腹が減ってはというけれど

「はぁ…」

自分が中島敦に成り代わっているということが分かってからもう1週間ほどの時間が経っている。ということは、あの孤児院から追い出されてからもう2週間くらいだ。時間が経つのは早いな。そんなことを考えた。

まあ、別に自分が中島敦だと分かったからといって、成り代わる前の記憶がそんなにないのでどうすることも出来ない。記憶があれば何か行動が起こせたかもしれないが、何も覚えていないため考えることはこの己の中の虎をどうすれば良いか。そんなことばっかりだ。

四日ほど前に鶴見川あたりで虎が勝手に出てきて暴走してしまった。
自分が暴れたあとの惨状といったら酷いもので、自分がこれをやったんだなと思った途端、罪悪感が胸をいっぱいにした。
どうやら人には被害が出ていないようなのでそれはそれで良かったのだが……。もしも次にまた同じようなことがあって、その場に誰かが居たらどうしよう。
その人を怪我させてしまう。そんなことが起きる前にどうにか制御しなければならないのだが…。
はぁ、この能力どうやって制御すればいいのだろう。
なんて考えてみるが、どう頭を捻っても矢張り何も浮かばなかった。


ところでだ。
僕は今、死にそうである…。主に空腹で。
数日の間ほとんど何も口にしていないためか何も入っていない腹は虚しく小さい音でぐぅと弱々しく鳴いている。
気休めにと思い、近くの公園で水を沢山飲んではみたがそれだけで満腹になどなれる訳がなかった。

元気に回想しているように思えるかもしれないが、今の僕は一歩も動けずに川の近くで倒れて地面とこんにちはをしている最中だ。
体にはあまり力が入らずしっかりと働いてはくれないが、頭だけは何故だかまだまだ元気に働いてくれている。
却説さて、どうしたものかと考えているとふとあることに気が付いた。

あれ?若しかして今、原作の1巻の出だしに入るところなのではないか?もし、もしそうだとすればもうすぐ茶漬けが食べれるのではないか!?ということに。

しかし、もしこの予想が間違っていれば間違いなく僕は餓死してしまうだろう。
でも、やってみる価値はある。
だって、まだまだ死にたくないから。
ということで、原作を思い出そうと前世の記憶のピースを必死に合わせたりしながら頭を巡らせた。



◇◆◇



__1杯の茶漬け。

それは僕の一番の一番の好物である。

梅干しと刻み海苔、それと夕餉の残りの鶏肉、それらをご飯にのせて熱々の白湯に浮かべ塩昆布と一緒にかきこむ。
そんな一時があの孤児院生活の中で一番の至福の時であった。


嗚呼、原作の最初からこの回想のお陰でお腹が鳴り過ぎて死にそうだ、はぁ。

じゃなくて、おいしかったなぁ。
孤児院の職員達の目を盗んで食べた夜の茶漬け。

確かこんな感じだった気がするなぁ。
なんかちょっと違う気もするけれど……。
はぁ、もしこれが原作の1巻の内容で無かったらどうしようか。
もう、盗みをはたらいてしまおうかな?
でも、そんな度胸はないしなぁと小さい声で零した。


「ん、気配……?」

ぬっと顔を前方に見える川へと移せばその川を流れていく人のようなもの、…否、どうやら人のようである。
その人の脚が浮いたり沈んだり、時にはクルクル回りながら流れていく。
腹が空きすぎて幻覚でもみているのだろうか?
と自分の頬を思いっきり引っ張ってみた。

「…ッ…」

あまりの痛さに思わず涙目になる。
もう少し手加減をして引っ張れば良かった、などと後悔した。
却説、これが夢ではないとすると……、と視線を川へと戻す。
あ、カラスが止まった。
死んでるのかな?自殺かな?
なんて考えながら流れていくソレを見つめる。
中島尊として18年を生きてきたが川で流される人を見るのは初めてだった。
いや、きっと前世でも見たことは無いだろうな……。
これは引っ張り上げた方が良いのだろうか?
でも、水死体を見るのは厭だしなぁ。
見なかったことにしようか?と思い視線をまた地面へと戻す。

「……」

ん?待てよ、何かが引っかかる。
そう、何かが……、とまた視線を戻し流れていく人を目で追いかける。


「あァーー!!」

自分の何処からこんな大声が出たのか分からないが今はそれどころではない。
何故、何故自分は忘れてしまっていたのか?
あれはきっと太宰さんではないか!
僕は慌てて冷たい川へと飛び込んだ。


あれ?
……ところで僕って泳げたっけ?


(冷たッ…うわ!?)
(ぎゃーー!溺れる!)

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