姉弟
温泉旅行編―陸―
恵たちが旅館に戻った時には五条たちも戻っていた。既に風呂も済ませたのか、五条も七海も浴衣姿になっている。
戻った恵たちを特に揶揄う様子もなく「おかえりー」と言う五条は相変わらず寝そべってテレビを見ていた。
「楽しかった?」
「はい!とっても!」
「これ良かったらどうぞ」
「へえ?恵にしては気が利くねぇ」
「……提案してくれたのは佐狐です」
「あ、やっぱり?」
五条は早速包装を解いていた。すると七海からもうすぐ夕飯なので先に風呂に入ってきてはどうか、と提案される。泉、恵の順で入浴することになり、泉が準備をしている間、恵は五条たちと一緒にいた。
「で、どうだった?OKだった?」
「何がですか」
「何がって、すっとぼけないでよ!告白でしょ」
「はあ!?してませんよ、ふざけてるんですか!」
「ほら言ったじゃないですか。伏黒くんは五条さんのように馬鹿みたいに突っ走るタイプではないんですよ」
「僕だって馬鹿みたいに突っ走ったりしませんー」
「でもまあ…」
恵はそこまで言って今日一日にあったことを思い出す。泉が笑っていた。何かを我慢する顔じゃなく、心の底から楽しそうに笑う顔だった。それが見ることができただけで、恵は満足してしまっている。
「楽しかったです」
そう言った恵が無意識に頬を緩ませていたので、五条も七海も驚いてしまった。
昔から恵を知る五条と幼い頃の泉を知る七海はこの時何を思っただろうか。それは彼らだけにしか知り得ないのだった。
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それは夕飯の時のことである。
「そういえば、泉そんなの付けてた?」
食事の席でちょうど泉の真正面にくる五条は、昨日そして今朝にも見覚えのなかった泉の耳元に煌めくピアスを覗き込んだ。
すると泉は嬉しそうに耳元を見せて「可愛いでしょう」と珍しく五条たちを前に戯けてみせた。
「伏黒くんが買ってくれたんです」
「へえ〜〜〜センスあるね、恵」
「………。」
「恵が満更でもない顔してる」
「してません!」
「……泉さん、それはピアスですか?」
「…はい?そうですけど…」
何か言いたげな七海はそれだけ訊くと再び食事を口に運ぶ。泉と恵は訳が分からずしばらく七海を見つめていたが、最初から発言の意図が分かっていた五条はひどく上機嫌に笑った。
「まさか七海、泉がピアス開けてるのびっくりしたんじゃない?」
「あ、そういうことですか」
「正直俺もびっくりしました」
「えー!別にオシャレは自由だから良いじゃないですか」
五条が自身に引っ付いてくると察知した七海は持っていた茶碗と箸を丁寧に置く。すかさず「だってよ、七海」と自身の肩を抱いた五条の手を払い除けると、小さくため息を漏らした。
「もちろん構いませんよ。ただ私は体を大切にして欲しいと思っただけであって…」
「七海さん、お父さんみたい…」
「ブハッ」
「ふっ」
泉の斜め上の発言に五条はもちろん恵まで吹き出してしまう。七海に対してこんな言動をとったことがなかった為「すみません」とすぐに謝るが状況を飲み込めず混乱している七海にはあまり意味がなかったようだ。
「中学の頃、ちょっとむしゃくしゃしたことがあって」
七海と同じように箸をテーブルに置いた泉は少し昔を懐古するように話を始めた。
「お父さんと些細なことで喧嘩しちゃって、思い切って開けちゃったんです。その、なんというか、ずっとピアスに憧れがあって……」
歯切れの悪い言い方に隣にいた恵が「夏油傑の真似をしたかったそうです」とおそらくこのピアスを買う際本人から聞いたであろうエピソードを言い放った。泉のことが好きな恵としては心苦しいことであるが、夏油傑の存在を忘れなくていいと言った張本人の恵が、それを否定することはできなかった。
そう言われ確かに高専時代の夏油がピアスをしていたことを思い出す。彼らにとっての僅かな青い時間がまるで昨日の出来事かのように駆け巡った。
「校則でも禁止されてるし、お父さんも余計に怒らせちゃって。実は夏油さんにもあまり良い顔されなくて…」
「校則破るとか、泉って意外と不良少女?」
「そんなことないですよ」
笑った泉はチラリと隣の恵を見る。恵は急に目が合ってしまい思わず心臓がきゅっと締め付けられた。
「その話を伏黒くんにしたら『別に何か言われようが、自分がつけたいもの身に付ければいいだろ』って言ってくれたんです」
「へえ〜〜〜〜??」
とても意味深な相槌を打つ五条の視線は恵をじっとりと捉えていた。恵は改めて五条と七海の前で言われると、小っ恥ずかしくなり顔を背けていたが、その耳が真っ赤に染まっているのを五条も七海も見逃さなかった。
「その言葉が、自分のこと認めてもらえた気がして、すっごくうれしかったんです」
だから、と恵にお礼を述べようと隣を向くも、隣の恵が耳を真っ赤にしてそっぽを向いていたので「伏黒くんどうしたの?」と尋ねる泉。その光景を眺めている五条と七海は、まるで自分の子どもを見るような眼差しで彼らを見ていた。
「僕たちもまだまだだね、七海」
「……私は泉さんを否定したつもりはないんです…」
「七海が地味にショック受けてる」
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その夜のこと。明日にはこの土地を離れることになる。その最後の夜を噛み締めるように恵は夜空を見上げていた。
「隣いいかな?」
まるで昨夜とは真逆の構図に恵は思わず目を見開く。自分を見下ろしていた泉に快諾するとゆっくりと恵の隣に座った。そこにはどうしたって埋まらない1cmがあった。
ふわりと甘い香りがすると、恵は余計にこのもどかしい距離が気になってしまった。
「今日は本当に楽しかったね」
「それなら良かった」
「伏黒くんは楽しかった?」
そう言って自身の顔を覗き込んでから泉に思わず質問の答えよりも「可愛い」という感情が先に出てしまいそうになって必死に堪える。
「…楽しかった」
恵がそう答えると泉は満足そうに笑って「それなら良かった」と恵が返したのと同じ返事をする。そのことに気付いた恵が泉を見ると、泉は悪戯な笑みを浮かべていた。
恵はこの時、おそらくこれは自分の勘違いではないと思い知る。
最近、泉が自分に対して、戯けてみせたりしてくれるようになった。入学からひと月と少し、この変化がほんの少しでも泉と仲良くなれた証拠なのではないか、と思うと胸が熱くなった。
「そういえば、昼間に言ってたこと」
「昼間…?」
唐突に言われて恵は思わず思考を巡らす。何か泉が気になるようなことを言っただろうか。
「姉貴が居なくて寂しい気持ちは俺も分かる、って…」
その言葉を言われて恵は羊羹屋での件を思い出す。光への贈り物のために言ったあの言葉にもちろん嘘はなかったが、そういえば泉には何も話していなかったのだ。
「伏黒くん、お姉ちゃんいたんだね」
「ああ。血は繋がってねえけどな。俺と違って真面目で底無しに優しい人だった」
「…そう、なんだ」
泉は以前五条が言っていた恵の父親に対する言葉を思い出した。彼は恵の父親を「とんでもないロクでなしだが、禪院家のボンボン」だと言っていた。彼女の中でもずっとそのことは気になっていた。
恵はそこから少し自身の生い立ちについて泉に話した。自分のことを誰かに話すことはあまりなかった為、時折うまく言葉が出てこないこともあったが、泉はその都度優しく彼の言葉を待った。
全てを聞き終えた泉は、なんと声をかけて良いか分からなかった。でも姉としての気持ちもあるし、同じく入院する姉弟を持つ家族としての気持ちも分かる。
「今度お姉さんのお見舞いに一緒に行ってもいいかな」
「……寝たきりだから来ても別に楽しくねえぞ?」
「楽しい楽しくないじゃない。恵くんにお世話になってます、って挨拶だよ。目を覚ましたらお姉さんとたくさんお話ししたいな」
自分の姉を知らない人がそんな風に言ってくれることが恵にとって新鮮だった。だが彼の脳内では面識のないはずの二人が何故かごく楽しそうに、まるで昔からの知り合いであったかのように話している光景が容易に思い浮かんだ。
それが分かった時、恵は少し頬を緩める。
「だったら俺も、光くんと話してみたい」
「本当?学校に行けてないから同世代の子と話せるのは、光もきっと喜ぶと思う」
「そうか」
「うん、それに伏黒くんの話も少ししてて」
「そうなのか?」
「うん!光も一回話してみたいって言ってたの!だから私もうれしいな」
そう言って泉が笑うと、恵も釣られて再び笑顔を作る。
それから泉は光の写真や普段どんなことを話しているかなどを恵に話した。恵もまた姉とどういう風に過ごしてきたかなど互いに話し合った。終始和やかな雰囲気は昨日と相反するものだった。
恵本人はもちろんのこと、別室にてその話し声が聞こえていた五条や七海ですらも、旅行に行く前よりも二人の距離が近くなったのは明らかだと捉えていた。
こうして二人にとって初めての温泉旅行は幕を閉じる。
温泉旅行編 完結
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