約束・前編


 兵法会議での証人尋問が終わってすぐにベティの勾留は終了となった。またその際すぐに辞令が言い渡され、ベティはハイネの跡を継ぐ形で第二分隊長に任命された。

 兵法会議が終わったエルヴィンに呼び出され、リヴァイやミケ、ハンジら同席のもと簡易的な任命式が執り行われた。ベティは前日リヴァイに見せたような虚な表情はもう見せなかった。

 その夜、ベティは約束通りリヴァイの部屋にやってきた。三回ノックをすると中から「入れ」と聞こえたので、ベティはドアをゆっくりと開けた。自由な翼が描かれた上着は丁寧にハンガーにかけられていた。スカーフもきちんと整頓された様子にベティは相変わらず綺麗好きだ、と少しだけ笑った。すると「何がおかしい」という声がしたのでそちらを向く。リヴァイは既に私服に着替えていた。いつものカッチリとした格好からは想像がつかないラフな格好を知る兵士は数少ないだろう。
 リヴァイは部屋のど真ん中にあるソファにベティを座らせる。ベティは部屋をくるりと見渡すと「本当に埃一つない部屋だな」と悪態じみた言葉を口にすると、リヴァイからは小さく「うるさい」と返ってきた。

「これだ」

 リヴァイはベティが何をしにここへきたのか既に分かっていた。その手には、先日牢の中にいたベティに伝えた通り、ハイネから預かっていたという手紙があった。リヴァイはその手紙を持ったままベティが座るソファに、人一人分の空間を開けて座る。ベティは差し出されたその手紙を受け取るのを、戸惑っているように見えた。

「その前に、言っておきたいことがある」
「あぁ?」

 喉から手が出る程読みたかったであろうハイネからの手紙よりも前に、ベティが伝えたいと言ったことにリヴァイは見当がつかなかった。眉間の皺が深くなる様子は、ベティにもすぐに分かる。ベティは一つ深呼吸をして、ようやく口を開く。

「殴ったりして、すまなかった」
「……お前、頭でも打ったか?」
「…真面目に言ってるんだけど」

 そう改まったベティはほんの少し恥ずかしそうに顔を俯け、やたらと自身の手を撫でくりまわしていた。その仕草はリヴァイにとっても珍しく新鮮で思わず凝視してしまっていた。

「あの時の私は冷静さを欠いていた。だからその、悪かった…本当に」
「あの時、俺がお前の立場だったら、発狂して巨人をズタズタに切り裂いていただろうな。現に過去そうだった」

 あまり笑えない自虐ネタにベティはようやく手を摩る行為をやめた。

「少し状況が違ったが、俺が大切なものを失った時、お前は共に悲しみ、聞いてもいない昔話で励ましてくれたな」
「悪かったな聞きたくもない話聞かせて」
「借りは返す」

 そう言った後にリヴァイは空けていたスペースを詰めて座り直す。その行動に顔を自身に向けたベティの頭に手を添えた。

「俺の前では取り繕わなくていい」

 その瞬間、ベティの瞳から詮が抜けたかのように涙が溢れてきた。とめどなく流れるそれに自分で言っておきながらギョッとしたリヴァイだったが、そんな彼に構うことなくベティは彼の胸板に思い切り飛び込む。かなりの勢いがあったが、そこは人類最強に名に恥な強靭さで耐えたリヴァイ。自身の胸元で子どものように泣くベティはだいぶ予想外だったようで、宙に浮いた手紙を持った腕たちをどこに持っていけば良いか分からず固まっていた。いつも自分に悪態ばかりついてくる彼女が、ここまで感情を剥き出しにしていてくれるその様は、リヴァイに少なからずの優越感をもたらした。
 そう考えるとベティは小柄な自身と同じくらいの身長であったとはいえ、更に華奢であった。髪なんかも自分とは違い柔らかく見えた。共に人類最強を担う兵士ではあるが、そこにはどうしても拭えない男女の差というものが存在した。普段一人で巨人を何体も斬り裂いている彼女だったが、立体機動装置を外し、兵服を脱げば、そこには孤独な女性しか残らなかった。
 自身の背中に控えめに回された自分より細い腕に、リヴァイには何とも言えない感情が漂う。それが愛であるとして、果たしてどういう類のものであるのか、彼はまだこの時には考えもつかなかった。

「リヴァイ」

 泣きじゃくって掠れた声が、自身を呼ぶ。「何だ」と返すと彼女はようやくリヴァイの胸元から離れ、真っ赤になった瞳でリヴァイを見つめた。自身から離れたベティを名残惜しく思ったことに、彼は正直動揺していた。

「頼むから、お前は死んでくれるなよ」

 どこかで聞いたことのある言葉を言ったベティは、まだ潤んだ瞳のまま悪戯に笑った。その言葉にリヴァイは少しずつ掻き乱された感情を取り戻す。

 ようやく手紙がベティのもとに渡されるが、彼女はその場で読むことなく封筒を大事そうに見つめているだけだった。

「読まないのか?」
「ああ。これはハイネが私に遺した最後の言葉だ。一人でじっくり読ませてもらう」
「そうか」

 目尻の雫を指で掬い、鼻を啜るベティにリヴァイはソファから立ち上がり戸棚からグラスと酒を持ってきた。テーブルに置かれたグラスに程よく注がれた酒を見てベティは「珍しいな」と呟いた。

「紅茶派だろう?」
「別に飲めないわけじゃないからな」
「そうか」

 自分の目の前に置かれた酒の入ったグラスを手に取り、リヴァイのものとカチンと合わせる。一口飲むと焼けるようなアルコールが喉に滲みた。

「明日からエレンを俺の班で活動させる」
「お前軍法会議の時、エレンをめちゃくちゃに蹴ってたらしいな」
「ああ、あれは必要な演出だった」
「……そうか」

 自身の甥に対しての暴力行為にあまり納得できていないベティだったが、おそらくその行為がリヴァイの意思ではなくその裏に何か意図するものがあったのだと理解はしていた。心にあった納得できなかったわずかな感情をアルコールで押し流す。

「何故黙っていた」
「………。」
「お前とエレンの関係だ」
「やめてよ、その言い方だとやましい関係のように聞こえるだろ」
「俺は真面目に聞いてるんだが」

 そう言われ、もう逃げ場はないと腹を括ったベティは、グラスをテーブルに置いた。おそらくはこれを聞き出すためのアルコールだったのだろう。でなければリヴァイがわざわざ自分の好みではなく、ベティの好みのものを出すわけがなかった。考えればすぐに分かることであった。

「エレンの方も知らなかったようだったな。軍法会議の後、お前のことを気にしていたぞ」

 リヴァイはちょうど軍法会議の後、別室に集まった時のことを思い出す。エレンは酷く狼狽しており『ベティさんが、母さんの、妹…』と未だ信じられないといった表情で口にしていたのは、記憶に新しい。

「俺たちには構わないが、せめてエレンには言ってやっても良かったんじゃないか」

 そう言われると、ベティは返答する代わりに、先程置いたグラスを手に持ち一気に傾ける。ゴクゴク、とおよそ相応しくない飲みっぷりに「おい」とリヴァイからも指摘が入る。
 アルコールを一気に摂取したベティは、深呼吸をすると、ようやく口を開いた。

「言えるわけないだろ?私はエレンの母親を、殺そうとしていたんだから」

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