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Top| 1/8 栞 お柱様の私室は酷く冷たい空気が嘘のように、ただ懐かしいお柱様の香りを漂わせていた。ここにお柱様がいないのがうそのようである。 夕時の前にと、なまえは一人、お柱様の私室へ来ていた。本当なら誰かに言うべきなのだろうけれど、お柱様の私室で捜し物をしたいなどというのは憚られて、結果的に何も言わずここへ来たのだ。 机は綺麗にととのえられていて、一切触られていないようだ。未だに貼られている、週決めの当番表は手書きで刀達の文字が綴られていて、来週迄有効である。 普段書類仕事をしたり日常的に過ごすこちらの室内には茶箪笥が置かれていて、硝子扉の向こうには刀達が折った折り紙細工が飾ってあった。中にはお柱様が教えてくれた蝦夷菊の折り紙も飾ってある。お柱様の作った青い花と、その横に少し不恰好な白い花。幼い頃、飽きずに付き合ってくれた刀達とめんこ遊びに興じていた自分に、少ない暇の中で教えてくれたのがこの花だ。未だにとっておいてくれたのだなぁと感慨さえ覚える。あの時は折り方を覚えようなどとは思わなかったが、今こうして呪を学ぶ身になると、折り紙のような古典的なものがいかに大切かを知ることになった。伝わっているものは永らえる程であるからこそ力を持つのだと。 感傷に浸っている暇は無い、けれど。 審神者とは孤独なものである。あのお柱様に友人が訪ねてきたことなどあったろうか。果たして親類の話を自分にしたことがあったろうか。実直に、ただ、実直に。仕事に励む姿しか記憶には思い浮かばない。 書見台がよけてある下には抽斗がある。一番上が今日の仕事で、二段目が長い期間の仕事。一番下が手紙だったはずだ。迷わず一番下を空けると、無味乾燥な国付の手紙がいくつか。全部さらって一枚一枚見てみると、その一つに書きかけの書面がある。 時候の挨拶も程々に、書面には次期柱候補について再検討を願う言葉が認(したた)められていた。柱は意外にも生きているうちに次の襲名者を知ることが出来るのかと思ったが、お柱様から幾つか遡る特例だったらしい。政府の対応も時が経つにつれ緩慢になっていたようだ。 名は記されていないが、"槿(むくげ)"と書面の中では呼ばれている。学舎の中で知る名を思い出すが思いつかない。ということは、自分の知らない生徒か、若しくは学舎にいない、この御座所の外にいる人物であるか、政府の人間であるか。 実際のところ、なまえはどのように新たな柱が決定しているかは知らない。正に白羽の矢とでもいうべきか、ある日突然新たな柱として選ばれ、人知れず柱が立つのかとも思っていた。基準の不透明さは、柱の立場から見れば不気味でもあるのだろう。 紙にはこれが宛てられる先である部署も記されている。ほとんどの者が真名を秘めて生活しているからか、戦国の時代記に記されているような長ったらしい部署名と位によって宛名が示されているのは少し笑えてくる。これでは間違いも起きそうだ。 末尾に月日が記されておらず、完成した手紙ではない。けれど、それ以外は封筒にも入れられていたから、あとは月日を書くだけである。 スゥ――と音がして、なまえがそちらに向くといたのは歌仙兼定だった。 「あぁ、いたのか」 歌仙は驚いた顔をしていたがすぐに気を取り直す。 「誰かに言ってきたのかい、君のことだから、忍び入ったのかもしれないけれど」 「人聞きが悪いなぁ、ねぇ歌仙、教えて欲しいことが」 すたすたと歌仙の前に歩いて、その目を見上げる。そういえば歌仙の顔をこんなじっと見たこともなかった。 「蝦夷菊の花言葉、知ってる?」 「君にしては珍しいことを言うね。蝦夷菊なら、"変化"や"追憶"や"同感"が一般的だろう」 「白い蝦夷菊は?」 歌仙はちょっと考えるようにしてから、茶箪笥に飾られているそれを目にして笑いを含める。 「"私を信じてください"」 「青は……」 「"信頼"、"あなたを信じているけれど心配"」 「……ありがと、歌仙」 もう用はないとばかりに立ち上がり室を後にしようとする自分に歌仙は目尻を細めて言う。 「もう、いいのかい?」 「迷う所時もないから、ね。決めたことくらいはやり遂げなくてはと思って」 信じてくれる人がいるのだから。 なまえという仮初めの名でも、それを愛おしく思い心を配ってくれる人がいたのだから。ならば、少しでも自分に正直に生きることが今できることだろうと。 などと考えてもいつも自堕落に生きているのだから、自分のやりたい方向へ行くというのは何も変わっていない気もするのだが。 「て、ことなんで歌仙さんお願いがあります」 改まって身を翻すと歌仙さんは面白そうな顔で見てきた。 「暫く分の握り飯を、兵糧を御座所の台所から頂けますか」 突飛な願い出を、歌仙は仕方ないと言った様子で受けてくれた。しかし時が許すなら夕食くらい食べていけとのこと。何か企んでいるのなら、誰でもいいから一人くらい刀を側に行動をしてくれとのお達しであった。久々に小言を言われたものだ。長谷部からの走るなとかなんだとかはよく聞きすぎて日常茶飯事なのだが。 言われてしまえばそうせざるを得ない訳で。歌仙と別れてから後は、と思い出してお柱様の寝室にある洋服箪笥の一番下から麻紐につけられた鍵束を取り出した。 後は再び忍びいれば準備は整うだろう。身一つというのもなかなかに心もとない。全くもって自分の呪術は未熟であるからだ。今ばかりは刀剣男士が羨ましく感じてしまう。身一つで戦えるとはどれほど心強いのだろうかと。 夜はこんなに暗かったろうか。 まるで物音がしない。 「お稚児さん、気をつけろよ」 宵闇に細められた薬研の瞳は一言心配だと示していた。頷いて、にっと笑って返せば、薬研はふと息を吐き苦笑を浮かべた。 「なんせ、薬研の兄弟が一緒だから、大丈夫だよ」 「そーだな、なんせ俺の兄弟だ。頼りにしてくれや」 ちらりと市庁舎の方向を見上げる。共に立つのは、五虎退と物吉貞宗と、夕餉の前に結んでくれと骨喰と共にやってきた鯰尾藤四郎。そして珍しいことに(というよりはお目付役としてなのかもしれないが)堀川国広の面子である。 対する見送り組はいつの間にやら団子のように群れている。誰かしらの耳に入れば、噂が駆け回るのもあっという間なのだ。 歌仙と別れた後、鶴丸と近くで仕事を終えていそうな数人を呼び止めて「市庁舎に忍び込んでお柱様の呪の原因を確認したいから、今夜忍び込みます」と言ったのだ。 やはり皆突然の言葉に目を丸くするものもいたし、察していたらしい加州なんかは「誰を連れてくの」と険しい表情で聞き返してきた。 物吉貞宗には、あらかじめお願いしていた。明らかに正々堂々とした侵入ではない。潜みいるのだし、それなりに危険だろうから嫌ならば断ってくれていいと前置きして聞けば「少しでも幸運を運べるなら、僕はお伴しますよ」とあの笑顔で言われてしまっては、験担ぎとして連れて行こうとしていた自分の魂胆が見え透いていて、謝りたくなるほどである。 「物吉と、あとはこれから決めようかと」 「主はどう考えてる? 編成について」 加州から、主と呼ばれたことに内心驚きつつも答えを返す。 「夜忍び入るし、偵察と隠蔽が高いほうがいいかなと。まして、誰かの命を奪いに行くわけではないからね、とにかく潜入に適したってことで、脇差短刀の編成でいこうかと」 「うーん、主、俺たち打刀も夜目効くんだからね」 「出来るなら打刀にもお願いしたいんだけどね、狭いところ通る予定で、多分太刀あたりからは絶対無理だろうなと……」 大変申し訳ないという体で言うと理解してくれたらしい。流石短刀と同じような身長の自分が言えば真実味しか感じられないといって差し支えない。 それで、洗濯物を抱えたままの堀川が連れてこられて、事態を理解していない彼に加州がマシンガントークで流れるように説明する。洗濯籠の中で乾いている服やらをなまえは横でちゃくちゃくと畳む。誰のだとか、この紐はなぜ紐だけなのかとか色々最初は疑問だったものの、大分慣れてこれが彼奴の腰紐かとか、足袋名前書いといてくれよとか思いつつも大分分別できるようになった。これを大体全部覚えてる堀川はほんとうに本丸の母である。 「ってことだから、俺行けないのすごい不服なんだけど。堀川に俺の代わり頼みたいなって」 「お稚児さん、忍び込みますって、言うけど」 「大丈夫、順路は決まってる、行き先も。でなければ、こんな危ないことしないよ。加州にはお伴同伴ってことで許可してもらったし、堀川先生が曲がった事をしたくないなら拒否してもらって構わないんだ」 だって、もともと一人で忍び込むつもりだった。鶴丸が突然自分の刀になるだとか言いださなければ、お柱様の死を確認して、呪をかけたやつを暴き出すぐらいはやってやろうと思った。あわよくばそんな奴が柱の近くに寄れるかもしれないという恐ろしい状況を次代の柱の為にも、そして学舎にいる者たちの為にも炙り出して公的に制裁を与えるべく暴露してやるかという辺りまでは考えていた。 だから、この計画は元からあったもので、不可効力により人材が増えただけなのだ。 「仕方ないな。加州の頼みでもあるし、頼りの兼さんは背が大きいしね。僕でよければ一緒に行こうか」 そんな訳で決まった面子が物吉貞宗と堀川国広。他の面子は渾身の遊戯、じゃん拳にて選出された。脇差短刀が至極真剣にじゃん拳をしている姿もなかなかに面白いところがある。 結果、物吉貞宗、堀川国広、鯰尾藤四郎、五虎退が選出された。まさかの五虎退がじゃん拳につよいということの方になまえは驚いていたけれど。 一番事の次第を見守ってくれている、鶴丸がこの計画に入れないとわかってから、なまえは鶴丸に全てを話した。道順から、忍び込む場所、時間帯。帰る時に通ろうとしている場所、と。 鶴丸は一言一句逃さぬようじっと聞き凝視して手製の図案を眺めていた。 共に入れないのは心もとなくとも、待ってくれているのだろうから、きっと。 「鶴丸。最後に験担ぎ欲しいな。言霊で」 これほど、迷信やら信心に頼っているということはつまり、自分が臆病になっているというところだ。 「あぁ、なまえ。君は絶対に無事皆んなでここに帰ってくる。そして、成功を祝って笑うんだ。絶対に大丈夫だ」 鶴丸の筋張った大きな手がなまえの髪をくしゃくしゃと撫で、最後にポンと叩かれた。 「ここにいる奴ァ、ついていきたい奴らばっかだが、一人足りともかけることなく帰ってくるのを皆んなしてまっているからよ」 さて、出立しようかといった所で廊下の奥からドタドタとはしる音がして、皆が路をあける。 「間に合った。はぁ、は。お稚児さんこれを持っていって」 石切丸が腰を下ろしてこちらに渡したのは木綿と絹の刺繍が入ったお守り袋。神自身が祈祷してくれたお守りである。これは効きそうだ。 「ありがとう。石切丸。持ってくね」 刀たちはそれぞれ、出陣時に持つお守りを身につけているし、お守りがないのがなまえだけだったから、なんだか仲間にしてくれたようで、知らず心が温まる。 「それじゃ、今度こそいってきます」 石切丸からもらったお守りを懐に、御座所を後にする。予め共に行動してくれる皆にも忍び込む概要は伝えてあった。腰に兵糧やら何やらを入れた風呂敷を結び袂にも胸元にも色々と忍ばせて、準備は万端である。 暗いままでも夜目が利く四人が前と後ろに二人ずつ。灯りを持たずともスタスタと歩いていく。本当に昼間と変わらぬ動きである。一人で忍び入ろうとしていたことを思うとずっと心強かった。 御座所の裏から垣根の下を通ると、山に出る。山を幾ばくか登ると、古井戸があるのだ。ちょうどなまえなら足を踏み外せば底に向けてひゅうと落ちてしまうだろう。 早速たどり着いた古井戸を覗く面々。 「よく、こんなとこ見つけたね、お稚児さん」 「森歩き回ってたついでにね、枯井戸なのかと思って降りてみたんだけど、そしたら見つけた」 「まず枯井戸に降りようとおもっちゃダメだってば……全くお稚児さんは知らない間に色々危ないことするんだから」 「さ、さっそくいきますかー。先頭私でもいいかな?」 にっこりと笑顔を浮かべた堀川がなまえの肩に手を置く。 「駄目。先頭は僕が行くから」 「はーい。よろしくお願いします先生」 有無を言わさぬ迫力にこれは帰ったらこってり絞られそうだと思いつつ、先頭を堀川先生にお願いした。 縄を鉄瓶を垂らす井戸櫓に下げて、片側を堀川に持ってもらう。彼らの身体能力からすればそんな不器用なことをしなくともさっさと下がっていけるのだろうけれど。ここはなまえのためらしい。 下へ行こうとする堀川に、待ってと言ってなまえは懐から蝋燭を出す。 「念のため、これ持ってって堀川。火は降りるときにつけるから」 「わかった。えーっと、咥えてっていいかな?」 「構わないけど、気をつけてね」 確かに両手がふさがる彼に持たせるのは酷だったろうか。自分がやるのであれば、頭につけてしまうのだが。姿はまるで丑の刻まいりである。流石に堀川にそれをさせるのは憚られた。 蝋燭台を口に咥え、顔の前に蝋燭を灯した堀川はスゥと縄を伝って降りていく。片方の縄を掴むのは鯰尾である。 ある地点まで行くと梯子が付いているのだ。その地点でロープを離し、二度引っ張ることになる。大した時間もかからず底の底の方にぼやりとした明かりが微かに見えた。空気は変わらず循環しているようだ。 二番手が五虎退だった。いつもはとても怖がりな印象な彼だから、降りる間際に「ごめんね」と口走ってしまったら、彼ははにかむように笑って「大丈夫です」と答え降りていった。 さて、次に降りるのが私である。 滑車にもう一つ縄を引っ掛けて、鯰尾がもつ縄を持ち降りて行く。いつも古井戸に入るときは浮遊感がするが、今回も同じくである。途中の梯子に足をかけ二度引っ張る。もう片方の縄はそのまま手に持ったままだ。 次に物吉が降りてきて、縄を回収する。自分が持っている縄を物吉にも持ってもらって、上から二回引っ張られるのを合図に、鯰尾がこちらを錘にしてスーッと降りてくる。伸びる分の縄を伸ばして鯰尾が梯子に到達するのを待つ。一度縄が緩み、二度引っ張られた。到達したらしい。堀川が差し上げた燭台の明かりにぼんやりと鯰尾の足と髪が揺れた。 無事、全員が井戸の底にたどり着いた。縄は鯰尾が引っ張って井戸の上から降ってきた縄を手に回収した。 先陣を切る堀川に蝋燭は任せ、横にぽっかり開く穴の方へ皆を促す。暫くはかなり狭い。なまえでさえ、膝を曲げて進まねばならない。湿気臭いのは、この先が水路に続いているからであった。 予め巻いてあった布を鼻まで上げて、なまえは進む。ここまで炎が消えなければおそらく酸素も大丈夫だろうと思うが、着くまでは蝋燭をつけていてもらうことにした。 横道を進み、暫くすると水が流れる音が聞こえ始める。唐突に道は広くなり、整備された上水道に辿り着く。 上水道にきて、一度蝋燭を消してもらう。誠に真っ暗闇になるが、それでも見えている彼らがいれば安全であるし、自分は壁の端を草履の横で触れていれば水に落ちることもない。整備用に作られた道であるからそこ迄歩きにくい訳でもないのだ。 ここからが勝負であり、この境内全域に対応している上水道はまさに迷路である。当たりをつけて歩くこともままならないほど迷路である。そんな訳でなまえは審神者の書物庫から掘り出し物の一品を写してきていた。大体は頭の中に入っているが確認のために出す。それから、パキッと折ると暫く光ってくれる輪っかを折り腕につける。微弱な明かりだが、無いよりはマシだ。折りた地点を確認し、最終的に向かう地点も確認する。道順をきちんと数えた。 「ここ右に曲がってイー六の突き当たりまで真っ直ぐ。イー六から左」 迷路のように入り組んではいるものの、番地の名前は振ってあるからそれさえ理解すればなんとかなるものである。横に水路が流れる音を聞きながら黙々と五人は進んだ。無駄に声が響くからといって、潜めて話せば水の音に掻き消されてしまうし、微妙な空間で会話をする気にもならない場所である。 宣言通り着いたイー六から左に向かうと地下へ向かう階段が現れる。 「さらに下に行くの?」 「うん。降りたら右」 堀川に答えつつもう一度地図を確認する。入り組みようの恐ろしいところといえばこれである。上水道の機能だけであるのに、上下とわかれているのだ。まぁ狭い境内の全体に水を回そうと考えれば入り組んでしまうのも仕方ないことなのだろうけれど。 階段をさらに降りて右を進む。程なくして柵のかかった扉が現れる。鯰尾が開けようと手を伸ばすが鍵がかかっている。 「お稚児さん、ここ通れなくない?」 「大丈夫ー、今開ける」 腰紐に麻紐で搦めていた鍵を引っ張って一つを鍵穴に通す。鍵はカチャリと開き、ギィィと古びた音が水路に響いた。 鍵は閉めてくれと殿の鯰尾に伝える。 柵のかかった先は一本道になっており、左に折れている。それをずっと進んでいく。道なりに何度か折れて進んで、真っ直ぐ進むと、扉と階段がある。ここでもう一度階段に戻る。階段を降りた先の鍵を開けて、柵の外に出ると鍵をかけ直す。 場所表示はチー四だ。合っている。時刻は深夜。まず問題はないことを願う。 チー四からさらに右に曲がり、左に曲がり、最終的に水の流れる場所の横、梯子に辿り着いた。 「さてと、偵察お願いします。誰もいなさそうだったら一気に行くよ」 堀川が先手を切って、梯子を登る。雨水管を持ち上げて、堀川は暫く伺うとこちらに手を出して来るように示した。 皆で上がる。こもっていた空気から解放されて、途端に色んな香りが鼻に入って来る。雨水管を元に戻すと、横を見上げる。真っ白な建物だ。市庁舎である。市庁舎のちょうど左奥に位置する場所に今五人はいる。なまえはさっさと進むとルートを見つける、ルーパー型になっている窓である。中が女子厠であることも調査済みだ。風呂敷から小型のドライバを取り出すと、ルーパーのネジ部分を外す。三枚ほど外してから五虎退に振り向く。 「ここ女子厠なんだけど、ここから入って出たら右側に腰掛け窓があるから、そっちから皆んなを引き入れて欲しいんだ。お願いします」 「わ、わかりました。やってみます」 鯰尾が五虎退を抱き上げ、窓に登らせると五虎退は虎と共にスルスルと入っていった。よろしく、とサムズアップを送ってからなまえはルーパーをさっさと嵌め直して手ぬぐいで拭い証拠隠滅を図った。 カラカラと控えめな音で横の腰高窓が開く音がして皆でそちらに移動する。 「あの、誰もいませんよ」 小さく五虎退がこちらに告げる。暗闇の中ではあるが、なまえはにっこりと微笑んで返した。さて登るかと思えば鯰尾に脇をかかえられる。 「え?」 「ほら、お稚児さん小さいから」 「五虎退よりちっさくないし」 「同じようなもんだって、ほら登って登って」 後ろで堀川に笑われていたのは聞こえている。まったく、少しばかり背が高いからといって兄貴面をするのだ、と思うが彼らは幾千年生きる仙人だった。到底背でも勝てやしない。 ともかく、なまえは市庁舎の一角の廊下に立ち、後から来る鯰尾や物吉や堀川を引っ張り上げた。五虎退には「大丈夫です、僕にとってはお稚児さんはいつでも大きいですよ」とふんわり慰められてしまったので、可愛さに免じて流すのである。 さて、市庁舎への忍び込みは完了した。時刻も余裕を持って見積もり通りだ。 ここからやることはまだ沢山あった。大きく分けて二つ。一つは�W槿�Wなる人物についての資料を探す。二つ目は、未だ安置されているはずのお柱様を探し、呪いの検分をすることである。一夜中に全てが済んで終えられればそれが一番良いのだが、どうも一筋縄でいく気はしていない。 向かうは住民票を扱う市民課の倉庫と、現世との交通門が開く記録が為されているはずの交通門課である。死の記録なら、防災課にもあるはずだと言付ける。誰もいない市庁舎のロビーは嫌に広く、静かだった。 なまえと物吉が市民課の倉庫で�W槿�Wの資料を探し、防災課を堀川が、交通門課を五虎退と鯰尾で手分けすることにした。何かあったら、二階の多目的室の窓から露台に出て、左隣にある緊急階段に飛び移って下に降り、茂みに隠れてやり過ごす、もしくは、三階まで登って洗面所の窓から梯子に飛び乗って屋上へ行く、というパターンもある、が。やり過ごせる方法で、そしてなまえは一人にならないこと、と堀川に約束された。 三人と別れ、暗い中を市民課の方へ進む。住民票は二つに分かれていて、表側に出ているのが、現在境内に居住する学び舎の生徒や、教師、寮母などであった。こちらは五虎退に頼むことにして、倉庫の方へ向かう。 倉庫の中は嘗てここで学んでいて審神者となり境内を離れた者たち、また審神者ではなく外郭仕事を選び境内を離れた者たちの住民票が所狭しと並べられていた。境内から外郭へ入った者だけでなく、外から外郭へ入った者も票が作成されている。 槿という名一つから果たして探し出せるだろうか。なさそうなところから潰していこうと、審神者となった者たちを探し出す。確かにここにはない。なんとなく先輩のその先輩として名前を聞いたことのあるような人たちばかり。皆自分の本丸で仕事をしているのだろう。 次に境内から外郭へ降りた者たち。この中に槿はいないが、お柱様が書いていた手紙の宛先を見つけた。お偉いさんだったろうに、境内の市役所には残らなかったのだろうか。外郭で働いているらしい、が最後の項目に時空転移により消息不明から後に死亡と書き加えてある。時空転移装置が不備を起こすなど一大事であるがこんな話が話題になったことはない。それも十年前のことだ。話題になっていないということは、それ以降その不備は起こらなかったのだろうか。また調べることが増えてしまった。 脇道にはそれたが、絡みそうな情報は手に入れた。 時間を無駄にしてはいけないと、次に外から外郭に入った者たちの票を漁る。外からというと、やはり未亡人が多く圧倒的に女性が多かった。その中に、なまえは�W槿�Wを見つけた。 ← ■ → 頁: |