中学の卒業式があって約三日後のこと。本来の入学は四月だが、春休み中からこちらに移動して慣れておきたいという本人たっての希望であったそうだ。そんな珍しい人もいるもんなんだな、と思った。聞くところによると東北の出身らしいが、いくら特殊な学校とはいえ友達と過ごしたりしなくて良かったのだろうか。

 五条先生から教えてもらった前情報では名前は佐狐泉というらしい。御三家の人間なら知っているが、佐狐家というのは元々東北圏内で有名な呪術師の一族である。この佐狐家は名前こそ知られているものの、御三家との繋がりは無いものの昔はあまり他の呪術師たちと交わらない孤立した家系であったため、協力態勢を見せない佐狐家の風潮を御三家内で早く思わない呪術師も多くいた。しかし、ここ二人前の当主から佐狐家も他の呪術師たちと親交を深めるようになるなど、変革の兆しが見えたことで、御三家との溝も無くなりつつある。実際、現当主の佐狐泉の父親・護も高専に通っていたとの話もあるのだ。

 もう一人の入学生は、宮城県からやってくるようで、先生も一度入学前相談で会っているが曰く今の呪術高専にはいないタイプの女子だと言っていた。

『恵、好きになっちゃったりして!いいね〜春だね〜』
『やめてください。俺は別にそういうの興味ありません』
『じゃあ僕がとっちゃおっかな〜』

 まだ記憶に新しい今朝、五条先生はそう言って実にご機嫌だった。俺はあの時また馬鹿言ってると思って聞き流していた。

 東京駅にて待ち合わせとなっていたが、かれこれその時間から30分は経とうとしていた。時間にルーズな人間は好きではないが、慣れない大都会・東京だということもあり、迷子になっている可能性もあるということで、五条先生が近くを見てくると言ってからは10分が経っていた。おそらくあの人は今スイーツでも選んでいるのだろう。
 流れるように出たため息が、何度目か数えようとしたとき「すみません」と透き通るような声がかかった。

「えっと呪術高専の方ですか?」
「はい…あ、佐狐…さん……?」
「はい!佐狐泉です!よろしくお願いします!」
「よろしく…てか、いやあの…その子は?」

 とても元気よく挨拶をしてくれたのは、俺たちが到着を待っていた入学生の佐狐泉本人であった。小柄で華奢な女の子でくっきりした二重の奥にあるオリーヴ色の瞳が印象的だった。確かに今の高専にはいないような可愛らしい子であったが、俺はそれよりもまず彼女が大荷物を抱えながらも、左手はしっかりと幼い少年の手を握っていることの方が気になって仕方なかった。

「この子実は迷子になってしまったみたいで」
「それは駅員とか窓口とかに行ったら良いんじゃ…」
「私もそう思ったんですけど、恥ずかしながら私も迷子になってしまいまして」
「はあ」

 そう言って佐狐は照れながら頭に手を持っていく。泣いている男の子を見つけ声をかけたのは良かったものの、自分も今いるところが分からなくなってしまい、ひとまず待ち合わせ場所の方へ先に来たらしい。確かに初めて来る人にとっては迷路といっても過言ではないのが東京駅だ。
 俺はとりあえず五条先生に連絡を取り、戻ってくるように伝えた。その間佐狐は未だに涙目である男の子を必死にあやしていた。俺は不意に昔津美紀がそうしてくれていたことを思い出してしまう。何となく恥ずかしくて頭を撫でてくれようとした手を払ったが、今思えばちゃんと受け入れていればよかった。

「あれ?どしたのその子?」
「五条先生」

 やはりスイーツの袋を引っ提げて帰ってきた五条先生は、佐狐を見るや否やすぐにその傍らにいる男の子に視線を移す。

「お久しぶりです」
「うん久しぶり。それよりその子何?泉の弟は一つしか変わらないでしょ?」
「はい、この子は…」

 面識があったからか少し緊張した顔がほぐれたように見えた佐狐は再び俺にした説明を繰り返していた。俺は五条先生が言った彼女に弟がいるということにものすごく腑に落ちてしまった。五条先生への説明をしている時でも、彼女はしっかりと手を繋いでいた。時折「もう大丈夫だからね」と優しく微笑む。男の子は少しずつ泣き顔から朗らかな表情になっていった。

 三人で駅の窓口まで行くと、ちょうどその時一人の女性がかなり逼迫した様子で駅員に話しかけていた。俺たちがもしかして、と思っていると、先に声をあげたのは男の子の方だった。佐狐のもとから一目散にその女性のもとまで駆け寄り「ママ!」と声を上げた。すると母親もその声に振り返っては泣きながら我が子を抱きしめていた。母親がこちらを見て何度も頭を下げて感謝を述べる。男の子は満面の笑みで佐狐を見て「お姉ちゃん、ありがとう」と言っていた。
 佐狐は同じようにニッコリと笑って手を振っていた。しかし一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、寂しそうな顔をしたのを俺は見てしまった。

「それじゃあ改めまして、ようこそ東京へ」
「電車から降りてめちゃくちゃ迷ってしまいました。お待たせしてごめんなさい」
「いいよいいよ、気にしてないから」
「あんたは途中自分の趣味に走ってたでしょ」
「もう恵ったら辛辣〜!女子にもそんな態度とったらダメだぞ」

 窓口を後にして、俺たちは三人並んで歩いて東京駅から出た。五条先生のこの容姿ではどうしても目立ってしまうのが、とても嫌だった。

「そういえばお互い自己紹介は済んだ?」
「はい、私は先ほど自己紹介をして…あ、えっとまだ名前、聞いてなかったよね?」

 どうしたってこの身長差だと不可抗力で俺を見上げてくる佐狐を、なぜかじっとは見れなくてすぐに視線を逸らした。簡潔に「伏黒恵」とだけ述べると五条先生は「うわ素っ気な。これから同じ学び舎で過ごすんだよ〜?」と茶化してくるから、睨み返してやった。

「伏黒くん、これからよろしくね」

 相変わらず透き通るような声が面と向かって届く。笑った顔は年齢より少し幼く見えた。柔らかい髪がふわりと空中に靡くと、心地の良い甘い香りがした。

 俺は、初めて異性に対して見惚れてしまっていた。

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