困惑するカトルの視線と、知らない子供達のきら、きらとした視線が痛く。
けれどそれ以上に、何も喋らなくなった。けれど視線は絶対にそらさないその男の視線が痛かった……。
10年程前に地獄から救い上げたあの少年は、
確かに10年間生き抜いて彼女の目の前に居る。
「―――ヴァン。」
見つかったのは想定外だったけれど、それでも。
……会えたのは素直にうれしかった。
彼を助けてから10年の間カロンはずっと亡くして、亡くしてばかりで、
古馴染にも会わせる顔が無く、旧知にはもはや相棒である彼女以外極力誰にも会いたくなくなるぐらいで。
だけれども、五体満足に健康的で、生きてる姿を見れて。
会う事が出来るのは、やはり形容しがたいぐらいに嬉しく思えた。
「久しぶり。元気そうでお姉さん嬉しいよ。」
「ー……カロン……っ!」
そいういうと、逸らされなかった視線が何かに耐えるようにぐっと力強く閉じられる。
ぎりっと握りしめられている両手から軽く血が滲んでるのを見て、
あぁ、自分は結構酷いことをしてしまっていたんだな、と自覚してしまった。
これはもしアリオスなんかと再会した時には殺し合いに発展しそうだな。
そんな事を思いながらぐっと重くて重くて仕方がない脚をヴァンに向けて一歩一歩踏み出す。
「ほんと、大きくなったなぁ。身長も私超えてるじゃん。」
手を伸ばして頭をぐしゃりと撫でる。
軽く震えてる体をその手に感じながら。
一つ息を吐いて、思いっきり頭をぐしゃぐしゃに掻き撫でて。
力強くその背中を、パンッ!と叩いた。
「なんか知らないけどお仕事で、カトルを追って来たんでしょ?お姉さんがお茶入れてあげるから向こうに座ってな。ヴァンのお連れさんもね。」
オッサン初心かよ。キモすぎんだろーが……。
アニエスを挟んで反対に座るアーロンの言葉に返す言葉も無く。
セットしていた髪はぐしゃぐしゃで、手櫛で戻しはしたがそれでもいつも程決まっていない。
ヴァンの髪をぐしゃぐしゃにした女はお茶を用意すると「後は若い者同士でね。」といい望遠鏡の元に行った。
立ち去る背中を止めることも出来ず、ヴァンはアニエスにまで冷たい目で見られるハメになる。
「驚きました、お知り合いだったんですね。」
「……ああ、ずっと探してた人だ。まぁ、今はあの人の話はいいだろ。」
「オッサンがポンコツになって使いモンにならなくなっちまうからなぁ?」
「…………ふふ。」
いつも飄々して浮雲のように掴み所が無く、けれどどこか、手を伸ばしても届かないように遠い星のような。
そんなどこか不安定な、もう一人の姉変わりのようであるカロンが、あんな困りに困ったような顔をしているのをカトルは初めて見た。
そして今日初めて会ったがどこか胡散臭いヴァンもまた、茫然と動けなくなる様を見て。
そんな様子を見て、思わず笑い声が漏れる。
それに一つ咳払いをして誤魔化して。
「すみません、さっきは見苦しい所を。……よくここが分かりましたね?」
「ま、なんとなくな。おっと、見苦しいのは忘れるからこっちの研究棟入りも見逃してくれや。」
「も、もうヴァンさん……。」
ヴァンはちらりと望遠鏡の下に座り込んで論文を読んでる人の姿を確認して。
申し訳無く言うカトルに、暗くならないように冗談交じりでこっちも見逃してくれと言う。
その発言に困ったように呆れながらアニエスが返し。
カトルはほっとしたようにゆっくりと言葉を紡いだ。
バーゼル理科大学の、今の天文学について。
それを聞いていたアニエスは寂ししそうな声で言う。
「―――じゃあ、今は天文学専攻の教授はいらっしゃらないんですか……。」
アニエスの言葉にカトルは静かに頷いた。
「うん、毎日寄るのは僕くらいかな。昔は兄弟子に姉弟子、博士を慕う学生や研究者たち……。4年前はカロン姉もまるで番人のように天文台に籠もりっきりで。……後はキャラハン教授なんかも来てくれていたんだけどね。」
昔を思い出しながらカトルは優しい時間だった昔の事を思い出す。
ハミルトン博士の前に、突然現れたカロンという女性は最初に見た時はいい加減でちゃらんぽらんのような人だった。
けれど誰に対しても分け隔てなく接して、彼女に関しては気難しいクロンカイトも少し気を許していた気がする。
……一体どこで得た知識かは今でも解らないけれど、天文学においてはある一種では博士の知識に迫るものを感じた。
遥か星海の果てまで熱く議論していた博士と、カロン。
それにキャラハン教授も加わることもあって……。
「……昔はあんな風じゃなかったんだ。たしかにハミルトン博士に対抗意識はあったんだろうけれど……。それでも、お互いに認め合って、僕にも色々な事を教えてくれたから。」
「ハン、あの余裕のなさそうなパワハラ野郎がねぇ。」
「ハミルトン博士……2年半前に共和国を離れたと聞いていますが。」
「さっきも言ってたが、お前さんも博士の門下なんだな?」
「ええ、昔からお世話になっていて……。博士が外国で研究を始めてからは自宅や天文台の留守を任されています。」
そう言う彼は自虐的に。
少し俯き声のトーンは低くなる。
まるでしっかりやれていない自分自身を責めるように。
「……守れているかは怪しいですけどね。タウゼントCEOからは―――この大学の理事でもあるんですけれど。利用者数の減少を理由にここの閉鎖を打診されていますし……。」
「なるほど―――だから諸々の雑用で点数を稼ぐ必要が出てきたわけか。」
「そう、だったんですね……。」
「……すみません、さっきは引っ掻き回した形になってしまって。僕が割り込んだりしなければ……。」
「ま、そっちも気にすんな。おかげで見えてきたこともある。―――お前さんも気づいてるんじゃねえのか?あの先生が、パワハラとは別に“何か”をやらかしてるってのは」
申し訳なく謝るカトルに対してヴァンは気にする必要は無いという。
けれどキャラハン教授と接触して気になる点はあった。
それを投げかけるとカトルは確かに言い淀む。
「そ、そうなんですか?」
「……やっぱりそうなんですね。それだけ尊敬もされていた人が常軌を逸脱したような言動で……」
「形振り構わず、パワハラしてまで何の研究をしてんのかって話だよな。」
「研究室にあった最新演算器……何らかの“膨大な計算”を行っているように見受けられました。おそらくは尋常ではないレベルでの“制御”を必要とする分野での。」
「……ええ、僕も同意見です。あのレベルのシミュレーションは見た事がない……しかも、それでもまだ足りないみたいだった。」
リゼットの発言を受けカトルは少し考え込んだ。
心当たりが無い訳ではない、けれどそれを認めたくはない………。
そんなカトルの様子を見て、リゼットは何か思い当たるように思案する。
何かを考え込んでいるリゼットとカトルを見て。
「……とりあえず、あの先生からしばらく目を離さない方がよさそうだ。こっちは明日明後日までバーゼルに滞在する予定でな。CEO殿の意向はともかく―――お互い協力はできるんじゃないか?」
「……わかりました、貴方はともかくアニエスさんは信用できそうですし。博士の留守を守る意味でも―――何かあれば相談させて頂きますよ。」
「やれやれ、素直じゃないねぇ。」
堅苦しい会話はそこで打ち切り、カトルに絡むアーロンを尻目にフェリはそわり、とした様子で望遠鏡に視線を移す。
それに気付いたカトルが天体望遠鏡に興味があると気づき、この時期に観る事が出来るシェダル大三角を見せようと案内する。
そしてカロンが望遠鏡の下でとっ散らかした論文に片して!と叱り。
「もう!カロン姉、これがどれだけ重要なものか解る?!」
「解ってまーすっ。あ、フェリちゃんレンズ調整してるからすぐ見えるよ。」
「わぁ、本当ですかっ。」
「説明はカトルに聞いて。今の番人はこの子だから。」
視界を覆う程の論文を持ち上げて、そのまま階段を下ろうとする。
流石に危ないと思いフェリが声をかけようとする前に、カロンの視界を埋め尽くしていた本がどこかに消えて。
変わりにバッと飛び込んできたヴァンの顔にヒュッと息を飲む。
「あぶねぇだろ。」
「おっっっわ……。こっちのが心臓に悪……。」
ひょい、とカロンから論文を奪うように取り上げたヴァンはそのまま横に並び。
置く場所を聞いてきたヴァンに奥の方、とだけ返して。
「いや狭いし階段降りたしなんならこの論文結構機密情報だしもう大丈夫だからさ。」
「女に重いもん持たせたまま座ってるような男に見えるか?」
「え〜……見た目はそんな感じに成長したね……。」
「嘘だろ……っ。」
そんな他愛のないことを言い合いながら奥の方に二人歩き出す。
望遠鏡の影に隠れ他の助手達の姿が見えなくなってきた辺りでカロンの方に軽く重力がかかる。
……カロンには見なくても分かった。
随分成長して驚いたけれど、甘えん坊な所は変わっていない。
誰かの体温を求めて、寄りかかってくる様に触れてくる、人肌が恋しい可愛い弟分。
今2人の両手が本で塞がれていなければ甘えるように腕を絡ませて来ただろう、10年前と同じように。
「カロン、これから予定は?」
「ここでカトルと天体観測する予定だけど……。」
「……。」
「うーん、でもヴァンにも会えたしな……。今日は徹夜する予定だったし、私の本命は日付が変わってからだし……。」
施錠を解き、論文を順番に棚に戻していく。
その最中予定を聞いてきたヴァンに対して返したカロンの言葉は彼にとっては不服だったらしい。
ジトっと見てきたヴァンに居心地の悪さを感じながら、ザイファを取り出した。
「あー……連絡くれたら少し遅れるかも知れないけど向かうよ。話したいことあるんでしょう?」
全部に答えてはあげれないけど。
最後の言葉はぽつりと零れるように。そうだろうな、とヴァンは心の中で返して。
彼も懐からザイファを取り出し、メアの軽快な声で連絡先が交換されたのを確認する。
「今夜。」
「うん?」
「覚悟しとけよ。」
「は?…………っ?!?!?!」
その細い肩をグッと抱き寄せる。
背を丸めて正面からカロンの肩に顎を乗せて、柔らかな頬に擦り寄って。
突然の行動に固まったカロンの様子を見てハッと笑い声が漏れた。
あの頃の、血の匂いは消えて。
硝煙の匂いの奥にある、甘い匂いが鼻を擽った。
その匂いを思いっきり吸い込んでから、片腕で肩を抱いたまま横に体をずらす。
その時に少し見えた彼女の顔は混乱してます、とアリアリと書かれていて。
「お、おま、年上をからかうもんじゃ……!」
「悪いがお前に関しちゃ何から何まで全部本気だ。10年前もだったが鈍いのもいい加減にしろよ。」
声だけ威勢は良いが体はガッチガチに固まってるカロンを見てヴァンは優越感に浸る。
この体を、腕を、振り払われてない時点で多少は脈がある。だったら後は逃げられる前に絡んで巻き取ればいい。
回していた腕とは別の手で綺麗な髪を一房救い上げ口づける。
「逃げたら許さねぇからな。」
違いに向ける想いのベクトルはすれ違い―
(か、可愛かった弟分が……?は……???)
(どうせ弟分が、とか思ってんだろうな。)
(あ、ヴァンさんカロン姉は?せっかくだしアラミスの学生さん達も来たし説明して欲しいことが……。)
(ああ、今別の論文見繕ってるぞ。)
(片してって言ったのに!別の見繕ったら意味がないじゃないかっ!)
2021/11/25
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