微熱に浮かされた嫉妬

 その日、もともと調子の良くなかった僕は心に余裕もなかったのかもしれない。いつもは流せるような顧客からの嫌味にささくれだった気持ちになり、情報整理の最中にタイピングミスが連発して舌打ちしたくなったり、肩を解そうとして身体を伸ばしたら椅子から転倒しそうになって苛立ったり。とにかく散々だった。
気分転換に散歩をしてくると言って家を出ようとしたらノヴァに「熱あるんだから大人しくしておけよ」と言われた気がするが、そんな自覚のなかった僕は無視をして外出を強行した。そしてその後すぐに、ノヴァの忠告を聞き入れておけばよかったと後悔することになる。

*****

「あ、せんせ……っ」

 気分転換にと散歩コースに選んだ先はあわよくば先生に会えないだろうかという期待を抱いて画材も資料も豊富に取り揃えた書店。会える可能性は限りなく低いだろうけどと思って足を運んだため、先生の後ろ姿を発見したときには飛び上がりたいくらい嬉しかった。だからその分、先生の隣に見慣れない女の人がいることに気付いたときにはヒュッと息がつまりそうになった。

「あ、これ」
「ん」
「それとあれ」
「そうか」

 緑色の髪をゆるく三つ編みにしたその女は気だるげな目を先生に向けては片手で数えられる程度の文字数の発言を繰り返していた。そしてそれだけのことなのに先生はその意味を捉えて反応を返している。……淡々としたやりとりがかえってお互いの波長が良いのだと見せられているようで、胸の奥がちりちりと焼けるような気がした。

「なんで分かるんだろ」

 画材売り場にいることから同業者だろうか。だから言葉数が少なくても通じているのかもしれない、必要なものを察してというあたりで。……だとしても、ここ1年間で距離は近づいたのに未だに先生が何を考えているのか分からない僕からすると愉快な気持ちには慣れないなあ。
 らしくない後ろ向きな考えで頭を占めていると先生とその女性は買い物を終えて解散をしていた。それに気付いたときには既に先生はこっちに足を進めており、僕に気付くと「……ネヴィ?」と首を傾げていた。

「せんせ」
「買い物か」
「ん……ほら、最近先生の新しい絵本出たでしょ?それを買いにきたんだあ、そのとき先生と会えたらいいなって思って!」

 そうしたら本当に会えたから運命だよね! などとも言ってみせるが、先生は「そうか」と、いつも通りの返事がかえってきた。いつも通り、なのだけれど……先程の女性とのやりとりを見た後だと、あの人はこの一言だけで先生の気持ちが分かるのかななどといったことを考え始めてもやもやし始める。
 ああ、やだな。せっかく先生と会えたんだからもっと楽しいことと幸せな気持ちでいっぱいになりたいのに。

「あー、えーと。先生。この後お家遊びに行っていーい?」
「? いつも何も聞かず勝手について来るだろ」
「そうだけど、ちょっと、ほらー……さっき先生、緑髪の女の人といたじゃん。デートなのかなあって思って」

 墓穴を掘った。と、己の発言に激しく後悔をする。これで頷かれたらどういう顔をすればよいのか。先生、色恋沙汰に無関心だったし、女の影なんて見えなかったから油断していたけれど、もしも肯定されたら……と、嫌な汗が噴き出る。そして心臓がどく、どくと早まる。

「別にデートなわけではない」
「……じゃああの人はなあに?」
「ただの同業者だな」
「ということはあの人も絵本作家さんなんだあ」
「イラストの方だけだがな」
「でも先生が他の作家さんと一緒にいるっていうのも珍しいね」
「どうしても分からない色の作り方があったからな」

 予想通りとも期待通りとも言える返答に安堵する。そっか、やっぱり絵本作家さんなのか。色の出し方を聞くためにわざわざ買い物に出たなんてらしいなあと納得する。……と、同時に同業者ということは趣味とかも合うのだろうか……先生、ノンケだし。と嫌な考えが浮かぶ。
 その考えを追い出すために頭を振って「今日買いに来ているってことは新作で使うってことか!」と両手を叩いて声をあげる。

「ねえねえ、先生。次はどんな話書くの?」
「言わない」
「ふふ、先生がまた新しい世界描くのかと思うと嬉しくなっちゃうなあ」
「そうか」

 悲しいことにどれだけ先生を見ていても考えていることが分からない。先生が口下手だというのもあって言葉にしてくれないし……考えていること知ろうと思ったら、絵本を通してみるしかないのだ。まあ! そういうところも含めて可愛いとは思っているんだけど!

「ネヴィ」
「なーに?」
「……、……いや、なんでもない」
「え、何それ何それ? 先生、途中でやめるのは気になるってものだよ!?」」
「気にするな」
「すごい無茶ぶり!」
「……家に来るのはいいが、作業に集中して構えないからなと言おうとしただけだ」
「改めて言わなくてもそれくらい知ってるよ!」

 この間作業の邪魔して丸一日寝かせちゃったの根に持ってるの!? と頬を膨らませれば、先生はふんっと鼻を鳴らしてそっぽ向いた。本当は何言おうとしたのさーと先生の裾を引っ張って続きを催促すると「しつこいと部屋にいれないぞ」と見事な脅された。僕には効果抜群だ。

「先生が無理しないように見張ってるだけだもーん。お邪魔しまーす」
「勝手に決めるな」
「嫌だよーっだ」

 呆れてついたため息は聞かなかったことにして、慣れた先生の家の中を進んでいく。
 こうして胸の中に宿ったわだかまりをなかったことにして笑うことにしたが、この後僕はそれを原因に大失敗を犯すことになる。

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