泡の中に消えたそれは
先に透明な強化ガラスに倒れ伏したのは相手のポケモンだった。
「…クククッ。
ガキンチョよう、テメエやっぱモノホンだぜ…!!」
マグマの周囲でも俺より平然としているコノハに賞賛を送りつつ、荒く息を吸うアオギリを視界に入れる。アオギリとの勝負は今のところ俺のほうが有利だ。
野生で獲物を狙うポチエナのようにぎらぎらとさせた目で俺を射抜き、熱の影響で流れ落ちる汗を拭いもしないまま笑みを浮かべるアオギリ。まるでこの戦いを楽しんでいるようにも見える。
「おもしれえッ!オレとポケモンたちの全開を!メガシンカのパワーを!ひっさびさに爆発させてやるかよッ!!」
荒々しく碇のペンダントを引っ掴み叫ぶ姿にさらに警戒を強める。今のところ平気そうではあるが、コノハは草タイプで熱には弱い。いつまで戦えるのかわかったものじゃない。
しかもアオギリは今メガシンカという言葉を口にした。今までは見たことがない不可思議な進化…どれほど強くなるかすらも未知数だ。
勝てるだろうかと汗で滑るボールを握り締める。もし俺の想像しているものを上回ってしまったら、ここでアオギリは止められない。
と、そこで場違いな音が流れ出した。
「…ちっ。ガキンチョ、ちょっと待て。タンマだタンマ…」
発生源はアオギリの持つ通信機器だった。
俺も先日セレナの連絡先をもらった一件で、キンセツにて通信機器は購入してある。しかし番号を登録したからといって一度もかけていないのだから、俺のものがなるはずもない。
アオギリは憎々しげに顔を歪め、機械を耳に当てる。
「なんだウシオ、てめえ。今いいところ――――
なにっ!?
…………ほう。送り火山に…
…そうか。あの珠はおとぎ話の中だけのでっち上げじゃあなかったってワケか。
よしっ!オレもすぐ向かうッ!」
アオギリの相槌に聞き覚えのある単語を発見した。
送り火山。ホウエンを見渡せるのではないかと思うほど高い山で、キンセツから行くには空を飛ぶか波乗りを覚えているポケモンを連れていなければ通れない場所を挟んでいる。
俺はそのどちらも覚えさせていない。二つともジムバッジが必要であるし、そもそも秘伝マシン自体持っていないのだから当然だ。
通話を終えたらしいそいつは通信機を懐にしまい、アオギリは俺の方に向き直った。
「わりいなあガキンチョ、オトナのツゴウってヤツで勝負はオアズケにしてくれや。侘びといっちゃあなんだが、この隕石はテメェにくれてやる。好きにしろ」
無造作に投げられた隕石が赤く反射する床を転がる。先程まではかなり重要視していたそれをいきなり放り投げるなんて、こいつは一体何を考えているんだ。
慌てて足元の隕石を拾い上げるときには、アオギリは俺の横を通り過ぎた後だった。
「んじゃあまたな。……そのツラ、忘れねえぜ」
低くつぶやかれた言葉。アオギリの背中は足早に強化ガラスの向こうに消えた。
これは、一応命拾いしたっていうことでいいのか。追い詰めていたとは言え、メガシンカを繰り出されていたのならこちらが負けていたかもしれない。
大きく息を吐くと、無意識に入っていたらしい肩の力が抜ける。マグマ団ではなかったが、一応この隕石の使用は食い止められたようだ。
一応隕石も自分の手の中にあるので、マグマ団を少し警戒していればえんとつ山は守られる、はず。
少し熱さにばててきたらしいコノハをボールに戻し、自分も早くフエンに戻るためにアオギリと同じ方向に進み始める。ふらふらと覚束無い足取りで強化ガラスを踏みしめた。
「…キサマでは足止めしかできぬと思っていたが…アオギリを退けるとは、ただ者ではないようだな」
飲む気が失せたサイコソーダをカバンの中に仕舞い、なるべく速く足を動かす俺の前に立ちはだかったのはマツブサだった。アオギリ同様それほど暑さは感じていないらしい。
ぶれる視界の中でアクア団のひとりが何かを差し出してくる。蓋が開かれたそれは、アオギリとの勝負の前に渡された塩水。俺が飲んだ頃より随分と減っている。俺、こんなにがぶ飲みしてたっけ。
隕石は、と尋ねられて手元の石を少し見せた。アクア団が退いたとしても、マグマ団がここで機械を作動させてしまっては意味がない。
それを見たマツブサは特に何をしようという素振りも見せず、何かしらを考えるようなポーズをとってそれきり動かない。
「アオギリめ…隕石を手放すとは一体…」
バトルの前に既に変なものが入っていないかという確認は済ませているため、警戒することなく受け取って何口かもらう。生ぬるいがサイコソーダよりは遥かにマシだ。
そろそろマツブサに上着を返さねば、とぶかぶかの袖に手をかけたその時、マツブサがいきなり目をかっ開いて体を大きく跳ねさせた。マグマ団員は慣れているのか動じないが、それを視界に捉えていた俺としては驚きだ。
「まさか、宝玉そのものの在り処を突き止めたというのか…?」
マツブサの言っている意味は理解できなかった。
「クッ…またしても後手に回るとは……不覚の極みっ!」
宝玉そのもの、とは。隕石が必要じゃなくなったというのは、その宝玉が見つかったということなのか。そういえばアオギリ、あのとき「タマ」とかなんとかって言っていたような。
「小僧、キサマはアオギリの向かった先を…――っな!?」
何もしていないのに視界が揺らぐ。意識が黒に染まる直前、泡を立てて湧き上がるマグマが視界に飛び込んでくる。
マグマの中では、雄叫びを上げるグラードンが見えた。
―――
――――
「おい」
冷えた何かがおでこに貼り付けられた。キンキンに冷えたそれは勢いよく頭を刺激し、黒くなった俺の意識を一気に引き戻す。冷たすぎて痛いんだが。
ぼやける視界で見えたのはオレンジと黒。どこかで見たような気がするのだが、いったいどこで見たんだっけか。
「目を覚ましたか」
低く落ち着いた声。確かにこの声は聞き覚えがある。
えーと、と回転の遅い頭でぼんやりと思い出そうとしても中々出てこない。あと少しだっていうのになんで。
「…えーと、だれ、だっけ」
喉が渇いてがらがらになった声で尋ねる。表情はあまりわからないのだが、動揺するように反応したことからやはり知っている人物には違いない。
思い出せない名前にうんうんと唸れば、平常通りらしい揺るぎない声がフラダリ、と確かにつぶやいた。そうか、フラダリか、あのキンセツで少年の捜索をしていたあのフラダリか、なんだ…
え。
フレアも驚くほどの速さで体を起こした。しかしすぐに襲い来る目眩と吐き気に再び床へ倒れ伏す。
状況を説明していただいてもいいだろうか。ここにいるのは俺にとって大変後ろめたいことをしてしまっているフラダリさんで、そして俺はなぜかわからないが民家に寝かされている。
もしかして、ここはフラダリさんの家か。自宅か、自宅なのか。なんで俺がフラダリさんの自宅にいるんだ、そもそも俺はフエンの近くのえんとつ山にいたはずで。
それにマツブサはどうした。隕石だってまだ無事を確認していない。今の状態はいったい、なにが、
「落ち着け。体調はまだ万全ではないだろう」
頭に何か軽いものが乗る。何事かと思えば自分がかぶっていたはずの帽子だった。道理で頭の締めつけがないと思った。
「きみはえんとつ山で倒れたのだ。それもマツブサの前でな」
「は、はあ」
そうだったのか。俺がここに来るまでの記憶がないのもそれが原因だと。
普段ならばここで、倒れたのはマグマ団からもらった飲み物のせいだと決めつけているはずだが、恐らくそれは違う。碌な対策も取らずに暑い場所を歩いたせいだ。
現にその現場を見ていたらしいフラダリさんは、倒れる俺を見てたいそう慌てるマツブサを録画までして面白がっていたらしい。この人はそれを何に使うのか、俺から見ても変な人である。
知らなかったが、フラダリさんはマグマ団に所属しているらしかった。
「人を探すために入っているだけだ。海も陸地も、今のままで十分ではないかと思っている」
探しているというのは恐らくこの前の少年のことだろう。生憎、俺もフラダリさんと初めて会った時から今までは少年にあっていない。
フラダリさんは、今俺たちがいる民家は彼の知人のものだということ、そして俺が目指していたフエンだということ、マツブサは先に行ってしまったということを教えてくれた。
上着は剥ぎ取られていったぞ、という言葉で体を見れば、なるほどたしかに赤くなった肌が見える自分の服だ。
「少し隈ができている。疲労が溜まっているのなら無理はしないほうがいい」
俺よりも大きい手が頭を優しく叩く。俺、フラダリさんの子供でも何でもないんだが。
そのまま立ち上がった彼が背中を向けてドアを開ける。外から熱気が入り込んできて、そこでようやく家を涼しくしていたことを知った。何から何まで申し訳ない。
一応ここまですることを指示したのはマツブサらしい。これは、次に会った時にでもお礼は言っておくべきだろうか。
俺が悩んでいると、何かを思い出したようにフラダリさんはこちらを振り返った。
「そういえば、きみが飲んでいた塩水なんだが…」
「?」
「マツブサも同じペットボトルから飲んでいたので、毒は入っていないはずだ」
それではな。
ばたん、と木製のドアが閉まる音がやけに俺の鼓膜を震わせた。
やっぱり毒なんてものは入ってなかったらしい。安心して肩から力を抜く。それにペットボトルの中身が減っていたのも説明がつくな。
すべて解決したと思いこんだ俺は、自分の隣に敷かれている毛布に潜り込んで睡眠を貪ろうと目を閉じた。ああ、今日はなんだかすごく眠い気がする。