嫉妬


 俺は虎杖が来るより一足先に高専に戻っていた。そして家入さんの治療を受けていた。二回目くらいの診察の時である。

「電話、出てもいいよ?」

 白衣の家入さんは血圧を測りつつ、俺のズボンのポケットで振動しているスマホのことを指摘した。なんせさっきから数えて既に三回目のコールだ。

「いえ、大丈夫です」

 そう言って圧迫されていた腕が開放され血が一気に駆け巡るような感覚を味わう。袖を下ろし整えていると、測定のメモをしていた家入さんが更に言葉を発した。

「一言くらいなんか言ってやったら?」
「……何の」
「何の話とか言わせないよ。君が電話に出ない分、全部私に問い合わせが入ってくるんだ」

 そう言って家入さんは白衣のポケットから自分のスマホを取り出して、俺にメッセージアプリのトーク画面を見せてくる。そのメッセージは佐狐となされていたものだった。

「ここ最近私のスマホの通知は殆ど泉からなんだ」
「…すみません」

 全て意図的だった。
 佐狐は体調が回復してすぐに別の泊まり込み任務が入ったらしく、俺がこちらに戻るのと入れ違いで出て行ったらしい。だから俺たちはまともに顔を合わせていない。今はそれがちょうどいいと思ってしまっていた。
 虎杖は自身が高専に来ることをサプライズで喜ばせたい、と言っていたが、正直俺はそんな気分じゃなかった。一件の護さんの言動を見るに、おそらく佐狐も同じような反応を示すだろう。俺が五条先生のように強ければ、こんなことにはならなかったはずだ。そういう自分の不甲斐無さが込み上げると、何食わぬ顔をして佐狐と話せなかった。

「何があったかは五条からある程度聞いてるけど、あんまり気負いすぎない方がいいよ」
「…はい」
「人にはね、できることの限界がある。自分ができることを精一杯やれてたんなら、褒めてあげていいんじゃない?」

 家入さんがそんな風に言ってくれるのは珍しいと思った。家入さんの言葉を受け、俺は上手く誤魔化して医務室から出て行った。

 ただ俺は彼女の言葉を真っ直ぐに受け止められない自分がいることに気付いた。俺がこんなふうになっているのは、もちろん自分の実力不足を痛感したこともあるが、根幹は違う。

 護さんから見せてもらったあの写真が脳裏から離れない。屈託のない笑みで写る二人。どう考えたってそこには隙がなくて、俺はこれまでの自分の言動に恥じらいを覚えた。
 そして何より二人の親密さを体感してしまった訳だから、これから先それを間近で見せつけられることとなると、俺はその現状に耐えられる気がしなかった。
 だったらせめて虎杖が心底嫌な奴だったら良かったのに、アイツは底抜けに良い奴だ。

「はあ…」

 ため息を吐く。あんなに優しい笑顔が他の誰かにも向けられると思うと、俺はこんなにも胸の内がザワザワしている。



 後日、虎杖がこちらにやって来た。学長との面談を終え正式に入学が決まった。空き部屋なんて他にもいくらでもあるのに、何故か虎杖の居室は俺の隣の部屋に決まったらしい。部屋から出ると虎杖と五条先生が居た。「伏黒ー!」と小学生のようなはしゃぎっぷりを見せる虎杖に、俺はため息を吐いてしまう。五条先生に何故隣なのか、と尋ねてもあんまり納得できる答えが返ってくるはずもなかった。

「てか泉は!?早速サプライズしようぜ、先生!伏黒も!」
「佐狐は今任務に出てる」
「確か今日帰ってくるはずなんだけど」

 虎杖から佐狐の名前が出た時、心臓がドクンと一瞬だけうるさかった。やはり何の疑いもない虎杖は無邪気に笑っている。

 その時であった。廊下を駆け走る音が聞こえてくる。一体誰がこんなにドタバタと騒いでいるのかと近づいてくる音の方を注視する。

「あっ、五条先生の頭がある!伏黒くん!いるー!?無事!?」

 恐らく直角に曲がる廊下のガラス越しに五条先生の頭が見えたのだろう。凛とした声はいつもより忙しなく、珍しく大きな声だった。角を曲がってこちらに走ってきた佐狐は俺と目を合わせるなり「生きてる!」と声を上げるが、その横に五条先生と虎杖がいるのを見て動揺したらしく、足が変な動きになっていた。
 正直に言うと真っ先に俺の心配をして、俺しか眼中になかったかのような言動が、とんでもなく嬉しかったが、俺たちの目前のところでよろけたの佐狐に先に手を差し伸べたのは虎杖の方だった。

「お前本当にそそっかしいよな」
「…!?悠仁…?何でいるの?」
「フン、よくぞ聞いてくれた。俺も今日から高専通うことになったから。よろしくな」
「え、え!?何で?でも、じゅ…っえ?」

 実はさ、と虎杖が説明を始めようとした時「ちょっと待って」と佐狐がそれを制止する。そして虎杖に添えられていた手から少し離れると、佐狐は俺の方を見上げた。…これは見上げたというより、睨みつけているのだろうか。いつもの穏やかなオリーヴが、珍しく鋭かった。それでもまだ愛らしさが残っているが。

「悠仁の話を聞く前に。伏黒くんなんか言うことあるかな?」
「……生きてる」
「それはもう分かってる!そうじゃなくて、なんで私の連絡無視したの?」
「…いや無視したわけじゃ…」
「無視したよ!伏黒くんが連絡くれないから、硝子さんに連絡したけど硝子さんも途中からまともに返してくれないし」

 まさか佐狐が俺との連絡にこんなに執着していたとは思わずに、俺はどう対応していいか分からなくなっていた。

「えー、恵ひどーい!女の子からの連絡無視するなんて」
「そうだぞそうだぞ!可哀想だろー?」

 初日の癖に最初から息がピッタリの五条先生と虎杖からの囃し立てもあり、今すぐに部屋に戻って布団に包まりたくなった。

「…悪かった。その…心配、かけたくなかったんだよ」

 もちろんこれも本心の一つである。情けないとか不甲斐ないとかいろんな感情があった中の一つだった。すると佐狐は納得してくれたのか、いつもより鋭かった目つきと尖っていた口元がようやく戻ってくる。

「ちゃんと心配くらいさせてよ。心配は、かけるものでしょ?」

 サラリと言ったが俺にはその言葉が心臓に突き刺さったまま取れなかった。そういう解釈をしたことがなかったので、言葉に詰まってしまう。心配かけることを負のイメージで捉えていた俺にとって、この考え方は180度世界が変わる見方だった。佐狐ってすごいな、と一人感心しきっていた。
 しかしそんな俺の感動も束の間、佐狐は今度は虎杖の話に切り替えていた。

「で、何で悠仁がいるの?悠仁、幽霊とか見えなかったよね?」
「あー、それが実は…」

 そこから虎杖と五条先生による説明があった。佐狐は虎杖が両面宿儺の指を取り込んだ、と聞いた時、もっと驚愕し護さんのように悔しそうな顔をするかと思っていた。

「飲み込んだってこと?呪物っていっても人間の指だよね………きもちわるい」
「おい!そこは『え!?悠仁、その指はちゃんと消化できたの?』って心配してくれるところじゃねえの?伏黒のこと心配したみたいに」
「心配のベクトルが違うと思うし、伏黒くんだったらまずそんなことに至らないから」

 そんな会話を聞いているとさっきまでとても晴れやかな気分だったのに、二人の会話の雰囲気を直に感じると黒い感情が渦を巻きだした。佐狐が俺と話す時よりも幾らか楽しそうで、より人懐こく感じてしまった。その視線が俺ではなく、虎杖に向いていることを痛感してしまった俺は、このどうしようもない感情をどうすれば良いか分からず持て余してしまう。

 興味もなかった恋愛映画やバラエティなんかでは、よく男女の関係の間に嫉妬という感情が生まれることが話されていた。そもそも恋愛とも無縁の人間だと思っていた俺だったから、嫉妬なんてものとも一生向き合うことはないのだろうと思っていた。
 それがこんなに早く突きつけられると、誰が思う。

 何も知らない佐狐が虎杖に向かって笑っていた。さっきまで少し怒っているようにも感じ取れた彼女の様子は既にいつもの優しくて穏やかな様に戻っている。そして何も知らない虎杖も佐狐とこうして話すことが当然だと言わんばかりの様子だった。
 二人の間には俺が知らない空間があり、それは俺が知らない時間と思い出から成り立っていた。

 腹の底から湧いてくるこの感情が一体何なのか。

 俺は今途轍もなく虎杖に嫉妬していた。

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