また追いつけますように
治療が終わった後に戻ってきたボールを見つめる。今、ボールを開けてポケモンを出したら。
負けてしまったことを怒られるだろうか。もう言うことなんか聞くものかとそっぽを向かれるだろうか。俺の手元から離れて行ってしまうのか。
様々な妄想が頭を取り巻き、最悪の方へと流れていくのを止められない。もしボールを開けてしまったら、信頼も何もかもがなくなった気がして怖くなる。
俺は本気で戦っているつもりだった。けど負けた。ハルカは怒った。
ポケモンたちもそんな風に怒ったらどうしよう。俺を見捨てたらどうしようとうだうだ考える。結局どんなに知恵を絞ろうと、ボールを開けなければ何も起こらないのだけど。
ボールの一つ一つが小さなパンドラの箱のように思えてきて手が震えた。鬼が出るか蛇が出るか。俺はそんな賭けには乗ることができない臆病者だ。
勝手にボールから出ていたフレアや、ボールを持っていないので出ているしかないリオルがボールを眺める俺を見ていたが、あいにくどういう感情を抱いているかはわからなかった。
「…ごめんな」
口から飛び出したのは謝罪の言葉だった。かすれた音にボールが反応して揺れる。ボールのボタンはまだ、押すことはない。
フレアが飛びかかってきた。いきなりのことで受身を取れず、俺はポケセンの床に転がる。周りの野次馬がなんだなんだと集まってきたが、リオルがひと睨みして追い払った。
「しゃも」
俺の上に乗っかったフレアが俺の首に鋭い爪を添えて一度鳴いた。ハルカみたいに怒ったわけでもない、でも負けたことを笑っているわけじゃない、真剣な顔で俺を見つめてきた。
ひどい顔だ、と言われていることをリオルが教えてくれる。
俺はそんなにひどい顔か。ハルカに一度叩かれたくらいなのに頬が腫れ上がっているのか。小さく問うと、フレアはもう一度弱々しく鳴いた。
『何も楽しくなさそうだ、ってさ』
何も楽しくなさそうって、俺だって楽しくない時だってあるさ。リオルもフレアもいったい俺をなんだと思ってるんだ。
『お前には悪いけど、俺もお前が本気を出しているようには思えなかった』
「は…」
『わざと攻撃のタイミングをずらしただろ』
リオルの言葉に硬直する。
俺が、わざとタイミングをずらした。そんなことはない。いつもどおりにやってもハルカのポケモンの方が早くて、だからそんな風に思えただけだろ。俺は普通に、
本当に?
フレアがずっとこちらを見つめている。もうもらった時のように腕に抱けなくなった、進化してしまった今の相棒。"シズク"が最初にもらったポケモン。
どれほど後悔したって変わらない。時間の流れは残酷で、俺がどんなに過去を振り返っても、こいつらはずっと俺に未来をつきつけてくる。
俺は怖いんじゃないか?
フレアが俺のポケモンだってこと、俺があいつよりも強くなってしまったこと、人を置いていくということを、心の奥底では認めたくないんじゃないだろうか。
何が整理だ、何が割り切るだ。俺はこの十数年、割り切ることもせずにただ逃げていただけじゃないか。現実を見たくなくて過去ばかり見て。
俺はこの世界で生きているように見せかけているだけで、本当はフレアたちを一度もちゃんと見たことはない。だってそれをすると、
「あいつらが消えちゃいそうなんだ」
『…』
「俺の中でしか生きてないあいつらが、またどこかに行くんじゃないかと思うだけで、進もうとする足がすくむ」
どうしろっていうんだ。こっちを立てればあっちは立たず、この世界のハルカやラグナをちゃんと見なきゃいけないっていうのに、俺の中にこびりついた記憶がそれを許さない。
俺だって本当はそれじゃいけないということは知ってる。過去に引っ付いていたら前には進めないことくらい、わかっている。
でもそれなら何で俺の中に記憶が残されたんだ。俺の中で生き続けてるあのふたりはいったい、何のためにそこにいるんだ。それがわからない限り、俺はこれを手放すことができない。
フレアたちには悪いが、俺はこうしなきゃいけない。俺があいつのことを想う限り、二人のことを忘れない限り、ちゃんとお前らを見てあげることすらできないんだ。
今のポケモンを見てやれないなんて、俺はトレーナー失格だ。
と、不意に手に持っていたボールが揺れ動き、中からエポナが飛び出してきた。
エポナは威嚇するように喉から唸り声を上げて距離をとった。いつもは喧嘩しているフレアもそれを止める様子はない。
残り二つのボールからもライラとコノハが飛び出してきた。いつもはにこにこと温和な態度だというのに、二匹とも口を引き結んで真剣な顔つきになっている。
怒っているのか、俺に。わざと負けてしまった俺に愛想を尽かしたか。それでもいい。俺はもう、
『そんな弱気でどうする』
リオルが言った。その言葉の意味をすぐに悟ることができず、思わずリオルの方をみた。
『お前がどう思っていたとしても、こいつらはお前を認めている。お前ならついて行くに値すると判断したんだ。
それはトレーナーに対する信頼。お前はその信頼に答えなきゃいけない』
「…それで、俺は裏切ったんだろ」
『俺はハナからお前を信じようとはしてない、裏切られたかどうかは他の四匹に聞け。
問題はお前がこれからどうするか…返答次第によっては、全員がお前に攻撃する』
リオルは最初から信頼してくれてないのかよ。酷い奴だな。
ボールから出てきた全員の顔を見つめる。一応信頼してくれていたポケモンたちに、俺はどうやったら許してもらえるんだろう。
謝る?先程それをしたらフレアが襲いかかってきた。多分謝るだけじゃ足りない。
なら、励ます。でも俺が一番うじうじしているのに誰を励ますんだ?これはきっと違う。
「おれ、は…」
とぎれとぎれの言葉が口からこぼれ落ちた。
「俺はまだ、お前たちをちゃんと仲間として見ることはできないのかもしれない。でも…いつかちゃんと、お前らをそう見れるようになりたい」
それまで待ってくれるなら、俺はどんなにつらくとも信頼を裏切らないようにする。あいつらのことを上手く消化し終わるまでは時間がかかるけれど。
だから、と、言いかけたそのとき。
エポナが思い切り手に噛み付いた。皮膚が避けて肉に食い込むが、骨を噛み砕かれているわけではなさそうなのでまだ手加減はされているのだろう。それでもかなりの痛みだが。
痛みに悶えていれば浮遊感が俺を襲い、嫌な予感がして体の周りを見ればぼんやりと紫色に発光している俺の体。エスパータイプのわざ、念力で俺の体が浮いている。
そのまま全員がぞろぞろとポケセンから出ていき、宙に浮いた俺を運んでいく。突然のことに唖然としている俺は抵抗することもできず固まったままだ。
パーティの中で素早い方のリオルとフレアが三匹を抱えて走る。ものすごい勢いで過ぎていく風景にただ混乱するしかない。どこに連れて行かれるんだ俺は。
ものの数分でたどりついた場所は110番道路の水場。あと少しで落ちそうだというぎりぎりの場所に降ろされる。
「え、あ、ちょ、」
『せーの!』
何でこんなところに降ろされたかわからないまま狼狽えている俺にダイレクトアタック。大きな衝撃が背中に伝わり、そのまま体幹を支えきれなくなって前に倒れこむ。
前には地面など存在しない。代わりにあるのは青く澄んだ水。
「どわぁっ!?」
しぶきをあげて水の中に落ちる。ちょっと待て、お前らの中に水ポケモンいないだろ。どうやって水際に上がれって言うんだ、着衣水泳は難しいんだが。
水を一気に吸って重くなった服に悪戦苦闘しながら水面に顔を出す。これ、俺がもし泳げなかったら死んでるぞ。
水際にはフレアたちがこちらを見て笑っていた。随分と楽しそうじゃないかお前ら、こっちは地味に噛まれた右手に水が染みて痛いんだけど。
『いい顔になったんじゃないか?』
「…お前、実は人をいじるの好きだろ」
『さてな』
いじける俺に手を差し伸べるリオル。握った手はひどく暖かい。
『全員お前についていくってさ』
見かけによらず馬鹿力を発揮したリオルは、びしょ濡れになった俺にそう告げた。
ああ、まだ付いて来てくれるのか。こんなにうだうだしても従っていいと思ってくれているのか。お前らって本当に馬鹿な奴だな。
でも俺はそんな馬鹿なポケモンを扱わなきゃいけないのか。それは大変だ、もっと強くならないとハルカには勝てないかもしれない。
「お前らほんと、馬鹿だなあ」
ほおを滑って一つ雫が垂れた。