初対面


 ―――宮城県仙台市内。
 本来であればあるはずとされていた百葉箱の中はすっからかんだった。五条先生は見つかるまで戻ってきてはダメだと言うし、数日間の滞在は余儀なくされた。ひとまず高専名義で予約されているホテルに戻って飲み物を飲んでいた。時刻は夜10時を回ろうとしているところであった。無駄に広い二人部屋はツインベッドが並べられている。その不要になったベッドの上には俺の荷物が無造作に置かれていた。
 飲み物を置いて一息ついたところで、スマホが振動しているのが分かった。おそらく五条先生だろうと画面を碌に確認もせず応答する。

『もしもし、伏黒くん…?』

 電話口の声は合間で咳き込んでいた。その様子だけで佐狐だということはすぐに分かったが、状態はこちらに来る前と代わりないように思える。

「どうした?つか無理すんな、寝てろ」
『寝てるよ。寝転がって電話してる』
「そういう問題じゃねえよ」

 そんなことを口では言いつつ、俺は内心喜んでいた。
 事の経緯を話そう。先日俺は周知の通りの失態を犯し、尚且つ佐狐本人をも困惑させてしまう言動をとってしまったのが任務の前日。その時から違和感はあった。いつもより赤かった頬は単純に故郷へ戻れる事への喜びからかと思っていたが、どうやら体調を崩していたらしい。結局夜中に熱が上がり、出発予定の朝家入さんに診てもらったところ、この状態での任務は難しいとの判断で、俺一人での任務となった。
 佐狐は先日のことなどすっかり忘れ去ったかのように真っ赤な顔と気怠そうな表情で謝っていた。元々単独任務と言われていたものだし、俺としては全然構わなかった。正直いうと佐狐と一緒にいれないのはつまらないが、それよりも佐狐がいち早く回復してくれることの方が最優先だ。

『さっきお父さんから連絡があって』
「護さんから?」
『うん。私の代わりに周辺の土地の案内してくれるって』
「護さん忙しいんじゃないのか?」
『うん、なんか立て込んでるみたいだけど、少しくらいなら時間があるらしいの』

 ゴホゴホと咳をしながら懸命に話す佐狐だったが、最後の方は明らかに元気が無くなっていたのが分かる。恐らくこっちに帰ってくるということで、任務はもちろんだが一番楽しみにしていたのは光くんに会うことだったのではないだろうか。

『お父さんの連絡先、送っておくね』
「ああ、ありがとう」
『本当ごめんね』
「いいって。つーかもう早く寝ろ。悪化するぞ」
『うん、そだね』

 やはり少し元気の無い佐狐に俺はあることを思いついた。しかしできればそれは直前まで知らせずサプライズにしようと思い、今はこのまま電話を終わらせることにする。

『伏黒くん、ありがとうね』

 しかし急にそう言われたので俺は自分の考えを見透かされたような錯覚に陥った。そんなことあり得るはずがない、と思い単純に照れ臭くなった俺は「分かったから、早く寝ろ」と急かす。

『おやすみ』
「おやすみ」

 その言葉で終了した電話。スマホを握りしめて思う。耳元で「おやすみ」と言ってもらえるのは最高に良い。移動や調査での疲れが一気に吹っ飛んだ気がする。



「恵くん、すまない待たせたな」
「いえ」

 翌朝、潜入先の杉沢第三高校の制服に着替えて待ち合わせ場所に出向いた。もう蒸し暑く感じる季節になったようだ。七海さんと同じく普段からスーツスタイルの護さんは、今日はチャコール色のスーツに身を包んでいた。どんな人か分かっているはずなんだが、どうしても見た目が強面なので、緊張感が走ってしまう。

「そんな堅くならなくていい」

 そう言って笑った顔が佐狐と同じところに皺を作っていたので、親子なんだなと実感した。

「忙しいのにすみません」
「いいや、謝るのはこっちだ。泉が迷惑かけたね」
「ここ最近任務に出ずっぱりだったから、疲れが溜まってたんだと思います」
「そう言ってもらえると助かるよ」

 護さんにも任務の概要は伝わっているらしく、まずは本来あるべき場所になかった特級呪物について、恐らくそんなに遠くには行っていないはずだから杉沢第三高校を中心に探すこととなっていた。護さんは土地の案内だけだと思っていたが、他の任務を全て早めに切り上げてくれたらしく、今回の任務に同行してくれるらしい。護さんはこちらの意見を聞いてくれたうえで的確なアドバイスを行ってくれるので、話し合いは結構スムーズに進んだ。授業中は校内に入ると目立ってしまうため、人がランダムに動く休み時間や放課後を狙っての行動となる。
 少し時間に余裕ができたため、早めの昼食も兼ねてどこかの店に入ろうか、と提案する護さんに、思い切って昨夜考えていたことを話してみた。
 すると護さんは眼鏡の向こうで目を見開いたが、すぐににこやかに笑う。「いいんじゃないか、二人とも喜ぶだろう」と言ってくれた。



 どこを見ても白い建物の中は姉貴のお見舞いで見慣れたものだった。ただ違うのは見知った看護師や医者がいないことである。護さんは戸惑うことなく目的の場所まで歩いていた。時折顔見知りの看護師やスタッフに挨拶をされていた際は、とても気さくに対応していた。この強面の見た目からは想像もつかないほど温和なところは、佐狐と似ているのかもしれない。
 目的地に到着すると、そこは四人部屋だったがどうやら名札が一人分しか書かれていなかった。その名前を視認すると、俺はようやく実感が湧いてきて柄になく緊張してしまった。
 護さんが控えめにノックをすると、中からは佐狐に似た柔らかな声が返ってきた。

「光、調子はどうだ?」

 入室早々、護さんは光くんの調子を尋ねていた。しかし光くんの手前に燃えるように赤い髪をした少年がいたことは護さんにとっても想定外のことだったようだ。そのことと、光くんが護さんの後ろにいた俺を発見することが重なってしまい、病室は一瞬いろんな声が被ってしまう。

たから、お前何してる」
「あれ!?もしかして恵さんじゃないですか?」
「あぁ?別に俺が何処にいようと勝手だろうが。つーか、コイツ誰だよ」

 それぞれが思いのままに言葉を発したため大渋滞が起こっている。俺は呆気に取られてしまい何も言えなかった。ただ恐らくこれだけ息のあった会話(と言っていいものかは分からないが)をするということは、この赤毛の少年も彼らの身内だろうか。かなり目付きが悪く、とにかく俺のことを下から上までジロリと睨みつけていた。ボタンの意味を成していない学ランからは派手な色のパーカーが覗いている。耳元に重たそうなくらい付けられたピアスも印象的だった。

「誰だよテメェ」
「彼は伏黒恵さん。姉さんと同じ呪術高専の…」
「泉の彼氏か?弟放っといて自分は都会で遊んでんのかよ。つか恵って、女みてぇな名前だな」
「もう宝はすぐそんなこと言う。ごめんなさい、恵さん。根は良い奴なんです」
「いや、俺は全然…」

 見舞客用の椅子から一切動かずに踏ん反り返るような宝という少年からは、とにかく俺への警戒心が感じ取れた。するとため息を吐いた護さんは「コイツは俺の甥っ子で、泉たちの従兄弟なんだ」と簡単に宝少年の紹介がなされた。

「それより恵さんがどうしてここに?」

 初めて会う光くんは思ったよりも小柄で華奢だった。光くんと宝少年とのやりとりから恐らく二人は同い年なのだろう。光くんが佐狐の一つ下だと聞いていたから、中学三年生。去年まで自分もその肩書きだったことを思い返すと、やはり当時の自分や宝少年との体格の差は歴然としていた。本当にあの事件からずっと入院生活を余儀なくされているのだと痛感させられた。それでも笑った顔は佐狐にそっくりで、優しい声色も佐狐と話しているように感じるくらいにしっくりきた。
 電話で話したことがある程度で、直接会うとなると場違いのような感じがして緊張してしまう。

「任務でこっちに来てるんだ。本当は泉も来るはずだったんだが、アイツは風邪引いて寝込んでるらしい」
「ダッサ」
「そうだったんだ!じゃあ姉さん今一人でいるの?」
「基本高専内は其々の個室になってるけど、同じ建物に誰かしら人はいるはずだ」
「なら良かった」

 そう言って心を撫で下ろすその様は本当に佐狐を見ているようだった。

「独りは寂しいからね」

 その言葉が俺の心臓を突き刺すような衝撃を与えたのは、何故だったのだろうか。

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