから、昔の彼女についてはあまり思い浮かばなかった。
「買い物も済んだし支払いもしたし、他には用事なかったよね...」
スケジュール帳を取り出して、TODOリストを確認する。今日の用事はちゃんと終えていることを確認してから帰路につく。
「...うわ」
見慣れた道を歩いているとまた足から急に力が抜けて躓きそうになった。グラッと身体が傾いた時、誰かの手が肩に触れる。そして私が転ばないように支えてくれた。
「大丈夫かい?」
「え、あ、はい!すいません、ありがとうございます」
「うん。気をつけて」
「はい」
声をかけられて慌てて謝る。そして感謝の言葉を紡ぎながら顔を上げた。名前を支えてくれたのは不思議な人だった。ぱっと名前の肩から手を離したその人はにっこり笑うとすぐに人混みに消えていく。
「お坊さん?」
その格好を見て思わず呟く。何だか想像のお坊さんと髪型と合ってなかったし、額に縫ったあとみたいなのがあった。
まあ東京というところは色々な人がいるから、ああいう人もいるかもしれない。そう思うことにして、名前はまた歩き出す。
足から急に力が抜けることはなかったが、やはり身体の調子が可笑しい。どうにかマンションまでたどり着いてドアの鍵を開ける。そして靴を脱いで、部屋に上がった時だった。
「_......っ!?」
何かが身体の中から逆流してくるのを感じて名前は口をおさえる。それと同時に急に視界が暗転した。
(世界はいつだって歪で)
(真実はいつも唐突にひっくり返る)