宣言通り言咲が潔を抱き枕にできていた時間は十分にも満たなかった。潔が仕方がないから黙っていてやろうと上から目線ながらに言咲を甘やかす態勢になった直後、腹の虫が大きく鳴いたのだ。もしもこれが最近流行りのエッセイ漫画であれば拍手喝采お見事な落ちとして採用されていたことであろう。
隠すこともなく潔は目に涙を浮かべるほど笑い、「夢に出るほど大好きなチョココロネは買ってあるぞ」と。その一言で察した言咲は顔を真っ赤にし、自分の口元を手で押さえる。恥ずかしさのあまり布団を鷲掴みにし、潔を埋めるように投げつけてから「シャワー浴びてくる!」と。逃げるように寝室を出ていった。
「……しまった。服を持ってくるのを忘れた」
言咲がそのことに気付いたのはシャワーを浴び終え、気怠さが緩和された後のこと。バスタオルに身を包み、さてどうしようかと首を傾げる。とりあえず悩んでいる間に化粧水等々を塗ってしまおうと鏡と向かい合っていると、乾燥機が鳴る。中身を確認すれば乾いた潔のシャツを見つけた。
すかさず2つの案を天秤にかける。1つはバスタオルを巻いたこの状態で着替えを取りに戻ること。もう1つは潔のシャツを拝借すること。昨晩、久しぶりにサディスト大魔王様を発揮したことで今日も絶好調に意地悪をしてくる潔はどちらの方に反応をするのだろうか。悩んでいる間にキッチンの方から空腹を煽る良い香りが漂ってくる。もう1度腹の虫が鳴いたところで、言咲は潔が絶好調である限りどちらを選んでも嬉しそうにからかってくることに違いがないだろうと諦め、ならばと肌寒さを凌ぐために潔のシャツに袖を通すことにした。
「どうせ喜んでからかわれるなら、もう少し喜ぶようなことしてやろうかなあ」
いわゆる彼シャツという状態になった自身を鏡で確認した後、にんまりとした笑みを浮かべて閃く。ドライヤーで乾かしたものの、毛先が湿っている髪を指に巻き少しくらい仕返しをしても許されるであろうと髪を結わえた。慣れた手つきで、いつもと違う髪型でまとめてから潔が待っているリビングへ足を向ける。
「いい匂いー」
「早かったな」
「お腹が空いちゃって」
お揃いのマグカップに珈琲を淹れている潔の腰に腕を回し、背中からひょっこり顔を出す。その言咲の姿に潔は目を瞬かせ、凝視する。
その視線に気付きながら言咲は自分のマグカップに湯気をたたせる蜂蜜がとろりと注がれたホットミルク。その隣に並ぶ平皿に盛り付けられた数種類のパン。これらに心を踊らせていた。パンはというとゴミ箱に積まれた袋からコンビニのものであるに違いない。が、オーブンで焼き直されておりパン屋で買ったものだと言われても信じてしまいそうな見た目をしている。
「これ運んじゃうね」
「……」
「もっと喜んでもいいんだよ? なんなら嬉しさのあまりハグをするでも」
「何も言ってない」
「えんちゃんの髪飾りじゃなくて自分があげたシュシュを使っていることに気分良くなってるんでしょ?」
平皿をテーブルに置き、ソファーに腰をかける。それから潔に向けて両腕を広げてにまにまと笑う。言咲が潔の反応を見て楽しんでいるのは明らかであった。調子に乗るなと額を叩いても良かったのだが、どういう反応を返しても言咲の上機嫌が崩れることがないだろうと考え、それならばと自分が得をする方を選ぶことにした。
「その格好でハグの要求とは大胆なことだなあ」
「んん。くすぐったいってばあ」
手にしていたマグカップ2つをテーブルに置き、隣に座る。そして両腕広げる言咲を抱きとめ、黒色と藤色の布地で作られたシュシュでゆるく1つに束ねられた髪を指に絡める。毛先が首筋をくすぐり、言咲は小さく笑いながら潔の腰に腕を回す。
先程堪能できなかった抱き枕に再挑戦だという思いでじゃれていた言咲だが、数分もしない うちにぴたりと止まる。そさくさと潔から離れ、座り直してから両手を合わせる様子から腹の虫がまた鳴こうとしていたのだろう。クツクツと笑いながら言咲を真似て両手を合わせ、潔もパンに手を伸ばす。
「美味しい。幸せー」
「随分と安い幸せだな」
「好きな人とならなんでも幸せって言うじゃない?」
「そんな台詞、昨日読んでた漫画にあったな」
「あ、ばれた?」
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