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Top| 1/8 栞 なまえが去った本丸では、新たな柱候補と役人が訪れていた。 応対に出たのは蜂須賀と鶯丸、長谷部である。面隠しをした役人二人の後ろに市女笠を被った女の着物を着たものが一人。虫の垂衣の隙間から見え隠れする手の甲は酷く白い。 長谷部は幾度となくこの光景を見ている。暑い夏も春も、冬も、秋も。いずれも御柱はこうしてやってくるのだ。 しかし、長谷部はいつもこの時には違和感を感じている。自らの元の主は誰だったか、果たして忘れてしまうのではないかと思うほど、遠く。それでもこの身に顕現する前は天下人から部下へと下げ渡された刀だった。長谷部は自分が主への執着を持つことをある程度自覚している。だから柱が移り変わっても、移り変わった主へと執着は移っていくのだ。 「どうぞ、よろしくお願い致します」 まるでその様は神の家に仕える巫女のようであった。実際、柱となるまでは巫女であるのだということらしい。 「ようこそおいでくださいました」 蜂須賀が言って、屋敷の中に招き入れる。垂衣を纏ったまま、柱候補と役人は屋敷へ入り、入って二つ目の間に通される。茶を持ってきた燭台切が「失礼するよ」と言って三人の前に茶を出した。 三人は畏まった様子で黙々としている。一度部屋を空けようとすると、役人に呼び止められ「引き継ぎの事項をお話しさせて下さい」と言われた。 長谷部が頷き、それぞれの刀種から一人呼んできてくれと蜂須賀に頼む。鶯丸は太刀の一人としてそこにいることにしたらしい。 女が垂衣に手をかけ脱いだ。長く艶やかな黒髪が、纏められており、着物は儀式用か、白一色の上に柄羽織りを着ていた。面隠しによって女の面はこちらには見えなかった。 やがてどたどたと音がしてやってきたのは、大太刀が石切丸、脇差が物吉貞宗、短刀が薬研藤四郎だった。 後から来た者が軽く礼をして、皆が机に向かうと役人は話し始めた。 「これからこの本丸において柱立ての儀式を致します。双方の合意を、声から頂きたく。まず、御座所の刀剣の皆々様方、新たな柱を立てることに御同意下さいますでしょうか」 面隠しの奥は見えない。機械的な問いかけに長谷部は打刀としてこたえる。 「同意しよう」 短刀の薬研が、ちらりと長谷部をみやり、鶯丸へと視線を移した。誰が口を開くのかと思えば、鶯丸である。 「新たな柱を立てることには、同意しよう。皆そのつもりだ」 「あぁ、俺っちも柱を立てることに異論はない」 まだ口を開かなかったのは物吉貞宗と石切丸だ。御柱様からお稚児への文が長谷部の頭をよぎる。名まで晒して全く何を思っているのかも意図のはっきりしない小童である。けれど、この場にいない鶴丸国永は既にお稚児と結んでいるらしいのだ。 どうするのか読めない加減は、鶴丸もなまえも全く似た者同士である。 「あの、……はい、同意します」 困った様子を隠しつつ答えた物吉に続き石切丸が口を開く。 「そうだね。同意しようか」 皆それぞれ思うところがあるらしい。この場にいない一部の刀はなまえと結んでしまったのだから。しかしそれを知らぬ役人は形式通りに事を進めようとしている。 「ありがとうございます。それでは、仮の方、新たな柱となることを御同意下さいますか」 御座所の柱となる者は名を知らされずにここにきて、この場においても仮の方と呼ばれる。仮の方はたおやかに同意の頷きをし、答えた。 「はい。拝受致します」 桃の花のような、柔らかく艶やかな声音である。その面の向こうがしりたいと思わせる声をしていた。 「それでは両者後同意を頂きましたので、これより立テ柱ノ儀に入る準備を致します。儀は御堂にて行いますので全刀剣の待機をお願いしたく存じます。仮の方は共に御堂へ」 役人はそう言うと持ってきた箱ごと立ち上がり、待機していた蜂須賀の案内によって仮の方と共に出て行った。後ろ姿は巫女らしく肩のあたりでゆったりとさせた髪を一つに纏めている。腰以上に長さのある髪だった。 襖が閉じられて暫く、黙りこくっていた刀剣の中で、なるべく音をたてぬよう茶を口に運んだ物吉がズっと啜ったかと思えば小さく「あっつ」と言ったのを皮切りに、空気が和んだ。 「火傷には気をつけろ、冷まして飲む茶もまたいいものだ」 鶯丸の言葉に照れくさそうな顔で「そうですね」と物吉は答える。 「おい、お前たち」 渋柿にあたったように歪めた口から、長谷部が声を絞り出す。 「ここにいるということは、結んでいないのだろうな?」 皆の視線が長谷部に向く。石切丸、鶯丸、物吉、薬研。ここにいるものはみな、未だ結んでいないものである。長谷部も勿論であった。同意を返す各々の様子を見るに、悩んでいるものもいるのだと悟る。 「昨日の今日だ、どこにつくかなんてすぐ決められる奴は少ないってこった。長谷部の旦那だって本当は悩んでんだろ?」 洒々落々といった様子で答えたのは薬研だ。かつて主を同じくした刀である長谷部はすぐに反論仕返すこともできなかった。反論したとてお得意の弁舌で往なされるだけなのだ、全く織田の刀ときたら。 「刀は主を選ばない」 辛うじて口から出たのは一言だけである。 「しかし、今は選ぶ時代だろう? 俺たちは人の身を得ている」 睫毛をはたりと震わせ鶯丸は言う。 「ですが、この身は主がいてこそ得ているものです……それを自らが選ぶのは」 「物吉。確かにそうだね。長谷部も。お稚児と結んでいるものがいる以上、立テ柱ノ儀に何らかの不肖が生じるだろうことは想像に難くない」 石切丸が漸く口を開く。この場にいるものでお稚児と話したのは石切丸と鶯丸ぐらいなものである。薬研はその帰り姿を見たまでで、物吉や今ここにいない蜂須賀に至っては回ってきた紙を見ただけで、お稚児と話してすらいない。 「政府の奴らに、はっきりと稚児と結んだものがいると、話すのか。最悪刀解されかねんのだぞ」 段々と口調を荒立てる長谷部を石切丸は制す。 「ここの刀に限って、その可能性は限りなく少ないよ。人の子が何百年にも渡って継いできたんだ。一度の瑕疵でむざむざ無に帰すような真似はしまい。それよりも考えられるのは、お稚児の身を消すことだ」 つまりそれは、結ばれている契約を強引に無効にしてしまうということである。人の身によって結ばれている主従と、刀の記憶は、人の身そのものにより受け継がれるからだ。 「考えたくもねぇな」 人の身を切って落とすのが生業であったとしても、人の身を得て接していた子供だからこそ出た言葉である。薬研は吐きすてると、立ち上がった。 「鶴丸の旦那を呼んでくる」 「待て薬研、あまり大事にしてはばれるぞ」 「わかってら。呼んでこないことにはどうにもならねぇから連れてくるってだけだ。何かあったら誤魔化すから、合わせてくれよ」 鋭く頑固を尖らせる長谷部の目を同じく薬研は見返すと、障子の戸の向こうへ姿を消した。 廊下へ出た薬研は大股に早歩きで大広間へ行く。今は皆が大広間で待機しているはずだ、きっと鶴丸もそこにいるだろう。大広間の扉へ続く廊下の角をこえると、そこには件の鶴丸国永が壁に背を預けていた。薬研の姿に気づくと、鶴丸は片目を開ける。 「もう儀を始めるのか?」 「何言ってる、長谷部達が揉めてるぜ。アンタを呼びに来た」 「はは、俺を呼んだところで解決するか?」 「はじまりは一応鶴丸さんだからな」 「わかった。行こうか」 鶴丸が大広間から出ていたということは、きっとこうなることを予期していたのだろう。 再び応接間に戻る道すがら、薬研は鶴丸を見上げる。 「なぁ、何考えて結んだんだ。そりゃ俺っちだって最近のあちらさんは気に入らんが」 「ま、時に(じき)解る」 何を腹の内に隠しているのだが判ずることのできぬ笑みを浮かべる鶴丸に薬研はため息を吐く。 「言う気はないってか」 予想通りか、鶴丸は応接間にきてから、長谷部の問いに一度も答えなかった。石切丸が青筋をたてる長谷部をなんとか制し後を継ぐ。 「稚児の命をみだりに危きに晒しているのはわかっているのかい」 朱に彩られた目の渕が、じっと鶴丸を見やる。鶴丸はそれを見返してやっと口を開いた。 「お稚児は守る。俺の主だ。ここの刀も、当分大丈夫だ。今はそれしか言えん」 「いつ話すつもりだい」 「主が決まったらだ」 「だそうだよ、長谷部」 仕方ない、とばかりに目を伏せた石切丸は「そろそろ儀の時間だろう」と言い口を閉じた。長谷部は、怒りを腹に納めたようで相変わらず険しい顔つきに変わりなかったが「あぁ」と答え、鶴丸に大広間へ戻るようにと告げた。 鶴丸が応接間から出て行って少し経ち、蜂須賀が戻ってくる。 「時間だよ」 皆が立ち上がった。 中庭に木の柱が八つ、それぞれに垂が下げられ鳥居の役割を果たしている。ここを大小さまざな刀剣達がぞろぞろと列をなし入り、四方を囲まれた中で円になった。 昼の太陽が、雲に隠される。ぬるい風が肌を撫で、垂を揺らした。 木火土金水という言葉がある。これは元は中国に起源した世界観で、陰陽という二つの考えに五行を結合し自然や万物の現象を説明するものであった。日本にこの考えが流れ着いてからはたいそう流行し陰陽道などもこの流れを汲んでいる。 そんなわけで、政府から送られた使者と仮の御柱が次の刀剣と契りを結ぶ際、取り決めの最初からこの手法がとられている。 木の柱、柱の根元に各供えられた蝋燭、中庭の地面である土。未だ輪の外にいる仮柱がやっと立ち上がった。金の頭飾りをつけ、静々と円の中央へ向かっていく。 中央までくると、そこで立ち止まる。 役人の一人が手に捧げ持った水を円の刀剣へ渡し、刀剣一人一人が手に持ち回していく。最後に、この水を手にした一護一振が、仮柱に水を回した。 長谷部はちらりと鶴丸に視線を向けた。金色の瞳には羽毛のような睫毛が影を落としている。口はいつも通り引き結ばれたまま、全く奴の気持ちはわからんと長谷部は眉根の皺を知らぬ内深くしていた。 仮柱が、その場で水に口をつける。 こうして、木火土金水の円環を整え直すことで、契約を移し替えるのである。 中天の陽光が、雲に遮られ、うっそうと暗がりが落ちた。仮柱が水を飲み干した時だった。衣手から伸びた白い腕に、白い頬に、喉に、一閃の赤い筋が走る。 鶯丸はそれをじっと見ていた。 長谷部は思わず駆け寄ろうとした。 鶴丸は不満気な顔をして静観していた。 第一に声をあげたのは、仮柱だった。 「なんで、これでいいと言っていたのに……」 役人は漸く硬直から解かれ、仮柱に走り寄った。白い綿布を傷にあてがいながら、言いはなつ。 「あなたは間違ってはおりません。間違ったのは刀達です」 加州はけれど、毅然とした表情でそれを見つめている。女は挙措を失った様子で、怒りやら嘆きやら驚きに掻き乱されながら言う。 「そんな……刀など。打ってしまえば」 五虎退の怯えた表情に一期一振は気付く。隣にいた信濃がひょいと手を掴んでやっていた。 「それは、なりません。玄能でうっては、元に戻ってしまいます。一度力が入った刀は力を入れたものがうたねば、刀解とかわらないのですから」 役人はそう言って仮柱を宥めた。 「どうして、誰が、柱に?」 混乱が甚だしいようで、女は頭を振り、頭を支える両手先は微かに震えていた。役人が一人、女の肩を抱いた。もう一人が、円の中へ入ってきて告げる。 「立テ柱ノ儀は失敗致しました。一度刀剣の皆々様方は大広間にお戻りくださいますよう」 ぞろぞろとそこにいる刀全てが大広間に向かう中、長谷部の横を通り過ぎ様に光忠がこそりと告げる。 「長谷部くん、くれぐれも穏便にね。鶴さん何か考えあってのことだと思う。僕も皆んなも、守るのはこの場所とここの主だっていうのは忘れないで」 相変わらず眉間に皺を寄せながら長谷部は言葉なく頷いてみせた。光忠は少し眉を下げ「鶴さんは一応僕とか伽羅ちゃんが見ておくから」と言って離れていく。 長谷部は結局、あの稚児奴の意図がわからぬまま、そして御柱様の想いもよく聞くことができなかったのではと、いつも主命を求めている自分が一番盲目であったらしいということに気付き始めていた。 永らく、とても永く、多くの柱がいた。でも長谷部の記憶している中では、決して今のような事態に陥ったことはなかったはずである。御柱様が呪に陥れられた時から、必死に仕掛けた者を探そうと、とにかく御柱様に近づく者を毛嫌いしていた。御柱様が少しでも呪から逃れられる手段があればと、石切丸にも、太郎太刀にも、蜻蛉切にも、どうにかならないかと尋ねたのだ。自分の力には及ばないからこそ。 数日前の御柱様の言葉が頭に過る。 ――もう、永くはないのよ。逃れられないの。だから、新しい方を向いてちょうだい。 常から、御柱様に、あなたは直向きだと言われていた。でもそれは時に周りが見えなくなるという欠点もあるのだと、暗に伝えたかったのだろう。 その点光忠や、他にも幾振かいる刀達にはよく気づくものもいる。全くもって自分は不甲斐ない事をしてしまった、と長谷部は手袋が皺だらけになるほどきつく握りしめた。 ならば今度はこの場所と新たな柱を守らねばなるまい。現在柱となりかけている娘の姿を思い浮かべ、長谷部は大広間に座した。 「仮柱が退けられた事について、刀剣の皆々様方にお伺いをさせて頂きますが、よろしいでしょうか」 五十以上の刀が居並ぶ中、下座から紙面を垂らした役人が話すのは、降伏した大名が、敵国に呼ばれた時を彷彿とさせる。役人は、刀に対してはこういった態度だった。何事も起こすことなくが彼等の信条、マニュアルという奴に書いてあったと稚児が話していたのは聞いたことがある。どこの時代にも事勿れ主義というのはあるものなのだ。多くがそこへ流れていく。 「今玄能はどちらに」 役人の、問いに答えたのは加州だ。 「いつも鍛刀所に置かれていたけど」 「現在もそちらに?」 「誰かが動かしてなきゃあるでしょ。俺とってこようか?」 「ご同行願います」 「わかった。安定と長谷部と博多と薬研も一緒に来てよ」 思わぬ所から声がかかり、訝しい思いがありつつも長谷部は立ち上がった。長谷部は薬研と博多を前に、安定は加州と肩を並べ役人を先導していた。役人もこの御座所の詳細な部屋割りを事細かに知っているものはいないと言ってよいくらいであるらしい。それだけ、役人はこの御座所に立ち入ることは少ないし、御座所には刀剣と柱しかいないからだ。 ならば、稚児はどうだったろうか。刀でもなく柱でもない。ましてや役人でもないただの童だった。あれが立ち入るようになったのは、五、六歳の頃か。珍しいものがいるものだと、最初は何事かと着物を掴み上げて主の元へ持って走ったものだ。主は「学舎の子で、本が好きだそうよ」と穏やかに答えられた。主がその存在を認めているなら仕方ないと、それからは見咎めぬようになった。 あれはよくこの場所を熟知していたようで、仕掛け好きの鶴丸や隠れ鬼をして遊び相手になっていた短刀太刀や子供好きな刀たちの影響も多分にあるだろうが、よくひょんな場所からひょっこり出てきた稚児に出くわすことも合った。しかし不思議と長谷部が他の刀に小言を申し立てている時には稚児の姿をみかけることもなく。本丸の二階から屋根をつたって歩いていたのは記憶に新しい。こちらの視線に気づいて手を合わせ拝んでいたから一度目は許してやろうと思った。仏の顔も三度までだ。もし鶴丸なんかと共に歩いているのであれば追いかけて怒鳴りつけるところであった、鶴丸国永は常習犯である。 鍛刀所へつくと、加州がこちらへ手を差し出した。何かと目で問えば加州は眉を下げ小さく口にする。 「鍵……持ってるよね?」 「あ、あぁ」 物思いに耽りすぎていたらしい。鍵は今自分が持っているのだ。懐に手を入れ、取り出して加州に鍵を渡す。 古い形をした鍵である。くるくると四回回すとかちゃりと開く音がした。加州達が先に入り、玄翁を戸棚から取って鍛刀所の外にいた役人へ差し出した。 「拝借致します」 役人がそれを手にする。が、ふわふわと、役人の手には定まらない。役人がただの人であり、それを使うに値しないからであった。役人が仮柱を呼んでくるからと言い加州と安定と共に屋敷へ戻って行った。 残されたのは長谷部と薬研と博多である。二振とも所謂縁故のある刀で、よく長谷部を気遣ってくれていることには気づいていた。 「長谷部、ありゃどうなんだろうな」 言葉を濁しつつ、薬研が晩飯は何かと尋ねるような口調で言う。 「玄翁んこつ?」 「おう。柱以外が持つとあぁなるのは知ってるが、仮柱がきちんと持てんのかってな」 余りにも滞りなく今までは柱の継承が行われていただけに、今回のような事態は起こりえなかったことだった。だからこそ、長谷部としては鶴丸国永の独断的な行動が気になるし、刀共を唆すような真似をして、数振の主となった稚児のことはもっとも不可解であった。それは解せぬというだけであり、それらに怒りを覚えてはいなかった。前の御柱の手紙は長谷部の所へも回ってきていたのだから。 こんな事態になってしまった元凶が�W呪い�Wであると考えれば整合性は取れてくるのだろう。だから、長谷部も誰も頭ごなしに稚児に反対はしないし、あくまでも内密にことを進めていた。現在も。 「玄翁は力ある者が持てばある程度形になるだろう。仮柱も例にかなえばもてるんじゃないか」 「久方ぶりに刀に戻るなんざぁなんだか変な気分だ」 「じゃっどん、仮柱の背打ちじゃ俺ら皆玉鋼に戻ってもおかしくなかとね」 「そこだよなぁ。早いとこ済めばいいけどよ、なあ長谷部」 にやりと口角を上げた薬研か立ち上がった。 「盗み見いくと?」 「遅いから、�W呼びに行くだけ�Wだ」 「俺も連れてくばい」 「おうよ」 抑止力である筈の二人も、こうなってしまっては歯止めはきかない。さっさっと目的の遂行を済ませる気満々の顔である。 そんな知己二人を前に、長谷部はうな垂れたまま、仕方なしとため息を吐くと二人の後へ続くことにした。 二人は仮柱が控えているであろう室を把握していたらしく、迷いなく室を横切ったりしながら最短で彼らがいる室へとたどり着く。 壁に身を隠しそっと聞き耳を立てる姿は夜戦戦場さながらである。障子の端を博多がツツイと押した。音を立てず、僅かばかりの隙間が出来、室内が細い隙間から伺えるようになった。 博多は身を縮めて一番下、上に薬研が片目をつけ、中を覗いている。ここまで来て覗かぬ訳にもいくまい、と長谷部は一度周りを伺ってから隙間へと目をあてた。 隙間の向こうには、加州と安定の姿に役人と仮柱が揃っていた。 仮柱は首を振っている。役人が渡そうとする玄翁を持つことを嫌がっているらしかった。 「私には、できません」 「では、持って頂くだけで構いませんから」 役人は手に玄翁を捧げ持ち、仮柱へ渡そうとする。仮柱は少し黙って、逡巡の後、腹を決めたようだった。 「わかりました」 仮柱がそっと玄翁に手を伸ばす。ふわふわと実態を成さぬままであった玄翁は仮柱の手に移ってなお、原形をしっかりとは現さなかった。つまり、玄翁は仮柱には扱えないということだった。 動揺したのは、役人と仮柱である。玄翁は力ある者なら持てるはずなのである。 「どういうことだ」 「わかりません……」 怯えきった声で仮柱は答える。面隠しに閉ざされて、審神者の顔は見えぬがそれでも声音から感情が読み取れる程には平静さを欠いていることは見て取れた。 加州も安定もお互い沈黙してちらりと顔を見合わせている。と、加州が口を開いた。 「御柱様にかけられていた、何かが関係あるのかも」 皆が加州に視線を向ける。 「あんた達まで伝わっているのかは知らないけど。御柱様は亡くなるべくして亡くなった訳じゃない。うちの石切丸が言うには、誰かに呪をかけられていた」 安定は不快な面持ちで眉根を寄せる。役人は答えない。 「だから、その影響で玄翁が正しく機能しないってこともあるんじゃないかってこと。俺たちは暫く存在していられるから、その間に対処を決めてくれたらいいよ」 「ですが……、いえ。畏まりました、迅速に新たな繋ぎをご用意させて頂きます。それまでのご不便をお許し下さい」 役人は平服低頭で、告げた。 「では、我々は一度退出致しますので」 暇乞いをし、役人達が退出するというので、長谷部達三人は人のこない方へと隠れ戻った。 「加州が上手く言ってくれたが、どうしたもんか。新たな柱が立つ可能性はまだあるってことか」 「ばってん、あん玄翁はなんやろね」 「わからねぇなあ。あいつんときはおかしくなってなかったんだろ?」 「いずれにせよ、あれが帰って来ん事には俺たちも動けないということだ」 長谷部の言葉に、薬研と博多も頷き三人して急ぎ鍛刀所へと戻る。 正午も過ぎた頃、こうして再び御座所は刀剣達だけが残されることになった。 役人と仮柱が帰って行った後、遅い昼食が座敷に並べられ、皆が食事を取り始めた。主のいない食事とやらは随分久方ぶりのような気がすると、長谷部は感じる。主の具合が悪くなってからも、自分の食事などは二の次にして主に付き添っていたのだ。 長谷部にとっては、主とはやはりどこか執着するものなのである。新たな主か、と考えると全く頭が痛くなる。 「あの玄翁、ああなるって知ってた?」 斜向かいで食席についていた加州が鶴丸に尋ねる。胡瓜の漬物をぼりぼりと咀嚼していた鶴丸は頷いて返した。 同行していないはずの鶴丸が頷くということはつまり、鶴丸が仕掛けた可能性も高いというわけだ。 「誰も使えないってことじゃないんだよね?」 「あぁ」 「そっか」 加州もあっさりと理解してしまったようで、それから玄翁について話すことはなかった。 ← ■ → 頁: |