幼馴染


「お前さあ、この前盗み聞きしてただろ?」

 突然視界に現れた禪院先輩は唐突にそう尋ねてきたため、俺は噎せてしまい飲んでいたお茶を吐きそうになった。慌てて狗巻先輩、パンダ先輩と囲むようにテーブルの真ん中に置いていたハンカチが汚れないように自分から遠ざけた。ゴホゴホと大袈裟な咳をしていると隣にいた狗巻先輩が背中をさすってくれる。斜め前に座っていたパンダ先輩は「恵が取り乱すのって珍しいな」と言いはしていたものの「大丈夫か?」と心配してくれた。
 禪院先輩は少し気まずそうに俺の目の前の席に座る。俺の咳が治まる頃にパンダ先輩が「で、それ何の話?」と禪院先輩に尋ねる。

「あぁ、だからこの前、私が泉と話してる時、盗み聞いてたろって話」
「どういうこと?」
「高菜?」
「いやあれは別に盗み聞きしようとしてしたんじゃなくて」
「結果、してたんだよな?」

 言い訳を述べようとした俺に対し、高圧的に言い放った禪院先輩にぐうの音も出らず俺は「すみません」と折れてしまった。

「ただその本当に盗み聞きするつもりはなくて、二人が話してる内容が内容だったから、俺が入ると邪魔かと思いまして」
「そんな深刻な話してたん?」
「初対面の時失礼なこと言ってすみませんでした、的な」
「ツナ」

 深刻な話の内容はそっちではないだろう、と禪院先輩を見ると、どうやら彼女はカマをかけていたようで口元が妖艶にニヤリと弧を描く。

「どうした、恵。自分が聞いていた話が他にもあったか」
「いや、別に…。それに本人のいないところで話すことじゃないと思います」

 そう言って俺は再びお茶を口に含んだ。先日のどろりどろりとした黒い感情を押し流すように、お茶を飲み込む。泣きながら想いを述べていた佐狐を直接見ていなくて良かったと思った。

「つか恵、お前泉のこと好きだろ?」
「え!?マジ!?」
「高菜!?」

 禪院先輩の唐突な質問により、俺はまたしても口に含んだお茶を誤飲しかけ咳き込んでしまった。再び狗巻先輩が背中をさすってくれている。

「いや、あの…は?」
「何だ先輩に対して随分と反抗的だな?」
「てか何恵たちそんな関係なの?」
「高菜?」
「違います、別に普通に同級生です」

 いつか佐狐が俺のことをそう言っていた気がする。ただの同級生だと。だから俺も本当のことだし間違いではないからそう答えた。それだけなのに、心臓がズキズキと痛む気がした。

「でもまあ分からんでもないよ、泉可愛いもんな」
「しゃけ」
「ちょっと術師にしてはか弱い気もするけどな」
「そう言いつつ真希も最近よく話すじゃん」
「そら数少ない後輩なんだから話くらいするだろ」

 禪院先輩はそう言いつつ視線をこちらに寄越す。その瞳は眼鏡の奥でゆらりと輝いた。

「私は正直やめといた方がいいと思うぞ」
「高菜?」
「何でだよ。泉、良い子じゃん」

 パンダ先輩はそう言ってくれているが、俺は禪院先輩が言わんとすることの意味を分かっていた。いや別にそもそも俺は佐狐のこと好きとかではないが。

「アイツの人柄の問題じゃねえ」
「じゃあ何なのさ、勿体ぶるなよ真希ー」
「しゃけ」

 禪院先輩はチラリとこちらを見る。その目は「盗み聞きしてたんだから分かるよな」と訴えていた。

「死んだ人間には敵わねえだろ」

 言われなくても分かっている。死んだ人間はどうやったってその人物の記憶の中でしか生きられない。そしてこういう記憶は大抵色褪せることなく、綺麗に鮮やかなまま遺された人間の頭に永遠に居座り続けるのだ。

「は、何、どういうこと?」
「高菜?」
「つまり佐狐が好きだった人間は死んでしまっていて、アイツは未だにその人のことが好きだということです」

 こんな話、本人のいないところですべきではないと分かっているが、まるで自分に言い聞かせるように口に出していた。
 佐狐が入学の面談後に泣いていた理由が今なら何となく予想がつく。

「ツナツナ」
「あぁ、そうだよな?」

 狗巻先輩とパンダ先輩は二人で何か示し合わせるようにアイコンタクトをとった。

「じゃあこの前泉が電話してた相手は、泉の好きな人じゃないってことか」
「しゃけ」
「あ?電話してた奴?」
「そうそう。多分相手男だったんだよ、確かユウジって気さくに呼んでたよな?」
「ツナ」

 予想だにしていなかった事態に俺の脳は上手く働かなかった。禪院先輩がすかさず「弟がいるとか言ってなかったか?」と尋ねるが「弟は光くんだって」とパンダ先輩が返す。

「俺てっきりそのユウジって奴が彼氏かと思って、今の話聞いてたわ」
「しゃけ」
「どっちにしても恵は報われないな」
「いや勝手に決めつけるなよ」

 先輩たちの会話が少し遠くから聞こえる気がした。まあ今の女子たちは別に心の底から好きな人間とだけ付き合うわけじゃない。よくあるチープな恋愛物語でも、心の虚無を埋めるように本当に好きな人間以外を好きになることは多々あるストーリーだ。それが佐狐に当てはまらないと決めつけている方がおかしい。佐狐だって人間なんだから、寂しいときは何かで紛らわそうとするだろう。だが、あの夜の言葉に嘘はないだろうから、禪院先輩の言う通り俺は確かにどちらにしても報われない、のか。
 いやそこに俺の感情は関係なくないか。

「俺は別にどうも。関係ありませんから」
「高菜?」
「はい、大丈夫ですよ?心配なら佐狐の方にしてあげてください」

 ふうん、と禪院先輩が納得していないような声を出す。すると今度は「つーかさ」と別の話題を持ってきた。

「このハンカチは一体何だ?」

 禪院先輩は自分が先に座る前からずっとテーブルの真ん中に置かれていたハンカチに漸く触れた。それは綺麗に折り畳まれた白い小花が散りばめられたハンカチだった。この言い草からおそらく禪院先輩のものでは無いと判断し、俺たちはやはり最初に見当していた人物のものだと再認識した。

「恵が廊下に落ちてるのを見かけたんだって」
「しゃけ」
「女性ものなので禪院先輩に見覚えがないなら、佐狐ですかね」
「だろうな。私はこういうの趣味じゃねえ」

 四つ角を綺麗に合わせて畳まれていたハンカチは清楚な印象を与えるものだった。だから正直に言うと拾った時、すぐに佐狐のものだろう、と思った。こんなこと言ったら禪院先輩から何言われるか分からないから言わないが。
 ハンカチは同じ女子寮の禪院先輩に任せようか、という話になっていた時だった。寮に続く廊下から誰かの話し声が聞こえてくる。それが女性のものだと分かると、もうそれは一人に限られた。

「噂をすれば、だ」

 パンダ先輩はちょうど俺たちの目の前を差しかかった佐狐を見てそう言った。そこにいたのは佐狐一人だけだったので、おそらく話し声は電話相手とのものだろう。そこで俺はその電話の相手が、先程名前の出たユウジという人物なのだろうか、と考えてしまった。
 佐狐は通話中であった為こちらを見ると頭を下げるだけだったが、何かを見つけて通話中にも関わらず「あ!」と声を上げる。そして小走りで俺たちの座るテーブルにやって来ると、通話相手を放ったままに「これ!」と俺たちの中央に置かれていたハンカチを手に取った。

「探していたんです」
「恵が拾ったらしいぞ」
「そうなんだ、ありがとう伏黒くん」
「いや別に。…いいのか、電話」

 俺がそう言うと佐狐は慌てて通話を再開する。しかし通話相手に対して、彼女はこう言っていた。

「ごめん、悠仁。また掛け直すね」

 やはり例のユウジという男だったか。俺は思わず佐狐から視線を逸らした。逸らした先には禪院先輩がいて、彼女はやはり眼鏡の向こうで笑っていた。

「そのユウジって奴、彼氏か?」
「違いますよ、ただの幼馴染です」
「にしては仲良いよなあ?」
「おい真希、やめろそういうの」
「おかか!」

 おそらく話の意味をよく分かっていない佐狐は、ハンカチを両手で大事そうに持ったまま少し首を傾げていた。俺はそんな佐狐を見て、幼馴染というのは本当なんだろうと思う。ただ、幼馴染という関係性と、呼び捨ての名前がとても心の奥深いところに刺さって取れなかった。

「ハンカチ、すげえ大事そうにしてるけど、貰い物かなんか?」

 パンダ先輩が何気なく尋ねた。まさかその返答までもが俺の心臓に突き刺さるとは知らずに。

「はい、大切な人から貰ったものなんです」

 しかし佐狐はそう言った途端に何かを思い出したかのように目を見開いた。少し視線を泳がせると「あ、いや…」と口籠る。

「普通にただの貰い物です」

 今にも泣きそうな顔をして必死に笑う彼女が、今何を考えているのか、俺には全く分からなかった。



次回、温泉旅行編開始



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