だって太刀川さんだぞ

「.....あ」
「あ、いた」
「.....あはは。どうも」
「おう」

太刀川さんと見つめ合うこと数秒、私はにっこり笑顔のまま回れ右をして来た道を走り抜ける。もし仮にこれがクマ相手であれば、決してやっては行けない逃げ方である。しかし、今の私にはそんなこと関係ない。

「...おーい、苗字!」
「.....っ」

呼び止める声が聞こえたが、先日それで留まったら散々ランク戦に付き合わされ、そしてしまいには「弟子に〜」ってやつをめっちゃ言われたのだ。

怖かった。押しやら圧が凄く強い人はちょっと苦手だ。太刀川さんが何となく悪い人じゃないのは分かったけれど、反射的に身を引いてしまう。

あと弟子の話は諦めて。何かある度に散々噂にされ、動物園のパンダ状態になるのは意外と辛いのだ。


__だって、ラウンジでたけのこ食べてたらジロジロ見られるんだもん!

私のハッピー・たけのこタイムが台無しじゃん。


「.....」

そんなことを考えながら廊下を駆ける。目指す場所はひとつだ。我らが福丸隊作戦室。そこにようやく辿り着いて、入る前に後ろを振り返った。

よし今日は来てない。

この前なんか太刀川さんと鬼ごっこになってA級の鋭い目つきの人にものすごく怒られたんだよなあ。今日は諦めてくれたみたいだし、怖い人にも遭遇しなくて良かった。私だってできることなら本部内で鬼ごっこもパルクールもしたくないし、説教されて土下座も正座もしたくないのに。そんなことを考えながら作戦室に入る。


「瀧さん!出た、太刀川さんが!今日大学行ってるって話じゃなかったのー!?」
「あ、ちょっと待って。今、推しのイベントが」

ソファーに寝そべってスマホを弄っている瀧さん。そういえば「走らないと...!」って言ってたな。最初は「走る?どこに?」と思っていたが、どうやら「ゲームの推しが出るイベントを走らないと」という意味らしい。

こうなった彼女が中々会話をしてくれないのは、まだ数日しか一緒に過ごしていないのによく分かった。諦めた私はその作戦室にいたもう1人に声を掛ける。

「岳さんん!!」
「なに?一緒に討伐行ってくれるって?はい、コントローラー」

岳さんに話しかければ、コントローラーを自然な感じで渡された。つい受け取ってしまいテレビ画面を見る。最近話題のモンスターを狩るゲームだ。始めたばかりの私の操作は覚束ない。隣の岳さんの手の動きは玄人のそれで、私がマップがよく分からなくてうろうろしているうちにはクエストが終わっていた。

....って、そうじゃない!

「太刀川さんに会ったの!今日大学行くらしいって聞いてたのに」
「大学サボったんだろ。いつものことだよ」
「ええー」
「だって太刀川さんだぞ?」

その「だって太刀川さんだぞ」ってやつはもう何回も聞いた。永遠に続くランク戦に疲れて助けを求めた時、なかなか引いてくれない時、そして大学にいるはずなのにボーダー本部にいるとき。その他諸々。

みんな当然のように"それ"を言うから、もうそんなもんかと思った方がいいのかもしれない。

「.....夢依!...はいないんだった」

こういう時、最後に泣きつく相手である夢依は、訓練に行ってしまっていて不在だ。私は小さくため息をついてまたテレビ画面を見た。私がぼやっとしているうちにクエストが勝手に始まっていて、気がついたら私が操作するキャラは恐竜型のモンスターにつつかれて瀕死だった。

「岳さん、HPが!どうすればいいの?」
「がんばれ」

__岳さんん!?


◇◆◇



隊を結成して少し経った。その間に最初は緊急脱出用のマットやオペレーター用のパソコンなど最低限のものしか置いていなかった作戦室には私物が増えていた。申請して物資搬入と一緒に持って来てもらったものから、来るたびに持参して増やしていったものまで様々だ。テレビの前は土足禁止でカーペットが敷かれている。そしてソファーがひとつ置いてある。

他にもゲーム機や本棚、小さな冷蔵庫、机、椅子、もうひとつのソファーなどなど生活感に溢れている。本棚や棚にはゲームと漫画、冷蔵庫は各自の飲み物と私のたけのこ、アイス、隅の方にはよく寝ている夢依用の布団。感覚は完全にシェアハウスだった。


作戦を立てたり、訓練や色々トリガーや動きの確認をしたり、勉強をしたり、ゲームをしたり、漫画を読んだりなど気楽に過ごせている。

ぼんやりとうちのお兄ちゃん(叔父)が当てた新品のゲーム機と液晶テレビを交互に見つめる。無駄にありすぎる運のせいで、そろそろ良くないことが起こるとビビりまくっていた彼がくれたそれら。

人に当てたものを分け与えると、その"良くないこと"が起こりにくくなるということを、この約20年で分かったらしい彼は「運を分けるわ」と言って毎回のごとく快くくれた。テレビの大きさなんて75インチだ。彼の部屋には大きすぎて落ち着かないと使っていなかったらしい。

そのテレビは作戦室でもなかなかの存在感がある。画質も綺麗だし、新作ゲームをプレイするとその迫力やグラフィックもあって映画を見ている気分になることもある。瀧さんも岳さんもさすがに「え?いいの?」と言っていたが、家にあると彼がソワソワするし、また何か当たってたから本当に要らないと思うと説明した。


あの日から数日。みんなでアニメや映画を見たり、ゲームをしたり有効活用されているテレビ。それを見つめていると、ふと思い出した。

ゲームはモンスターを狩るゲームから、動物になって地球を侵略するという変なゲームに切り替わっていた。今、岳さんがキリン。私がパンダ。その動物園の人気者で元気に森で暴れていた。体力が減ったからと操作すると、パンダは体力回復方法である笹を食べるモーションをした。そのバンダを見つめてポツリつぶやく。

「折角相手してくれてた笹くんに何も言わずに来ちゃった.....」
「笹くん?」
「笹森くん」
「ああ、諏訪隊の」

太刀川さんが来るまで笹くんに相手してもらっていたのだ。太刀川さんに出会った瞬間に猛ダッシュで逃げてきてしまった。テレビ画面に注意しつつ、メッセージアプリを起動する。それから謝罪の言葉を送ると直ぐに既読が付いて返信が返ってくる。彼は私が太刀川さんから猛ダッシュで逃げていたのを見ていたらしく、【大丈夫だよ】と返してくれる。

「さすが笹くん。やっさしー」
「名前って笹森は分かるんだな」
「まあクラスメイトなんで」
「ふうん」
「クラスメイトだけは死ぬ気で覚えるって毎年決めてて。あと担任の先生」

だから4月は大変だ。本気で人の名前と顔が一致しない以前に覚えられない私にとっては特に。みんな「さすがに冗談だろ」と笑うが冗談じゃない。覚えようと思わなかったら本気で大変なことになるんだから。

それをこの少しの期間で理解したらしい岳さん。だってこの前当真さんに話しかけられたとき顔は分かったが、名前が全然出てこなくって「リーゼントさん」呼びしてしまった。本人は笑って「当真だって言ってんだろ?」と言っていた。笑ってくれてたから良かったけれど、普通に申し訳なくって心の中で死ぬ気で唱えまくってようやく覚えたのだ。


「あ、今のうちに体力回復しておけよ」
「?」

ぼけーっとパンダで自販機を殴るという現実ではやばい絵面を見つめていたら、岳さんに声を掛けられる。なんか画面の左上にサイレンのようなものが出ていた。ポチポチ操作して、言われた通りに笹を食べさせようとするとそれは起こる。

「あ」
「え?」

何かが高速で走ってきて、ぶっ壊れている自販機諸共パンダが宙を舞った。回復しきれていないHPが削られていく。そして出てくる【You died】の文字。岳さんが操作しているキリンも宙を舞っていたが、HPはマックスなのでどうにか耐えたらしい。

「ごめん、忘れてた。あのサイレンのやつ出るとヌーの大群が襲ってくるんだよ」
「.....」

__岳さんん!?

画面の隅っこで瀕死の動物園の人気者が倒れている。それをキリンが足でつついた。パンダはピクリとも動かなかった。その手には笹がまだあって、なんかとってもシュールだ。


「八色戻りましたー、...って何してんの?ゲーム?」
「夢依ぃい!」
「うるさっ」

夢依が作戦室に帰ってきた。やっと帰ってきた彼女に泣きつく。もう今日も色々あり過ぎた。ボーダーって凄いよ。テレビ画面を見た夢依は、何故か死にかけのパンダの周りの土を盛って埋めようとしている岳さんを見て首を傾げる。

「そういえば名前、ランク戦は?」
「笹くんに相手してもらっていたけど...」
「けど?」
「太刀川さんに遭遇して.....」
「あー.....」

何となく色々察したらしい夢依が頷く。岳さんが詰めてくれたソファーに3人で座って、岳さんがゲームをしているのを見ながら話す。

「太刀川さん、今日はまだ来ないって聞いてたのに」
「サボったんでしょ。だって太刀川さんだもん」
「.....」

夢依もやっぱりそれを言う。そうなのか。やっぱり"だって太刀川さんだぞ"で全て解決するのか。そんなことを考えながら、冷蔵庫で冷やしておいたたけのこをもぐもぐと食べる。夢依の手も伸びてきたから素直に真ん中の彼女に箱をあげた。すると岳さんも食べ始める。

「今日は追ってこなかったから良かった」
「あんたこの前、太刀川さん相手に生身でパルクールしてたんでしょ?また噂されてたよ」
「太刀川さんの肩に手を置いて飛び越えたのと、4回バク転しただけじゃん」

他にも色々したけど。

「運動神経良いのは知ってるけど、トリオン体相手に何してんの?」
「...あれしたらA級の怖い人に怒られた」
「風間さんでしょ?」
「カザマさん?」

名前は知らない。顔は彼の前で太刀川さんと正座したから分かる。めっちゃ怖くて、横を通り過ぎていった半崎くんに「助けて」ってテレパシー送ってたら、こっちを見た半崎くんは怠そうに手を上げて去ってしまった。

「なんで太刀川さんって追いかけてくるんだろ」
「名前が全力で逃げるからでしょ」
「え」
「そりゃ弟子にしたいっていうのもあるだろうけど、全力で逃げたら全力で追いかけてくるよ。ね?岳さん」
「まあな。太刀川さんだし」

じゃあどうすれば良いのだろう。逃げなかったら逃げなかったでランク戦の相手を永遠とする羽目になる。ある程度なら良いのだ。ポイントも移動しない設定にしてくれるし。しかし、中々解放してくれないのが問題なだけで。

「でもあんたさ、太刀川さんのランク戦に付き合わされてるおかげか知らないけど、動きがめっちゃ良くなったよね」
「え?」
「この前の防衛任務も良かったよな」
「ほんとですか?」

何故か急に褒められ始めてちょっと照れる。B級に上がって始まった防衛任務。まだ数回しかできてないけれど、少しずつ動きはマシになってる自覚はあったがこんなふうに褒めてもらえると嬉しいものだ。

嬉しくなって冷蔵庫に駆け寄って箱タイプじゃなくて、小さい袋に小分けしてあるタイプのたけのこを取りに行く。そしてそれを2人に渡した。

瀧さんにはまた後であげよう。

それを2人は受け取りながら顔を見合わせる。そしてこちらを見た。

「あんた、たけのこ食べてる人に追加でたけのこ渡す?」
「??」
「.....さすがたけのこちゃん」

箱の方のたけのこをもぐもぐしながら、2人は袋タイプのそれをぼんやりと見つめるとため息をついた。

おかしいな。この嬉しさを最大限に形にしただけなのに。そんなことを考えながら首を傾げた。


__太刀川さんのおかげで褒められたし、太刀川さんにも渡しに行こうかな。


(太刀川さん!)
(お、苗字!珍しいな!なんだランク戦か、いいぞ)
(あ、そうじゃなくて。離してーー!)
((だから太刀川さんだって))

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