とんでもなく疲れた。清心がこんな崖の上に群生しているなんて……知識としては知っていたけど、自分で採りに行くとなると心底しんどい。まず絶雲の間に入って見つけた清心はそれはそれは高いところにあって、清心はああいうところまで行かないといけないのかと思うと泣きそうになった。とりあえず待ち合わせ場所もかなり山を登ったところなので、そこまで行こうとしている途中にいくつか生えていたので良さそうなものを一輪毟らせていただいた。道中に採ることが出来たと言っても、道端に生えている花ではないので少しではあるが岩肌を登った。少しでもすごく体力を使ったし、元の道に戻ろうとして下を見て降りれなくなりかけたりもしたけど。
降りる時に岩に引っ掛けて服の裾が少し破けてしまった。でもこれは何としてでも魈さんに贈りたいものだから、そんなの気にしてない。これであんまり喜ばれなかったり、嫌そうな顔をされたら一気に気にして泣いてしまうかもしれないが……。
ふう、と息をしながら採った清心を空にかざす。雲のない青い空に、清心が太陽の光を吸って花弁がきらきらと輝いて見えた。澄んだ空気にふわりと揺れる大きな葉っぱの緑が眩しい。
「きれい……」
やっぱり璃月の花だったら、魈さんにはこれが一番お似合いだ。高いところにしか生えていないのも魈さんの雰囲気とピッタリだし、白い花なのも高潔な感じがする。すーっと息を吸うと肺が澄んだ空気でいっぱいになる感じがして心地いい。
かなり山を登ってきたからか風が少し強くて、髪がぶわりと広がった。清心が飛ばないように腕を下ろす。
魈さんと待ち合わせているのはもう少し山を登ったところだ。坂を登り切って魈さんが待っていたら贈り物用のリボンを巻く時間がないので、今のうちにしておこう。過去に絶雲を登った人が置いて行ったであろう椅子に腰掛けて、昨日友人から言われた通りいつも持っている細いリボンを取り出す。
本当はもっと魈さんが喜びそうなものにしたかったんだけど、魈さんの帯の好みなんて分からないしお店に行ってもどれもピンと来なかったので結局自分のやつを持ってきてしまった。
気持ち悪いとか思われたらどうしよう。でもいくつかある内の一番女の子らしい色のものを持ってきたので、なんとかなって欲しい。正直これがダメだったら家にあるものはどれもダメだ。
花弁の邪魔をしないように、葉の生えているあたりに黄色の帯をきゅっと結ぶ。よし……。これだけだけど、去年よりはマシなはず……! この坂を登ったらもうすぐ待ち合わせの場所だ。立ち上がってゆっくり深呼吸。落ち着いて、いつも通り……! どきどきと緊張し始める心臓を、清心の香りを嗅いでなんとか落ち着ける。贈り物で何を、と思ったけど風に揺れる清心が控えめな匂いを放ってくれたお陰で少しだけ気が紛れた。
息を乱しながらなんとか坂を登り切ると、開けた視界に黄色い木が風に揺れているのが見える。その下に見慣れた人影が見えて、意識しなくても気持ちがぱっと明るくなった。
それまでの疲労が彼の姿を捉えただけであっさり消えて、小走りで木の下に駆け寄ると見慣れない鹿のような生き物がこちらに気付く。なにやら魈さんと話していたみたいで、木陰に座り込んでいた身体を起こすと魈さんより大きくて思わず後退りする。な、なんだ、先約……?
なにやら尋常ではない雰囲気に気圧されて、出直そうかとしていると立ち上がった鹿に声を掛けられた。気付くのが一瞬遅れたが──仙人……だよね……?
「これがお前の……ああ、我はもう去る。汝が来るのを待っておった」
「えっ……えと……」
「汝、絶雲の間は気に入ったか」
「はっはい……ええと……空気が綺麗で、あの……」
「フン これも縁、また来るといい」
「はっ……はい……! ありがとうございますっ」
こ、声がすごい響く……! 魈さん以外の仙人と会うのなんて初めてで、すごい圧力に全然口が回らない。初めて魈さんと会った時もこんな感じだったかも。迫力で足がガチガチになって動けない私にゆっくりと近寄って、頭の頂点からつま先までゆっくりと観察される。
それが終わったのかくるりと振り返って「ではな、降魔大聖」と言うと空中を駆けるようにして山の奥に消えて行ってしまった。なんだったんだ……、びっくりした……。
呆然としている私に、魈さんが音もなく近寄ってきて「時間通りだな」と呟く。時間通りに来たのに先に待っててくれるところが魈さんらしくて胸がきゅっとなった。好きだなあ。
「さっきの人は……」
「削月築陽真君、ここに住んでいる仙人のうちの一人だ」
「さ、さくげつ……真君さん……」
「……そう緊張するな、お前はいつも通りでいい。削月に気に入られなくとも、我は構わない」
「えっ私嫌われてる感じでしたか……?」
また来いって言ってくれたから、嫌われてはいないと思っちゃった。建前だったのか。鵜呑みにしてしまった自分にちょっとショック。そっかあ……と削月……真君が去って行った方向を見上げていると、魈さんに「そういうことではない」とため息を吐きながら腕を組まれた。
魈さん以外の仙人との遭遇で頭から抜けていたが、今日はこの清心を贈りに来たんだった。それから絶雲の間の綺麗な景色も。怪しまれないようにそっと手を後ろに回して、清心が魈さんから見えないようにする。
一応、私から言いたいから……おめでとうって。おめでとうでいいのか分からないけど。
「嫌われてなさそうでしたか?」
「嫌いな人間に掛ける言葉ではなかっただろう」
「そ、それはそうですけど……なんか魈さんの言い方が」
「それは……、お前の想像しているようなことではない」
じゃあ気に入られるってどういうことですか? とため息を吐いている魈さんに少し詰め寄ると、気まずそうに目を逸らされた。どういうことなのかよく分からないし、話がいまいち噛み合っていない気がする。
魈さん〜? と首を傾げると、「もうこの話はいい」ときっぱり言われてしまった。深堀りして聞くようなことじゃなかったのかな、魈さんがどういう意味で「気に入る」と言っているのかピンとこない。仙人との価値観の違いだろうか?
お互い黙ってしまって、微妙に気まずい沈黙が流れる。どうやって切り出そう……雰囲気を悪くしてしまった。魈さんに誕生日おめでとうございますって、言いに来たんだけど……。
きょろきょろ視線を彷徨わせて声を掛ける頃合いを見計らっていると、どこからかふわりと風が吹いて魈さんの髪と私の服の裾を揺らした。木々が揺れて葉が擦れる音が鮮明に聞こえて耳に心地いい。地面に舞い落ちる黄色い葉を見ていると、不意に名前を呼ばれて顔を上げる。
昼間でもゆらりと輝く金色の瞳と目があって、どきりと心臓が跳ねた。後ろ手で握った清心を無意識に強く握り込んでしまい、折れないかと焦って手の力を抜く。
「今日は何故我を呼び出した?」
「あ……! あ、のっ、えと……」
いきなり本命を聞かれてぴくりと肩が跳ねる。思わずどもってしまって、うまく言葉が出てこない。魈さんは仙人で、日付や時間の感覚が私とは違う。だから言わないと今日が誕生日なことも気にしないんだろう。あなたの誕生日をお祝いしたくて、と本人に正面から言うのはかなり恥ずかしい。
ええと、と言い淀んでいると控えめに息を吐いた後に「……来い」と言って軽く腕を引かれる。利き腕をやんわりと引かれて、手に持っていた清心が腕を出すと同時に魈さんの目に晒されてしまった。案の定、不思議に思ったのか「これはなんだ」と言ってじっと顔を見られる。あ……は、恥ずかしい……!
隠していたものがバレてしまう羞恥が一気に顔を熱くして背中に変な汗をかく。
「……まあいい。お前が指定した木の根本が丁度腰掛けれる、そこで話を聞いてやろう」
「はっはい! すみません……!」
歩けるか、と当たり前なことを聞かれるほど挙動がおかしかったんだろう。少しばかり心配そうな気がする魈さんと目を合わせて何度も頷けば、そうかと言って納得してくれた。
変に緊張してしまって心臓がばくばくする。魈さんがいつもよりゆっくり歩いてくれたから、待ち合わせの目印にしていた黄色い木の根本に二人同時に到着した。魈さんが歩幅を合わせてくれるようになったのは、いつからだろうか。最初はすぐ消える仙人だったから、まさかこんな風に隣を歩ける日が来るなんて思っても見なかった。夢では何度か見て、焦がれる度に妄想してはいたが……。
「あの、この清心は……」
「あぁ。……座らなくていいのか」
「大丈夫、です!」
ならいい。と私に向き合ってくれる魈さん。優しすぎて胸がぎゅっと締め付けられる。さっき見つかってしまった清心を魈さんの前に出して、すうっと息を吸い込む。山頂から風が吹いて、清心に巻きつけた帯を揺らした。魈さんの視線が私の手元で揺れる帯に行ったのがわかって、緊張でごくりと唾を飲み込む。
花弁が揺れたことで清心の匂いが香って、ばくばくと緊張でうるさかった心臓が少しだけ治まった気がした。