「わあ……!」
「おい、あまり走るな」
崖から落ちるぞ、と注告してくる魈さんを無視して青い空に駆け出す。雲ひとつない、というか雲が下にある。初めて見下ろした雲の隙間からは絶雲の間の谷を流れる澄んだ水流が見えて、雲間を抜けてきた鷺が群れになって飛んでいるのが雲海を泳いでいるようで見たことのない景色に思わずため息が漏れる。
霧のようにかかった雲海の切れ目からは眠林の山々や、鮮やかな木々が見えて目に飽きない。これはまさしく絶景。どこまでも先が見通せそうなほど続いている雲海と、澄んだ空の近さにいかにも仙人が好みそうな場所だと思った。さっき削月真君と会ったところよりもさらに空気が澄んでいる。
「なるほど、共に景色を眺めるのに……お前が選んだ場所はここか」
隣に遅れてやってきた魈さんが、景色を一望した後にゆっくりと腕を組んだ。山の頂上だからか、さっきよりも少しだけ風が強い。魈さんの髪と片袖が揺れる。絶景から魈さんの方に向き直ると、魈さんの背後にあった黄色い木の葉がいくつか風に乗って落ちてきて、それがとっても絵になるかっこよさで静かに見惚れてしまう。絶景にも負けないなんて、仙人ってすごいなあ。どきどきと高鳴る心臓に負けないように、ゆっくりと深呼吸をしてなんとか平然を保つ。
魈さんもこの絶景を気に入ってくれたようで、「礼を言う」なんて言われてしまった。魈さんの誕生日なので、とお礼を言われることではないと伝えようとしたのに、「お前が我と過ごすのにこの場所を選んだこと、……嬉しく思う」とまで言われてしまった。澄んだ金色の瞳で真っ直ぐに射抜かれてそんなことを言われると、思わず黙ってしまう。恥ずかしさと嬉しさでどうにかなりそうだ。首元が暑くなってきて、熱が上がってきているのが分かる。
誕生日に二人で会ってこれって……人間同士だったら確実に恋人なんだけどな。やっぱりはっきり想いを伝えないと。
ぐっと両手で服の裾を掴む。俯いてはぁーっと息を吸った私に、魈さんが「どうした」と言って心配してくれる。その優しさが今日までで終わらなければいいなと思いながら口を開くと、自分でも思った以上に緊張しているのか声がかなり上擦った。あの、と言って真っ直ぐ魈さんを見つめると真剣なのが伝わったのか組んでいた両腕を解いて太陽の光を反射する金色にスッと見つめ返される。
綺麗で眩しくて、吸い込まれそうな金色にああやっぱり私達人間とは違うんだと頭の片隅で思った。璃月人でこんなに綺麗な目をしている人を見たことがない。中々喋り出さない私に「なんだ」と静かに呟いた魈さんに、いつもより改まった雰囲気だからか仙人の気迫を感じて少し気圧されてしまう。私のわがままをいつも聞いてくれる優しいひとだけど、私とは何もかもが違って私なんかよりずっと強く、長く生きてきたひとなんだ。
「あの……私、えっと……」
「なんだ。言いたいことがあるなら言え」
こっ、告白ってすっごい緊張する……! あんなに耳に入ってきていた風の音も木々が揺れる音もなにもかも聞こえなくなって自分の心臓がバクバク脈打っているのが全身にこだましてこれしか聞こえない。自分の声すらちゃんと発せられているか怪しい。カッと赤くなった顔で察してくれればいいのだが、魈さんはこういうことにめっぽう疎いと思っているので期待できない。深呼吸してなんとか気持ちを落ち着かせる。
まだバクバクと音がしているけど、草木が揺れる音が聞こえて少しだけ安心した。
「私、魈さんのことが……す、好き……なんです……」
「…………そうか」
「は、はいっ。…………え?」
「言いたいことはそれだけか?」
さらり。風が草木の間を抜けるように返事をされて思わず俯きかけていた顔を上げる。そこにはいつもと変わらない表情の魈さんが居て、まるで普通の──それこそ日常会話のような感じで流されて頭が真っ白になった。え……? これはどういう反応? 言いたいことはそれだけか、と聞いてくる魈さんに理解が及ばない。私が仙人じゃないから?
「え、えと……あのー、好きっていうのは……」
「あぁ。聞いてやる」
「待ってください。魈さんは私のことどう思って、ます、か……」
声に出している途中でとんでもないことを聞いてしまっている事に気付いて尻窄みに声が出なくなる。あれ? 告白ってこんな感じだっけ。人間相手にでもしたことがないし、そもそも恋人ができたこともないからよく分からない。昨日友人に聞いとくべきだった……!
まさかこんな、いきなり告白しようってなるとも思っていなかったし、しかも精一杯絞り出した好きが「そうか」で返ってくるなんて想像もしていなかった。あれ……仙人にも結婚っていう概念があるって昨日聞いたんだけど、魈さんは無いんだろうか。夜叉って仙人だよね?
頭がこんがらがってきて、もう何がどう言うことなのか分からなくなってきた。頬を撫でる風が爽やかに絶雲の間を流れていて、それなのに私たちは山頂で向き合ってなんて話をしているんだろうか。
「我はどうとも思っていない相手にこれほど時間を割くほど暇ではないが」
「で、ですよね……!? え、えと、じゃあ、あの」
「…………落ち着け、お前の言う好意は分かっている。だが……」
魈さんから私寄りの思考が返ってきて、思わず素で返事をしてしまった。仙人に向かってですよねとか言ってしまった。こんな風に告白するつもりは全く、一つもこうなる予定ではなかったのに。どういうことですか? と混乱する私の隣に並んで、魈さんが背中を摩りながら話してくれる。どうやら私の好意は伝わっているようだが、魈さんの方でなにかあるらしい。
いや……本当に私の好きは伝わっているんだろうか……異性から好意を伝えられたことがないから分からないけど、私だったらもっと動揺する。さっきの魈さんみたいにどこ吹く風とはならない。好きって伝えてきている相手の背中を摩ったりできないし、まだ返事もしていないのに隣に並ぶなんて出来ない。私が人間だからそう思うだけなのかな。
隣の魈さんに勢いよく向き直って、魈さんっ! と呼びかけると思っていたより大きな声が出て魈さんが少し驚いた顔をした。こんな表情は滅多に見れない、可愛いと思った。