「ん……」
不意に視界が眩しくなって目を擦る。どうやら寝てしまっていたようで、窓から見える景色は真っ暗になっていた。異様に瞼が重くて、突っ伏していたベッドシーツは濡れてぐちゃぐちゃになっている。泣き疲れて寝てたのか……。涙が乾いた後の感覚が気持ち悪いのと、目が腫れていて不快感に襲われる。ティッシュを探そうと床に手をついて動かせば、寝る前の私が散らかしたティッシュに手が埋もれてため息がでた。
こんなに泣いても魈さんを置いて逝ってしまった事実は無くならないし魈さんの苦しみが和らぐわけでもないのに。そう思うとまた勝手に涙が込み上げてきて、乾いた頬が再び濡れる。私がいなくなった後のことを想像すると、具体的なことは何もわからないのに勝手に涙が出てくる。魈さんに告白されたときの「お前と最期を共にできる」という言葉が重くのしかかって、それだけ前世で魈さんを傷つけてしまっていたことが自分で許せない。一体どれぐらいの時間を独りにしてしまったんだろうか。それなのにまた私と恋人になってくれる魈さんに胸が締め付けられて感情がぐちゃぐちゃになる。
暗い部屋の中で近くにあったティッシュの箱を手繰り寄せて鼻水と涙を拭く。床に座り込んでいた足を動かすとびりりと電流が走って、痺れてうまく動けない。ベッドに投げ出していたスマホが一瞬震えて、そういえばさっきこれで起きたんだっけと思い出す。布団に埋もれたスマホを取って、画面を触れば液晶がぱっと明るくなって眩しい。暗い部屋でいきなりつけるんじゃなかった。
明るさを下げていくらか目に優しくなった画面を確認すると、魈さんから「終わった」と端的な連絡が来ていた。今の時間と照らし合わせると連絡が来たのは一時間前で、今は八時。昼過ぎに家に帰ってきたから結構寝ていたことになる。足元に散らばった空のティッシュの箱が二箱あるから、帰ってきて思ったより泣いてたのかも。私が泣くのは正しくない気がするけど、どう言えばいいのか分からない感情に支配されて涙が止め処なく溢れてきたのだ。さっきスマホを光らせたり震わせたりしていたのはアプリの通知みたいだった。考える間もなく魈さんからの連絡を開いて、お疲れ様ですと送ろうとして画面を滑る指が止まる。
魈さん……会いたい、な。疲れてるかな。二週間行ってたんだっけ。最終日なら疲れてるよね。
最近魈さんとまとまった時間を取って会えていなかったから余計に会いたい。
一人にしてごめんなさい、って言いたいし寂しくないようにしてあげたい。でもいきなり会いに行ったら迷惑だよね……。それに突然会いに行って先に死んでごめんなさいなんてちょっとおかしな気がする。
でも、魈さん確か明日は講義ないって言ってた気がするから行くなら今から……。すっと息を吸い込んで深呼吸、試しに一人の部屋で発声して声が震えていないことを確認してから魈さんに電話を掛ける。突然だけど大丈夫かな。
耳に当てたスマホから鳴る音がやけに大きく聞こえる。
「…………どうかしたか」
「ぁ……! 魈さん、えと……お疲れ様でした、インターン」
「あぁ」
「あっ、あの……今から会いに行っても、いいです、か……?」
「構わんが……、もう夜だろう。迎えにいく」
「いやっ、大丈夫です! 魈さんは、えーと……じゃあ、駅で待っててくれたら嬉しいです」
「……分かった。何かあったら我を呼べ」
「はい! すみません、急に電話しちゃって」
「いい。気をつけて来い」
もちろんです! と返事をしてそれじゃあ、と電話を切る。魈さんの声を聞いたら余計会いたくなって、話している途中でも心臓がきゅっとなった。腫れているであろう目を冷やして少しでもマシにしてから魈さんのところに行こう。
部屋の電気をつけて洗面台に行こうと床から立ち上がる。足の痺れは治っていたけど、明かりがついたことで床に散らかったティッシュが思ったより多くてびっくりした。かき集めてゴミ箱に入れる。
洗面台で顔を洗って、鏡を見る。ちょっといつもよりは腫れてる気がするけど……。少しは引いたかな。泣いてほとんど落ちた化粧を軽めにし直して家を出る準備をする。魈さんもうご飯食べたかな。お風呂入ってたらどうしよう、駅まで来てもらうの悪いな。インターンお疲れ様記念で何か買っていった方がいいかな。
ウェンティと飲みに行っていたときより小さめのカバンに財布やポーチを入れ直す。あ……そういえばあのグレーの方の下着まだ魈さんに見せてなかったな。この間一人の時に着て思ったより着心地が良かったのでまた着ようと思って畳んでいたのが目に入った。今から行くなら泊まりだし……これはあっちほどえっちな感じじゃなくて可愛い系だから……。
魈さん、これ着て甘やかしてあげたら喜んでくれるだろうか。散々泣いて少しマシになったのか魈さんが寂しくないように甘やかしてあげたいという気持ちがかなり強くなっている自覚がある。過ぎたことはどうにもならないので、私が一人にしてしまった分だけ今世でたくさん一緒に居たい。……一応、持っていっておこうかな。
暗い雰囲気には出来るだけしたくないから、自然な感じで魈さんを甘やかす。今回の任務はこれにしよう。家を出る前に魈さんに「今から行きます!」と連絡して玄関を出た。
夜だからかいつもより人が多い駅の改札を出る。辺りを見回して魈さんを探していると、隣から手を握られて「行くぞ」といつもの魈さんの声が降ってくる。久しぶりに手を繋いだせいもあるけど、さっきまでのこともあって泣きそうになるのをなんとか堪える。最期まで一緒にいれなかったのに、またこうして私と手を繋いでくれることがすごく嬉しい。
人気の多い場所が相変わらず苦手なようで、眉間に皺が寄っている魈さんを見上げて返事をした。繋がれた手をもう離さないようにぎゅっと握るとやんわりと応えてくれて胸がじんわり温かくなる。
「すみません、突然」
「気にするな。食事は摂ったのか」
「まだです……! 魈さんはもう食べちゃいましたか?」
「作ろうとしていたらお前から連絡が来た」
「え……! 何作ろうとしてましたか? 私もお手伝いします!」
改札階から階段を降りて駅の外に出る。仕事終わりの人や今からご飯を食べに行く人、学生のグループなど駅の周りはたくさんの人で溢れている。その中を魈さんと並んで歩く。夜ってこんなに人増えるんだなあ、と思いながらきょろきょろと周りを見ていると魈さんが口を開く。今日のご飯はなんだったんだろうか。
「お前は何が食いたい」
人混みから逃げるように住宅街への道に入って、静かになった道端で魈さんが聞いてくる。
自分はインターンで疲れてるだろうにこうやって私に合わせてくれようとしているところが本当に優しいと思う。さらりと持っていたカバンを奪われて「どこか行くか」と言ってくれる魈さんに衝動的に抱きつきたくなった。道端なので我慢……。
「魈さんお疲れだと思うので、私なにか作りますよ! 冷蔵庫何が残ってますか?」
「いや……水しか無い」
「…………それはちょっと、なんにも作れないかもです……」
悪い。と謝る魈さんにいやいや全然! と手を振る。道中でスーパーに行こうかと提案したら二つ返事で頷いてくれたので帰りになにかご飯の材料を買って帰ることになった。
なにが食べたいですか? と魈さんの方を見ながら聞くと「杏仁豆腐」と即答されていつも通りデザートが先に決まる。お腹空いてる時に杏仁豆腐って一番に出てくるの、相当だなと思ったことは墓まで持っていく。
メインも決めて欲しい、とあっさり系とこってり系ならどっちがいいですか? と聞こうとして、魈さんがこってり系のご飯を好んで食べているところを見た試しがないのでそれ以上聞くのをやめた。鍋とか、あーでもさっとできるものの方がいいかな。パスタとかどうだろう。杏仁豆腐と合わないか。スーパーで安いものを見てからじゃないと決まらないな……。