あれから警察やCIDが現場検証を始め、その場に居合わせた者達は軽い事情徴収を受け。
タウゼントCEOにもまた事情を説明しなければならない事も踏まえ、また明日立ち会う事を確約しそれぞれの帰路に向かった後。
憔悴しているカトルをエスメレーに託して。
彼に悟られないようにリュックサックを背負い必要な持ち物を揃えてハミルトン博士の邸宅を後にする。
後は公共の駐車場に置いてあるバイクの元に行くだけだった。
「薄情者〜っとか言われそうだけど今日の位置取りと天候を外したくないんだよなぁ。」
日付が変わり、シン、と寝静まった街を歩く。
季節はまだ秋だけれど、渓谷であるバーゼルの夜は冷え込む。
運転もあるが日が昇ったらそれ以降は気も抜ける筈がない為アルコールの接種はしない方がいいだろう。
味気ないけれど白湯でも飲んで体温の保持をしよう。
道を曲がり、駐車場に入り……カロンは「うわ」と思わず声を上げる。
「こんな夜中に出かけるのか?」
「連絡が来ないと思ったら……。」
朝に見かけた青いピックアップトラックに背を預けるようにしてその男は彼女を待っていた。
カロンも想定してなかった訳では無かったが、実際に見るとやはり驚きはすることで。
「バーゼルに付いたらやけにゴツイバイクがあるなと思ったがやっぱりお前のか。」
「屋根のある車も魅力的だけど、険しい山道もガンガン乗ってくからね。バイクの方が都合が良いの。」
「……まぁ、今夜はそんな道を走らねぇんだろ?」
ヴァンはそう言うと、後ろ手で助手席側のドアノブを開いた。
言葉は要らないだろうと言わんばかりに、指でくいっとカロンに対し乗るように促す。
肌寒い夜中に、来ると確信はしていたと言え待ち続けた男を前に断る程冷たくもなく、また往生際が悪いわけでもなかった。
深い深いため息を吐き出して、ざりっと足音を出しながらヴァンの方に向かっていく。
そうしてお互い手を伸ばせば触れられる程に近づいた頃合いにリュックやらと言った荷物が彼の手に渡った。
「後ろに積んどくから先に乗っとけ。」
カロンが持っていた荷物を全て片手にまとめ上げ、彼女が助手席に座った事を確認してからパタンと閉める。
ヴァンが後ろに回っていった所で、ほんの少しだけ手持無沙汰に組んだ指をもぞもぞと動かした。
入った車内は暖房が入っているのか暖かく、その気遣いがむず痒く。
古馴染達はともかくとして、カロンはこうしてもてなしを受けたことがあまりない。
だからこそ、自分の為に準備されて、待たれていた今の状況は正直どういう態度が正解かが解らなかった。
そうしてあまり居心地が良くない状況で、まるで借りて来た猫のような状態に陥っていた所で運転席側のドアが開く。
「寒くねぇか?」
「ううん。わざわざありがとう。」
「……そうだな、他の奴にならまだしも……。お前相手なら話は別だ、気にしろ。」
「え、……。……暖房代……?」
「惚れた女に寒い思いはさせられないって話だ。すっとぼけてんじゃねぇぞオイ。」
じとりとした視線を、好意に気づいて居ながら知らない素振りをする女に向ける。
うぐ、といった小さな声を漏らして。ヴァンの方に向けられない視線を見て。
10年前なら決して逸らされなかった瞳に映らないのは一抹の寂しさを抱くものの。
それが多少なりとも異性として意識されてる行為だと思えば少し浮かれそうにもなる。
カロンに向けていた顔を正面に戻し、片手でハンドルを握る。
その時わずかに湿っていた手のひらには気づかない振りをした。
「ま、この話は後だ。行先は?」
「これで終わりじゃ……?!」
「なわけねぇだろうが。…………10年だぞ。」
「…………。……。首都方面の国境に出たらずっと道沿いに直進して。曲がる場所があったら都度言う。」
ヴァンが口に出す10年という言葉には様々な感情が入り混じった音がする。
その想いに対して出す謝罪の類はどれも紙切れのように軽いものだろう。
何を言っても、語っても、不誠実でしかなかった、その言葉だけには何も返せるものがなかった。
返答もせずに行先だけを告げたカロンにまた、ヴァンも答えることもなく。
ただアクセルがかかったエンジン音だけが寝静まったバーゼルに響いた。
あれから、静かだった車内に誘導を含め、ぽつ、ぽつとゆっくりと会話が咲いた。
10年という長い歳月には触れることはなく、互いの現状、変わっていない好きなこと。車やバイクの話等。
少しずつ笑い声も増えて来た最中、車は目的地にたどり着いた。
車が止まると同時にカロンが出て行き、後ろの荷台に向かって準備を始める。
ヴァンもまたそれを手伝おうとして、上を見上げた。
数時間前にリゼットが超低高度通信衛星を飛ばした時も良く晴れて綺麗な星空が見えた。
けれど今いるこの場所は、そこが霞んで見える程の星空だった。
色取り取りの星々が、何にも遮られることもなくその光を降り注いでいる。
「良いポイントでしょ。」
惚けてるヴァンの背後から、カロンが話しかける。
振り返ると手際良く天体望遠鏡をセットしている姿がそこにあった。
暗闇に暖かな、夕暮れ時に沈む空の色が混ざった赤い髪がよく映えた。
そして深い海のような青い瞳は楽しそうに見開かれ。
言葉こそは控えめだが、高めの声のトーンからして上機嫌の様子で。
「珈琲でも入れるか?」
「用意周到〜。さては車中泊もしてるな。」
「前回の依頼の報酬でカスタムしててな。車中泊もようやく出来そうだって話だ。」
準備を進めるカロンの隣を通り過ぎ、荷台からコンパクトに纏められたレギュレーターストーブを取り出す。
邪魔にならないように少し離れた位置で火を起こし、水を入れたヤカンをセットして。
そうしていると、レンズも全部大体の位置に調整したのかカロンは持ってきていたリュックの中身を取り出しながら近づいてくる。
「冷えるから羽織ってなさい。」
ばさり、と頭から紺色の毛布が被せられた。
途端に濃くなった彼女特有の、硝煙の匂いに一瞬ぐらりとしそうになる。
鼻が利くヴァンにとってその匂いはどの薬よりも苛烈だった。
「あれ、毛布もう一枚ある……。……あ〜そのまんま持ってきてたんだ。ラッキー。」
「…………連絡を頻繁に取り合ってる奴がいんのか?」
「ん?うん、古馴染の一人でね。今どこほっつき歩いてんだか。」
―――呆れたように、何の気もなしに帰って来た言葉に安堵をし毛布が落ちないように掛けなおす。
ほんの少し息を吸うだけで、肺に満たされるそれは劇薬以外の何物でもなく。
人の感情を知っておきながら、無意識とは言えど煽るような行動はあまり褒められたものじゃない。
ため息を吐くと同時にヤカンの蓋がカタカタと動き出した。
2人分のマグカップに珈琲の粉末を入れて熱湯を注ぎこむ。
インスタント品の為香りや味はそこそこといった所だが、それでもこの寒空の下飲むのであれば、また格別であろう。
片割れのマグカップを渡すとありがとう、と言って片手で受け取った。
マグカップを片手で持ったまま、望遠鏡を覗き込んだかと思えば彼女は立ち上がり。
「覗いてみる?」
カロンに促され、ヴァンもまた腰を屈めレンズを覗き込む。
正直ヴァンにはどの星を写しているのか解らなかったが、それでも。
そのレンズの向こう側には確かに丸い、天体が確かにくっきりと映し出されていた。
その丸い星は暗色系の色の層が横に入り。
特徴的なのはさらにその丸い星を、輪っかが一巡している。
「まぁ一番特徴的な星よね。」
「これが見たかったのか?」
「見たかったっていうか、今日のこの時間においての“位置”と“向き”を目視しておきたかったってことかな。」
後はこの一面に広がる星空を見るだけだよ。
含みのある言い方に、思わず顔を横に向けるがそこには何ともなしに片手で珈琲を飲んでる女の姿があった。
一口、二口飲み込んで、すい、っと顔を上にあげて星を見つめる。
昔から星の事に関しては異様に詳しく、そしてどこか含みのある言い方をする人だった。
「……大まかに分類して占いって奴。柄じゃないって思われるかもだけどね。」
右腕をまるで遠くの空に触れるように、ゆっくりと伸ばし。
ツイ、と人差し指で星と星を繋ぐようになぞり始める。
指先の動きを見てもどの星を示しているのかは全く解らず。
ただその行為は、占いというよりかはまるで点検、ないし確認をしている様だった。
望遠鏡に映った惑星、現在の星空の位置。それをもって、何かを読んでいるようだった。
それこそまるで何千、何万通りの内の、一つの“解”を。
一言も発さずに見つめたままのヴァンに対し、カロンは視線だけを向けて困ったように笑った。
「少し時間かかるから、椅子でも持ってきて隣にでも座ってなさい。」
「お前はいいのか?」
「私の事は気にしないで、冷えないようにしておくように。」
カロンが立っているのに、ヴァンだけが座るなんて選択肢は無く。
昔は自分よりも背の高かった人の背後を取り、羽織っている毛布ごとそっと腹に両腕を回した。
ヒィッと悲鳴が上がったが、それには聞こえない振りをして。
「あったけ。」
「そう、それは、それは何よりで。嫌邪魔なんだけど……。」
「冷やすなって言ったのはお前だろ?」
「言ったけどね?!」
背中越しに感じる温もりと、腹側から感じる温もりは、以前とは感じ方が正反対で。
形容しがたいもどかしさは両者の間にそれ以上の会話を生むことは無く。
ただ振り払われない腕だけがその時の一つの答えだった。
それから、時間にして約1時間程であろうか。
ヴァンは両腕を腹に回している以外に邪魔することはなく、お陰でカロンもあまり意識することなく星の観測を続けられた。
ふう、と軽く息を吐き出して、完全に冷め切った珈琲を口に含み飲み干す。
観測が終わったことを察したのか、あまり微動だにしていなかったヴァンもまたゆら、と体を揺らす。
けれどその腕が離れることはなかった。
終わったからそろそろ帰ろうか、そう言おうとして頭だけ振り返ったら此方をじっとみてくるアイスブルーの瞳にほんの一瞬たじろいでしまった。
「カロン。」
視線を逸らすこと無く、じっと見つめながら彼が名前を呼ぶ。
大きくない声だけれど、力強く熱の籠もった声は彼女の動きを諫めた。
「俺はずっとこうやってお前と星を観たかった。傍に居て欲しかった。どこかに行っても帰って来て欲しかった。」
一言、二言、ヴァンが語る度に心臓に針が一本ずつ刺さるような感覚がする。
カロンは、今も昔も変わらず不誠実な事が嫌いだった。
冗談は言うけれど、嘘は絶対に言わないと、決めていた。
だからあの日、別れ際に帰って来てくれるかと、また会いたいと言った幼い少年に、何一つ言葉を返すことは無く。
曖昧に、優しく笑みを浮かべて、柔らかい髪を撫でつけてその子の元を立ち去った。
あの時の子の、その願いは。叶えてやれる気がしなかったから。
「ずっと探してた。誰もお前の事を知らなくても、俺は覚えていたから。」
だから、そんな薄情者の事なんか、覚えているなんて思わなかった。
その話は確かに聞いていたが、それでももう忘れていると思った。
―――10年の間覚え続けているなんて正気の沙汰では、無かった。
「探して、探して、ようやく見つけた。赤く輝いてる、俺だけの星だ。」
回されている腕に力が入る。
ほんの少しだけ震えているそれに、宥めるように片手だけ指先を重ねて。
「お前だけ愛したこの長い歳月に責任を取ってくれ。それの何倍の時間をかけて。」
まるで焼け焦げてしまいそうな程熱の籠もった瞳に、声に。
惜しむことなく押し付けられる愛慕に。
視線に逃げるように、ヴァンに向けていた顔を正面に戻し、瞼を閉じて深いため息を吐いた。
勘の良い男だと、カロンは素直に思った。
今ここで縛りつけなければ、それこそもう二度と彼女は彼と会う事は無いだろう。
いつか他に想う女性が出来る、それまで、いや一生涯会わないようにしようと。
勘付いたからこそ、この男は彼女が責任を感じていることを、負い目を感じている部分を容赦なく突いてくる。
謝罪は要らない、望むのはただ、縛り付けることが出来る関係性だった。
返答の後回しも許さないような力の入り方をしている腕に、絞り出すようなため息を吐いて。
この状況において、もう彼女が選べる選択肢は一つだけだった。
「解った。それがお前の望む責任の取り方って言うんなら、甘んじて受け止めよう。」
気付かぬ内に力んでた体から、力を抜いてもたれかかる。
「……私はまだ、弟分みたいな感じにしか思えないけれど、それでも良いと言うのなら。」
「まさか一度も会いもしなかったというのに、一度も私を忘れることなく覚え続けていたその執念に。歳月に。返せるものがそれしかないのなら。」
「あの日に交わせなかった約束を果たそう。この隣が、私の帰ってくる場所で、……救って、救われた関係性じゃなく、対等の恋仲になろう。」
カロンが、そう言い切った直後に、まるで息が止まるような力強さで抱きしめられた。
好きだ、と熱の籠もった音と同時に首元に唇が触れる感触がする。
わざとらしくリップ音を鳴らして、軽く、舌を這わせるような感触に、カロンは耐え切れずに大声を出した。
両手で首元を隠した拍子に持っていたマグカップが割れた音が星空の下に響いた。
真っ赤な顔で睨んでくるカロンに対し、ヴァンはほんの一瞬ぽかん、とした表情を浮かべた後クツ、クツ、と抑えるようにして笑い声が漏れ出した。
「笑いごとじゃない!気が早いし手も早い!!」
「いい歳した同士の恋仲なら普通だろ?おままごとじゃねぇんだから。」
「それでも順序ってのがあるでしょうが!!」
「俺は一刻も早く弟分から脱却したいんでね。」
ぐるり、体が回されて互いの顔が正面を向く。
ヴァンは柔らかい白い頬に手を滑らせて、背中を丸めて、
唇にそっと触れるだけの優しいキスを降らせた。
中宵更けて
(もう少しペース配分を合わせて……欲しいんだけど……。)
(そうだな、俺もがっついちまった。―――ゆっくり慣らしてこうな?)
(こいつ……!!?)
2022/1/22
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