夏式家のメイドに言われたことを思い返す。もし、自覚していないだけで本当にそうだというのであればわたしはなんて面倒臭くて我儘なのだろうと自己嫌悪したくなる。もう十分すぎるくらいに与えられていて、その分を何も返せていないというのにこれ以上を望むなんてあっていいはずがない。主が仮面夫婦以上の関係を求め、許されたのはそれだけの価値があったこと。そして何よりなんだかんだで両思いになっていたから。
次に、冬式家の従者な言ったことを思い出す。あの後強引に準備を進められたけど、1匹になって帰路につき冷静になる。彼女は頭の中がお花畑でできているのだろうか。そうでなければ、こんなことを名案だと断言できるはずがない。
「……はあ」
小さな紙袋を持つ手に力が入る。クシャリと音をたてて皺ができてしまった。それを見て、再度ため息を吐く。こんな形の残るもの、渡されても困るだろうし捨ててしまおうか。道中にあるコンビニのゴミ箱をチラ見する。立ち止まって数十秒。浅ましい考えと一緒に捨ててしまえば丸く収まるかもしれない。一歩、足を踏み出す。踏み出した側の太ももに硬いものが擦れる。ポケットに手にいれて確認する。朝、ハンカチにくるんだ指輪が出てきていた。まるで今からしようとしてることを止めるかのようなタイミング。
「……知らない、んだろうなあ」
ポケットから指輪を取り出す。沈みかけてる夕日を輪の中に収めるよう掲げる。橙色の光を浴び、きらりと反射する指輪が眩しくて目を細める。
彼は知らないと思う。
見返りを求めず、そこに居てくれたらいいんだと言ってくれたとき。わたしがどれだけ満たされたかを。わたしだってあそこで初めて自分がそんな感情を抱けることを知ったのだから。あの日から、彼が誰よりも幸せに笑える人生を歩んでほしいと思うようになった。
彼に知られたくない。
本当にこの関係を受け入れていいのか。わたしにそれだけの価値があるのか。柄にもないことを悩み続け、不安で指輪をつけられずにいることを。それでも手放したくなくて、ポケットのある衣類を着るようになったということを。
「そんなつもり、なかったのになあ」
古代に生まれた人の子は心臓に心が宿っていると信じていた。そして心臓に繋がる血管が左手の薬指にある考え、この場所に結婚指輪をはめるようになったのだという。夕日をたっぷりと浴びた指輪を身につけながら、なかなかのロマンチストがいたものだと笑いたくなる。……納得してるところがあるから笑えないのが実際だけれども。
わたしだって予想外だった。
こうして指輪を身につけるだけで胸の内がぽかぽかとあったかい気持ちになるなんて。
「あ、フォイユ!」
「鈴音……と」
遠くから名前を呼ばれるだけで胸の内が弾み、隣に知らない女の人が並んでいるだけで嫌な気持ちになるようになるなんて。
そんな風になるつもりなかった。
「今日はどこ行ってたの?」
「リリネちゃんと忘雪ちゃんと美味しいケーキ食べに行ってたのー」
「そっか。楽しかった?」
「ケーキは美味しかった!」
それよりも、と。彼の隣に立つ見たことのない女の人に目を向ける。少なくとも秋式家の関係者ではないだろう。……鳥居家の関係者でも見かけた覚えがない。そうなると、彼の生活圏で知り合った人だろうか。
観察するように見ていると、女の人と目が合う。彼女はにんまりと笑う。
「この子だぁれ? 妹さん、にしては似てないけど」
間延びした喋り方。主と似たような喋り方をするけれど、品がないように聞こえるのは……多分、私的な理由だろう。それにしても妹ときたかあ、なんて答えればいいんだろうと困って、曖昧に笑う。
少女の姿から成長が止まったわたしと違い、彼は月日を経て、背が伸び、全体的に筋肉がついた。太鼓を続けてきた成果なのだろう。反対に、歳を重ねるごとに派手だったメイクは薄くなっていった。今の彼なら昔みたいに泣きながら怒っても黒い涙は流さないと思う。……出会った当時は中学生くらいだったから並んでも気にならなかったけれど、ここまで成長されると隣に並ぶのに躊躇ってしまう。対して、この女の人は主ほどでなくても豊かな身体をしているし、とてもいい匂いもするし。……ああ、お似合いだなあと思ってしまう。
「ねー、鈴音くんってば」
「この子は」
「……だめ」
人の子同士、こういう子と付き合った方が幸せになれると思う。少なくとも、執着心の強い女の子の魂を宿した切り株から生まれた空っぽのわたしよりもずっといい。
でも、この人はとっても優しい人だから。心から恋しく思う人ができたときでも、わたしの面倒を最後までみるために諦めかねないから。そこまでしなくても本当に大丈夫だってわたしから言わないといけないってこと何度も考えた。
「この人、わたしの……わたしのだんな様だから、だめ」
だから、こんなことを言うつもりもなかったのになあ。
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