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Top| 1/8 栞 堀川がここに来るのはいつぶりだったか。ずぅっと前のお柱様の近侍として来たことがあったような気もする。内装は多少小綺麗になっているとはいえ、異空間であるという都合上余り大改装は行えないらしく、空間的には変化がないようだった。 防災課に向かいながら、なまえの逞しさに改めて頭を抱えたくなる。普段、堀川が長い間見て来た女子供はあんなにすんなりと忍び込む術を持っていなかった。鮮やかで迷いのない手際の良さに感嘆すら覚えてしまうが、慣れているということは日頃からどこかでその術をみがいていたのだろうから、自分の主としては気をつけて行き過ぎたら叱ってやらねばとも思うのだ。 「まぁ、今はそんな状況じゃないけど」と独り言ち、防災課の扉を開ける。受付の後ろの棚から死去の列を探す。 決して刀剣達が記録されることのない棚である。中には学寮の生徒が亡くなっていたりもしたがお柱様の記録は見当たらない。もしやと、倉庫のほうへ回ってみると大当たりだった。ここには更に境内から出て本丸を持っていた審神者の死も記録されている。彼等彼女達は戦に出ない筈なのに何故死んでしまうのか。力の過剰使用、霊気が無くなったが故、持病、疾病による病死、酷いものとしては本丸が襲撃されたという記録まであった。中には離叛と記されているものもある。御座所で過ごし続けていた堀川には俄かに信じられない事実だった。 先代のお柱様がまず珍しいことに呪いと思われる現象により、衰弱死した。それ以前、お柱が老衰や病死以外で亡くなったことはなかった筈だ。皆、それぞれ皺くちゃの顔になって、僕たちとお別れをした。そして、またすぐに新しい審神者がやってくるのだ。 比較的新しい方の資料に、お柱様と思われる資料を見つけた。死因の欄は病死となっている。備考欄には紫斑だ。堀川は予めなまえから渡されていた薄型の写真機で資料を撮影し、元に戻した。確かに他のお柱の死因にある病死なのだから、資料的におかしな部分はないだろう。その真実を横で見てさえいなければ。 自分の仕事はひとまず終わったので近さも考えて鯰尾達のいるだろう交通門課へ向かう。 交通門課に着くと五虎退の虎が一匹中へ走って行って、帰って来た。共に五虎退が出てくる。 「堀川さん、終わったんですか?」 「うん。そっちはどう?」 「見つかったにはみつかったんですけど……」 「何かあったの?」 困った様子の五虎退に着いて行くと資料を見つめていた鯰尾が顔を上げる。 「堀川、みてこれ」 差し出された資料を取ると、お柱様の記録らしい。 「外郭への移送は行わず、境内市庁舎地下にて荼毘にふす……ってこれ、昨日の日付だよ?!」 「うん。てことはさ、お柱様もうご遺体残ってないのかなって」 「嘘……」 「日の本なのに。通夜も何も、別れもなしなんてね。柱ってだけで」 「……鯰尾」 「わかってる。それに変なことがもう一つ。これ見てよ」 そう告げて鯰尾が差し出したのは境内の学舎生徒の死亡記録だった。これの最後にも同じく境内市庁舎地下にて荼毘にふすと記録されている。 「この地下に、火葬場があるってこと?」 「うーん、なわけないよね、煙突もないんだし。俺らだって煙がたちのぼってたら気づくと思うから」 「虎さん達も、火の匂いはしないって」 「でしょ? 五虎退もこういうし、なんかおかしいなって。他の審神者の死体もさ、わざわざ市庁舎に持って来て地下で火葬してるみたいなんだよ」 「そんな施設もないのに、おかしいってことか」 あっと三人の顔が入り口に向けられる。そこにはなまえと物吉が立っていた。 「びっくりしました……」 「ごめんごめん。こっちは終わったよ。無事槿を見つけた」 「僕も上々かな寫眞も一応撮ってあるけど、お柱様は病死ってことになってたよ」 「俺も寫眞に記録してあるから話すよ。ただ、その前に場所を移動しよう」 場所を写すとはいえ、市庁舎に長居するわけにもいかない。なまえは粗方気になる記事は写真機で撮影していた。市庁舎内部の地図なんかを。 それで、どこに移動するかといえば、やはり水路であった。 入った時の逆で、まず窓からなまえと鯰尾と堀川がでて、腰掛け窓の施錠をし、ルーパー窓をなまえが開けて五虎退と物吉が戻って来た。後始末をして、雨水管から五人は地下へと戻った。 地下へ戻ってからある程度人のこなさそうな開けていると場所へと移動して、五人で座り込む。夜半も過ぎもうすぐ朝なのだ。 健康な睡眠をとりたいなまえは眠気すら覚えている。その前に、状況報告だ。 「ええっと、手に入れたい資料としてはそれぞれ手に入りました。ただ、お柱様の遺体はもう荼毘に付されている、というのは腑に落ちない。その書類の書き方からするに、地下に安置しているままなのではと思うんだ。だから、私は市役所の地下にも行こうと思ってる。けど時間が足りないので昼を過ごしてからまた忍び込もうかと思うのだけれど、四人の意見を聞きたい」 ちらりと四人をみる。まず堀川が口を開いた。 「お稚児さんが忍び込みたいって言った最終的な目標の達成がそれならば、お供するまでだよ。ただあまりに危ない状況になったら僕は引き摺ってでも帰るからね」 「堀川に賛成かなあ……、御座所は俺たちにとっちゃ安全だけど、柱にとっては危険だ。本来の制度が保たれてないってことは、どこかおかしいってことだし。それに今の主は、どこで見つかっても怒られる未来しかないもんね。一緒に隠れといてあげるよ」 「僕は……、僕も鯰尾兄さんと同じです。主様のこと守るためにいるんですし」 「僕もご一緒しますよ。お昼は情報共有をして腹ごしらえをして休息をとってまた夜、忍び込むのがいいと思います。その間もお守りしますね」 主となると、こうも刀は人を守ろうとするのだなと不思議に思う。彼らは主など流動するものであるはずなのに、その主がいなければ彼らは刀足り得ないからなのだろうか。今までと百八十度違うような気さえしてむず痒かった。私は守られるほどの立場ではないのに、と思ってしまう。でも、お柱様の呪の真相を知るまでは彼らの守りほど心強いものはない。 情報共有は手短に行われた。 お柱様は書類上は病死であり備考欄には紫斑とあった。それ以上に何かしらが付け加えられていることはなく。地下にて荼毘に付されている。しかし、この地下にて荼毘にふす、という行為が最近の亡くなった審神者についての処遇として多く行われており、外郭へ移送はされず、外郭で葬式を上げている様子もない。つまり、市庁舎の地下にて、遺体が保管されている可能性が高い、ということだ。鯰尾が探してくれたが、この地下にて荼毘にふすという行為が始められる以前はきちんと外郭へ移送して葬式か、その後現世へ送り遺族による葬式が行われていたらしいのだから、よりきな臭いというものである。 二つ目、槿は現世から外郭へ来た人物である。身寄りはなく、後見人を立て外郭で仕事をしていた。 審神者としての才があれば、政府は必ず歳に関係なく教育をつけて本丸送りにするはずである。しかし、それもなく、外郭で仕事を続け、突然のお柱として抜擢。全く妙な話で何か裏があるとしか思えない。 お柱様がどれほど槿の事情を知っていたかは知らないけれど、この不自然な抜擢には気づいていたのかもしれない。 となれば、昨日きた仮柱は槿だったのだろうけれど。早々に蹴りをつけなければ。 早く、地下にいこう。 「お稚児さん。難しい顔してないで、寝なよ。僕の膝貸して上げよっか」 「えっそんな恐れ多い、堀川先生のお膝なんて」 「なにが怖いのさ」 「やっ別に……」 「ほら、寝なって」 「それ堀川寝にくくない?」 「僕は暫く起きてるからいいよ。寝るときは退かすし」 「あっはは、それなら、おやすみー」 退かされるならいいや、と堀川の膝に頭を乗せて横になる。最近の寝不足が祟ったのか、かたや地面、微かに水音、湿り気のある空気という悪所の中でもすやすやと眠りに落ちることができた。 堀川はなまえが寝たのを確認すると、鯰尾にも物吉と五虎退にも寝ていてと言った。四交代で見張ろうかという話になったのだ。 大体一刻で交代である。一番はじめは堀川が起きていた。次に鯰尾が起きる。真上は真昼間である。水流の音以外静かなもので、すやすやと眠る兄弟と刀達となまえ。結局退けると言ったものの堀川はなまえをそのままにして眠っている。普段からなまえに対して色々と叱言も言っていたが、可愛いからこそ言うのだろう。何も臆せず好奇心にその目を見開かせた一人の児が走り回るのは、見ていて楽しいものだ。だからこそ、この歳になるまでもずっと御座所を出入りする姿を見咎められずにきたのかもしれない。結局のところ、なまえの存在はどうにも快いもしくは邪魔にならない存在だった。一部の頭の固い刀剣からしたら気を使わなければいけなくて、煩わしかったろうけれど。怒鳴る長谷部の前に正座していたなまえがそのうち居眠りし始めたのは笑ったなあと知らず思い出し笑いを鯰尾は浮かべた。 と、思えば眠っているなまえがぱちりと目を覚まし、起き上がる。片手を口に欠伸をして、なまえはこちらを向く。 お・は・よ、と声もなくこちらに話しかけてくる。 「おはよう」 小声で返すと頷いて、腰をあげると鯰尾の隣に歩いてきて座った。寝ている三人を起こしたくなかったのだろう。 「よく寝れた?」 「うん。鯰尾は?」 「俺はもう少ししたらもう一眠り」 「見張りお疲れ様」 腕時計を確認してなまえは言う。 鯰尾はううんと伸びをして、物吉を起こしにかかった。物吉がぱちりと目覚める。彼もまた腕を組んで伸びをする。 「起きていらしたんですね」 「あぁ、目さめちゃって。さて、鯰尾はおやすみー」 「うん、おやすみ」 物吉が起きている横で、なまえは寫眞に撮ったフィルムを確認していた。筆と紙を出して、地図を写す。地の利は何事においても重要なのだから。 起きた物吉は結びの紐を解き、おにぎりを頬張り始めた。台所当番の歌仙と光忠が作ってくれた兵糧は塩の加減も良く、付け合せの漬物がより口をさっぱりさせてくれるのだ。写し終えた地図を見ながら、おにぎりを咀嚼する。やはり兵糧は厨の者に頼むのが一番である。彼らは戦も知っている分、戦ごとに関わる兵糧なんていうのも大得意なのだ。 「これ、地下の地図ですね」 「市庁舎の下にこんなのがあったって知らなかった」 「僕もです」 おにぎりを食べ終え、漬物をぽりぽり齧りつつ地下を見る。 「うーん……地下に安置されてるのかな。排水施設があればそこから入り込めたり……大きさ的に無理か」 と、悩んでいたところ、スイスイと目の前の水を流れる何かがいた。見逃しそうになって二度見する。 「亀吉……?」 どうやら、背中に伝言の束を負っており、泳いできたらしかった。いやもうほんと、この水路の中で迷子にならなくてよかったという思いでいっぱいだった。誰が亀吉をここまで離したんだ……。 慌てて水路に近寄り、亀吉を両手で掬い上げる。物吉が手ぬぐいで優しく水気を拭き取り、足場に下ろす。背中に巻きついていた伝言を預かり亀吉にお礼にと小さな林檎を切って与えてやると美味そうに咀嚼していた。亀吉が飯を食べている間に読んでしまおうと広げる。 鶴丸からだった。 �W君の学舎は謹慎だから、人が一人いなくても大丈夫かもしれんが、友人が心配していたみたいだ。お柱様宛にって小豆の絵が入った手紙がきていてな。今夜には君は帰ってくるだろうが、油断するなよ。政府の奴らが柱を立てられない理由を探して動いている。くれぐれも見つかってくれるな�W 第三者から見れば精確にこれらの人物を宛てることは出来ぬようなぼかし方で書かれている。最後には運び屋はそっちで預かっていてくれ、とのことが書かれている。確かにいくら優秀であり、帰れるだろうといってもこの上水道に戻して果たして帰れるのかというのは疑問であり心配である。そんなわけで、亀吉は私の肩に乗ることになった。 忍び入って集めた資料を書き写し、覚える作業を繰り返し、順路の確認なんかも済ませていればいつの間にか日暮れ近い。五虎退が物吉に起こされる。虎と団子になって眠っていた彼は目をこすりながら起き上がった。 「それじゃ、僕ちょっとだけ寝ますけど、主様も無理しないで休んでくださいね」 「うん、おやすみ物吉」 「おやすみなさい、です」 今度は五虎退が遅い食事をとる。 「いよいよ、忍び込むんです、よね」 「そうだねぇ、無事行けばいいんだけど、上から行くのがちょっと困難そうなんだ。だから考え中」 「どういうことですか?」 「ここね、水路の地図と合わせると、地下六階に繋がる道があるの。ただ当たり前だけど鍵かかってるだろうし。この六階が当たりかはわからないから上からも行きたい。けど、上から行って何某かに逃げられるのも嫌だしなと」 「挟み撃ち、ですか」 「それ、しようかなと。みんな次第だけど」 話をしていたところでぐいっと伸びをして起き上がる影がある。 「いいんじゃないかな? 首謀者は恐らく地下にいる可能性が高いんだよね」 堀川だ。彼も残しておいたらしい握り飯を頬張り始める。 「首謀者なんだけど、これを見て欲しい」 なまえは一枚の寫眞を出す。暗闇の中光るそれは、守橋東介と名がある。皆がわからぬという顔をするが当たり前の話だった。自分の中でもやっと昨日小片を見つけ当てたのだから。 「この人、十年前に時空転移装置の不具合で行方不明になってから死亡したってことになってる。けど、御柱様が最近宛てようとしていた手紙の宛先はこの男。つまり、なんらかの形で生きてるってことだと思うんだけど。で、この人は境内から外郭に降りて事故に巻き込まれ死亡した。つまり境内にはいないはずなんだけど。なぜ御柱様が手紙を書き送ることができたか、といえば、彼が境内にいたからとしか考えられない」 「御柱様は、その男に何を?」 「簡単に言えば次期御柱について再考を願う認め書き。お柱様は時期柱について知ってたみたい」 「あの子かぁ、なんか不思議な子だったよね」 といって起き上がったのは鯰尾だった。起こしてしまったらしい。 「うるさくしてごめん」 「大丈夫ちょうど起きただけだよ。続けて」 「うん、槿についてだけど。槿はただの一般人だったようでね。外から外郭に来たうちの一人。審神者になる適正さえあれば、年齢がいくつであれ、学舎に送られるはずだし、そもそも審神者としての力の発現が遅い人物であっても未来審神者になるという事実があれば、政府は幼い頃から保護するはず。つまり、槿には審神者の力はないんだと私は思う」 「じゃぁなんでその槿って方が柱の候補になったんでしょう」 五虎退の疑問に、なまえが答える。 「多分、守橋東介が関わっているんじゃないかな。ま、完全に憶測に過ぎないから、ひとまずの目的はお柱様の遺体を確認することってだけで。」 どうしてこうもわからぬ難題を遺して逝ったのかと言えばお柱様を呪殺した奴が悪いのだ。全く腹の虫が座らない。 順路をもう一度見直して、眠っていた物吉も目覚め、皆が起床し最後の確認に移る。時刻は夜。 物吉、五虎退。鯰尾、堀川。と別れた二組になまえは加わることになる。別れる理由は上から行く班と下から行く班があるからである。 上から行く班はもちろん窓を潜れる者として物吉と五虎退だ。それで地下側だか背が辛うじてでかいという理由から地下に回された鯰尾と堀川だ。さて、なまえはといえば。まず窓を開けるのはなまえだから一度上へ行く。それから地下の道を知ることと地下の鍵を持っているのでやはり地下へ戻る、というわけで、まずは鯰尾付きで物吉と五虎退を窓から侵入させる。窓の後始末をして、鯰尾と地下へ戻るということになった。二度手間な気もするが致し方ない。 「いってらっしゃい、気をつけてね」 「主さまも!鯰尾兄さん、主さまをよろしくお願いします」 「任せときなー。物吉、うちの弟よろしく頼むよ」 「はい、お守りいたしますね!」 二人が侵入後、窓を元よろしく締め直し、鯰尾となまえは地下水路に戻った。 水路を進む間は無言で、時折道を指示するなまえの声がぼんやりと響くのみ。いよいよ水路の水臭さにも鼻が麻痺してきたころ、目的の降下口が現れた。顔を見合わせ取手を引き上げる。ガコっという音がして口がはずれ、順に梯子を下りた。どんどんと地下へ行くほど感覚がぼんやりしてくる感じがする。きっと普通に境内で暮らしていればこんな場所があることすら知ることはないのだろう。 何回梯子を降りたかも朧げになるくらいで、ぼんやりとした感覚の中に突如ぴりりと肌を拒む静電気らしきが走った。 前を行く二人も気づいているらしい。 「随分禍々しいね」 全くだ。中でなにが行なわれているかに関わらず、これほど厳重に張ってある結界の類が、中のものの影響を受け、結界自体が攻撃性を帯びているなど。予想だにしなかった。 しかし今の所、そこまで害ある結界というわけでもないらしい。重い澱みが、全身にのしかかっているというぐらいなわけで。進むしかない。 一歩、また一歩と進む先に、なまえの袖口から出た光を放つ腕輪を反射し、暗闇の中にギラリと光る刀が見えた。咄嗟に、鯰尾がなまえを後方へ突き飛ばした。突き飛ばした先の堀川が転びそうになったなまえを引き上げる。引き上げる時、堀川はボソリと「常に間にいてね」と告げた。 まさか、一筋縄でお柱様の遺体安置所を拝めるとは思ってはいない。だが。 「たれそ」 人であって、人でない、妖であり、怪しとして不完全な、付喪神にはなれなかったであろう、太刀を手にしたものが言う。 名を聞くことばである。だが、こんな水路の中、人が常駐しているわけもないだろうし、刀剣男子でなければ刀は所持しないのだから、彼は刀剣と考えるべきか。 「私の大事な人に会いにきました。ここを通らせて頂きたい」 「……名は」 「大事な人の名は知りません。ただ、ここにいます」 「お主の名だ」 ニヤリと口元を歪める相手に対し、さすがに荒神に名を知られるのは自殺行為である。でもまぁ、この名も真名というわけではないから、いいかと考えすっぼりと答えた。 「なまえ。あなたの名は」 「えっちょ、おま何で名を」 「何したかわかってるの?」 「大事というほどのなまえではないからさ」 太刀がぼそぼそと呪を呟く。場に響く忌音は意味なく溶け消えた。太刀は首を傾ぐと言う。 「真名ではないか。ならば尚更通せまい」 その手に掴まれた刃がこちらへ向けられた。 「若子よ、去ね」 鯰尾が構える。一瞬の睨み合いの後、すぐに太刀が動いた。 斬りかかってくる太刀を躱し、懐に入り進む。しかし太刀もすぐに身を翻し距離を取る。太刀は鯰尾を避けこちらへ踏み込んでくる。 確実になまえの足を狙うように太刀は振り下ろされる。 全身の血が逆流するように熱く、なまえは飛び退く。握られた手の先は氷のように冷たい。立ち去れという、呪詛のような太刀の思念が場に満ちていて、酷く息苦しい。なまえを庇うように堀川前に出る。と、同時に太刀に向けて堀川は走り出した。横様に一閃。太刀は堀川の脇差を払う。真後ろから跳び上がった鯰尾が太刀の右腕を狙う。 鯰尾の刀は確実に太刀の右腕を討ち取っていた。 「なんで……」 だが、一瞬の空間の歪みののち、水面に走った波紋の如く太刀の右腕はなんの傷も受けていない。 動揺を突くように、太刀は再びなまえへと進みでる。鯰尾が振り下ろされた太刀を受けた。 ギチギチと鍔迫り合いの音が地下水路に木霊する。堀川が今度は太刀の懐を突くが、結果は先ほどと同じだった。こちら向かって来ようとする太刀に一進一退の攻防が続くばかりで、果たして太刀が傷つく気配は微塵もない。 「なまえ、このままじゃ埒が明かないよ! どうする」 鯰尾が叫ぶ。 なまえは頭を絞るようにして答えを探す。目標は目の前なのだ。このまま撤退して堪るか。 荒神の動きは誰かに指令を受けているような式神とは違う。ということは自立しているはずだ。しかし完全なる怪しでもない。そして対象は完全に自分を廃除すること。 動くものならば、必ず力の源はあるはずだ。けれど、傷つかない。姿(あれ)自体が源ではない? 「別に、本体がある」 小さく呟いた言葉に確信を持つのはそう遅くなかった。彼らの攻防の隙間から、なまえはその正体を見つけた。 「後ろだ! 盃を割って!」 その言葉に反応したのは脇差し達だけではなかった。太刀は抑えていた堀川を払い、強引になまえの元へ進みきて、太刀を振りかざした。 命が摘み取られる時は一瞬なのだ、となまえが思うのも束の間、パキンと何かが割れるような音と共に、太刀の胴体が薙ぎ払われた。 分かたれる胴の間から、冷えた藍紫色の瞳が見えた。 太刀の姿は暗闇に消えていく。 「どこも怪我してない?」 冷えた目は鳴りを潜め、気遣わしげに細められている。なまえは頷いて返す。 本体である盃は堀川が割ったらしい。ぱっきりと二つに割れていた。酒か何かが捧げられていたのだろう、盃にこびりつくように人型に切られた紙が残っている。見事なお手前を言わざるを得ないほど、寸分の綻びもなく、綺麗に斬られている。 なまえはそれを拾うと手ぬぐいに包んで、道具袋へしまう。 「先へ進もうか」 堀川の言葉に、いよいよ地下へ続く扉へ手をかけた。 ← ■ → 頁: |