碌でなし


 佐狐がこちらに来て数日後、まだ春休みの期間ではあるが特別講習ということでここ何日間かは五条先生の授業があっていた。
 佐狐と二人だけの教室にも慣れつつあったが、今日は特別講師が来ているということで、いつも授業開始ぴったりに現れない五条先生が、珍しく時間ぴったりに入室してきた。

「はい、今日は特別講師に来てもらってまー…」
「え!?お父さん?」
「はい泉。先生の話最後まで聞きなさーい」

 五条先生の後から入室してきた男性を見て勢いよく発言した泉は、父親をまじまじと見ながらも五条先生に謝っていた。
 護さんとは何回か面識があった。彼は俺に軽く会釈をしてくれた後「お父さんだよ〜」と佐狐に向かって手をひらひらと振り、五条先生に「言ってなかったのか?」と尋ねていた。五条先生曰く「サプライズがあった方が楽しいじゃないですか」とのこと。護さんは少し呆れたように笑っていた。佐狐は何が何だかよく分かっていないようだった。

「五条先生こういうのよくあるぞ」
「そうなんだ…びっくりした。いつも連絡してるんだから、言ってくれても良かったのに」
「悪いな。泉の話聞くのに夢中になって忘れてたよ」

 護さんに子どもがいることは知っていたし、その子どものことが大好きなのも知っていた。元々強面で初対面の時は堅気の人間じゃないとすら思っていた。普段から何事にも厳しい人だが、仁義を大事にする人だった。だからこそ他からの信頼も厚く、五条先生が先日「尊敬している」と言ったのも本心だろう。あの七海さんまでもが一目置いていると言っていた程だ。更に歴代の佐狐家の当主の中では最も強いらしい。そんな彼が、子どもたちのこととなるとその表情が和らぐのだ。だから今は正直そのギャップに戸惑ってしまった。

「それじゃあ早速、今日の特別講習始めるよ」

 後は頼みますね、と護さんに告げた五条先生は、数歩下がって壁にもたれかかった。今回は護さんが主導の講習だというわけだ。いつもの雰囲気と違うために、少し背筋を伸ばす。

「今日の講習は、俺たち佐狐家の術式についてだ」
「はい!」
「はい泉」

 開始早々すぐに挙手した佐狐は、ほんの少し口をムッとさせているようにも見えた。

「私そもそも自分の家系のことについて詳しく教えてもらってません!」
「だからその説明を今から…」
「それって入学前にしてくれても良かったんじゃないですか?術式はある程度知ってるけど、佐狐家がどういう風に思われてるとか!この間二年生の先輩と少し気まずかったんだよ」

 饒舌に述べる佐狐に護さんはご最もだというたじたじっぷりを見せていた。眉を下げて笑うと「悪かったって」とシルバーの細い縁の眼鏡の向こうの瞳が優しかった。

「二年の先輩というと…」
「真希のことです」
「…ああ、真希ちゃんか。それは気まずかっただろうね、のこともあるし…」

 彼というのが、おそらく夏油傑であるということはなんとなく分かった。ただ俺が分からなかったのは、その時の佐狐の表情だった。寂しそうに歯を食いしばっていた彼女を見て、俺の胸の中はざわついていた。
 そう言われてみると、俺は佐狐が学長たちと面談した後に泣いていた理由も、ちゃんと知らなかった。
 護さんは佐狐の顔に気付いているのか気付いていないかのか分からなかったが、説明を続けた。

「佐狐家は元々孤立した呪術師の一族で、個人の呪力の強さで術式が変わる。満六歳の時、佐狐家が定める基準値より呪力が低い場合は生まれ持った生得術式を、そして基準以上の強さを持った者は一族相伝の妖狐式神術『九尾の狐』の継承権を与えられる。ちなみに九尾の妖狐は特級仮想怨霊として登録されているが、佐狐家の九尾の狐とは別物だ」

 佐狐家の詳しい術式については俺も初めて知った。佐狐家が妖狐式神術を扱うことは知っていたが、継承権のような篩い分けがあるものだとは知らなかった。

「じゃあえんちゃんは、その妖狐の式神ってこと?」
「ああ、そうだ」
「ふうん」
「えんちゃん、って何だ?」
「あ、焔ちゃんっていうのは、九尾の狐の式神でね。可愛いんだよ、大きくて、もふもふで!」
「ただ泉のはまだ未完成な九尾だ。継承式も行っていないから、完全に調伏できていない」
「え、そんなことないよ!焔ちゃんすっごい私に懐いてくれてるんだよ!ほら、焔ちゃーん」

 佐狐が斜め上を向きながら式神の名を呼ぶが、教室には静寂が広がるばかりで式神が出てくる気配は全くなかった。更に佐狐は「えんちゃーん!えんちゃん!どうしたのー?」と宙を眺めながら呼びかけるが全く応答は無いみたいだ。呪符もなく、印を結んでもいないし、呼びかけだけで呼応するタイプなのかと思いきや、この様子だとそうではないのかもしれない。

「だから言ったろ、泉はまだ完全に調伏できていない」
「うーん」
「そして俺はできてる」
「そりゃ一級術師だったらできてないとおかしいよ」

 落ち込んでいる佐狐だったが、父の言葉に少し不貞腐れているのが分かる声色だった。護さんはそんな佐狐を笑うと、「外に行こうか」と場所を変えた。



 外にやってくると護さんは俺たちに少し離れるように指示をする。言われた通り離れて三人で立つと、護さんは術式を使用を始めた。両手にそれぞれ狐を作ると、それを向き合わせ、鼻先と耳にあたる部分をくっつける形を作る。そしてこう唱えた。

五狐ごこおしんよ、祓い給へ―――いかづち

 すると護さんの背後にとても大きな九尾の狐が現れた。護さんは五条先生より少し低いくらいだが、その護の一回り小さかったが、狐にしては異常な大きさであることは間違いなかった。狐は凛々しい顔立ちだった。「久々に見るけど、やっぱり大きいねえ」と五条先生は述べていたが、狐の瞳が俺や五条先生を少し威嚇するように見ていることに気付いた時、それは佐狐家の先祖代々から伝わる風潮を彼らは式神ながら認識しているのだ、と分かった。いや、式神だから主人を死守するため、彼らを忌み嫌っていた一族の末裔への感情を剥き出しにしているのかもしれない。それ程に主人への忠誠心が高いということだろう。
 現に「らいちゃん久しぶり」と駆け寄った佐狐には無条件に戯れついていた。

「私もお父さんがしたみたいにすれば、調伏できるの?」
「いや、まずは継承式からだ。泉、両手を出して」
「あの」

 思わず出してしまった声に向き合っていた護さんと佐狐がこちらを見た。

「継承式って、こんなとこでやっていいんスか?」
「ああ問題ないよ。略式だからね」

 護さんはそう答えて差し出された佐狐の両手の甲に自身の人差し指で何か文字を書いていた。

「継承式はその時の当主によって行われるものだ。ここに今から印が浮かんでくる。そしたら俺がさっきした印の結びと口上の後に、ほむらと続けるんだ」
「うん、分かった」

 佐狐から距離を取るようにこちらに来た護さんは佐狐を見守っていた。佐狐の手の甲には彼の言う通り特殊な文字のようなものが浮かんでいる。そうすると佐狐は先ほどの護さんと同じ印を結び口上を唱えた。

「五狐の神よ、祓い給へ―――焔」

 すると佐狐の背後に再び九尾の狐が顕現した。先ほどの雷と同じく背丈のそれは、九つの尻尾を靡かせ佐狐に巻きつくように包み込んだ。

「妖狐式神術の九尾には、口上の通り五つの狐がいる。俺は雷電系の雷狐、泉は炎熱系の焔狐」
「あ、それでえんちゃんね」
「ああ。他は現在継承されていないから省くとして、女性継承者には特別に呪具も付与されるんだ」
「何故女性だけなんですか?」
「元来妖狐は女性に化けていたという説があり、一族の術式上女性は優遇されるんだ」
「へえ〜!ていうか呪具って何?」

 未だに焔狐に懐かれている佐狐の質問には五条先生が説明していた。そして補足として護さんが口を開く。

「ちなみに真希ちゃんの眼鏡も呪具の一つだ」
「真希さんの?眼鏡がどうして?」
「彼女には呪力がないからね」

 その言葉に目を見開いた佐狐は、すぐに俺と五条先生を見た。

「でも禪院家だって…」
「ま、禪院家マジで色々あんのよ。ね、恵」
「あんまり気にしない方がいいと思うぞ」

 そうは言ったもののおそらく彼女は先日自分が言ってしまった言葉を気にしているのだろう。非術師について尋ねられた時、彼女は大嫌いだとハッキリ答えていたからだ。非術師は呪力を持たない人間を指す。裏を返せば、彼女は禪院真希を嫌いだと言ってしまったのと同じことだ、とか考えてしまっているのだろうか。

 その後も護さんから術式の説明が続いた。彼女の式神調伏は完成したため、これからは特訓を重ね、戦闘において式神と連携が取れるようになっていかねばならない。また呪具においては特訓を重ねていくうちに、式神から与えられるらしい。その使い方においても、全てがこれからということだった。

「同じ式神遣いの先輩だ、恵くんよろしく頼むよ」
「俺もまだまだですけど」
「謙遜するな。君は優秀な呪術師だ」

 護さんは俺の方に手を置いてそう言った。今まで父親だと呼べる人を久しく肌で感じていなかったから、俺は何とも言えない不思議な気持ちになってしまう。
 未だ焔狐を出していた佐狐は五条先生とともに戯れあっていた。焔狐の方は俺たち御三家の人間に然程警戒心を抱いてないらしい。

「それから泉のことを頼むよ」
「はい…?」
「側から見れば明るい子だけど、言わないだけで抱え込んでる子だから」
「そう、ですか…」

 俺がそうさせてしまったんだがな、と情けなさそうに言った護さんは、優しい皺を作って笑った。

「でもとても優しい人ですよ、泉さんは」

 本心をそのまま口にすると護さんは吹き出すように笑った。

「禪院の人間も捨てたもんじゃないな」

 ああ君は伏黒だったな、と言って俺の頭を二度優しく撫でる護さんに、俺は一体何をされたのか状況が読み込めず固まってしまった。誰かに我が子のように接してもらえた感覚が、久しぶりに蘇った。

 こうして特別講習は終わった。佐狐は父親と少し話をするということで、護さんのもとに行っていた。



 これは泉と恵が聞いていないところで繰り広げられていた、護と五条のやりとりである。以下はその時の会話である。

「甚爾の息子とは思えんな」
「それどういう意味ですか?」
「まんまの意味だ。あのロクでなしのクズの血を引いているのは思えない」
「でも顔は似てません?」
「びっくりするくらいソックリだ。初めて会った頃のアイツ思い出すよ」
「でしょ。俺も初めて見た時思いました」
「…お前、甚爾のことは恵くんに言ったのか?」
「…ご想像にお任せします」
「可愛くない奴」
「そっちこそ。どうして夏油傑の件、泉に言わなかったんですか?」

 そう言われ思わず護は進めていた足を止めてしまう。次の一歩がなかなか出なかった。

「碌でもない父親だからだ」
「ふうん」

 ―――自分の言葉で傷つく泉を見たくなかった。もうこれ以上、娘の悲しむ顔を見たくなかったのだ。

 その本音は心の奥底に眠る霞んだ希望とともに閉じ込めた。

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