夜
泉が呪術高専に来て一週間が経った。生活にもだいぶ慣れ、恵とも色々話せるようになってきたし、五条が割と自由人だということも分かってきた。
風呂にも入りあとは寝るだけだった泉だが、どうしても炭酸が飲みたくて一人で自販機までやって来た時のことであった。
「あ!」
「あ」
自販機に人影を見つけ歩み寄ると、そこには普段髪をポニーテールに結んでいる真希が、髪を降ろしたラフな状態でこちらを見ていた。そして「なんだお前か」と少し残念そうに言ったので、泉はやはり先日の一件をよく思われていないのだと再認識してしまう。
「こんな遅くまで起きてたら明日遅刻するぞ」
そう言って真希はさっさと帰ろうとしたので、なんとか引き止めようと泉は一生懸命考えを巡らせた。
「それは真希さんも同じじゃあ…?」
「私は先輩だから問題ねえ」
「なるほど…」
ダメだ、全く会話が続かない。何とも言えない空気が流れてしまい、真希はとうとう泉の横を通り過ぎてしまう。泉は咄嗟に振り返って真希の名前を呼んだ。
「何だよ、でけえ声出して…」
「この前は、ひどいこと言ってごめんなさい!」
泉はそう言って頭を下げる。その体勢から真希の様子は分からなかったけれど、足音でこちらに歩いてきてくれたのが分かった。やばい、殴られる、と思ってしまった泉は少し肩に力が入る。
「何の話だ」
頭上から降ってきた言葉に、泉がそろりと顔を上げると真希は心底泉の言っている意味が分からないという表情をしていた。
「いや、あの…真希さん、呪力が無いって聞いて…」
「……あっそ」
「私この前、真希さんに質問された時、何も知らないであんなこと言っちゃって…」
「あーあ、あれのことか」
あたふたしながら喋る泉と相反して真希は本当にいつもの様子と変わりなく、特別泉に怒ったりするような素振りは全く見せなかった。
「別に気にしてねえ」
「でもっ…」
「あんなんで自分のこと言われたみたいに感じてたら、どんだけ自意識過剰かって話だろ」
「…じゃあ何であんなこと聞いたんですか?」
真希のあの時の質問の意味が分からなかったのは確かだった。だがあの質問をされた時、泉の頭には当時自分と光を峠に置き去りし見捨てた母親のことが浮かんできたのだ。だから本当は非術師全員が嫌いなのではなく、非術師の母親が嫌いだったのだ。
「夏油傑も同じようなことを言っていたんだ」
「…………。」
どうしたってその名前を聞くと心臓がきつく締め上げられる泉だった。苦しい。息が詰まるような感覚を、私は何度味わえばいい、と心の中が騒ついている。
「非術師を猿と呼んで、私を禪院家のおちこぼれだとな」
「…真希さんはどうして呪術高専に?」
辛うじて出た質問に真希は泉に初めて笑顔を向けてくれた。
「おちこぼれの私が呪術師になったら、蔑んできた奴ら全員のアホ面拝めるだろ?」
正直にいうと禪院家について泉はあまり良い印象を持っていなかった。それは父親の言動に禪院を含む御三家に苦手意識が感じられたからだ。そして初めて会う時自分をよく思っていない人がいると聞いて、実際に真希と接した時、明らかな敵意を感じて怖かったのだ。だからそんな真希が、笑ってくれていることが嬉しくて、泉の閉ざしていた心は簡単に開いた。
「は!?お前何泣いてんだよ」
「私真希さんのことめちゃくちゃ尊敬してます」
「まだ会って一週間ちょっとだろ」
「私真希さん好きです」
「分かったからとりあえず泣き止め。ガキじゃあるまいし」
勝手に流れていた涙を掬うように拭う。真希は少し呆れたようにため息を吐いていた。気付くと泉は無意識に口を開いていた。
「私の母親は呪力を持ってなかったんです。それまで優しかった母親はある日突然、私と弟を呪われた峠に置き去りにしたんです」
「……それを助けたのが夏油傑か」
「はい、七海さんもいました」
泉たちはそのまま自販機の前に立って話をしていた。
「夏油さんは助けてくれた後も私のところに何度か来てくれていて、私ずっと違和感があったのに、見て見ぬ振りしてて」
泉の脳内に夏油との記憶が溢れると、また視界が霞んでしまう。ダメだ、と思って必死にその涙を堪えた。
「いつも優しく笑ってくれるから、私、いつの間にか、好きに、なっちゃって…」
真希は目の前で涙を堪える泉を見て、自分がある人物に抱いていた淡い感情を思い出した。
「夏油さんが、悪いことしてても、それでも側にいたいって思うくらい、好きだったんです」
馬鹿みたいですよね、と笑った泉に真希はため息を吐く。そして「ああ馬鹿だな」と即答した。しかし心中では泉が未だにその想いを断ち切れずにいるのだと分かっていた。
すると真希は徐にもう一度自販機に近付くと、小銭を投入し再び飲み物を購入した。その一部始終を見ていた泉は「真希さん?」と声をかける。すると真希は購入した飲み物を泉に投げ渡した。危なっかしく受け取ると、それは温かい生姜と蜂蜜入りのドリンクだった。
「あの、これ…」
「とりあえずそれ飲んでゆっくり寝ろ。そして明日からもちゃんと生きろ」
真希は夏油傑が既に死んでいることを前提に話をしていた。死んだ人間はその時点で時が止まり生者に悲しみを遺していくが、生きている者には当然のように時間が流れていく。即ちどれだけ悲しいことがあろうと、絶望に苛まれようと生きていかねばならない。
「ほら行くぞ」
そう言って歩き出す真希に泉も涙を拭いてその後ろをついて行く。
「真希さん、ありがとうございます」
「別に礼言われるほどのもんでもないだろ」
「飲み物の方じゃなくてですよ。もちろん飲み物もありがたいですけどね?」
「はいはい」
初対面こそあまり良いものではなかった二人だったが、おそらくこの二人にもう不穏な空気は似合わないだろう。
自販機を通り過ぎたあたりで、真希はある一点見つめていた。「真希さん、どうかしました?」と泉が振り向こうとしたところで、真希がそれを阻止する。
「何でもねえ」
そう言って真希は歩む足を止めなかった。泉は結局真希の視線の先に何があったのか知ることのないまま寮に向かっていった。
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