醒めないこの夢では君を探せないね


__暗い"そこ"を宛もなく彷徨う。


くるぶしを覆う位の高さがある水がひたすらに広がっている"そこ"に立つ私はまた途方に暮れていた。

裸足を濡らす水の冷たさは感じない。だって、これはきっと夢だから。疲労も寒さも冷たさも痛みも怠さもない。あるのは虚無感と恐怖心と孤独だけ。


__なんて詰まらなくて恐ろしい夢だろう。


これが夢だと分かっているのに私はただ歩き続けた。歩いて歩いて、それから時々上を見てみる。夢の中にまで忌々しいお月様が浮かんでいて、思わずため息が出た。


「.....リカイア・アスター」

ぽつり呪文を唱える。自分の夢だというのに都合が良いのか悪いのか、魔法は使えない。また1つため息をついて歩を進めた。


__夢は必ず醒めるなんて、本当かどうか分からない。

この徒夢に溺れて目を覚ませなくなることだって考えられるのだ。だから、私は足掻くように歩き続ける。心のどこかで目を覚ませる手立てがどこかに転がっていると信じて歩き続けるのだ。


「リカイア・アスター」


もう1回呪文を唱えた。すると何にもなかった空に星が瞬き出す。忌々しいお月様が雲に隠れて、仄暗い世界が真っ暗になった。


それから暫くすると、空を揺蕩う星がポタリポタリ落ちてきて、それは私の大嫌いな花の形をした色とりどりの宝石に変わって世界を塗り替えていく。


__なんて美しくて、気味の悪い夢だろう。


そんなことを考えながら目を瞑る。そしてまたその呪文を唱えた。


「リカイア・アスター」


いつものように世界がゆっくりと崩壊する。


◇◆◇


うちの母方の家系は代々あまり身体が強くない。私の母はびっくりするくらい強靭で逞しいけれど、そんな母を持つ私は残念ながらと言うべきか、やはりと言うべきか身体が弱かった。


__私は、母と違って魔女なのに、だ。


ちょっと魔法を頑張って使い過ぎると倒れるし、ちょっとした活動で倒れるし、環境が変わると倒れるし、何もしなくてもふとした時に倒れる。

私の親友はベッドだ。きっとそうに違いない。まだ一応存命している家族よりも一緒にいる気がする。なんとも嬉しくない親友だと思う。



「せ、せ"ん"せ"い"......」
「はは、凄い声だ」

ゆっくりと目を開ける。目を突き刺すような光を感じて、眉を顰める。それから何回も瞬きをしていると誰かが近付いてくる気配がした。そしてすぐに見慣れたその人が視界に入る。彼はたった今起きた私の顔を覗き込むと柔らかく笑った。


__どうやらまた倒れたらしい。


先生を呼んだ私の声はガラガラで、それを聞いた先生がカラカラ笑った。私も自分の声に思わず口元を弛める。喉がとても乾いている。それに少しヒリヒリしている気もするし。身体中が違和感と怠さに包まれていて、頭もまだぼんやりとしている。

「おはよ、ございま、す」
「おはよう。5日寝てたよ?ナマエ」
「わあ...」

またそんなに寝ていたのか。どうにか声を出しながらそんなことを考える。先生がお水を飲ませてくれたので、少しだけ潤いを取り戻した喉と冴えてきた頭でぼんやりと倒れる前の記憶を手繰り寄せる。



今回は家で倒れたようだ。

__確か着替えて、朝ごはんの準備をして、それから...?

確か先生の所にお手伝いに行く予定の日だった。外出の準備をしている途中から記憶が全くない。そこで重要なことに気づく。

「.....わ、わたし、コンロの、火を消してないかもしれない...!」

そう言いながら、身体を勢いよく起こすと視界がクラクラと揺れる。上から「こらこら」と言う声が降ってきて、先生の片手が宥めるように背中に触れた。しかし、それで安心できる事態ではない。

そうだ。朝ごはんの準備の途中だったのだ。あの日の記憶を何回辿っても火を消した記憶は終ぞなかった。

寒がりコーンとエバーミルク、それから白のガロン瓜にまろやかさを引き立てるためにチーズを少し入れて作るコーンスープ。それらが入った鍋を火にかけたままだったはずだ。どうしよう。鍋への焦げ付きだとかはこの際どうでもいい。火事にはなってないだろうか。頭の中にはそれはがりが巡る。


「落ち着いて。火は俺がちゃんと消しておいたし、スープも無事だったよ」
「本当、ですか?よかった...」

その言葉に胸を撫で下ろす。小さく息をつくと、勢いよく起きたせいか元からあったのかは分からないが、気持ち悪さを覚えた。背中を撫でる先生の掌の温もりだけが心地良い。暫く背を撫でたあと、先生は私をゆっくりとベッドに横にさせた。

「急に起き上がるのはダメだって何回も言ってるだろう」
「はい、ごめんなさい」

こういう発言はちゃんとお医者さんだ。いつもダメな大人をしているフィガロ先生だけど、こうしてみるとちょっと頼もしい。

しゅんとしていると、先生の手が私の耳のピアスに触れた。それはこの間先生がくれたものだった。擽ったくてくすくす笑ってしまう。

「これにナマエが倒れたときは分かるよう魔法をかけておいたから大丈夫だよ」
「えっ、そうなんですか?そういう魔法もあるんだ...」

普通の人からしたらそんなことまで分かると「えっ、ちょっと怖っ」と思うかもしれないが、よくぶっ倒れてしまう私からしてみれば正直ありがたい。

「まあ色々応用すればね。いつ倒れるか分からない患者にはこれくらいしておかないとね」
「先生、ありがとうございます」
「どういたしまして」

にっこり笑ってお礼を言うと先生も笑う。人に良いことをして、そう言って貰うのが好きな先生だから物凄く機嫌も良いようだ。


「元気になったら何でも言ってくださいね。何でもしますよ」
「いつも言ってるよね。"何でもします"は簡単に言っちゃいけないって」

にっこり笑って言った私の言葉にフィガロ先生はため息混じりにそう諭した。

「そうですけど、フィガロ先生にしかこんなこと言わないですよ?」
「それでも駄目。先生がわるーい大人だったら何されるか分からないだろう?」
「?そう、ですね?」

十分悪い大人だと思うけど、なんて結構先生の本性的なものを知ってる身としては思うが適当に頷いておく。

「ま、今は安静にね」
「はい」

いつの間にか先生の診療所にできていた私が眠るスペースは正直快適だ。診療所のベッドを一人に占領させる訳にはいかないから、と先生が魔法でちょちょいと作ってくれた私の体格に合ったベッドに言われるまま沈む。

正直こんなことまでして貰うのは申し訳ない。しかし、お世話になる頻度が高く、そして時にはひたすらに長く眠り続ける



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