流れ落ちた霧と島
よほど早く解決して欲しかったのだろう、ラティオスは並大抵のポケモンじゃ追いつけないほどの速さで空を滑り風を裂いた。途中で帽子が落ちそうになったのは焦ったが、なんとか振り落とされることなくたどり着いたらしい。
地面に近いところで止まったラティオスの背から飛び降りお礼を言う。
そういえば自分のことで頭がいっぱいだったが、ダイゴさんはラティオスに追いつけたのだろうか。エアームドも飛行タイプとは言え、かなりの速さだったラティオスを追いかけられたかはわからない。
空を見上げるとほぼ同時に、俺の隣になにか黒い物体が降って着地した。ダイゴさんだった。少し距離が近くて思わず横に飛び退る。
「着いたね。ありがとう、ラティオス」
柔和な笑みを浮かべてラティオスにお礼を述べ、さほど乱れた様子もない服を軽く整える仕草をする。
あれほどラティオスが早く飛んだというのに、何でもないことのように追いついてきたダイゴさんは相当な実力者だ。飛行タイプ専門でもないくせに。
ただの石好き御曹司にしては異様に強いのは勘違いでもあるまい。そんな実力を使えるところはごく僅かのはず、一体どんなことをしてるんだか。
辺りを見回した彼はどこか複雑な表情をしている。考える仕草はしていないが、この場所のことについての疑問は少なからずあるようだった。
「………なんだろうか…
不安や恐怖とは違うけれど、なんだか…不安定な…夢や幻の中にいるような、奇妙な感覚だ…」
独り言として呟かれた言葉がやけに引っかかって俺も改めて辺りに目を向けた。流れ落ちる水は下手な川よりも綺麗に澄んでいて、静かに佇む木々は太陽の光を浴びて柔らかな影を落としている。
幻想的な雰囲気。至るところに生えた手入れもされていない草木が俺たちを取り囲む。
別段変わったところはないが、と思ったところで気づいた。
この場所に来てから、いつも聞いていたはずのポケモンたちの鳴き声が聞こえてこない。それどころか草木をかき分けたり土を踏む音、そもそもポケモンたちの息吹がない。
この島にはもしかして、ラティオスとその妹しか住んでいないのか。
「…聞いたことがある。この島に住む二匹のポケモンが、大いなる進化の可能性の一つ…
――メガシンカの秘密を護っていると」
何者かがその秘密を狙っているというのか…?
ダイゴさんの言葉にハッとしてラティオスを見る。そうだ、こんなところで風景の鑑賞をしている暇はなかった。はやくラティオスの妹のところへ向かわなければ。
未だに周りを見て回るリオルの腕を掴み、奥の方へと走った。ラティオスが後ろから飛んで並んでくる。どうやら判断は正しいらしかった。
露で湿った瑞々しい草が足を止めようと必死に絡んでくるのも退け、一本道をがむしゃらに突き進む。
「…おく…すみし…のはこ…ろにき……つけるこ……の…む…」
あともう少しで最奥までたどり着ける。露や自分の汗で濡れた頬をこすりながら荒い息で歩を重ねていたそのとき、頭に語りかけるように言葉が思い浮かんだ。
小さく霞んだ声。途切れ途切れにしか聞こえず、何が伝えたいかも明確にはわからない。
ポケモンだからなのか、余裕のある様子で付いてきていたリオルに視線を向ける。
『記憶かすみし者は心に刻み付けることを望む…そう聞こえてきた』
「記憶かすみし者…か」
まるで俺のことのようじゃないか。
誰が言ったのかは知らないが、なんとなく心を見透かされたようで気に食わない。形がないものが消えていっているのは恐ろしいことだろう。少なくとも、俺にとっては。
思考をしていたために止まっていた足をもう一度動かした。奥に進む道はもうそこにある。
奥に進むと、そこにいたのは赤いラティオスだった。青の方より些か目つきが柔らかく一回り小さい気もするが気のせいだろうか。
赤いラティオスは俺の姿を認めると警戒を強めて手の届かない位置へ浮遊する。何かを手に持っているようだ。
後ろからようやっとと言ったように追いついてきたらしいダイゴさんが、ラティアス、と呟いた。ラティオスじゃないのか。
ラティオスの妹だから名前もそっくりだが、ラティアスか。
リオルがラティアスに向かって一つ言葉をかけた。その一言は俺には理解できないけれど、恐らく俺たちが害がないことを伝えてくれているのだろう。というかそう信じるしかない。
話を聞いたらしいラティアスは多少ではあるものの警戒を解いたらしい、ゆっくりと俺たちの前に降り立った。
「美しい…
そうだな、この美しさを石に例えるならば太陽の石……いや、この輝きはめざめいしか?鋼タイプに勝るとも劣らない素晴らしさ――」
石に例えるのか。相変わらず石好きなところは変わらない。
そもそも世界が変わってもこの収集癖は変わっていないのだから、ダイゴさんの石に対する執着はかなりのものなのではないだろうか。もっとほかのことにも目を向ければいいのに。
よくわからない石の比較までし始めたダイゴさんの声を全て聞き流し、何かを伝えようと鳴いたラティアスの言葉を人間の言葉に訳してもらう。
『ラティオスに言われたのなら信頼できる、らしい。一応口は聞いておいた』
「そうか、さんきゅ」
『…そんなことより、来るぞ』
リオルが静かに振り返って来た道を指し示す。ポケモンの感覚はやはり人間よりも鋭いらしい、羨ましい限りだ。
後ろを向いてリオルが示した方を見た。そこには最早見慣れてきたといってもいいほど見てきた衣装を身に纏った人間がいて、俺がまた厄介事に巻き込まれたことを悟る。
そこにいたのはやけに日焼けが目立つ筋肉質な体をした半裸の男と、アクア団の衣装に身を包んだ女。アクア団がラティアスを狙っていたことは火を見るより明らかだった。
ラティアスに見とれていたダイゴさんも、迫り来るアクア団の存在に気づいたのか話すのをやめて鋭く後ろを睨みつけた。
「なるほど、ラティアスたちは彼らが来ることに気づいて呼んだわけだ」
納得したようにこぼされた言の葉に、ダイゴさんに何も事情を説明していなかったことに気づいた。リオルの言葉がわかるのは今のところ俺だけらしいということを忘れていた。
どうせ後で聞かれるだろうしと思って放置したのもアダになっていたように思える。アクア団がいる手前では説明できないが、ちゃんと説明はしておかなければ。
アクア団はラティアスの手前に立ちふさがる俺たちを発見し、手前で止まった。男のほうがいささか拙い発音で「あン?なんだお前ラ」としかめっ面をする。
女のほうはダイゴさんを訝しげに見ていたが、俺の方に視線を移すと同時に目を見開いて焦ったように声を上げた。
「ウシオ隊長!そっちの女男はアタシたちの邪魔をしやがるとウワサの子供ですよ!」
「おん…っ!?」
「でもって、こっちのちょっとステキな殿方は…」
女男だなんて失礼な。俺は立派な男だし、そんなに中性的な顔立ちはしてないと自負している。確かに平均からすると多少…ほんの少しひょろっこい自覚はあるが。
アクア団の男が筋肉質な奴らが多いだけで、俺だって鍛えたら普通の男子くらいの筋肉はつくはずだ。絶対。
呆れたようにため息をつくリオルを無視して女を睨みつけた。随分と俺とダイゴさんの扱いが違う気がするんだが、ダイゴさんはそんなことを気にした素振りは見せない。
モテる奴は違うってか。ダイゴさんをブラックリストに追加しておこう。
「…えーっと、どっかで見た気がするんだけど…コンテストスター?」
女が首を傾げつつ放った衝撃の一言に思わず噴き出した。この人がコンテストスターとかありえない、絶対そういう道は向いてない。
ダイゴさんの口元が引きつった。予想通り、彼の職業はコンテストスターではないらしい。俺も知らないが、彼の職業は一体何なんだろうか。
「オウホウ、こまけえこたアまーいいヤ。
オレッちの名はウシオ!アクア団サブリーダーのウシオ、ダ!」
と、男のほうがまたもや聞き取りにくい危ない発音で喋り始める。どこかアオギリの喋り方に似ているのは、この男がアオギリのそばで過ごしてきた期間が長いという象徴なのかもしれない。
話を聞くに、こいつらが狙っているのは俺たちの後ろにいるラティアス。そしてラティアスが持っているメガストーンだという。
ラティアスがなにか大事そうに持っていることは知っていたが、メガストーンだったのか。
「オレたちアクア団のヤボウをタッセイするにはメガシンカのチョウゼツパワーがゼッタイヒツヨウなワケよ。ドウだ?オトナシくソコをドケば、テアラなマネはシネエぜ?」
ウシオの言葉に首をひねる。別にメガシンカだけが目的ならば、アオギリもできるということを聞いたんだが。えんとつ山での発言は間違いなくメガシンカができることを指し示していたはずだ。
にやにやと挑戦的に見下ろしているウシオがほんの少しだけ怖く感じる。圧倒されてるからではない。おそらく昨日の出来事が関係している。
昨日みたいなことになったら、俺は逃げ切れる自信がない。そんなことは億に一つもないと理解していても本能で怯えてしまう。
震える手を止めるやつは誰もいない。
「誰が退くかよ」
しかし、それでも確かに俺は言ったのだ。ラティアスたちを助けるんだと。頼ってくれたその信頼を裏切りたくはないんだと。
それにどうせ敵同士、いざとなればリオルに撃退してもらえばいい。
目を瞬かせるアクア団二人に対し、ダイゴさんは満足そうに口の端を釣り上げた。
「うん、100点満点の返事だね。ボクも協力する。一緒に彼らからラティアスたちを守ろう!」
協力する、とは。一緒に、とは。まさかダイゴさんも一緒に戦うのか。
ダイゴさんは弱くない、「昔」のあいつから聞いた話じゃチャンピオンと同じくらいの強さを持っているとかなんとか。だから強さは全く疑ってはいない、のだが。
「オウホウ!そンなにアタマがワルくちゃシカタねえ。いっちょモミつぶしてやるカ!」
勇ましくそういってボールを構えたウシオにいささか安堵しつつ、ダイゴさんに目配せをしてボールを握る。ポケモンバトルならアクア団に負けない自信がある。
最近タッグバトル多いような、と場違いなことを考えて、こちらに飛んできたボールにタイミングを合わせて宙へポケモンを放り投げた。