「愛ってさ...」


「角名くん、愛とはなんだと思いますか?」
「急に何?」
「今さ、朝の読書の時間に恋愛小説読んでるんだけどね、ヒロインが主人公にそう聞いてたから聞いてみた」
「.......」

今月は読書月間であるため、朝に読書をする時間がある。私はその時間にとある恋愛小説を読んでいる。

本当は家にある本を読もうとしていたのだが、友人に最近流行っているシリーズのやつだからとめちゃくちゃ勧められて貸してもらったのだ。


__"ねえ、愛とはなんだと思いますか?"

話の冒頭、なんなら1行目からヒロインがそう主人公に問うた。

わあ、すごい始まり。こういう恋愛小説あるわ〜。

なんて思いながら読み進めていた訳だが、読めば読むほど恋愛小説らしくない。中盤まで読んだのに、だ。

恋愛小説にありがちだと私が勝手に思っている三角関係とか、すれ違いとか、運命だとか、片思いだとかもなければ、別に人間関係がドロドロしている訳でもない。ただ淡々と主人公が小説の中で日常を生きている。その時々に彼の友人であったり、幼なじみだったり、ヒロインだったりが出てくる。

それにしてもヒロインのくせして登場が少ないのはどうしてなのか。

疑問に思ったし、これ本当に流行ってる?と思ったが、中盤すぎたあたりから少しずつじわじわと展開が動いて来て、そしてふと冒頭部分のヒロインのその質問を思い出して離れなくなったのだ。

__"ねえ、愛とはなんだと思いますか?"

私も気になる。そのヒロインの問いが気になって仕方がない。淡々と日常を生きるこの主人公にとってそれがなんなのか、そしてヒロインはどういう意図で何を思って、わざわざ彼を選んで問うのだろう。

まだ最後まで読めていないからもしかしたら2人には何かあるのかもしれない。

ようやく接点のでき始めたように見える2人のことが書かれる文を辿りながら考える。このヒロインは主人公に片思いをしているのかと思ったが、3章でのヒロイン視点からしても主人公同様2人は全くといっていいほどに接点がなかった。

この話は最後まで読まないと詰まらない、そう言っていた友人の言葉を思い出しながら私はただその話の世界に囚われていた。


◇◆◇


__角名くんにとってはどうなのだろうか。

その日の読書の時間が終わり、栞を挟んでから私は相変わらず治くんの席に座った角名くんに思わずヒロインが言ったそれを尋ねた。何となくそれが気になって仕方がなかったのだ。ちなみに治くんは自販機に飲み物を買いに行ってしまった。

「分からない」

角名くんはそう言った。特に悩んだ様子もなく、普通にするすると発されたその言葉は空気を伝って私の鼓膜を揺らし象られていく。私は微笑んだ。

「たしかに。私も分からないや」

愛とは何か。

愛、愛情、愛おしさ、かわいらしさ、慈しみ、尊敬、温かさ、時に恐ろしいもの、苦しいもの、大切、至福、春、信頼、裏切られたくないもの、大事な人、___。

私は私なりに愛について連想してみた。人によってはそれは違うと言うだろう。でも私はこう連想したのだ。人それぞれである。

ただどれが自分の考える"愛"に当てはまるかは分からない。

例えば、バラバラのメトロノームがいつしか勝手に揃うように同じリズムを淡々と刻むことだろうか。

それともどちらかの歩幅に合わせてゆっくりと歩を進めることだろうか。

ただ手を握りあいその体温を分け合うだけかもしれない。


今、なんでこんな難しい下手したら哲学のような"それ"の概念を考えているのか分からない。

それを知った所で何かが変わる訳でもないのに。


「星の王子さま」で有名なサン=テグジュペリは「愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである」と遺している。つまり"愛"とは"同じ方向を見ること、見つめること"なのだろうか。

うーん、分からない。

「草枕」で有名な夏目漱石は「I love you.」を安直に訳そうとした人に対して、「月が綺麗ですね」と訳しなさいと言ったという逸話も有名だ。ちなみに「夕日が綺麗ですね」は「あなたの気持ちを教えてほしい」という意味らしい。

もはやここまで来ると日本語って難しいってなってしまうし、結局「それで、愛とは...?」と原点回帰しそうである。

観覧車みたいにぐるぐる回って、いい所まで行ってそれからまた元の位置に戻って来た。そんな気分だ。

やはりどれだけ考えても自分の答えは分からなかった。


「変なこと聞いてごめんね」
「本当にね」

そう言えば、角名くんが即答する。その瞳がじっと私を見つめているから私もぼんやりと見つめ返した。

彼を見ていると何だかほわほわとする。温かいような、でも夏と秋の境に吹く涼やかな風のようにさらさらしていて心地良い。

最近よく感じるこの変な感覚のことも私は知りたくて仕方がない。だからこそもしかしたら結局なんなのか分からない"愛"というものについても深く考えて知りたかったのかもしれない、なんて。


「...........もうすぐ1時間目始まるよ」
「そうだね。名前、ノートよろしく」

一瞬だけ非日常に行っていた先程から、やっと日常になっていつものやり取りをする。私が話題を逸らすと角名くんは特に気にすることなくそう言った。


「いや、起きててね」と彼に言うと、「えー」とか「どうしようかな」とか気怠げに言っているが、授業も聞いてしっかりノートも自分なりにとって欲しい。

テスト前に角名くんと宮兄弟に泣き付かれる(角名くんは決して泣かないが)のは面ど.....いや、彼らの身にならないだろう。バレー頑張ってるのも知ってるけどさ。

「.....じゃ、そろそろ戻るね」
「うん」

あと1分で授業が始まる。角名くんが席を立った。そして私を見下ろす。相変わらず感情の読めない瞳がじっとこちらを見つめてきた。

「名前」
「なに?」
「愛ってさ...」
「え、うん...」

また先程の話に戻るらしい。

「案外近くにあるかもね」
「え?それって...」

どういう意味?と聞き返そうとしたが、授業開始のチャイムと教室に入ってきた先生の「号令」という声、そしてギリギリで教室に入ってきたくせに「セーフ」とゆったり席まで歩いてきた治くんに遮られて聞くことができなかった。

私はぼんやりと机の上に置かれたままになっていた小説を目に映す。角名くんが置いたのだろうか。その小説の横に1つチョコレートが置かれていた。

それにまたぼんやりと温かくて、チョコレートみたいに甘い何かを感じながら、ようやくそれらを机の横に掛けたリュックに入れると、ノロノロと机の中から授業に使う教科書とルーズリーフと筆記用具を取りだした。

1時間目の古文は、偶然にも昔の人が遺した恋愛の和歌についてで、それがさらに"愛"とは何かを分からなくさせた。

(愛ってさ、案外何気ないものだと思うよ)
(例えば、そう__)

*サン=テグジュペリ(仏):リトルプリンス(星の王子さま)で有名な作家。操縦士。
*夏目漱石:草枕、吾輩は猫である、こゝろなどで有名な小説家。俳人などでも活躍。
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