儚いものは美しい。ゆえに尊いものである。
そう、誰かが言っていた。確か、そう。あれはスズメちゃんと空純くんの言葉であった気がする。まだ年端もいかぬ子どもが達観したことを言うものだという感想を抱いた気がする。そのような考えを抱くほど短い時で深い経験を重ねたから、幼いながらに息を呑むほど美しい見目をしているのかと納得もしたくらい。
……直後、スズメちゃんは素手でポケモンを狩ろうとするし、空純くんは猛禽類にふさわしい獰猛な立ち振る舞いをするしと。儚い泡沫の美しさよりも荒々しい野生の美の方が似合うと考えを改めることになったのだけれども。
「……そういうことは今でも鮮明に思い出せるんだ」
「瓏々の記憶力も残念なくらい儚くて美しいということですかね」
「僕が言いたいのはそうじゃなくて!」
「そういうことですよ。貴方は物事の記憶の仕方が未だに下手なんです。それはきっと時の流れを忘れるほどの長く1人でいたせいなのでしょう。衝撃を受けるほど鮮烈な出来事でないと覚えていられないことの方が多いんですよ」
「じゃあ、何。朧気になってしまったあの頃の記憶は心に残るほどのものではないってこと?」
「そうですねえ。なんと説明したら良いのやら」
月明りだけが照らす道を軽い足取りで進むスズメちゃんからの返事を待つ。人の手があまり届いていないでこぼこ道をどうしてこうも軽やかに進めるのだろうか。人間よりも五感が優れているはずの僕ですらおぼつかない足取りなのに。……と、言えばスズメちゃんは貴方が鈍臭いのでしょう。なんて笑うのだろう。
そんなことを考えていたら、スズメちゃんはぴたりと足を止める。合わせて僕も足を止める。くるりと僕の方を振り向くときに靡いた黒髪は月光に照らされてきらきらとして、とっても綺麗だと思った。
「ねえ、瓏々。貴方は私たちと過ごす日常をどれだけ覚えているかしら」
「どれだけ、って……えっと」
「さすがに昨日の夕食は覚えていますよね?」
「覚えているよ! えっと、えっと……そう、オムライス!」
「貴方がリクエストしたハンバーグですよ。自分の好物くらい覚えていてくださいよ」
貴方の病は脳に支障をきたすものではないでしょう。ぼけるには早いですよ。なんて、呆れたように溜め息を吐くスズメちゃんの表情は一瞬だけれど曇ったような気がした。ああ、まだ僕の身を蝕む病を受け入れられていないのだろうなあと申し訳ない気持ちになる。
せっかくの夜のお散歩でそんな顔をしてほしくなくて、駆け足でスズメちゃんのもとにより思いっきり飛びつく。不意打ちであったはずなのにスズメちゃんはよろけることなく僕を抱きとめ「転んだら危ないでしょう」と。この場合の危ないとは、きっとスズメちゃんが怪我をする想定ではなく、転ぶのも怪我をするのも僕だとう想定で話しているのだろう。そういえば、みどりちゃんもそういうことを言っていた気が、するなあ。
「瓏々にとってその人はハンバーグみたいなものなんですよ」
「ハンバーグ……?」
「特別好きなもので、それが出てきた日はとっても幸せで特別な1日に感じる。けれど、そういう日があるのは当たり前。溶け込んだ存在なんですよ」
「もうちょっと分かりやすく例えてほしいなあ」
「瓏々は幸せな一時を忘れていないと思いますよ」
しんどいのは別の理由でしょう。
その言葉に僕は足を止める。別の理由? 僕は大好きなみどりちゃんとの記憶が朧気になっていることが辛いわけじゃないの? 考えていることは全部口に出ていたようで、スズメちゃんが「瓏々は鈍いですからねえ」と。僕を抱きとめる手を離し、寝癖がついたままの髪を撫でられる。なんだか子どもになった気分でむず痒い。
あの洞窟から出てもう十年近く経とうとしていて、さすがにもう子どもではないつもりなんだけどなあ。少しむくれてみる。そんな僕にスズメちゃんは小さく笑い声をあげてから幼い子どもに、それこそ水島くんに言い聞かせるかのように。優しく、穏やかな声で聞いてくる。
「瓏々にとって私たちはどういう存在?」
「スズメちゃんたちは……とっても愛しい家族だよ」
「じゃあ、友人と言われて思い浮かぶのは?」
「夏彦くんかなあ。年が近いっていうのもあるけれど、何より尊敬できるんだ。拾った子を我が子として育てるために今まで生きてきた道を変えたところとか」
「ふうん」
「え、なになに?」
「いいえ。ただ、初めて出会った初めてできたお友達だというその子が真っ先に思い浮かぶわけではないんですね」
指摘されて初めて気付く。確かにそうだ。スズメちゃんに言われるがままに連想させていたけれど、どうしてだろう。友達と言われて真っ先に浮かんだのは夏彦くんだ。初めてできたお友達であり、心に根を張ったように存在し続けているみどりちゃんではなかった。
記憶が朧気になるほど時を重ねてしまったからだろうか。否、そんなわけがない。では、夏彦くんの方が尊敬できる一面がありより友達という認識をしているからだろうか。否、そんなはずもない。どれだけ時間が経っていてもみどりちゃんは初めてできたお友達で。詳しく聞くことも話されることも終ぞなかったけれど、背負っている使命のために生きるのは僕には想像できないほど重たいものようで。それを当たり前のことのように抱えて潰れないところが強い子だなと尊敬していたし。
納得できない自分の考えにもやもやする。気付いたら眉間に皺が寄っていたらしい。スズメちゃんが人差し指で僕の眉間を押しながら「らしくない顔ですね」と。
「家族愛を知った。友愛を育んだ。親愛を抱いた。貴方はたくさんの人やポケモンと交流をした。様々な感情を心に宿した」
「……まるで全部分かっているという言い方だよね」
「私は瓏々の育て親ですよ。それくらい見ていれば分かります。でも、それは自分で理解しないと意味ないことだから……」
ポケットから取り出されたのは縮小されたモンスターボール。ボタンの上に貼ってあるハンバーグのシールからそれは僕のものであることが一目で分かる。スズメちゃんが中心部にある白いボタンをカチリと押せば、瞬く間に手のひらサイズにまで大きくなる。その動作からスズメちゃんの次に何をするのかを察することはできる。けれど、今の流れで何故そうしようとしているのかは分からない。
首を傾げていると、珍しくスズメちゃんは頬を緩め、ほんの少しだが柔らかい笑みを浮かべる。そして僕の額にこつんとモンスターボールを当て、言う。
「このペースだと目的地につくまでに夜が明けてしまいますからね。少しペースをあげましょうか」
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