ちょこれぇと味のわがまま

 いくら初春が心躍る日の朝は熱っぽくなるという情報を得ても、オビの心配は拭いきることができなかった。だから頷くことに躊躇っていた。終わりの見えない押し問答は初陽の圧力に押し負ける形で収束した。

「オビ! 次あっち!」
「初春様。そんなに動かないでください、危ないです」
「ご、ごめん。……でもオビはういくんのこと落とさないでしょう?」
「それは当たり前のことですが」

 ショコラフェアを開催している百貨店には数多くの人が押し寄せていた。小柄な初春が歩けば、あっという間に人の波に攫われてしまうだろう。初陽に言われるまでもなく、初春を抱き上げて行動することになった。

「あそこのブランドは生チョコがとっても美味しくてね。あっちはフルーツチョコ! あとぼくのお目当ては生地にたっぷりとはちみつを混ぜ込んだチョコカップケーキでね」
「……本当にチョコがお好きなのですね」
「うん! 甘いものって食べると疲れもとれるし、幸せな気持ちになるでしょう? その中でもチョコって色や形、味も食感もいっぱいあってさ。そのときの気分で選べるの」

 試食販売をしている女性に手招きされ、初春は目を輝かせてオビの肩を叩く。言われるがままそちらに足を運び、女性に勧められたものを試食する。口の中に入れるとふんわりと広がるオレンジの風味。オビはなかなかに美味しいなと感心し、口の中でチョコを蕩かす。初春はどのような反応をしているのかと様子を窺うと、ふにゃりと破顔していた。
 先程の言葉に加え、毎度試食するたびに浮かべるこの表情。ここまで幸せそうな顔をするくらいのなら、自分もチョコレートを用いた菓子を作れるようにすべきかと一考する。

「オビはあんまり食べなさそうだよね、こういうの」
「そうですね……ああ、でもこういうものは一口で食べられるので頭を休めるのに効率が良さそうですね」
「そこはちゃんと味わいを楽しんでよ! おれの従者なのにチョコを味わう時間もなく、休息の効率を上げるアイテムですなんて許さないよ!」

 オレンジフレーバーの生チョコを女性から受け取り、オビに背負わせているリュックに包む。そして、意気込みカタログを開く。そんな初春の言葉を一言一句聞き逃さないように耳を傾けていたオビはほんの僅かだが目を丸める。
 初春は自分に対する評価が痛々しいくらいに低い。だから、自分のせいで綻びが生じないように、徹底して幼い初春を振舞っている。恐らく、心置きなく素を出すのは初陽と2匹っきりのときだけだろう。オビの前で我儘を言ってくれるようになったとはいえ、それまでだ。だが、このイベントに浮足立って素が見え隠れしている。そういうところが愛らしくもあるとひっそり頬を緩め、初陽に託されたお使いリストを消化し始める。

「初陽様のお使いはクッキー類が多いですね」
「小腹が空いたときとか、お出かけするときに持ち歩けるのがいいんだって」
「なるほど。初春様はどのようなものを好まれるのですか?」
「ん−、チョコ系なら何でも好きだけど……」

 少しだけ悩む素振りを見せる。それから唇を開いては閉じるの仕草を何度か繰り返してから小さな声でぽつりと零す。館内放送、販売に勤しむ店員の声、客の歓声。館内を満たす音にかき消されそうな声をオビは聞き逃さない。 

「ケーキ、ですか?」
「オビの言う通りだよ。チョコはさ、仕事の片手間で食べられる一口サイズなものが多いでしょ。だからお父様もお母様も公務の合間に食べてることが多かったの。はつもああ言ってクッキーを好んでるって言うけど、仕事が忙しくて休む暇がないからじゃないかな。本当はバウムクーヘンとかそういうものの方が好きだよ」
「…………」
「でもさ、ケーキって片手間じゃ食べられないでしょ? 似合うお皿の上に飾って、味を深める美味しいお茶を煎れて。ひと手間かけて準備し、腰をおろして一息。そうしてゆっくり会話を楽しみながら食べるの。だから1番好き」

 ほんのりと頬を染め、照れ笑いを浮かべる。その笑みには寂しさが潜んでいるように見えた。オビはしばし黙り込む。その様子に初春はおっと、勘違いさせるようなことを言ったかなと慌てて「お父様とお母様のことを惜しむ気持ちはあるけれど、思い出を語って寂しさで塞ぎ込むことはないからね!」と。肩をてちてちと軽く叩き、本当に心配性だねと声をあげて笑う。

「そうだ、オビ。あそこの抹茶を贅沢に使ったトリュフは苦みと甘みが溶けあって、余韻が残る最高の一品だよ。多分好きな味だと思う」
「見間違いでなければ純米大吟醸という文字がありますが」
「チョコの含むお酒はあってないようなものだよ!」
「以前、初陽様のチョコレートボンボンを誤って食べてくたくたに酔われたのをお忘れですか」
「うぐっ。おれは食べないから! オビが好きそうな味だから食べてほしいの!」

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