祝福


温泉旅行編―伍―

 翌日、とても天気が良くて、俺の心まで気持ちが晴れるようだった。朝起きてすぐ寝ぼけた脳で、昨日のことがゆっくりと思い起こされる。嗚呼、俺は佐狐のことが好きなんだ、と改めて自覚すると、心臓が締め付けられる感覚と同時に、やはり心がほっこりと温まる感覚に至る。

 誰かのことを好きになるということは、こんなにも心が満たされていくのか。

「おはよう」

 寝室から居間に出ると既に身なりをきっちりと整えた佐狐がいた。珍しく髪を高い位置で結い、いつもの黒い制服とは相反する明るい色の服を着ていて春らしさを感じさせた。
 こんな感じだが正直一番最初に思ったのは、いつもと違う髪型と服装も可愛いな、だ。

「はよ」
「伏黒くん、意外とお寝坊さんだね」
「…るせぇよ」

 昨日のことがまるで無かったかのように朗らかに笑う佐狐を見て少し安心した。ほんの少し目が腫れているようにも見えるが、その表情がどこかスッキリしているようにも見えたからだ。 
 するとふわりと佐狐の優しい手が俺の方に伸びてくる。

「ふふっ、寝癖すごいよ?」

 そう言って俺の頭を触ってきた佐狐に口から心臓が飛び出るかと思った。咄嗟にその細い手を掴んでしまう。びっくりした佐狐のオリーヴは真ん丸と見開かれていた。

「あんま触んな」
「あ、ごめん…つい…」
「恥ずいだろ」

 きっと今俺の顔は真っ赤だろう。恥ずかしすぎて面と向かって佐狐の顔が見れなくなった。あークソカッコ悪い。

「なーに朝からイチャついてんの?」
「ッべ、つに、イチャついてなんか…」
「五条先生、七海さんおはようございます」
「おはよー」
「おはようございます」

 俺だけが五条先生の揶揄いに翻弄されていて馬鹿みたいだ。サングラスの向こうからニヤリと嬉しそうな目がこちらを見ている。うざったいな、と思いながら五条先生を見ると彼は七海さんと話している佐狐にバレないように小さく手招きをした。近寄ると肩を組まれ、そして耳元で囁かれる。

「今日は恵がしっかりエスコートしてあげるんだよ?」
「…四人で回らないんですか?」
「せっかくの誕生日旅行、いつもとは違う土地だよ?二人きりでデートしたくないの?」
「いや、まあ、それはそれで嬉しいスけど」

 五条先生の提案は確かに嬉しかったが、何か企んでいるのではないかと疑心暗鬼になってしまう。そもそも普段から休みの日に二人で出かけていたりはしていたから、そこまで二人で回らなくても、と思ってはいたが、そうか、二人でいると何も知らない人たちからはデートとして捉えられるのか。今更になって痛感した。

「じゃ、せっかくだから楽しんでおいで」
「…ありがとうございます」

 これといって企てている様子も無さそうなので、一安心した。五条先生は俺から離れると、佐狐たちとの会話に乱入していた。俺は早速準備をする。せっかく二人きりになれるなら、もっとマシな服を持ってくれば良かった、と鞄の中を見て後悔した。



 連休に差し掛かっていたこともあり、例の観光通りはとにかく人が多かった。土地勘も無いため、一先ず人の流れに沿って色々見て回ることにした。
 五条先生たちは旅館を出てすぐ分かりやすい嘘をついてどこかへ消えてしまった。その際ため息を吐いていた七海さんには申し訳ないから、何かお土産でも買って帰ろうと思った。

「なんかすごいね。色んなお店があるよ!」
「そうだな」

 なかなか思うように足を進められなかったが、初めての土地を堪能するには逆にちょうど良い歩幅だった。
 お洒落なカフェやスイーツの店舗を覗きながらただ歩いていたが、ここで俺は重大なことに気付く。

 見事に会話がない。

 普段そんなこと考えながら佐狐と過ごしてこなかったから、余計にそのことが頭から離れなくなった。佐狐は呑気に辺りを楽しそうに見渡している。俺の気も知らないんだろうな、と俺の胸元くらいまでしかない佐狐の頭を見下ろす。柔らかな茶髪が麗かに揺れていた。その髪が半円を描くように靡くと、視界には佐狐がこちらを見る姿が飛び込んできた。

「ん?なんか付いてた?」
「…いや」

 首を傾げるその姿に俺は心臓に締め付けられそうになった。こんなにも誰かのことを可愛いと思ったのは初めてかもしれない。悟られないようポーカーフェイスを気取る。「そっか」と笑う佐狐は再び通り沿いの店に視線を移していた。そこで小さく「あ!」と声を上げたので、俺は彼女の視線の先を追う。

「見て!ピアノの模様がある…これなんだろ?」
「……羊羹じゃねぇか?」
「羊羹か!光が好きだから買っちゃおうかな」

 店の前のショーケースで紹介されているピアノの鍵盤が描かれた羊羹を夢中で見ていた佐狐は、「中入っていい?」と俺の返答を待つ前に店の中に吸い込まれるように入っていった。慌てて俺もついて行く。店自体はさほど広くなく、佐狐は店内のショーケースをまじまじと見つめていた。そこで店員と朗らかに会話をする様子は佐狐の人間性が表れていると思った。初対面の相手に対しても割とスムーズに会話のキャッチボールができていた。
 早々と商品を決めた佐狐は郵送の手配に移っていた。伝票に宛先を書いている間、俺は特に欲しいわけではなかったが、店内をくるりと見ていた。そういえば津美紀も俺が好きだからってよく生姜焼き作ってくれてたな。姉はどこまでも弟思いなんだと思った。

 あっという間に手配を済ませた佐狐は光くん宛のものとは別に自分にも買おうかと迷っていた。

「どれがいいんだ?」
「んー、こっちかこっちで悩んでるんだよね。みんなで食べるならこっちかな。でもちょっとお値段が張るといいますか…」

 最後の方はほとんど耳打ちをするようにコソコソと話していた。俺はそれが面白くてつい笑ってしまう。

「すみません。さっきのと、あとこれも一つください」
「分かりました。会計はまとめてでよろしかったでしょうか?」
「はい、結構です」
「え、伏黒くん!?」
「俺も食いたいと思ってたんだ」
「じゃあ私が払うよ!それにみんなの分は良いとしても、いや良くないけど、光の分は…」
「姉貴が居なくて寂しい気持ちは俺も分かるんだよ」

 それを言った後に俺は佐狐に何も話していなかったことに気付いた。佐狐はきっと何かに気付いたが、店の中で他の客もいたこともありそれ以上追求はしてこなかった。ただどうしても全額俺が払うことに納得できなかったのか、端数は早々とトレーに出していた。



 その後も色々見て回った。喉が渇いたのでおしゃれなカフェで飲み物を購入し、飲みながら歩いたり、小腹が空いたら有名なコロッケを食べてみたり。今までだって佐狐と経験したものであるはずなのに、全てが新鮮に思えるのはきっと俺の心の内が変わったからだろう。

 少し坂を下ったところには動物がいる敷地があり、そこにも足を運んだ。どうやら動物がいるエリアと雑貨を売っているエリアと別れているようだ。佐狐は動物に夢中でずっと可愛いと連呼していた。ずっとペットを飼いたかったのだという。しかし世話もままならないだろうし、という理由で言い出せなかったそうだ。それにいざとなれば焔狐がいるから、と笑っていたが、その顔は本当に動物が好きな人の顔だった。佐狐は何枚か動物の写真を撮っていた。本当に好きらしい。

 更に奥に進むと和菓子屋があり、そこにも入ってみた。お土産用のものや外のベンチに座って食べられる串団子などもある。串団子に惹かれた佐狐はそれと別に俺の分まで購入してくれた。
 外は本当に良い天気だった。噎せ返るような青い空が広がっている。佐狐が本当に美味しそうに団子を食べるので、俺は思わずスマホを構えてしまった。ちょうど団子を頬張るために口を大きく開けた時がスマホに記録される。

「変なとこ撮らないでよ」
「美味そうに食ってんなと思って」
「じゃあ伏黒くんも早く食べて!」
「絶対撮るなよ」
「それフリじゃん」

 さっきまで会話がなかったのがまるで嘘のようだ。大したことのない会話でも好きな人と交わすものはこんなにも楽しいものなのか。しみじみと思う。

 少し経って再び歩き出す。再び人の流れに乗って歩いている時、俺は忘れていた大事なことを思い出した。
 今回の旅行は任務兼佐狐の誕生日会だ。誕生日を祝うようなことをまだ一度もしていなかった。さてどうする。誰かの誕生日を祝うなんて家族以外でほとんどしてこなかった。津美紀は俺の好きなもの作ってケーキを買ってきてくれていた。後はなんか学校で使えそうなものだったりをプレゼントしてくれていた。

「…なあ」
「何?」
「なんか欲しいものあるか?」

 丸々と開かれた瞳がこちらを凝視している。

「どうしたの急に」
「…いや、ほら…佐狐誕生日だったんだろ?」
「いいよ別に!それにさっき羊羹買ってもらったし」
「それとこれとは別だ」
「えぇ…どうしちゃったの、伏黒くん」

 心底驚いた瞳は少し困惑しているようにも見えた。少し強引だったろうか。

「俺が祝いたいと思っただけだから」
「……ありがとう」

 少し目の潤んだ佐狐はそう言って、顔を俯ける。そして目尻を拭っていた。何か嫌なことを思い出させてしまっただろうか。

「そんな風に言われたの初めてだったから」

 護さんの普段の様子からすると、およそ子どもたちの誕生日を蔑ろにするような人には見えない。ともなると考えられるのは、佐狐が自ら一歩引いてしまっているということだろう。本当は欲しいものがあっても「いらない」、食べたいものがあっても「何でもいいから」とずっと言ってきて佐狐の中でそれが当たり前になりすぎていたんだろう。

 じゃあ、と佐狐が立ち上がった。
 その満面の笑みを見ることができて、少しは俺の祝いたいという気持ちが伝わってくれただろうか、と思う。

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