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Top| 1/8 栞 学寮は静かながらも妙な騒めきに包まれていた。 食堂が閉鎖され、全員が寮へと帰される。自室待機ではあるが、勿論教師の目の無い二階や高学年は思い思い他人の部屋に移動していたりするのが当たり前であった。低学年にかかりきりの教師達に代わり寮長が寮の扉近くの部屋で待機しているくらいで、大人の目は無いと言って差し支えない程度である。 なまえは数人の同学年と共に二階にある大広間で過ごしていた。 「これ考査前だったら考査延期とかになってたのかな」 「なんないでしょ。考査はいつも通り」 「えー。少しはあるんじゃない?」 「にしても、今回はなんもないし」 「試験終わっちゃったもんね」 「何があったんだろ」 この大広間にいるのは大体が適性試験を通り、進路が決まった高学年である。境内から離れて本丸に派遣されるまでの僅かばかりを過ごす者達なのだ。 駄弁りにちょこちょこ加わる小豆の横でなまえは眠気に負けそうになりながら雑誌を手に船を漕いでいた。腹も満たされ、昼過ぎといえば授業でも眠くなるというのに、こんな休日なら眠くもなるというもので、気の置けない友人達の中で最早自分の家である寮にいればそれはもうこっくりしてしまう。 ほとんど味のしない出涸らし茶を湯のみにつぎたし、コトリと前に置かれた音でなまえは再び意識を覚醒させる。目のあった小豆が苦笑して言った。 「そんな眠いなら寝なよ。なんかあったら起こすし」 「……うー、ん。いや、起きる……」 お湯を飲んでいるのと大して変わらない湯のみを傾け、なんとか目を覚まそうと飲みこむ。学寮へ一斉帰宅させられてから早二時間近く経とうとしていた。 広間に掛けられている和時計の表示に、冷水をかけられたように頭は目覚めた。提出期限である三時になるちょうど三十分前である。用紙は出すつもりなく燃やして灰にしてしまったから、今から慌てたところで何一つ変わることはないのだ。 けれど、御座所の方はそうもいかない。加えて御柱様のことだ。天井裏での記憶が蘇って空恐ろしくなる。ぐっと奥歯を噛み締めた。 今日中に戻ると言った手前、戻らなければならないだろうし、でも戻ったら最後、この平穏な長屋割の寮とはおさらばになるだろう。命とおさらばになるかもしれない最悪の事態は考えたくないものである。 さて、そうなればいかにここを抜け出すかである。皆が部屋で謹慎ということはまだ、政府側は情報を測りかねている。もしばれているならとっくのとうに、教師達から呼ばれてなんらかの尋問を受けているだろうから。ということは、御座所の誰かがうまい具合いってくれたと考えて良い。時間稼ぎをしてもらっている間、こちらに目が向いていない間にできることといえば独断行動だ。 刀達にまた戻るよと言った手前戻らないわけにもいかない。一番抜け出すのに適しているだろう時間といえばやはり夜だが、今は警戒が入っている。ならば夜はなおのこと人の目があるかもしれない。それならば勝手知ったる昼のほうが理由をつけやすい。 なまえは抜け出るなら今にしようと決めた。 「提出物だしてくるからあとよろしく」 「えっいまからいくの? まずくない?」 「期限今日までの、出さないほうがまずいかと思って。ってことでそれじゃ」 「気をつけなさいよー、フラフラ歩いていたからって減点されないようにね」 「まーうまくやるから。あ、晩に間に合わなかったらよろしくね」 「はいよ、いってらっしゃい」 友人たちのいつも通りの顔を見て、少し安心して大広間を出る。提出物というのは、全くの虚言である。 学寮から降りて寮長に見つからないように姿勢を低くし、渡り廊下へと向かう。渡り廊下も同じように姿勢を低くしたまま抜けた。靴の音が響かぬようひたひたと歩いて進む。なぜ学校内へわざわざ行くかといえば、人の目が届いていないからである。 教師たちは皆、学寮に閉じ込めた生徒達が、外に出ることに目を走らせている。ならば内側からかいくぐればなんとかなるというもので。 なまえは腰を落とした体勢のまま進み、廊下の奥に誰かいないか聞き耳をたてる。なんの音もしない。逆に怖いが進むしかない。 歩幅を早めて目当ての階段へ向かった。階段横にある道具置き場。普段から誰も入らぬ場所である。扉にも耳を立て再三確認をし、廊下に人のいないことを確かめるとなまえは手に握っていた細い棒を取り出し用務員室の古い鍵穴へ差し込む。あとは手慣れた作業だった。二、三回カチャカチャと音を立て、なまえが棒を引き抜くと、扉の鍵は開き、丸いノブを捻ってなまえは扉の中に滑り込んだ。ガチャリと戸が閉められて内側からなまえにより鍵がかけられる。 使われていない道具置き場は、掃除用具や、予備の備品、誰かがつっこんだままなのだろう画布も置いてある。その他に奥の方には缶詰もあるし、雑巾もある。タオルも布団シーツもあった。狭い場所をぐいっと通ると、一番奥の棚に向かう。壁際に置いてある軽めの棚を横にスライドさせると、地袋がでてくる。かべに作られているのだ。それを開き中を確認してから、なまえは迷わず潜り込んだ。なまえの小ささだからこそ動けるような場所だった。しっかりと軽い棚を元の位置に戻し、地袋の戸を閉める。 本当に狭い空間で、真っ暗になった。空気は通っているようだ。久々にこの道を使うが、この道は割に必要に迫られないと使いたくないくらい暗いし狭いし埃臭いし黴くさい。なまえは鼻に皺を寄せると、口に布で覆いをして頭の後ろで結んだ。年末大掃除の格好である。 懐から取り出した小型提灯に闇の中手探りで火を灯す。 ぼぅっとあたりが明るくなり、相変わらずの土壁がお出迎えしてくれた。炎はこの道を歩くのには重要だった。高低差はあまりないが、酸素の濃度は安定しているわけではない。 すぐに突き当たりの壁があって下に伸びる石の階段がある。なまえは石段を一歩一歩と降り進んだ。本当に人一人程度しか通れない広さである。暗闇に提灯をかざしながら、進む。 横は触れれば土で、けれど道はしっかり作られている。きっと御手杵や岩融では身を屈めたとしても通るのは難しいだろう。せいぜいがここで走れるのはなまえや鯰尾や骨喰くらいなものだ。 数分、半ば走るように歩いて、辿り着いた先の縄梯子を上に見る。辿り着いた先の板をガッと押し上げ目だけで周囲を伺ってから這い出た。板を閉じ、手を払う。久しぶりに使った道だった。 誰が作ったのか、学校の倉庫から、裏山にある寂れた祠のような場所につながっているのだ。初めてこれを見つけたのはこの山でだった。祠といえど、忘れられているようで、定期的な参拝も清掃もあらず、信心深いこの境内において、おかしなほどに忘れ去られている場所である。初めは恐ろしく思ったものだ。けれど、御座所から帰る山道で雨に降られ、仕方なしにここへ逃げ込み、雨宿りついでに掃除をしていたらこの仕掛けを見つけた。その日は雨も止みそうになく、ワクワクしながら地下通路を進んだ覚えがある。結局つながっていた先はよく知る学舎の倉庫で。その時出る際に戸棚を倒してしまったのは言うまでもない。でなければ出られなかった。あまりに人の手が加わっていたから、それを作った人物とかち合うのではないか、などと考えてあまり使わぬようにしていたけれど、今回は緊急だったから良しとする。 提灯をしまい、祠の外を伺う。誰もいない。もちろんこんなところに誰かいたらその方が驚くというもの。 祠から出ると戸を閉めて、森の中をさっさと進む。幼い頃から学舎と御座所を行き来していたなまえにとって山の地理はある程度頭に叩き込まれていた。それに、遠征帰りや非番の短刀と脇差に遊びをせがんだら、山で追いかけっこをすることになり、一護一振と青江と、堀川が迎えに来る日暮れまで遊びくれるというのもしょっちゅうだったから、自分よりもここを知り尽くしている彼等にどう一泡吹かせてやろうかと考えているうちにあっという間に山はなまえの庭となった。 なまえは山を下り、御座所の横にでた。 出てきた時と変わらぬ様子である。いつも通り草陰をもぐって入り込んだ。草葉から頭を出すと目の前に藍色の着物があった。 「やれ、こんなところから来たのか」 面白そうに顔を緩めた三日月宗近がそこにいる。内心びっくりしたなまえは言葉を飲み込みへらりと笑って見せた。 「そんなに葉をつけて、狸でないのだから落としておけ」 三日月の手甲を着けた手がなまえの頭に伸び、横髪を払われた。 「あ、ありがとう……」 三日月宗近の瞳がなまえをじっと見つめる。美しい相貌である。この世のものではない、まさに神々しいとでもいうべきか。しかしなまえはこの男が苦手だった。好々爺な気性は*みどころがないし、果たして彼の心中など全く知り得ない。刀の中にも伝聞による、出生やら縁起があって、その中でも彼は天下五剣と人に名指された刀のうちの一つなのである。 嫌いなわけではない。しかし無害だと言い切れないのが嫌なのだ。それじゃぁと立ち去ろうとしたなまえの言葉を遮り、三日月は言った。 「茶でも飲まぬか? 山道を走って喉が渇いたろう」 断るわけにもいかない。いままでほとんど会話したことのない三日月自ら自分に誘いかけるなど、話したいことがあるから、に決まっている。 「ええと、一度鶴丸に会ってからでもいい?」 「あぁ、どうせなら鶴丸も連れてきたら良いな。縁側で待っているぞ」 「うん、じゃあ鶴丸も連れてくる」 三日月に見送られ、なまえは御座所に入り込んだ。会いたいと思っていなかった人物にひょんな誘いを受け、どういう魂胆なのかと気になりはするが、考えても仕方ない。まだ結んでいない刀は大勢いるのだから。 それでも裏の室に続く縁側から上がり、廊下をすたすた進むと、どこかしらから声がする。普段ならば遠征や出陣に向かっている刀剣達が今は一堂に会しているせいだろう。 面子遊びをしていた愛染と蛍丸、平野と前田、秋田に五虎退、隅でごろりと横になっている明石国行がいて、こちらに気づくと遊びの手をとめた。 「稚児さん、おかえりー!」 「おかえりなさい」 愛染の元気な声にかぶさって、粟田口の短刀達が続いた。 「ええと、戻りました」 まさかここで、�Wおかえり�Wという言葉を聞けるとは思っていなくて少し戸惑う。もし、自分が何の力も持たぬただの子供で、ただの親から生まれていたなら家とはこんなものなのかもしれない。でも、そうだとて、これほど歳の近いような子供が多くはないだろう。 これ迄、いくら御座所に忍び入り遊びくれていたなまえを皆が認知していても、なまえは来客であり、御座所に属するものではなかった。けれど、変わってしまった。なまえは一部の刀の主となってしまったのだ。 「鶴丸、どこにいるか知ってる?」 「昼餉が終わってから見かけてないなあ」 「あぁ、どっかにいるんだろうけど」 「国行知ってる?」 蛍丸の問いに明石国行は下がっていた眼鏡を直すとこちらを見た。 「んー、知りまへんなあ。どっかで休んでるんとちゃいますか」 なまえの足下を駆け出て行った虎が五虎退の元へ戻ってきた。 「光忠さんなら、大広間にいるそうです。鶴丸さんのこと、知ってるかも……しれません」 「ありがとう。じゃあ行ってみる。失礼しました」 すたりすたりと、大広間へ向かう。鶴丸国永は居所の定まらぬ男だからどこにいるのかよくわからないことが多いとは、この御座所にいる他の刀剣達の談である。自分の座敷にいるものや、大広間にいるもの、鍛錬場にいるもの、神社にいるもの。畑や厩は当番によって違うが、馬が好きなものや畑の様子をよく見るものなんかは、当番以外でもそこにいたりする。つまりは、彼らがこの広い御座所のどこにいるか、把握するのは甚だ難しいということだ。 大広間に近づくと、何人かが話す声がした。光忠の声もする。五虎退の虎が教えてくれたことは大当たりだ。 障子を開けると、こちらに視線が向いた。 「お稚児くん、帰ってこれたんだね!」 真っ先に口を開いたのは光忠だ。お茶を入れてくるよといそいそ立ち上がろうとする光忠に、慌ててなまえは制する。 「いいんだ、あの、鶴丸さん探してて、光忠さんなら知ってるかなあと思ったんだけど……」 「あぁ、そうだったのか鶴さんなら多分よくお稚児くんと一緒にいるところで退屈してるんじゃないかな? 「あー、わかった。いってみます。ありがとう」 山菜の下ごしらえをしていたらしい。広間の一角は山の幸の香りで瑞々しい。手伝っていた薬研が顔をあげなまえを呼び止めた。 「稚児さん、後でちょっといいか?」 「ん? うん。じゃあまたこっちくるね」 「おう、よろしくな」 「わかった」 何か話でもあるらしい。これまた手伝っていた加州が安堵の笑みを浮かべていることになまえは気づかなかった。 いないという情報だけを手にしてなまえは屋敷の最奥部へと歩く。いつも鶴丸といるところと言えばほぼ一つである。階段を登り、廊下の奥の部屋に、白い着物に包まれ鶴丸国永は眠っていた。 そっと近寄る。なまえが鶴丸の元にしゃがみ込むと、その白い睫毛がぱちりと開かれた。 「よ、無事帰ってきたか。おかえり」 鶴丸は片手をすいと伸ばすとなまえの頭を軽くなでる。 「ただいま」 なんだか、鶴丸へは答えが勝手に出てしまった。なまえは自分が言った言葉に少し気恥ずかしさを覚えて目を逸らす。本題を思い出して起き上がった鶴丸に向き直る。 「あの、三日月さんに呼ばれてるんだけどさ。何か言ってた?」 「や、聞いてないな。ま、三日月ならただ話したくて呼ぶってこともあるだろうよ」 「そうかな……うん。鶴丸も連れてきたらいいって言ってたから、お茶飲みに行こう?」 「おおそりゃいいな! 八つ時だ、厨からおやつでもせしめてこようぜ」 「大広間に光忠さんいたから見つからないようにね」 もうかれこれ十年近い付き合いである。鶴丸はなまえが付いてくることはわかっているし、なまえも鶴丸がやることはわかっている。菓子の調達のため、二人は厨へと向かった。 鶴丸は羽織の袂に菓子棚から手に入れた茶菓子を入れており、袂は変な形になっている。対するなまえは茶盆に急須と三つの湯呑みを持って三日月がいるであろう縁側へと行く。 一体、三日月は何を話すのだろうと、なまえは考える。今まで幾ら本丸に入り浸っていたとはいえど、ほぼ全ての刀剣と話したことがある訳ではない。三日月もその一人で、小狐丸なんかもそうだ。石切丸はよく何かやらかそうとしていると見つかるので知り合いといえば知り合いか。後は今剣はたまに粟田口と遊ぶときに共に遊んでいたりもした。岩融は過去、肩車をしてもらった記憶しかない。 こんなに多くいる刀剣をまとめることなど、果たしてできるのだろうか。まだまだ刀剣は多くいるのだ。 けれど、あれだけの信頼を築き上げていた御柱様でさえ、はじめてここに来た時はまさに知らぬ刀達しかいなかったのだろうから、思えば少しは楽になった。 春の陽射しも傾いて、園庭を橙に晒している。園庭をのぞむ縁側の一角に、三日月宗近はいた。 「あいや、待っておったぞ。座れ座れ」 縁側には景色が見える様に一角が広くとられており、廊下より一段上がったところにちょうど炬燵くらいなら置けそうな場所がある。冬は炬燵がでることもあるし、春は識布と座布団が幾つか用意されている事が多い。 二つ、用意された座布団をとんとんと三日月は叩いて見せた。 なまえが端に座ろうとすると鶴丸が背を押してそっち座れと一言、見事なまえは真ん中へと座ることになった。内心会話らしい会話もした事がなくて顕現する数がびっくりするぐらい稀少と言われる三日月宗近の横に座っているというせいか、心臓が酷く鼓動しているのがわかった。 鶴丸とはまた違う香が鼻を擽る。一先ずと、急須に手を伸ばし湯呑みに茶を注ぐ。湯呑みを三日月方に置こうとすると、三日月の手が湯呑みを受け取り手が触れる。鶴丸にもすぐ湯呑みを渡して最後に自分の湯呑みをとった。 春とはいえ、夕暮れは冷えた風が降りてくる。手に持った湯呑みの温かさがじわりと冷えた指先をあたためた。 「なまえ、鶴丸はお主の刀足り得るか?」 三日月はなまえの目を見て微笑んだ。 藍色の瞳に輝く月はいつも穏やかな時を湛えていて、奥を見透かされるような気がした。 自分が鶴丸の主であることができるのか、そして鶴丸は自分の力になってくれるのか。答えは単純だ。 「鶴丸は、私の刀だよ」 契約とか、主従とか、今になるまで学んできたものは関係なく。もっと解りやすい物なのだ。なまえが鶴丸を信頼していて、鶴丸がなまえに至心を持っている。ただ、それだけでいい。 色々小難しく悩むのはどちらかといえば嫌いだ。自分はそういう柄ではないし、予想し得る所までしか、自分にはわからない。それこそ神ではないのだから。 御柱様が気をつけなさいと言っていたのは、きっとこういう所なのだろうとは思う。形に頼るようで少し癪だが、鶴丸と結んだのだから、鶴丸は自分の刀なのである。 「うむ、良きことだな。鶴丸を大事にしてやれよ」 三日月は一笑すると湯呑みを傾け茶を啜った。存外想像していたよりずっと温かい言葉で。問いに答えることで、もやもやと霧中にあった胸中の思いが日の下に晒されたような気分である。 「うん。ありがとう、三日月さん」 果たしてそれが年の功の為せる業なのかは定かではないが、救われたことは確かだった。 さてそれが本題であったのか、三日月の顔からは読み取れないがなまえは御座所の刀達と結んだことを後悔だけはしたくないと改めて思い直した。鶴丸もそんな二人のやり取りをじっと聞いていて、一息ついたのか茶を飲み、袖の下から出した菓子をポリポリと食べ始めた。勿論菓子は三日月となまえの前にもある。 「して、なまえ。なまえというのは仮名だろうな?」 油断してせんべいに歯を立てていたなまえは、久しく仮名との事も聞かなかったので、驚いて思いきりせんべいを噛み砕いてがりと音をたてた。 「うん、一応。まぁ、もう真名みたいなものだけど、呼び名がないと不便かなと思って」 「あの長谷部などは心配しておったぞ。名を知らしめる奴があるかと」 「ええっ、長谷部が? 仮名だしいいかなと……」 いつも何かにつけてきびしい長谷部が、ましてや自分を心配している姿などまるで浮かんでこなくて、なまえはなんとも言えぬ顔をした。 「気をつけてやらんとなぁ、鶴よ」 「ははっ、ま、ここが俺の主らしいところだからなぁ。それに、縛るならとうに俺が縛っているもんさ」 「それもそうか」 何やら自分が答えぬうちに納得しているらしいが、聞き捨てならない会話である。 「この明け透けな所に驚きが溢れているんだ」 老爺達の会話には混じりにくい。八つ時の菓子も食べずして抜け出してきたから成長途中の身は空腹を訴えていた。自分の袂から桜餅を出して頬張る。勿論二人の前にも供えてある。 こうしていれば、なにもかもが、平時と等しい気がするのに、ここにはもう御柱様がいない。ぽっかりと、空いている。 刀剣達は寂しくないのだろうか。ふと、最期に見た御柱様が脳裏に浮かんだ。まだ助ける手立てはあったのではないだろうかと、僭越な考えが膨らんでは消える。 これ以上考えていては彼らの前でふと泣き出すことになるかもしれない。こんなに長閑に茶を飲んでいる中で泣くというのもまたつまらないことだ。ぐっと涙を茶と共に飲み干した。 家族というものを知らない自分にとって、学寮よりも一番家族らしかったのは御座所の皆だった。学寮では同年代が多いし何より教師達は教師としてしか接してくれない。皆背伸びして、早く大人になって、一人前の審神者として本丸を頂くのが目標なのだ。後に、会うことが叶えば家族と会いたいなどという子も居たけれど、大半が顔も知らぬ両親と会って、更に想いの種を増やすよりかはもうずっと会わないままでいてもいいと、家族の心配を元にいう子もいた。 なまえは両親の所在も欠片も知らぬ。死んだと聞かされ育ったから、初めから両親など居ぬも同然であった。 「なまえ、そちらでは何かあったか?」 難しい顔をしてせんべいを咀嚼していたなまえの額をコツリと小突き、鶴丸が聞く。 「ん、と。学寮に生徒皆謹慎だって。何があったか知らないけど。で、暇してたから抜け出してきた」 「あー、なまえ、俺が言えたもんじゃあないが、謹慎の意味は知ってるか?」 「慎むこと。学寮の場合は外出禁止。学舎、寮から出ないこと」 「抜け出してきたんだろ?」 「でも学寮と寮から外には出てないよ」 鶴丸は半笑いでポリポリと頭を掻く。三日月は相変わらず茶を飲んでいた。 「屁理屈の上手い娘っ子だなあ」 座敷の奥から姿を現したのは日本号だった。いつもの酒瓶を片手にしている。恐らく空いていればここで一杯ひっかけるつもりだったのだろう。日本号は酒を片手に座布団も無しに縁側へと座り込む。柵の横木に肘をつくとこちらを見やった。 「御柱ってのも不思議なもんだ。午(ひる)の品を作ったのと、これとじゃあ正反対にみえるぜ」 日本号という槍は比較的御座所に来るのが遅かった。なまえが幼くして出入りしていた頃いたか、いなかったか、積極的に話したこともなかったけれど、酒飲みだということはしっていた。それくらい小さな頃の記憶は朧気で、はっきりしていない。 「午(ひる)、来たんですか?」 鶴丸からも、皆からも特に何があったと聞いていないと意を込めてちらりと鶴丸を見た。当の鶴丸はそんな視線に気づいていない顔だ。 「あぁ、なんだ、聞いてないのか?」 こくりとなまえが頷く。と、下を向いた視線の先に、亀が歩いていた。こっくりこっくり、歩を進めている。 「亀吉?」 ぽつりと名を呼べば、のっそりと首をもたげ亀はなまえの前で止まった。手を差し伸べると亀吉は相変わらずのっそりと指先から掌へ移っていく。 「浦島の奴、また探しているんじゃねぇか?」 日本号がぼりぼり頭を掻いた。と、噂をすればである。廊下の向こうからドタドタを走る音がして、件の彼がやってきた。 「あっ! 来てたのかって、亀吉!」 「迷子してたよ」 「ありがとーな、稚児さん。いつ来たんだ?」 「いまさっき」 「おーじゃあ、あの昼の柱のことは知らないだろ?」 「さっぱり、浦島教えてくれるの?」 「いいぜー! どこから話そうっかなあ」 こうして、老爺達は話し始めを挫かれ、若者達がきゃいきゃいと話すことになったのである。 「え、じゃぁ新しい人、帰っちゃったんだ」 「そうなんだよ! 玄翁が持てないんだって、博多が言ってたぜ」 「玄翁……」 一部始終を聞いたところで、思い当たる節があるなまえはふむ、と頬杖をつく。朝なまえが持っていた時は普通に使えていた。ということは、なまえが持つ前か、なまえが持った後になにかしら仕掛けられたのか。たぶん知っているのは、と最中を食べている鶴丸を見る。 鶴丸は素知らぬふりで最中を食べていたが、じっとみている視線に気づいたのか、もぐりと最後の一欠片を飲み込み、「ん?」とでもいうように首をかしげた。 「玄翁、何かしかけた?」 「俺がか?」 「鶴丸じゃないなら御柱様?」 「……まぁ、どちらにせよ、お稚児には使えるんだ。問題はないだろう?」 「そういうことじゃなくって。いや、うーん」 解せぬ、ということである。おそらく全てを知って握っているのは鶴丸で。この鶴丸が大丈夫だというのなら、大丈夫なのだろうけれど、自分は果たしてこれでいいのか。 「でもよ、稚児さんに使えるなら、俺も稚児さんを主にさせてくれよ!」 浦島の大胆な発言に、驚く様子も見せないのは周りの老爺たちである。多分一番驚いているのは自分だ。 「う、うん? 私でいいなら」 「稚児さんだから、言ってんだぜ。俺、稚児さんじゃなきゃ言わねぇから」 浦島はあっけらかんとした性格だから、これほどはっきり意見をたてる所はあまり見たことがなかった。今まで、兄として姉として、慕っていた刀たちが、今度は自らに従くというのは、中々おかしなものなのである。 「ありがとう。後で結びに行こう」 「おう!」 正直な所、なまえは面倒事が嫌いだったし、自分は悠々自適に過ごせるのが一番だと考えていた。だからこそ外郭勤ができればそれでいいとか、審神者にはなりたくないだとか、境内に集められた神子としては、周囲とは逸した言動や思想を有していた。 きっと、ただなにも知らないまま境内で過ごして、御座所の彼等と関わりを持つことがなければ、絶対に違う道を歩んでいただろう。つまる所、なまえも情に絆されたのである。御柱様という存在が、なまえの中ではそれだけ大きかった。いうなれば、祖母のような、否母のような、それでいて姉のような人であったのだから。 「んで、三日月の爺さんは結んでないんだろう?」 「あぁ。未だな。そういうお前さんもではないのか?」 「おう。ほかの二槍は結んじまって、おじさん仲間外れだわ」 「本丸に来るのが遅かったからなぁ、遠慮されてんだろうさ」 「ま、そうだよなぁ。爺さんも、鶴の爺さんも、勿論二槍も俺が来た時にゃ既に居たからな」 軽く話しているように見えるがこれは世代を超えて話していることがあるから要注意である。前者と後者の隔たりに八十年近くとかはざらだ。 亀吉に千切った麩を食べさせながら話半分に聞く。 「……浦島って日本号さんより先?」 「おーまぁな。俺は早かったけど、兄ちゃんが遅かったかなぁ」 兄ちゃんというのは長曽祢である。そのせいか、真作の虎徹は贋作の虎徹について、弟から予め説教なる教育を受け若干懐柔された結果が、贋作虎徹捜索に協力するほどなのだから。浦島の話術は伊達じゃない。 「つっても、お稚児さんは、誰よりも遅いからなぁ今んとこ」 「うん。知ってた」 恐らく蔵書蔵を漁るか、御柱様の書棚を拝見すれば、どの刀剣が何代目の柱の時加わったかなどが詳細に記述されているはずである。ここの柱になるならば、いずれ読む機会もあろう。 刀達が集まればどこにおいても調子よく話が弾んで行く。年高の者達は話の丈も高いので、こちらが暇を言い出さなければ、宵の頃を過ぎても話しているものである。彼ら皆器として生まれ出でた時は喋りもしなかったとは信じられぬくらい、人としてはよく喋るとなまえは思う。確かに、大倶利伽羅など、自ら語る事は少ない刀もいるとはいえ、やはり老爺達は口元朗らかに話すのであった。 そんな彼らの元を、厨へ行くとは名ばかりになまえはさてと切り上げ立ち上がる。浦島もなまえの気を知ってか、共に行くと言う。鶴丸は片手を上げて見送ってくれた。胡座に肩肘をついてにこりと口端を上げながら手を振る様子はまるで爺である。なまえもぱらぱらと気の無い手を振り返して浦島と鍛刀所へ行くことにした。 「お稚児さん、今日はまた戻るのか?」 浦島に聞かれてなまえは口ごもる。 「うーん、明日も休みだし、帰れたら帰らなきゃだけど……」 内心自分が結んでしまったからには御座所から離れ過ぎるのはよくないと思うのだ。曲がりなりにも主になってしまったのだから、責を全うすべく動くことが最善であると思う。 「多分ばれるのも時間の問題だし、ばれていないうちにやれることはやっておこうかな。ってことで、後で鶴丸に相談してみる」 拙い頭を捻って考えていた計画を、愈愈(いよいよ)実行しようと思いついたのだ。 「面白そうなこと考えてるだろ。俺にも聞かせてくれよー」 「頼りにしてるよ、浦島の兄ちゃん」 幼い頃呼んでいた呼び名で呼んでみれば自分より高い身長からくしゃりと頭を撫でられて「任せろ」と浦島は笑う。 廊下の続きを抜けると、茶盆を持った薬研がいた。 「お、稚児さん話は終わったのか?」 「切り上げてきたよ」 「だろうな。爺さんは話が長い」 「二人はよっぽど話し上手だよ。鶴丸もああ見えて話し長いし」 「俺らとお稚児さんとじゃ、時の流れから違うから」 浦島が言う。肩に乗っている亀吉を見つつ、なまえは答えた。 「うん、亀は万年っていうくらいだから」 「関係あるのかそれ」 薬研に笑われながら、廊下を進む。厨への分かれ道で薬研にどこへ行くのかと聞かれた。鍛刀所に、と答えると後から行くから少し待っていて欲しいお言われ、なまえは頷き薬研と別れた。 鍛刀所の前庭では白いジャージ姿の物吉貞宗が庭を掃き清めていた。物吉は馬当番も好むし掃除やら世話やらが好きらしかった。彼がそうしている姿をなまえはよく目にしていたのだ。鶴丸も第一に白いが、二番目に白いのではないかと思うのが物吉である。物吉はこちらに気づくと箒を動かす手を止め目尻を下げた。 「いらしてたんですね」 「うん、さっき三日月さんに見つかって」 垣根から首を出したところで対面したのは記憶に新しい。もっとも、多くの刀から稚児に対する印象としては一番似合っている格好だった。お転婆娘というところだ。 「鍛刀所に行かれるのですか?」 物吉は掃除の手をとめて、尋く。 「うん、あと薬研待ちかな。掃除の邪魔だったら鍛刀所から出ないようにするけれど」 「いえ、もう終わりましたし、大丈夫ですよ。ちょっとこれ片付けてきます。」 物吉はそう言って掃除用具を両手に物置の方へぱたぱた走って言った。 鍛刀所に入ると、今日は鍛刀もされておらず、静かなものである。鍛刀を手伝う式の姿もない。しかし、いつも通り玄翁は壁にかかっていて、特に怪しいところもない。手に持ってみるが、確かに持てる。 「おー、やっぱ持てるよなぁ。なんでだろうな」 「なんでだろう」 「お稚児さんがお柱ってことなんじゃねぇ?」 「……うーん」 そうなりかけているのだから、頷いてもいいのだろう。薬研を待つ間に、結んでくれというから浦島と契りを交わすことになった。 毎度、刀だけの姿になってしまう彼らにひやりとする。 「浦島虎徹」 名を呼べば、次の瞬間には見知った浦島の姿があるのだ。 「へへへ、亀吉共々よろしくな、主」 「うん。よろしく」 ガラリと戸が開く音がして、物吉がいた。驚いたような、不思議そうなでも好奇心を覗かせる瞳でこちらを見ている。 「浦島、主さん変えたんですね」 「おう」 「僕、自分がどうしたらいいのかって、考えたら、やっぱりお稚児さんの刀になることがいいかなって思ったんです」 「本当に、それは本心として?」 彼の人となりはよく知らないからこそ、今の機を逃しては物吉の本心を推し量ることができなくなってしまうだろうと思った。 「僕、あまりお稚児さんとお話ししたことありませんでしたから、どんな方なのか、すら知らないんです。でも、優しいお柱様がとても気にかけていた存在であって……お柱様は、お稚児さんに幸せになってほしいと、仰っていたから。だから、僕はお稚児さんに幸せを添えることができればと、思って。もし、お稚児さんが良ければ、ですけど」 一言に言い切った物吉は真剣な顔をしていた。 「うん。ありがとう、物吉くん。私があなたの主となることで、あなたの幸せの一助となれるなら、私をあなたの主にならせて下さい」 「はい、よろしくお願いしますね。僕お稚児さんの刀になります」 そうして、物吉の背に玄翁を触れさせる。物吉は白い鞘に収まった脇差の姿になった。もう一度鞘を手に、なまえは名を呼ぶ。 「物吉貞宗」 明るさの中に、物吉貞宗の姿があった。にこりと微笑む。 「物吉貞宗といいます。あなたに幸運を運ばせて下さい」 「よろしくお願いします」 横では浦島がこれで脇差連中も増えてきたな、とにこにこしている。さて、こうして契りを交わす刀が増えていくが、完全に自分がお柱の座につかねばならなくなる前に、なまえはやりたいことがあった。否、やらなければいけないことだ。 遅れて鍛刀所の戸が開いて、薬研がいた。 「遅くなった、が。稚児さん、俺をあんたの刀にしてくれ」 黒い瞳はこちらを真剣に見ている。彼は彼で、決めたのだろう。 「こちらこそ、拒む理由なんてないよ。ありがとう薬研」 ちょうど手にしていた玄翁をちょいちょいと振ると薬研は近づいてきて背を向けた。 「じゃ、いくよ」 薬研が頷くと同時背に玄翁をあてる。 短刀に姿を変えた薬研が手元に落ちてくる。鍛刀といえど、手頃な重さを持っているのだなと思いつつ、それを両手に彼の名を呼ぶ。 「薬研藤四郎」 呼べば呼応するかのようにその姿が現れた。 「よろしく頼むぜ、大将」 「うん、よろしく」 段々と、自分が稚児という立場から変わって刀達の主人になっているというのはおかしな気分で。中々慣れそうにない。けれど、始めてしまったことを終わらせずして逃げ出すなどということは、この御座所においては考えられないことなのだ。例えばここで、私が彼らを刀として戻して契りを切るにしても、まず彼らが切らせてくれないだろうし、それに、これほど御座所を引っ掻き回して挙句逃走できるとは思わない方がいいだろう。恐らく一生政府の元に身柄を預かられるのだろうから。 だから私は逃げられない。逃げ出すことを許されていない。ならば、せめて、お柱様を呪い殺した存在だけは突き止めたかった。狭い境内の中の出来事なのだ。きっと、手がかりはあるはずである。 「難しい顔して、また悩み事か? 大将」 薬研に言われてハッと視線を戻す。無理に頬を引き上げて笑って見たが、うまく笑えただろうか。 「ううん。晩飯の献立をね……予想してた」 「はははっ、俺は魚に一票」 誤魔化しにのっかて茶化してくれるのは浦島である。 「さて、戻ろうか」 鍛刀所の戸を開けて、三振りと一人は居間の方へ戻って行った。夕焼け空に、なまえはさて、さっさとお柱様の私室へ行って手がかりを探さねばと考えていた。夜ご飯は寮のものに誤魔化してくれと行った手前、夜は再び寮に帰らねばならないだろう。謹慎が解かれるのがいつかはわからないが、その前にことを起こすしかない。 謹慎が解かれる迄が、なまえに残された制限時間である。 ← ■ → 頁: |