無自覚に疲れる、不器用に甘やかす

「ん、んん……うー……」

 スカートのポケットから最近流行りの曲とともにバイブが音羽の太ももを震わす。もぞもぞと身動ぎをし、音の原因を手探りで見つける。顔の前に持ってきて確認をする。時刻は18時。窓から差し込む夕日に目を細め、ごろりと大の字になってぼんやりと思考する。

 こんな時間にアラームなんて設定したっけ。あ、そうだ。昨日の仮眠で起きれるように設定したんだ。ここどこだっけ。……そうだ。梅雨入りしたせいでなかなか捌けない依頼の山を片付けるべく、わたしたちを圧殺する勢いの仕事がようやく落ち着いたからなったんの家に遊びに来たんだった。

 寝起きのせいでゆるやかにしか回らない思考が徐々にはっきりしてくる。そして気付く。そう、ここは幸風系列の施設ではなくナードの家だ。だが、部屋の主がいないことに。

「なったん……?」

 聞こえてくるのはシャットダウンしていないパソコンの起動音。いつもならそこにキーボードやマウスを操作する音がするはずなのに。目をやれば、ナードの定位置であるはずのパソコンの前には寝入る前に音羽が投げたクッションしかなかった。
 数時間前のナードの態度とそれに対して音羽の胸の内に広がっていた不安を思い出す。そしているはずのナードがこの場にいないという事実にその不安は塊となって膨らむ。

「え、あ、や、やだ……っ」

 慌てて身体を起こせば倦怠感と疲労がどっと押し寄せてくる。そして身体の節々には鈍い痛みが走る。中途半端な時間に寝てしまっただろうか。否、24時間365日対応している運び屋の業務は周囲が思っているよりも過酷で、昼夜逆転する生活を続けることも多々あること。今更昼から夕方にかけて眠った生活リズムが崩れて身体が悲鳴をあげるなんてことあるはずがない。
 などと普段なら考えていそうなどうでもよいことを思い浮かべる余裕もなくベッドから降りようとする。が、途中で足がもつれてバタンッと大きな音をたてて転んだ。数秒遅れて慌ただしい足音が部屋の外から近付いてきて、扉が開けられる。

「今すごい音したけど、どうしたの……って、おと!?」
「なった、なったんってばあ」
「だ、大丈夫? ベッドから落ちた? どこか痛い?」

 開いた扉の方を見るために顔をあげれば目を丸めて驚いた表情を浮かべるナードが立っている。その姿を見るなり、音羽は黒い目を潤ませる。日頃、にこにこ笑顔もしくは頬を膨らませてわざとらしく拗ねてみせるような表情ばかり浮かべる音羽からは想像もつかない姿にナードはさあっと血の気を引いて音羽に近付く。
 膝をつき、ナードの名前を繰り返し呼ぶだけでその場から動かない音羽にもう一度「どこか痛い?」と。問えば、返事の代わりに勢いよく腰に腕を回して抱き着いてくる。

「なったんが、いなくなっちゃったって……さっき、怒ってたから嫌われたかって、うう」

 ぐず、ぐず。鼻を鳴らし、ぼろぼろと大粒の涙を溢れさせる。肩を震わせて弱々しく「ごめんなさい」と「嫌わないで」を繰り返す。
 取り乱している。どれだけ鈍い人でも分かるくらいの状況に、そしてあの音羽が泣いているという現状に、ナードは慌てる。

「お、怒ってないよ」
「でも、冷たかった」
「あー、あれは、その……」

 とめどなく涙を溢れさせながら、じぃっとナードの顔を見つめる。どうやって説明しようかと悩み、歯切れが悪くなる。その様子に音羽はまた不安が募る。ナードの胸にぽすりと頭を押し付ける。そして、自分の不安を落ち着けさせようとナードの手を自分の頭に置き、撫でられるような格好をとる。
 よっぽど悪い夢を見たのだろう。ナードは記憶を手繰り寄せ、音羽の望み通り頭を撫でながら答える。

「疲れているみたいだったから寝てもらおうと思って」
「疲れてないもん」
「おとは自分が疲れていることに気付かないタイプでしょ」
「……なったん、それ誰の入れ知恵なの」

 頭を撫でられ、ようやく思考が落ち着いてきた音羽はくしくしと目元を擦る。泣いたせいでか若干赤くなった目には、なったんがそういうことに気付けるとは思えないとでも言いたげであった。
 ナードが鈍いからとか、音羽と出会うまで他人と関わる機会が極端に少なかったからとかそういう話もあるが。日頃から疲れ知らずだと自負している音羽なのだから本人すら限界に気付かないのは当然のこと。それなのに仕事の量とかについて知らないナードがタイミング良く察せるとは思えない。
 音羽の考えは的確であったようで、ナードは片手でパソコンを操作し、とあるゲームのチャット画面を開く。首を傾げて覗いた音羽はそのチャットのやりとりを見て、むむっと声をあげる。

「これ、もしかしてごーちゃん?」
「うん」
「なんでごーちゃん?」
「俺が聞きたい。ネトゲからおとの知り合いと遭遇するなんて思っていなかった」
「確かにごーちゃんもたまゲームやってるなあとは思っていたけれど……」

 チャットのやりとりでは梅雨入りをすると運び屋として活動できるポケモンが限られ、動ける自分たちの仕事量がえげつないこと。極端なくらい自分の疲労に鈍い海都と音羽が休みは仮眠のみで働きづめであること。そして昨日のやり取りで、ようやく音羽が休みをとれてナードの家に行くだろうから休ませてやってほしいという内容があった。
 さすが、小さい身体に反して皆に頼られる兄貴肌の剛貴。けれど、まさかゲームのチャットで筒抜けにしているとは思っていなかった音羽はうーっと唸り声をあげてナードにもたれかかる。

「だけどあんなに冷たくするのはいじわるだよ! すっごく不安になったんだから!」
「それは、ごめん。……でも、おとは楽しくなると絶対眠らないと思って」
「そうだけど、それは大当たりなんだけど! うーっ!」
「あと、うちに来たときの様子からよっぽど疲れてるんだなあと思って」
「えっ」
「これ」

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