どういうこと


 恵はどこに視線を向ければいいか分からなくて、いつもの鋭い眼光を珍しく泳がせていた。春の風が心地良かったが、その風に泉の髪が靡くたびに、濡れた頬に張り付いてしまっていた。それを一生懸命に剥がすたどたどしい手つきは、そのまま涙でいっぱいの目元を触っている。拭いても拭いても溢れる涙を華奢な指が必死に追いかけていた。

 夜蛾学長と五条との面談を終えた泉だったが、五条は学長と少し話があるということで、先に一人で外に出てきたようだった。しかし、先ほどまで花のように笑っていた泉が泣いているこの状況に、恵は五条が言った通り彼女の訳ありとやらが関連しているのだろうと分かった。
 呪術に関しては他より秀でている恵だったが、残念ながらこういった対人関係には、しかも相手が女性となると、どうしていいのか分からなかった。せめて涙を拭くものでも、と辛うじて思ったものの、そんなものを持ち合わせていない自分の粗末さに落胆していたところだった。鼻を啜る泉がようやく口を開く。

「ごめんね、伏黒くん」
「いや別に謝ることじゃ…」

 どのくらい経ったか分からなかったが、少しずつ涙が治まってくると涙目で恵を見上げながら微笑む泉に、何もこんな時まで笑わなくても、と思う恵だった。

「悪い、そのなんか、拭くもんとか…持ってなくて…」

 自分にとっては精一杯の気遣いをボソリと言った恵に、思わず泉からは笑みが溢れる。

「意外と優しいね、伏黒くん。ありがとう」

 目尻をほんのりと赤く染めた泉がそういうと恵は今まで感じたことのない高揚感を覚える。しかしすぐに「意外とは余計だろ」と突くように言うと再び泉が笑ってくれたので、恵は然程も嫌な気はしなかった。

「おまたせ〜」

 そこに五条の陽気な声が入ってくると泉は反射的にその声の方を振り返る。恵は正直まだ来なくて良かったのにな、と思っていた。
 五条からは泉が正式に高専の入学が認められたということが話され、今から校内の案内がてら二年生たちにも会えたら挨拶をすることとなった。

「じゃあまず泉の部屋から行こうか」
「はい、よろしくお願いします」
「俺はどこに居ればいいですか」
「あー、そうだね。女子寮だしねぇ」
「私は全然構わないですよ?」
「でも恵ムッツリだから」
「違います。いい加減にしてください」
「人数多い方が楽しいじゃないですか」

 恵が五条に対して渾身の否定をしていると、泉がさらりと良いことを言ったので二人は会話を止める。

「それに伏黒くんとも仲良くなりたいし」

 たった一人の同級生ですから、と笑う泉に恵は何とも言えない感情を抱く。
 元来人と関わることが苦手な自分にとって、仲良くなりたいと言われたのは素直に嬉しかった。そもそもこの外見と性格では寄ってくる人間の方が少なく、そんな優しい言葉をかけてくれる人間なんてほとんど居なかったからだ。だがそのあとの同級生という言葉に、ごく一般的に認識されるただのクラスメイトなのだと理解してしまい、そのギャップに心が乱されてしまった。
 すると不意に肩に手を置かれたことで、恵は考え事から一気に意識が戻る。当然手を置いたのは五条で彼は恵の耳元でこう言った。

「邪魔しちゃったみたいでごめんね」
「ッ…は?!」
「あれ違った?」
「何の話ですか」
「さっき僕がここに来た時、すっごい眉間に皺寄ってたから、二人で楽しんでたのかな〜って」
「別に。佐狐は泣いてたんですよ、楽しむとか違うでしょ」

 肩に置かれた五条の手を払い睨みつける。それでも五条はやはり笑っていた。

「でもさ、恵にああ言ってくれる子は、珍しくない?」

 そう言った五条はまるで自分の脳内を覗いているのかと思えるくらい、的確なことを突いてきたので、恵も思わず何も言えなかった。その反応を見た五条が更にニッと笑うので恵は悔しくて仕方がなかった。

「喜んでるんでしょ?」
「うるさい」
「そりゃ嬉しいよね〜。しかも女子から言われるんだもん」
「黙ってください」

 とめどなく降り注ぐ五条の言葉の矢を一生懸命掻い潜っていた恵だったが「けどさあ」と言った後の五条の言葉に、ついに受け止めざるを得なくなった。

「否定しないってことは、そういうことでしょ?」

 返答の術を見出せなかった恵は、五条を見つめる他なかった。満足げな五条はそれ以上恵に干渉することはなく、校内の案内を始めるべく歩き出した。

 恵は思う。

 ―――そういうことって、

 初対面とは思えない人懐こさ。自分にはない柔らかな性格。人に嫌な気持ちをさせないボディーバッファーゾーンの保ち方。自分にはないものを持っている佐狐が、羨ましいのか、俺は。本当に羨ましい、だけなのか?

 ―――どういうことだ?

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