不幸せに死にたいよね


最近、ずっとずっと煩わしく思っていた"何か"が何か分からなくなった。まあ煩わしくなっていたのだから、分からないのは別にいい。それはどうだっていいのだ。

だけど、大切な"音"がそれと一緒に遠くに行ってしまったのが嫌だった。


◇◆◇


「お、苗字じゃん」
「......あ、出水くんじゃん。やっほー」
「おう。...こんな所で何やってんの?」
「......こんなところ?.........あれ?」

後ろから声をかけられて振り向いた。そこには同級生の出水公平くんが立っていた。明るい表情を浮かべて、こちらに愛想良く笑う顔になんだか安心する。

手を軽くあげた私を見て、さらに笑みを深めた出水くんの表情が変化した。不思議そうにこちらを探っている。私はそんな出水くんから出てきたその問いにハッとする。

A級の作戦室があるフロアの角の角。そこの壁を何故か私はぼんやりと見ていたらしい。冬島隊はすぐそこではあるけれど、それでもこことは反対側だ。出水くんのいる太刀川隊はここから見える位置にあるから、きっと気になって声をかけてくれたのだろう。

あれ、本当に私はこんなところで何してるんだ?とキョロキョロしながら小さく呟いた。そんな私に「おいおい、おまえ大丈夫なのかよ?」なんて心配そうな声が降ってくる。


「最近ちょっと寝不足気味だから、ぼんやりしてて反対側来ちゃった、かも?」
「そうなのか?」

寝不足なのは本当だ。眠らないと、と思うけれどその眠るという行為が最近堪らなく怖いのだ。今朝鏡を確認したら、薄らとだけど自分の目の下のところが黒くなっていた。

「眠れないの?」
「うん、そうだと思う、よ?」.

一緒に首を傾げた出水くんの髪の毛が目に入る。私は未来ちゃんのように黒髪じゃない。どちらかというと出水くんとか犬飼先輩とかの髪色に近いかもしれない。だからなのか何となく親近感がある。

なんて思ってたら、出水くんの顔が急に近づいてきてびっくりした。それと同時におでこに出水くんの手が触れた。

出水くん、自分の顔の良さに気づいているのだろうか。いや、気づいてはいるかもしれないけれど、今は忘れてる?のかな。

「.....」

出水くんの行動だとか、真剣なその顔だとかをただぼーっと眺めていたが、すぐに意識が戻ってきてハッとする。


「......っ」
「あ、急にわりー。声かけても反応しなくなったから、マジで具合悪いのかと思って」
「う、ううん。大丈夫。本当にただの寝不足だから」


どうやらあれこれ考えているせいで出水くんの言葉に反応できていなかったらしい。パッと離された出水くんの手を視線で追いかけながら首を振った。

「おれ、もう帰るし送ろうか?」
「え、あ、ううん。大丈夫だよ」

高いところにある出水くんの顔を見上げる。心配、という表情が相変わらず浮かんでいる出水くんは私にそう言った。確かに彼は荷物を持っているからもう帰るのだろうな。それを確認しつつ首を横に振る。


今日は特に誰とも帰る約束はしていないから、きっと私は1人で帰るのだろう。少し寂しい気もするけれど、でも1人で帰るのって案外楽しいこともある。それを味わいながら帰るのは何だかんだ好きだ。

それに出水くんに迷惑なんかかけたくない。これがまあ1番の理由なのだ。心配してくれてるのは凄く嬉しいし、帰るの誘ってくれたのもきっと私の具合を思ってのことだろう。だからこそ、何だか悪いなあって気持ちがフツフツと浮かんでくる。


「おれ、今日帰るの1人なんだよ」
「うん」
「帰り道にコロッケ買って食いながら帰ろうと思うんだけどさ」
「うん」
「夕飯前に買い食いすると怒られるんだよなー。どう?共犯者になってくんね?」
「.....コロッケかあ、いいね」
「だろ?」

おいしそうだね。そうぽつりと呟いた。さっき断ったつもりだけど、出水くんはそれでも誘ってくれるらしい。言葉にされた私を誘う理由が何だかちぐはぐで思わず笑った。

私が共犯者になったところで、多分出水くんは家に帰って怒られちゃうと思うよ。きっとそのことは本人も分かっているのだろうな。私を誘うことで、罪意識(といっても大したことないけど)を軽くしたいのかな?なんて考えていれば、「ほら、荷物まとめてこいよ」と言われて、思わず頷いた。そんなこんなで、どうやら出水くんと一緒に帰ることになったらしい。


「当真さん、帰ったのかな」

作戦室に行くと誰も居なかった。当真さんはさっきまでゴロゴロしてたのにとか、真木さんはもう帰っちゃったなとか、冬島さんは忙しそうだったけど大丈夫かなとか、そんなことを考えながら荷物をまとめる。

それから作戦室を出ると、出水くん立っていた。相変わらずの明るい表情に、私もつられて少しだけ口角を上げた。


◇◆◇


「...っ、おいしい」
「な、ここの美味いよな」
「うんうん」

ふー、ふー、ぱくっ。

齧った途端口の中に広がる美味しさに目を輝かせた。猫舌のせいで少し冷ましたのに熱いとは思ったけれど、それを簡単に忘れされるくらいの旨味に意識が向く。

揚げたてのコロッケってこんなに美味しかったっけ?

家で作ったことはあった。それも美味しかったけれど、このお店のものはまた違った美味しさがあった。懐かしい?というか、こころがほっこりするというか、なんだろうこのポカポカ。

隣にいる出水くんも今日見た中で1番の明るい表情でコロッケを頬張っている。口の端についた衣をペロッと舐めた出水くんと視線が合う。

「お店、教えてくれてありがとう」
「どういたしまして」

たったそれだけの言葉だけど、更に心があったまる。たまにはこういうの、いい。

さっきコロッケを揚げてくれたおばちゃんに「やだー、公平くんついに彼女連れてきたの?」と揶揄われて、「違います」だなんて声が重なって大笑いされたことなんてとっくに忘れていた。


「こんなに美味しいのなら、怒られるの分かってても食べて帰っちゃうね」
「だよな!さすが苗字、分かってんじゃん」
「ふふ」

ゆっくり歩みを進めながらそんなことを言えば、出水くんが大袈裟に反応した。それが可笑しくて笑えば、出水くんはきょとんとした顔つきになる。

「何笑ってんだよ」
「ううん、何でもないよ」
「ホントに?」
「ほんとに」

えー、と出水くんが口をとがらせる。また口の端に小さな衣がついてる。指摘した方がいいかな、って思ってたら「苗字ー」と呼ばれる。

「なに?」
「ここ、ついてんぞ」
「...へ?」
「な?」

出水くんの方を見上げたら手が伸びてきて、それが口の端に触れた。急なことにドキリとした。けれどすぐに平静を保つ。

どうやら私にも付いていたらしい。

出水くんの親指と人差し指に挟まれた衣のかすを見て思う。だから私も、と出水くんの口の端に手を伸ばした。

「本当だね」
「うわ、おれも付いてんじゃん。恥ずっ」
「ふふ、お互い様だね」
「ちぇ、カッコつけたのに」

私の行動に気まずそうに目を逸らした出水くんが何だか面白い。様にはなってたけど、惜しかったね。なんて言うと、「からかうなよ」と返ってくる。見上げた出水くんの耳たぶが赤くなってるのに気づいた。そのことは口にしないで、ただ笑った。


「ここ。送ってくれてありがと」
「おう、どういたしまして」

アパートを指さして、それからお礼を言う。あまりこの辺に来たことないのか出水くんはきょろきょろと辺りを見回した。

「帰り道、分かる?」
「それは大丈夫。あの道戻って、それから先で曲がったらあとは真っ直ぐだから」

それにいざとなったらスマホがあるだろ?と強がったりせず素直にそんなことを言うのは出水くんらしい。そう思った。

「本当にありがとう」
「おう。今日、眠れるといいな」
「うん、眠れたらいいね」

どこか他人事にそう呟くと、出水くんが「あー」と小さく声を漏らす。どうしたの?と顔を上げた。

「苗字、おれの連絡先知ってるよな?」
「うん、このメッセージアプリで交換してるよ」

それが急にどうしたのだろうか。

「その、もし眠れなかったら電話とか掛けていいからな」
「え、でもそれはさすがに悪いんじゃ」
「おれ、結構夜中まで起きてることあるからメッセージ送ってみてよ」
「.....」
「ま、...寝てる時は寝てるけどな」
「うん、ありがとう」

その優しさだけでも本当に嬉しい。

「遠慮なんかいらないから」
「うん、今日眠れなかったらそうしてみる」

そう呟いたら、出水くんの手が頭の上に乗った。それから「じゃあな」と行ってくるりと来た道を戻っていく。

その後ろ姿を見てから、私はぽつりと呟いた。

「あーいうこと、自然にやるのはちょっとずるい」

(出水くんの声、優しいから子守唄みた、い.....)
(なんだそれって、.....え、苗字?今の一瞬で寝た?)
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